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細川護熙氏の直筆「桶狭間」の前でピースサインの佳代子夫人(撮影・三須一紀)
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20140201-1251684.html
2014年2月1日9時10分
東京都知事選(9日投開票)に立候補している細川護熙元首相(76)の佳代子夫人(71)が1月31日、都内の選挙事務所で日刊スポーツのインタビューに答えた。高齢出馬を批判される細川氏は家族周辺に「120歳まで生きる」と公言しているという。佳代子夫人は細川氏の健康維持の秘訣(ひけつ)、今回の都知事選出馬の経緯を妻の目線で語った。
「こりゃだめだな」。昨年暮れ、細川氏は都知事選立候補者の顔触れを見ながら、そうつぶやいたという。佳代子夫人は「『もしや出馬?』と思った瞬間でした」と振り返った。
年が明け、三が日は「湯河原の家でテレビを見たり、のんびりと過ごしました」。しかし、徐々に目つきが変わった。そして1月10日ごろ佳代子夫人に「やっぱり、やらなくちゃいかんかな」とつぶやいた。
「脱原発」を前面に押し出した都知事選に佳代子夫人も賛同。細川氏が同時に訴える「脱経済成長至上主義」については「私の方がプロ!」と声を張った。全国でボランティア活動をする経験から「権力やお金、いい家を買う、高いものを食べることが重視される偏った価値観を変え、本当の幸せを追求しないといけない」と持論を展開した。
批判のある「佐川急便1億円借入問題」には「正真正銘、返しました」と強調。「大金を借りて返していない他の議員さんが、たくさんいらっしゃるんじゃないかしら」とも話した。
普段は神奈川・湯河原の家で暮らす細川氏と、都内を拠点に活動をする佳代子夫人は別々に暮らしているが、選挙戦が始まると都内のホテルで久々の「同居」を再開した。夫婦関係は「夫と妻の役割が逆転している感じ。戸締まりも消灯も最後にしっかりと見るのは、いつも夫」。選挙期間中の健康管理も細川氏が主導権を握る。「夫がサプリメントに詳しくて『1日5粒飲んでおきなさい。風邪をひかないから』と言ってくれるんです」と話した。
周囲には「120歳まで生きる」と公言しているという細川氏。湯河原の自宅の寝室には「腹六分目」「酒は1日1合」「適度な運動」など、長生きするためのマニュアルが掲示されている。選挙戦でも3食玄米、野菜、小魚など、普段通りの食生活を崩さないよう、古い付き合いのお手伝いさんを熊本から呼んだ。
出馬を1人で決断した細川氏。佳代子夫人は、その姿から結婚当初を思い出した。上智大ゴルフ部の先輩後輩の関係。細川氏が朝日新聞記者として鹿児島支局に赴任する直前、告白されたが、佳代子夫人は断った。その8年後、イタリア・ローマで偶然の再会。朝日新聞を退社し、出馬した衆院選に落選。親から勘当され借金を抱え、フリー記者として中東紛争を取材していた細川氏に「僕に必要なのは君の元気と明るさだ」とプロポーズを受けた。帰国後の婚約、結納は居酒屋で2人きり。挙式も熊本の神社で2人きりだった。全て細川氏が1人で決めた。
「あの人は言い出したら聞かない人。それだけ真面目で信念がある」。都知事選後半戦、佳代子夫人も街頭に立ち続け、夫の信念を支えている。【三須一紀】
◆細川護熙(ほそかわ・もりひろ)1938年(昭13)1月14日、東京生まれ。祖父は総理経験者の近衛文磨で幼い頃から政治家を志す。63年上智大卒後、朝日新聞に入社。71年に当時の最年少33歳で参院議員初当選(自民党)。熊本県知事を2期務めた後、92年日本新党結成。93年に8党派連立政権で首相就任。94年辞任。98年の政界引退後は、陶芸家として活動。「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」理事長。
◆細川佳代子(ほそかわ・かよこ)1942年(昭17)9月14日、中国東北部(旧満州)生まれ。神奈川県藤沢市で育つ。上智大学文学部英文学科卒業。71年に細川氏と結婚し、夫の政治活動を支える。80年代からボランティア活動を始め、94年に「スペシャルオリンピックス日本」を設立。日常的なスポーツを通して、知的障害者の自立と社会参加を実現する活動を行う。現在は名誉会長。
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