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最初に、1/23に届いた匿名メールを紹介しよう。いわゆるタレコミ、内部事情を知る者からの暴露文書で、文面も、アドレスも、公開されることを前提に周到に工夫がされている。告発者の意図に即して、手を加えずそのまま転載するのがよいと考えた。「猪瀬辞任直後の12月16日に岩波の3階で、宇都宮氏本人、ほか2名の計3名で都知事選の対応について相談。『勝てる候補を探しましょう。宇都宮氏では残念だが勝てない。今回は他の候補を擁立したい』として、いずれも脱原発のA氏(男性、ビジネス界の方)とB氏(女性)に打診することで合意した。その際、宇都宮氏は『誰も出なかったら、私が出ますよ』と発言していた。今から思えば、本人が出馬したいと言うことだったのだろう。両氏に打診した結果、A氏はビジネスとの調整がつかずお断り、B氏にはなかなか連絡がつかず、結局アポイントメントを取れたのが12月25日となった。このことは宇都宮氏も知っている。12月25日、宇都宮氏を含む市民運動の数名でB氏と面会して、お願いすることになった。宇都宮氏は、直前に他の用事があるとキャンセルし、結局市民運動の関係者3名で面談して、3時間話し合った。その返答は『深刻に受け止める。この場での即答はできない。人に相談したい。3日待って欲しい。28日に返答する』というものだった。この面談の内容については、欠席した宇都宮氏にも面談後すぐに報告した」。
「B氏は親しい脱原発関係者に相談して、X氏(作家)、Y氏(ルポライター)も『出馬すれば応援する』と後押しされ、それぞれが選対代表、事務局長に就任するところまで決まっていた。ところが、これを知っていたはずの宇都宮氏は、27日夜に自らの事務所に東京新聞の記者を呼んで、自らが出馬するとリーク。東京新聞12月28日朝刊一面の『宇都宮氏が出馬へ』という記事になった。これらの経緯について、宇都宮氏はもちろんK氏(弁護士)も知っている(N氏は知らされていなかった)という」。以上。B氏が落合恵子であることは言うまでもない。X氏(作家)は誰だろう。大江健三郎だろうか。Y氏(ルポライター)というのは鎌田慧だろうと検討がつく。落合恵子に出馬の打診があったことは、偶然、TWを検索している中で情報を拾って知った。1/21のことだ。現在、そのTWは削除されて残ってないが、状況証拠的なTWは残っている。「フライング」、つまり、落合恵子に出馬の打診をして、本人が決心をして返事を伝えようとした矢先に、落合恵子に出馬を依頼した当時者である宇都宮健児が、いわば落合恵子を裏切って、騙し討ちのようなタイミングで先に出馬宣言し、マスコミに情報を広めさせ、宇都宮健児の立候補の既成事実を固めたのである。私は、この情報を見てすべてが一本の線で繋がったと直観した。パズルのピースが埋まった。謎が解けた。すべては澤藤統一郎の問題から始まっている。
このタレコミ・メールの冒頭の部分が面白い。12/16に岩波書店の3階(の会議室or応接室)で、宇都宮健児を含めた3名によって、来る都知事選に向けた対応が協議されている。後の2名は誰だろう。推測をめぐらせば、岡本厚と熊谷伸一郎ということになり、少なくともどちらかはこの会議に出席している。そうでなければ、岩波書店は、全く部外者の3名のために、自社の事業とも無関係に、まるで街の喫茶店のように、外部の人間に使用させたということになる。猪瀬直樹が辞任を表明したのが12/18で、その前週から辞任は秒読みの段階になっていた。そして、あの秘密保護法の熱い攻防(反対闘争)も終わり、都知事選が次の政局の焦点となり、誰が候補者に出るのだろうかと、マスコミと世間の関心が盛り上がり始めた頃だった。当時のTWでは、早くも宇都宮健児の名前が上がり、再挑戦だと言う声が流れていた。これは、今から考えれば、まさしく宇都宮健児の陣営の中枢にいる工作員が流していたTWだ。それを見た私は、だからこそ、この動きを止めようとして、同じ12/16に「都知事選でSTOP THE ABE - リベラル統一候補の擁立を」の記事を上げた。宇都宮健児を先に左派(社共)が出せば、リベラル統一が叶わず、自公が出す候補に勝たせてしまうから、何としてもこれを阻止し、民主や生活を含めたリベラル統一候補へ動くよう、言論界隈を説得して同意を得ようという狙いの一手だった。
私としては、当然、左派陣営の方でも、宇都宮健児では負けるという認識と判断を多くが持つだろうと予想していた。何と言っても、前回の都知事選で猪瀬直樹に4倍差の票で惨敗している。自公の有力候補を敵にして、宇都宮健児が相手ではキャラクターに魅力がなく、支持が広がらないことは歴然で、それは多くの関係者の共通認識になると思っていた。が、同時に、早くから宇都宮健児の名前を出すTWが頻出しているのを見て、本人がかなり野心的で、再挑戦への気配を漂わせているのも感じ、微妙なところだなと気を揉んでいた。12/16の岩波の会議では、結論として、落合恵子に打診するという決定になっている。「勝てる候補を」がその理由だった。宇都宮健児は、その会議では強く反対せず、決定に従う態度をとっている。と言うより、会議の主催者(事実上の議長)が宇都宮健児で、3人の中で最も強い権力を持っているのだろう。本人はこのとき、出馬の意図を隠し、表面的には引いて見せ、巧妙なフライングと既成事実化のマヌーバーに出る腹を固めているのだ。その後、11日間の経緯があり、打診された落合恵子が市民団体に返事をする直前、それを遮って、宇都宮健児がマスコミに自身の立候補をリークし、既成事実を固めて落合恵子の出馬を消した。落合恵子は呆気にとられただろう。今回、宇都宮健児の応援団の中に落合恵子の名前がなく、逆に、澤地久枝が細川護煕の支援に出ているのは、そのあたりの事情が関係しているのかもしれない。
宇都宮健児の出馬については、タレコミ・メールでは、12/27の夜に東京新聞の記者を事務所に呼んでリークし、それが翌12/28の東京新聞の朝刊の1面記事になったという説明になっている。私は東京新聞は見てないが、12/28の朝日の38面にこの関連の記事が載っていて、そのことをTWで発信した。その記事では、共産党の東京都委員会の若林義春への取材情報が出ていて、12/19の数日前に、党関係者が銀座の宇都宮健児の事務所に赴き、知事選への出馬を打診していた。さらに、12/24には、この若林義春本人が都内のホテルで宇都宮健児と会談、正式な出馬要請に至っている。この12/19の数日前という時間が味噌だろう。岩波の3階で協議が行われたのが12/16だ。推測するなら、宇都宮健児が素早く動き、共産党の実権者と内々に謀計をして、落合恵子の出馬潰しと自身への共産党からの(事実上の)公認指名の獲得に動いたと、そういう真相が考えられる。12/16の岩波での協議の後、数日で事態を動かし、表の市民団体(左派)の動きを封じ、ひっくり返して、宇都宮健児の出馬リーク(12/27)と、そして共産党・社民党によるエンドースメントを固めていた。12/28の東京新聞を見て、落合恵子は仰天したに違いない。3日前の12/25に出馬打診を受けて、悩みに悩んで、各方面に相談して、この日に決意を要請元に伝えるはずだった。
この、12/16から12/27までの刻一刻の政治の魑魅魍魎の中で、見逃せない決定的な問題は、澤藤統一郎の告発の開始である。例の「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」シリーズ、その第1弾は、12/21に発信されている。その冒頭にこうある。「昨夜、私は『数の暴力』というべき『強行採決』によって、『人にやさしい東京をつくる会』の運営委員から解任されました。『追い出された』というのが正確なところです。さすがに、『お・も・て・な・し』を期待はしていませんでしたが、まさか『だ・ま・し・う・ち』に遭うとは思ってもいませんでした。もちろん、ここまでにはいろんな経過があります。当然、宇都宮君側にも、それなりの言い分はあろうというもの。詳細は、おいおい当ブログでご説明します」。この記事の「昨夜」というのは、12/20の夜のことである。驚くべき事件が発生していた。様々な出来事が、われわれの知らないところで動いていた。12/20の夜に起きた、「人にやさしい東京をつくる会」での澤藤統一郎の解任決議の様子は、このシリーズの(3)以下の記事に詳しく書かれている。内紛が起きていて、組織内部で陰惨な粛清が行われていた。「人にやさしい東京をつくる会」というのは、前回、2012年の都知事選の支持組織であり、その選対メンバーの会議で起きた事件だ。宇都宮健児とその仲間は、この内紛と粛清の中で、トラブルを内に抱えつつ、その窮地を強引に突破するべく、落合恵子の出馬を潰し、都知事選の左派候補の地位を掴もうとしたのである。いわゆる宇都宮健児のフライングと澤藤統一郎との内紛、その二つが密接に関係していることは疑いない。
小さな問題に見えるが、私には大きな問題として映る。日本の左翼業界の壊死という問題だ。
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