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2014都知事選の前哨戦を見て。細川がベストだ。
2014/1/25 原仙作
http://www.geocities.jp/sazanami_tsushin/readers12/1401/r14017.html
(1)、 いよいよ都知事選が始まった。公示前の下馬評では、脱原発派の細川も宇都宮もほぼ横並びで、口先男の舛添にダブルスコアの差をつけられているようだ。脱原発派の市民団体の集まりである「脱原発都知事を実現する会」は、細川の公約が発表される前に細川支持を決めたらしいが、私の結論から言えば、いささかフライング気味ではあったが、その選択は間違っていない。
(2)、細川の公約が発表された現在も一本化の動きは続いているようだが、その努力は無駄に終わるのであって、むしろ集票活動に集中した方がよい。 相互の言い分はあろうが、例えば、宇都宮陣営に目を向けると、宇都宮選対を仕切っているのは共産党勢と見受けられるので、共産党の御輿に乗った宇都宮では一本化は無理である。
(3−1)、共産党の骨がらみのセクト主義はどうにもならないどころか、党中央の「メシの種」でさえある、というのが私の長年にわたる共産党研究の結論の一つである。それゆえに、現実に争われている政治課題の特徴と政治諸勢力の配置を見ない選挙戦術が実行され、結果として主敵に「塩を送る」事例(全小選挙区立候補戦術など)は枚挙にいとまがないほどであるが、この都知事選もそうなりそうな気配がある。
(3−2)、 100年前、まだ文盲が過半を占めていた時代に、ロシア革命に生きたレーニンが「党の日常活動では党員は自主的である」という組織原則を打ち出したのと比較すると、21世紀になっても、年がら年中、全国一律の党勢拡大大運道をやっている日本共産党は特異な生態をもち、党員に従順と画一性を求めるのであるから、広範な国民に魅力ある政治運動をつくり出すことはそもそも無理な話なのである。
(3−3)、 それ故に、細々とではあれ、とにかく党中央が長く生き延びることが事実上の隠れた「革命戦略」とならざるをえなかった結果、その理論信奉とあいまって、歳月の冷酷な風雪を受けて骨がらみのセクト主義が生まれ習い性となっていったのである。
(4)、 あとは脱原発派有権者の賢明な判断にかかっている。都知事選前半を脱原発派二候補の「予備選」と位置づけ、リードした候補に後半戦で投票を集中させればいい。有権者による事実上の脱原発派候補の一本化である。それしかなかろう。
25日現在のところ、舛添には差をつけられているが、どの調査を見ても細川が宇都宮の得票をリードしているようだから、ほぼ決着がつきつつあるとみてよい。
(5ー1)、 私は細川支持であるが、細川にも欠点がないわけではない。なるほど、かつては原発推進であり、消費税増税論者であり、一億円の借入金がらみで政権を投げ出したりもしている。しかし、過去にそうした欠点があったからと言って、これからもそうだということにはならない。階級とは違って、個人は変わりうる。小沢がその良い例である。
(5−2)、 ポイントは、細川が公約で原発の再稼働は認めない、と言っていることである。原発の再稼働を阻止することが今日の日本の政治における最重要課題なのであって、福島の重大事故を再びくり返さないための最低限の保障なのである。
東日本大震災で俄然活発になってきた地震列島日本においては、再稼働を阻止することが他のどの政策にもまして優先されるべきことなのである。言うまでもなく、原発銀座の若狭のどこかの原発が吹き飛べば、日本列島の中枢が終わりになるどころか、日本列島に人が住めなくなるかも知れないのである。
(5−3)、 この政策と比較すれば、TPPであれ、消費税増税や福祉水準の切り下げであれ、あるいは規制緩和(改悪)や改憲であれ、望ましくはないが、仮にそれらが実行されたにしても是正は可能である。しかし、放射能汚染はそうはいかない。
その意味で、細川の参戦が脱原発問題を都知事選の最大の争点に引きずり出しつつあるのは彼の功績である。宇都宮ではこうはいかなかった。
(6−1)、 両者は同じ「原発即ゼロ」ではあるが、大きな温度差がある。宇都宮を担ぐ共産党の党大会(1月15〜18日)決議をみると、「自共対決時代の本格的はじまり」とか、歴史的な「第3の躍進の始まり」という党員向けの”ジョーク”はご愛嬌としても、福島の原発事故をこれまでのものとは「異質の危険」といい「原発と日本社会は共存」できないと言いながら、都知事選に触れた部分はわずかに一行にすぎない。
「東京、京都、沖縄の知事選をはじめ重要な首長選挙がたたかわれる。」
(6−2)、 共産党にあっては、都知事選は今年行われる重要な首長選の一つに過ぎないのであって、都知事選における脱原発候補の勝利がとりわけ格別なものと認識されているわけではない。それだから、宇都宮の政策も総花的で平板な印象になるのである。
一方の細川と小泉にとっては、都知事選における脱原発候補の勝利は日本の将来・命運を左右する分岐点という認識があり、どうしても負けられないという意気込みが伝わってくる。
(7−1)、 宇都宮派には、小泉の応援を嫌い、猜疑心旺盛にその政治的意図を詮索する者もいるようだが、位階人臣を極めた二人の元総理の善意を信用しても良いのではなかろうか? 人は変わりうるのであり、七〇歳を過ぎた老人二人が厳冬期の寒空に選挙カーの屋根から脱原発を訴えるのである。
ご苦労なことであると素直に受け取りさえすれば、二人の絶大な集票力を我がものにでき、当選すれば、再稼働阻止を全国にアピールできるのである。全国の脱原発運動はもちろんのこと、新潟で孤軍奮闘する泉田知事への絶大な援護射撃にもなるのである。
(7−2)、 かつての強力な敵であった小泉を自陣に引き入れるという滅多にないチャンスなのであるが、細川と小泉の過去の所業を許せぬとばかりに、旺盛な猜疑心や些細な手法の違いを誇大に取り上げて、そのチャンスを潰すのは「もったいない」とは思わないのだろうか?
奴らは「新自由主義」だからダメだ、というのは脱原発政策の喫緊性や重要性を見失い、かつまた、このエネルギー政策の転換が日本の経済構造を改革する潜在力を秘めていることを見ない偏狭な主張である。細川はその転換を「循環型経済」と呼んでいるようだ。
力なき者が狭量で猜疑心が強く独行好みであっては、回天の大業は夢のまた夢であろう。
(8ー1)、各種世論調査では、都知事選の争点は景気回復だ、福祉だ防災だという有権者が多いことである。相変わらず身近な問題ばかりに目が行っている。脱原発はダブルスコアで負けている。マスコミばかりが原発の争点隠しをやっているわけではないことをよく見なければならない。
そうした有権者の意向を反映して、舛添も宇都宮もそちらの方に主張の重点を置いており、脱原発が最重要と言う細川の主張は「高踏的」でさえある。
(8−2)、 脱原発派候補の分裂に加えて、都民意識の「立ち後れ」があり、小泉の言うように現状では細川の勝利は難しい。小泉の力を借りつつ、この弱点をどう突破するか、脱原発派市民の賢明で創意ある熱烈な活動が求められているところである。
(8−3)、一つのヒントは、脱原発の主張を左翼専売特許のイメージから救い出すことである。小泉が言うように、「原発なしにも日本は発展できると考える者」vs「原発なしには日本は発展できないと考える者」との争いに持ち込むようなやり方がひとつ。 あるいは、脱原発=日本の成長戦略、原発依存=長期低迷・既得権益勢力の牙城、というようなイメージ戦略づくりとなる諸戦術などなど。
(9)、「桃源郷」という行き先を表示したバスであっても、90年も止まったままで走らなければ、乾坤一擲の戦で乗る選択はできない。それよりは、細川の殿様のバスの方が、行く先に多少の不安はあっても確実に走ってくれるであろう。(2014/01/25)
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