http://www.asyura2.com/14/senkyo160/msg/157.html
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『IWJブログ』舛添要一氏のドメスティックでパブリックな問題
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/121340
参考
2014/01/23 【東京都知事選】舛添要一候補の街頭演説第一声【動画全編】
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/121159
ウィキペディア記事
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9B%E6%B7%BB%E8%A6%81%E4%B8%80
舛添要一氏応援に片山さつき氏が突き付けた“急所2条件” 東京都知事選(ZAKZAK)
http://www.asyura2.com/14/senkyo159/msg/723.html
IWJの記事です。是非上記URLを御覧下さい。以下本文のコピー
1月23日(木)10時30分から、JR新宿駅西口で行われた第一声で、舛添要一氏はこう述べた。
「私は母親の介護を通じて、本当に医療・介護の重要性を痛感しました。皆さんの命を守る、医療・介護・福祉。これをしっかりとやっていきたい。出産の問題、救急医療の問題、そして子育て、待機児童。これらの問題を何とかしたい」。
東京都知事選に立候補した舛添要一氏。昨年12月26日の産経新聞への寄稿文で「少子高齢化の波は、東京も直撃している」と論じている。そう言うだけのことはあって、舛添氏自身は自分の人生において、少子化問題に精力的に取り組んできたようだ。言行一致、今までのところ、5人の子どもをなしている。これまで3回結婚しており、配偶者との間の2人の子どものほかに、婚外子が3人いるという。
離婚歴があることも、婚外子がいることも、特に問題ではない。政治と恋愛結婚生活は別の次元の話である。愛に満ちあふれた人生ならば結構なことで、子どもが5人もいるということも幸せでたいへんめでたいことだと思える。
しかし、都知事候補としてふさわしいかどうか、議論の的になると思われる気がかりな点もある。2013年12月23日付の週刊ポストの記事によると、舛添氏は子どもへの扶助料の減額を求めて調停中だ。
舛添氏は扶助料減額を求める理由に自身の収入の減少を挙げている。国会議員だったときと比べると、今はたしかに稼いでいないかもしれない。しかし、過去の所得等報告書によると、厚生労働大臣だった2007年には2,758万円、2012年には1,742万円の収入があった。さらには2008年の閣僚資産報告によると、3億円以上の資産を保有している。
もし、これほどの資産を持っている人でも十分な養育費を払えないというのが本当だとすると、東京都の子育て支援制度はよほど真剣に再検討してもらわなければいけない。少子化の背景には経済的不安があるからであり、離婚後、子どもを抱えたシングルマザーの多くが経済的困窮に陥っているからである。
姉への経済的援助を拒否
もうひとつ、舛添氏が放棄していたことがある。2007年10月4日号の週刊文春によると、長年生活保護を受けていた姉への援助を舛添氏が断ったというのだ。
民法877条では、「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養する義務がある」と規定している。もちろん、舛添氏には舛添氏なりの事情があるだろう。だから姉を援助できなかったことを責めるべきではないかもしれない。
しかし、そうだとするならば、政治家としての舛添氏は、自身の身内の体験にもとづき、生活保護を受給しなければならないような困窮状態に陥った人々への理解と、そうした人々を救うためのセーフティネットの拡充に頑張ってもらわなければならない。
実際にはどうだっただろう?様々な事情で失業や貧困で苦しむ人々に政治家・舛添要一は寄り添ってきただろうか?
一方で、舛添氏は、母の介護を熱心に行ってきたことを、これまでさんざんアピールしてきた。「母に襁褓をあてるとき―介護 闘いの日々」という本まで出してベストセラーになっている。以来、介護問題に詳しいと、あたかも福祉政策のプロであるかのように自分を売り込んでもきた。この都知事選でも、さっそく「母親を介護してきた」ことを実績としてPRしている。
しかし、姉を経済的に支援することを拒んできたという側面もあったのだ。仮に姉への援助を行ってきたならば、「姉が生活保護を受け取るとき −貧困との闘いの日々」という本を出せたことだろう。
「介護の舛添」という化けの皮
舛添氏の厚労大臣時代の発言を振り返ってみたい。
2009年8月18日、神奈川県内で行った街頭演説で、当時の舛添氏は派遣村の取り組みについて触れた際、「4000人分の求人票を持って行ったが、一人も手を挙げなかった。大事な税金を働く能力があるのに怠けている連中に払う気はない」と発言し、8月25日の閣議後記者会見の際、その弁明として、「怠け者発言は生活保護の母子家庭(への母子加算)について言ったつもりだ」と語っている。厚労行政のトップの座にあった時に、失業者にも、母子家庭にも大変厳しい発言をしていたわけだ。
前者の発言については派遣村を企画した実行委員有志一同から、後者の発言についても複数の市民団体が連名で、舛添氏に抗議文を提出した。舛添氏は派遣村の件については、今月14日の出馬会見で記者の質問に答えて、「事務方からそう聞いたから。事実と違う?間違っていたなら、大変申し訳ないと思う」と、事実誤認ならば撤回する旨の回答をしているが、生活保護の母子家庭の件については、いまだ謝罪・撤回の言葉はない。抗議文に名を連ねた市民団体の中には、反貧困ネットワーク代表で都知事選にも立候補している宇都宮健児氏の名前もあった。都知事候補として競いあう舛添氏と宇都宮氏の両氏は、この時点で真っ向から対峙していたのである。
舛添氏は、暴言を吐いただけでなく、実際に行政権力をふるい、15歳以下の子どもがいる母子家庭に支給してきた生活保護の母子加算を、廃止に追い込んだ張本人なのだ、ということは忘れてはならない。厚労省は、舛添氏が大臣に在職していた2007年度から母子加算を段階的に減額しており、2008年度いっぱいで支給を打ち切ることを決めていた。2006年度には東京23区で月約2万3000円あった支給額が、2007年度は月約7800円に減額。2009年度からは支給額ゼロに追い込まれた。
生活保護の母子家庭を「怠け者」呼ばわりした舛添氏だが、生活保護を受ける姉に対する法律上の扶養義務を果たしていないことこそ怠慢にみえる。複数の女性に子供を産ませたのに、母子家庭にやたらと冷たいことも気がかりである。
このような経歴を持つ舛添氏は、都知事になったら福祉政策にまともに取り組んでくれるだろうか。自分の身内や、自分の子どもに対してもお金を出すのを渋る人が、他人の痛みを親身になって考えてくれるだろうか。私は舛添氏にもインタビューを申し込んでいるので、そのあたりはぜひ、投票日前までに舛添氏本人に聞いてみたいものである。
扶助料の減額を求めて裁判にまでおよんでいることも、姉への支援を渋ったことも、両方とも舛添氏の器の小ささを示すようなエピソードだ。そして、にもかかわらず、選挙戦がスタートした23日に、「介護の舛添」と街頭演説第一声でもアピールした舛添氏の厚かましさは、常人のスケールをはるかに超えている。
この件について、舛添氏の元配偶者である自民党の片山さつき参議院議員は、自身のブログで、「家族の絆と自助・共助・公助を基本とする保守政党の自民党の理念」に照らせば問題があると言っている。そういうわけで、自民党推薦の舛添氏を、東京都連の政調副会長である片山氏は応援できないのだという。
自民党内部からも皮肉の声
片山氏は、2010年の週刊新潮のゴールデンウィーク特大号(5月6日、13日号)でのインタビューで、「『平穏』だったのは最初の数週間だけ」だったと語り、「彼は私にとにかく『暴力的』でした」と、ドメスティック・バイオレンスと言われてもしかたない舛添氏の行為を暴露している。
「自分の同期や教え子には官僚がたくさんいて、生活パターンは熟知している。いくら遅く帰ってきても構わない」と、結婚前に片山氏と交わした約束を、舛添氏は2ヶ月あまりで反故にし、「遅く帰ってきやがって!」と暴言を吐いたという。
「いきなりキーッとなって、理由もなく怒鳴る。一方的にまくし立てて、私の言うことは一切聞かない。話し合いにすらなりません。その辺にあるものを、手当たり次第に投げつける。後の話ですが、炊飯器の上蓋が割れていたことも」
「またある時は、サバイバルナイフなどいくつものナイフを私の目の前にズラーッと並べた。彼は、ナイフの収集が趣昧だったんです。しかも、そのうちの一つの刃先を私に向けたことまであります。充分過ぎるほどの威嚇行為でした」
片山さつき氏も相当に図太い神経の持ち主とみられているが、それでも女性である。「ワーッと大声で責め立でてくるので怖かった。ただただ、怖かった」と明かした片山氏の発言からすると、舛添氏のふるまいで怖い思いをしたことは、トラウマになっているかもしれない。
舛添氏と片山氏は1986年にお見合い結婚し、わずか2年3ヶ月で離婚。離婚の理由は、先に述べた「恐怖体験」だけではなく、舛添氏の当時の愛人が妊娠までしていたからであるという。
なのに、こういう過去を持つ片山氏に、無神経にも舛添氏の応援を頼んだのは安倍晋三総理だ。1月19日に行われた自民党の党大会で、近くに座った安倍総理と都知事選の話になり、「ぜひ片山さんに応援してほしい、すごい話題になる」と言われたという。「すごい話題になる」という理由だけで「ぜひ」と簡単にお願いしてしまうのは、安倍さんが人の気持ちが分からない人だからだろうか。
この安倍総理の依頼に片山氏は、二つの条件をつけて「承諾」した。その条件とは、婚外子の扶養について解決すること、そして、過去の実姉への扶養義務の問題を解決することだ。
片山氏は自身のブログで、二つの条件について、次のように語っている。
「まず今回の(東京)五輪は、オリンピックだけでなく、パラリンピックがあり障害者の問題が非常に重要ななかで、現時点では舛添氏は、障害をお持ちのご自身の婚外子の扶養について係争になっており、これをきちんと解決していただくこと」
「自民党として、提言し、法改正につなげた生活保護問題で、家族の絆と自助・共助・公助を基本とする保守政党の自民党の理念に照らせば(舛添氏には実姉への)扶養義務の問題も過去にさかのぼってある」
「これらがクリアされれば、私も、東京都連の政調副会長として、きちんと街頭応援に立てると考えています」。
この件に関して舛添氏は、14日の出馬会見でフリーの田中龍作記者からの質問に、「生活保護の法律が改正されたが、水際作戦なんてやっちゃいけない」と生活保護の問題に関する一般論に触れながら、「それぞれの家族に、それぞれの歴史、葛藤がある」「市役所にも説明して『こういう状況なんです』と申し上げた」「私は銀のスプーンをくわえて生まれた子どもではなく、大変、母子家庭で苦労しました」などと述べ、明確な回答を避けた。
舛添氏が母子家庭の出身であるということを、改めて知って驚いた方も多いと思われる。苦労を重ねて、人の痛みがわかる人間に成長する場合もあるが、自分が苦労して這い上がったのだから、他人にも甘えるな、とより一層厳しくなる場合もある。人それぞれである。
片山氏はブログで、「こういう問題をきちんと解決していただいて、気持ちよく応援したい、ということを申し上げております」とも述べているが、舛添氏が何年も身内と争ってきた問題を、この短い選挙期間中にバタバタと片づけてしまうとは、ちょっと思えない。ということは、現実的には、私は応援はしませんよ、という婉曲なお断りのようにも聞こえるが、「(舛添氏は)自民党の応援を得るというのだから、当然クリアする方向でしょう」と皮肉めいた発言もしている。
舛添氏は、自民党を批判して、2010(平成22)年4月に離党し、自民党から除名されている。片山氏からすれば、自分が後ろ足で砂をかけて飛び出していった自民党の支援を受けるなら、そのくらいのしおらしさはみせなさいよ、ということなのだろうが、これは、除名までした人物を、「勝てる候補」というだけで自党の事実上の候補として支援する自民党の無節操にも問題が大いにあるといわなくてはならないだろう。
片山氏に舛添氏の応援を頼んだ安倍総理は、こういうことすべてをたいした問題ではないと思っているのだろうか。それとも、「話題になる」なら、何でもよい、自民党批判をしたことのある人物こそ、アンチ自民党の票も集められて好都合、と考えているのだろうか。
いずれにしても、都知事選挙は知名度や人気を競う投票ではない。どの人物にならば約6兆円もの財政規模をもつ東京都の行政機構の最上位のポストをまかせてよいのか、ということを決める投票である。有権者の皆さん、その点をゆめゆめお忘れなく。
(取材・文:ゆさこうこ・安斎さや香、文責:岩上安身)
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