http://www.asyura2.com/14/senkyo160/msg/188.html
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元記事 http://kochi53.blog.ocn.ne.jp/blog/2014/01/post_a5b5.html
■ 細川氏と小泉氏・・・ 元々は非自民と自民の首相である。その水と油のような立場にいた両者が脱原発で共闘している。下の動画を見てもらえば分かるように、マスコミは報じないが都内立会い演説は人で溢れ返っている。
凄い人気で、私などは、「小泉・細川脱原発連合黒船来襲作戦」と呼んで喜んでいる。
その水と油の立場にあった両者の架け橋となったのは田中秀征氏(元経企庁長官)だ。私は過去に(もう15年以上も前だが)「さきがけ」で何度かご一緒したことがある。。。正に、慧眼。ご自身は選挙で苦労することが多く、落選を何度も経験されている。
そういう苦労の中で培った、時代を見抜き読み解く力に驚くばかりだった。
田中秀征氏と小泉純一郎氏の仲は、細川内閣で田中氏が首相特別補佐官を務めている当時、野党で奇人変人と呼ばれていた小泉氏と世間話をするうちに友情に近いものが芽生えてきたようである(下段の記事参照)。
田中秀征氏の理論は細川・小泉氏が政治の最前線にいた頃、長い間、永田町の良心を支えた。。。今回の脱原発都知事選の生みの親と言っても過言ではない。
その時勢を見る目に衰えは無い・・・ いや、益々冴えている。知性と勇気と経験に裏づけされた行動力に敬意を表する。私も見習いたいものだが足元にも及ばないだろう。
ネット社会はありがたい。。。細川・小泉氏の街頭演説の様子が次々にUPされている。
【初日、渋谷ハチ公前 18分過ぎ頃から細川氏が感涙に咽ぶ】
【二日目、立川駅北口 歩道橋の上まで聴衆がビッシリ】
さて・・・
田中秀征氏に関する記事を貼っておくので見て欲しい。
細川氏が政治の弟子に当たる野田佳彦首相(当時)に「脱原発」を進めたが応じてもらえず、ずっと危機感を募らせていたことが窺える。。。細川氏は年齢的なことを考えても本気でなければ都知事選出馬は決意できない。それを疑ってかかることは情けないことである。
脱原発勢力というコップの中の仲間割れはいただけない。。。舛添(自公何でもあり政権)を利するだけだ。
一本化できなかったことは残念だが、こうなった以上、宇都宮氏を含めて両陣営が、国内に脱原発派国民を増やす立場で精一杯頑張ってもらうしかない。。。我々、脱原発派国民はどちらかを精一杯応援するしかない。
なにはともあれ、田中秀征氏の今回の「調整=小泉・細川脱原発連合黒船来襲作戦」に感謝している。
(以下、記事転載)
「細川・小泉」の元首相連合の参戦で大きなうねりを見せ始めた東京都知事選。2人をよく知る田中秀征元経企庁長官はインタビューに応じ、細川護熙元首相の出馬決断に至る経緯を明らかにするとともに、争点について「原発の問題は避けて通れない」と強調した。田中氏に細川氏出馬の舞台裏を聞いた。
−今回の都知事選について「災い転じて福となす」と発言しているが。
「2012年12月の衆院選を振り返ると、当時の最大のテーマは、有権者による『民主党処分』だった。そして、自民党まで『原発に依存しない』と唱え、脱原発を名乗るグループも分裂状況にあったため、原発の是非を問う選挙にはならなかった。今後3年間は国政選挙はないと言われる中で降って湧いた都知事選は、猪瀬直樹前知事の不祥事によるものだが、天が与えてくれた得難い機会だ」
「首都の問題イコール国の問題。それに都民の将来の経済と生活を語ろうとしたら、原発の問題は避けて通れない。この機会を無駄にしてはいけない。3年間は国政選挙がないから、その間に特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認をさっさと片付けてしまおうという(安倍政権の)考えも成り立たなくなったと思う」
◇細川氏、野田元首相に失望
−争点は何か。
「オリンピック、防災、高齢化対策、子育てなどの問題は、誰が知事でもやらなければならない共通の課題。違いはやはり原発だ。今は、原発依存度をゼロにした場合、何で補うかという供給の議論ばかりで、電力需要を減らす消費構造の議論がない。省エネルギーの技術開発、電力の無駄遣いをなくすなどの議論が必要だ。例えば、大学や商店街などが個別に『地産地消』に取り組み、都が補助金で応援することもできる。細川さんにはそういうことをやってもらいたいと考えている」
−細川氏の出馬決断に至る経緯は。
「彼は1993年に政権を取った時から、『質実国家』を掲げ、大量生産、大量消費、大量廃棄の経済社会を続けていいのかという問題意識を持っていた。原発を容認してきた『世代の責任』を強く感じており、野田佳彦首相(当時)にも働き掛けた。ある日40分間もかけて、『何をやっているんだ。もっと脱原発を鮮明にしろ』と気合を入れた。(しかし、野田氏は応じず)『全然駄目だ』と。自分の弟子だと思っていただけに、非常に失望して本当に怒っていた。その時、細川さんはそこまで脱原発に真剣なのかと思った」
「そういう中で、フィンランドのオンカロ(核廃棄物最終処分場)を見てきた小泉さん(純一郎元首相)に声を掛け、去年の10月21日に3人で会った。その時、2人の『本気』を感じた。『(脱原発は)どうしてもやらなきゃいけない最後の仕事だ』という雰囲気が漂った。小泉さんは『もう自分の仕事は終わったと思っていたのに、とんでもない大きな仕事が舞い込んだ』と言っていた。この年にして、こんなに熱っぽく、捨て身の覚悟で最後の仕事に臨もうとしていることに心を打たれた。2人はトップの政治指導者だっただけに、感じている責任の重みが違うということもよく分かった」
◇小泉氏「寝言すら実行」
−猪瀬氏の辞任はその後だが。
「だから、その時は都知事選うんぬんという話は全くなかった。動きだしたのは年末だ。小泉さんは、中川秀直元自民党幹事長から『細川さんに立って欲しいという声がある』と聞かされ、『細川さんが立てば、俺は応援する』と言った。その話を聞き、私から細川さんに伝えた。『小泉さんは寝言で言ったことも実行する人。つぶやきを翻すことすら知らない人間だ』と。そしたら、細川さんは『小泉さん、本当にそう言ったんですか』と。それまで他の人を擁立したいと考えていた細川さんも、そこから真剣に検討し始めたんだと思う」
−昨年10月の会合以降、細川、小泉両氏は何度か会ったのか。
「細川さんが出馬表明し、小泉さんが支援を約束した1月14日の会談まで全く会っていない」
−細川氏は年齢の問題もあり、逡巡(しゅんじゅん)したと思うが。
「年の問題もあるし、オリンピック東京招致に賛成してこなかったこともある。佐川急便の問題も蒸し返されて、自分の思いがストレートに有権者に届かない場合もあるとも考えた。でも、そういう障害を全部乗り越え、どうなってもいいから、やろうという決断をしたのだと思う。ここで黙してやり過ごせば、原発政策が変わらないばかりか、次の大きな原発事故を待つだけという流れになってしまうと思ったんだろう」
◇「東京・東北五輪」に
−自民党などは、国政上の問題を都知事選に持ち込むのは筋違いとけん制している。
「相撲に例えると、原発以外の都政の課題は、一つ一つの相撲の取り組み、原発の問題は相撲を取る土俵をどうするかという問題だ。それを争点にしないと言うのは、議論を封じることでなし崩し的に原発を推進しようということ。原発が必要だと言うなら、正面から正々堂々と必要だと論陣を張るべきだ」
−東京五輪への細川氏の考え方は。
「彼は被災地支援に取り組んできて、東北をものすごく重視している。実質的に東京・東北オリンピックにしたいという気持ちがある。競技の一部、例えばマラソンを持っていくとか。そういうことを真剣に考えている。商業主義が前面に出たオリンピックよりも、もっと簡素にできないかとも考えている」
◇田中秀征氏略歴
田中秀征氏(たなか・しゅうせい) 長野県生まれ。73歳。東京大文、北海道大法卒。1983年衆院選で初当選。93年に自民党を離党し、武村正義氏らと新党さきがけを結成、代表代行に。細川政権で首相特別補佐、橋本政権で経済企画庁長官を歴任。小泉政権では、有識者による「小泉首相と談論する会」座長を務めた。96年の落選後もテレビ、雑誌などで発言を続ける。福山大客員教授。著書に「判断力と決断力」「舵(かじ)を切れ」など。
(聞き手=時事通信社編集委員・芳賀隆夫)(2014/01/17-18:02)
(以下、田中秀征氏のインタービュー記事とブログ)
【インタビュー:細川氏勝利なら安倍おろし、政策転換迫る=田中秀征氏】
2014年 01月 21日
[東京 21日 ロイター] -細川護煕政権の首相特別補佐を務めた田中秀征氏(元衆院議員)は21日、ロイターのインタビューに応じ、23日告示・2月9日投開票の東京都知事選挙は、細川元首相の出馬で、国政の課題を問う選挙になるとの認識を示した。
細川氏は原発の是非をめぐって、安倍晋三政権に政策転換を迫ることになるだろうとし、同氏が主張する「脱原発」は再稼働しないことだと語った。
さらに自民党が沖縄県名護市長選に続き都知事選で負けた場合、「政権に相当なダメージになる」とし、内閣支持率が低下するなかで「党内で安倍晋三首相降ろしが始まる」との見通しを示した。
田中氏は小泉純一郎政権で「私的懇談会」の座長として首相と学識経験者などとをつなぐ役割を果たし、小泉元首相とも親しい間柄。「脱原発」で連携した背景についても聞いた。
インタビューの概要は以下の通り。
──今回の都知事選の意味。
「国政の課題を問う選挙になる。かつてないくらいの度合いでそうなる。1年前の衆院選が国政の重要課題を問う選挙にならなかった。(民主党の政権担当能力を問う)民主党処分の性格だったことと、当時すでに明るい兆しが出つつあった景気回復を本格的な流れにするにはどうするかが(争点として)あって、自民党まで原発依存をなくすと約束した選挙となり、原発政策については争点にならなかった
「(安倍政権は)そういう選挙で議席を確保しながら、その後、総選挙で議論されていない重要課題をかなり強引に進めつつある。不満が蓄積する中で、突然、都知事選という機会が与えられた。国政選挙になるのは当然だ」
──細川氏は政界を退いて20年。突き動かした動機は。
「3年前の東日本大震災が細川氏を変えた。自分も何かしなければならないという気持ちになり、実際、三陸海岸にがれきを使って土手を作るプロジェクトに参画。脱原発を主張するようになった。突き動かした動機は2つある」
「1つは、自分が原発を容認してきたという責任。これは小泉氏と一致している。総理経験者として、原発の安全神話を信じてこういう結果になったことへの責任を感じている。事故が起き、格の違う責任を持っているものとして黙っていられなかった」
「もう1つが、細川内閣の時、所信表明で『質実国家』という言葉を使った。大量生産・大量消費・大量廃棄という経済社会から転換しなければならないという問題意識をもって掲げた。今回こそ、その機会だということ」
──小泉氏は自民都連推薦の舛添要一氏ではなく細川氏と連携。自民党との決別にみえる。総理経験者としてここまで踏み込んだ動機は。
「(細川氏と)全く同じ。原発容認していた総理経験者としての責任ということ。政党の話ではない。いわんや、息子がどうなるとかとは次元の違う話」
「小泉氏は質実国家ではなく『循環型社会』という言葉を使っている。市場原理主義やグローバリズムを野放しにする発想とは違う。小泉氏は非常に大きな転換をした」
──国政を問うとは。
「安倍晋三首相に(政策)転換を迫っている。その99%が原発の問題。もっと具体的には再稼働しないこと」
──脱原発とは。原発ゼロをどう進めていくのか。
「このまま再稼働しなければゼロだ。再稼働しないということ。廃炉をどうするかなどはこれからの問題。とにかく止めるということ。(核の)ごみを出すのをやめる。今まで出したごみ(の問題)はある」
──都知事で国政に働きかけることができるのか。その手法は。
「一番は世論に与える心理的効果だ。他の知事選挙や市町村選挙などにも(影響が)出てくる。国政選挙が近づけば議員や候補は考える。政治的影響がある」
──東京電力の福島第1原発事故対応の責任はどう考えているか。
「(東電の)大株主としての行動はある。(東京都が)影響を与えることができる」
──責任の取り方が不十分ということか。
「細川氏はもう一度検討・検証するつもりかもしれない。東電に対して株主としての影響力を行使していく。それがどうであるかは、これからの検討課題だ」
──細川氏勝利の場合、安倍政権へのダメージは。
「相当、自民党内から細川支持の流れが出てくる可能性がある。再稼働の問題でも」
──自民党内で安倍批判が強まるか。
「名護市長選に続き、都知事選で負ければ、政権には相当なダメージになる。それで消費税増税となれば4月からの(景気の)落ち込みは確実。好ましい政権だと(思えば)国民は耐えるが、我慢できなくなると支持率は落ちる。集団的自衛権や特定秘密保護法に手を出すべきでない。余計なことだ」
──次に何が起きるか。
「(自民党の)中で安倍首相おろしが始まる」
──アベノミクスの評価は。
「(安倍首相は)幸運だった。運も実力のうち。1年前の民主党政権末期に景気には明るい兆しが出てきていた。止まっているエスカレーターが安倍さんが乗ったら動いたではなくて、上に向かっていたエスカレーターに安倍さんが乗って、(自身の)足でさらに昇り始めた。米国経済は本格的な回復と言って良い。ただ、日本経済が消費増税を飲み込んでも大丈夫なところまで来ているかというとまだ疑問だ。あれだけの公共投資をやって、大震災特需もあり、異次元金融緩和もあり、それでこれですかという感じだ」
──原発再稼働ゼロで円安による輸入物価上昇への対応は。
「しばらく耐えるということ。主婦層へのアンケート調査をみると、生活における電気消費量の節約に主婦はその気がある。いまは省エネに協力する用意があるのに活用していない。無駄な消費をしないということ。細川氏はそういうアプローチをすると思う。もう1つが、自然エネルギーの普及。病院などの公的部門やアーケードなどに普及させるなど、様々な手を打っていくということだ」
──為替政策の変更を求めるか。
「関係ない。都知事だ」
(インタビュアー:吉川裕子)
(編集:石田仁志)
《細川・小泉こぼれ話》@ 肉声の首相
93年9月、首相就任1ヶ月の細川さんは、国連総会での演説のため渡米。特別補佐であった私も同行した。ニューヨークのホテルの上の階には、ワシントンから来たクリントン新大統領一行が宿泊。初の日米首脳会談もそのホテルで行われた。
会談の2、3時間前であったか、内線で細川さんから電話。「秀征さん、いますぐ来てください」とのこと。何が起きたのか、私は驚いて同じ階の細川さんの部屋に駆けつけた。
「まだ時間があるから急いで首脳会談での発言内容を書き直したい」というのである。
それから、細川さんの言いたいことを二人で書き出し、想定問答を大幅に書き換えた。
そういえば訪米前の首相官邸で、外務省が作成した発言内容に彼はいかにも不満そうであった。その時からなんとか変えようと思っていたのだろう。
いつも外務官僚が離れないのだが、きっと「時差ぼけだからちょっと休みたい」とでも言って追い出したのに違いない。
もちろん、必要な部分はそのままにして、かなりの部分を書き直した。特に細川さんが「私は政治家というより革命家に近いと思われている」と発言したいと私に強調した。
会談で、実際彼がそういうと、クリントン大統領は身を乗り出してきたという。おそらく、「チェンジ」を掲げた大統領も、自分で自分をそう規定していたのだろう。その会談で両者はたちまち信頼できる友人となった。
日本のメデイアはその時、「肉声で語る首相」として細川さんを高く評価。官僚の言いなりにならない細川さんの面目を躍如としたエピソードである。
もう一人の“80%首相”の小泉さんも、勝るとも劣らない、肉声の首相だった。(了)
≪細川・小泉こぼれ話≫A「細川内閣には、なるべく長くやってほしい」
私が細川首相の特別補佐のとき、首相官邸の私の部屋に小泉純一郎さんは何度もふらりと訪れた。その後彼が首相になるとは誰一人思ってもみなかった頃である。小泉さんは普通の自民党政治家の忙しさとは無縁な人で、しかも野党になったのだから、彼は暇を持て余していたのだろう。
彼が来ると口癖のように言ったのが、「細川内閣を長くやってくれ」、「細川さんには長くやってほしい」ということだった。 最初私は自民党議員なのに何をいっているのかとふしぎであった。「どうして?」と私がきくと「自民党が新しく生まれかわるためにはそれが必要なんだ」と言う。「自民党の野党暮らしが長ければ、予算だけが目当ての団体が離れていく。利権漁りの政治家もいなくなっていく」そう言うのだ。
当時、そんなことを言う自民党議員は彼一人で、大半の人は一日も早く細川内閣を潰すことに躍起となっていた。いわゆる「佐川問題」もその一つで、最近当事者だった人たちが口を揃えて証言している。
小泉さんの政治的軌跡を辿ると、居場所がまったく変わっていない。自民党の清和会。福田赳夫元首相、安倍晋太郎元外相の流れから一度も逸れていない。見事なほどである。
彼はいつも自民党の敷地の中にどっかりと座ってきたが、自民党の家が古くなったり、悪くなったりしたら、それを「ぶっ壊して建て直せばいい」と思ってきたのである。評判が悪くなったら飛び出して他の家に移るとか、自民党とは別の新しい家をつくるとか、そんなことは一瞬たりとも考えたことがない。
「飛び出した人はみんなつぶれている」とも言ったが、自民党を離党して新党さきがけをつくった私には痛烈すぎる言葉だった。
だから今回の「原発ゼロ」の言動も細川支援も、これによって自民党を変えたいという気持ちが彼のどこかにあるはずだ。実際細川さんが当選すれば、自民党が否応なく大転換せざるを得なくなる。
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