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何よりも「安定」を求める社会
編集部
星野さんはかねてから、作家として作品を発表される一方、ブログやツイッターなどを通じて政治や社会の問題についても積極的に発言をされていますね。特に、昨年国会を通過した特定秘密保護法案については、「もしかすると憲法の改悪よりも深刻な事態を招く、最悪の法」だと、深い懸念を示されていました。
星野
法律の中身自体や、その成立に至るまでの過程のひどさは言わずもがなで、戦後最悪の事態の一つだと思います。完全に民主主義を否定したやり方だし、それは徹底的に断罪され、批判されるべきでしょう。
ただ、いくらそこを断罪しても何も変わらないという気持ちになってしまうのは、有権者者の側にも大きな問題があるのではないか、と感じるからなんですよね。
編集部
というと?
星野
昨年12月の世論調査によれば、秘密保護法が国会を通過した直後でも、安倍政権の支持率は5割近くありました。可決前より10ポイント下がったとはいっても、2人に1人がまだ政権を支持していたわけです。
つまり、国民の7〜8割が秘密保護法に反対だったというけれど、その多くは「政権を替えるほどの問題ではない」と感じていたということですよね。そして政権の側にしてみれば、あれだけ反対の声があったのを押し切って可決した、それでも支持してくれる人が半数いるんだから、批判なんてまったく怖くないということになります。
どうしてこういうふうになるんだろうということを、最近ずっと考え続けているんですが…。
編集部
一般的には「経済がよくなればそれでいい」と思っている人が多いからではないか、と言われます。
星野
その面は確かにあるでしょうね。ただそれは、経済状態がよくなることだけを指しているのではなくて、どこかでみんな「安定」を欲しているということではないか、という気がします。
編集部
「安定」ですか。
星野
関東大震災の2年後に治安維持法ができたときも同じような感じだったのかなと思うんですけれど、今の日本社会も東日本大震災と原発事故以来、ずっと混乱した落ち着かない状態が続いていて、もうこんな社会は嫌だ、なんでもいいから安定してほしいという思いが広く社会に共有されているんじゃないか、と。つまり、もちろん経済的な安定は重要だけど、それだけではなく社会的な意味も含めた「安定」を、多くの人がどこかで欲してしまっているんだと思うんです。
その思いは、誰にも責められるものではないと思います。これだけ不安に覆われた状況が震災以来3年近くも続いているわけで、その不安に平気で耐え続けられるという人は少ないでしょう。政治や社会の問題に関心を持てば持つほど、入ってくるのはネガティブな、希望の持ちようもない情報ばかり。原発事故についてだって、本気で「もう大丈夫だ」と思っている人はほんの少数だと思います。ひたすら情報を追い続けては「日本はもうダメだ、自分たちの生活もどうなるのか」と思いながら生きることに、みんな疲れ切ってしまっているんじゃないでしょうか。
編集部
不安を抱き続けることに、社会全体が疲弊してしまっている…。
星野
それがもう限界にまで来てしまって、「見たくない、知りたくない」という無関心状態が生まれてきているんじゃないかと思います。特に、消費増税とかならともかく、秘密保護法のように一見自分たちの生活に直結はしないように見える問題については、なんとなく不安はあっても、深く考えるよりも「まあいいか」と日常を送るほうを選んでしまう、という傾向がある。それが政権の高い支持率につながっているのではないかという気がするんです。
しかも秘密保護法って、ちゃんと内容を知れば別ですけど、政府の説明だけを聞いていれば、ある意味で社会の安定のために必要な法律のようにも聞こえますよね。
編集部
日本は「スパイ天国」だから、それをなんとかするんだ、とか?
星野
中国や韓国の脅威に対抗するために必要だ、とかね。そう言われると、若干言論の自由の問題はあるかもしれないけど、社会の安定のためにはしょうがない、と感じる人もいたのではないでしょうか。積極的に賛成はしないにしても、「自由が奪われる」という不安から目をそらすための口実として、「安定」が使われた側面もあると思います。
編集部
同じく現政権が推し進めようとしている原発再稼働も、ある意味では「安定」につながるイメージがあるといえるかもしれません。
星野
そうなんですよね。3・11以前の社会に戻れるかのような、一種の幻想を与えるところがあるんじゃないかと思います。
同調圧力が生んだ「愛国心」の高まり
編集部
最近の政治の場の重要なキーワードとしては「東京オリンピック」もあると思いますが。
星野
オリンピックは逆に、唯一の明るい話題、希望として扱われていますよね。そして、そこに象徴される、この十数年ほどで培われてきた「愛国心」の高まりが、秘密保護法の制定などに至るハードルを下げた、一つの要因にもなっていると思います。
編集部
「愛国心」の高まり…。それは、例えばどんなところで感じていますか。
星野
本当に普通の、いわゆる「ノンポリ」の人たちが「日本っていいよね」というようなことを当たり前のように口にするようになったのは、ここ十数年じゃないでしょうか。また、個人的にも、久しぶりに会った学生時代の友達が、何かの拍子に激しい口調で中国や韓国の悪口を言い出したり、「日本人とは――」といって自説を主張しはじめたり、といった場面に何度も遭遇しました。それも、ここ数年の出来事ですよね。
あと、僕はサッカーが好きで時々見に行くのですが、3年前にU−20女子代表の試合を見に行ったとき、びっくりしました。試合前、「国歌斉唱」の声がかかると、周りの観客がみんな立ち上がって、絶唱するんですよ。その前、2004年のアテネオリンピック予選を見に行ったときは、歌っている人はごく少数だった。だから、たった7年ほどで、こんなに変わったのかと、とても驚きました。
編集部
そうした変化は、どこから生まれてきたのでしょう。政府や国家による、何かしらの仕掛けという面もあるのでしょうか。
星野
例えば、1999年に国旗国歌法案が成立して以降の、卒業式などでの日の丸・君が代強制による「効果」は、ここ5年くらいで確実に出てきている気はしますね。
編集部
強制そのものはもちろんですが、国歌斉唱のときの起立を拒む先生を「変な人」だとみなす空気が、急速に強まってきた気がします。
星野
そうですね。以前は「自分は立つけど、まあ、立たないっていう人もいるよね」くらいの感じだったのが、いつの間にか「あの学校、立たない先生がいるらしいよ」と、すごく特殊なこととして語られるようになってきた。そうしたことの積み重ねが、徐々に「愛国心」を叫ぶことへのハードルを下げていっていて…そこにさらに震災があって、傷ついた心を癒したい、取り戻したいという気持ちも強まっている部分はあるでしょう。おまけに、中国なども日本を刺激するような行動をたびたびするので、それが政府に「愛国心」を煽る口実を与えるという、外的な要因もありますし。
ただ、そうした外的要因や国の政策以上に大きかったのは、社会の動きに何か違和感を持ったり、人と違う感じ方をしたりしたときに、それをきちんと外に向かって表現する「文化」のようなものが、日本社会に根付いていなかったことではないか、と思うんです。
自分が傷つかないための「ナショナリズム」
編集部
「文化」ですか。
星野
社会の動きを見ていて、何か変だなとか、引っかかるなとか感じることがあっても、それを大切にしない。そもそも「違和感を持つ」こと自体が、「周りからはみ出てしまう」という恐怖の対象になる。そういう傾向が日本社会の中には非常に強いと感じます。日常の中にも、人とどこか違って「はみ出て」しまうと、いじめの対象になったり叩かれたりするという恐怖が蔓延していますね。
そして、そうした社会の空気が、憲法改正への動きや秘密保護法の制定に歯止めをかけられないでいる現状にもつながっているのではないかと思います。
編集部
「ちょっと変だ」と思っても、誰もそれを口にしないから、いったん流れができてしまうとなかなか止まらない。「愛国」についても、「日本って素晴らしいよね」という流れに違和感を持ったとしても、それをあえて口に出して周りの人から「はみ出る」ことはしたくない、それよりも大きな流れに乗っかっていたいということでしょうか。
星野
そうです。流れに乗っかっているほうが圧倒的に楽だし、特にナショナリズムというのは、どんな話題よりも広く人々に共有される、一緒に盛り上がれる話題なわけですから。
編集部
オリンピック招致がまさにそうでしたね。「東京に来るのは反対」というと、「非国民」とまでは言われないにしても、それに近いような目で見られるような空気がありました。
星野
これまでの招致のときなら、あんまりオリンピックに関心ないし別に来なくていいや、みたいな人はたくさんいたし、それが特に目立つこともなかったと思うんです。それが今回は、「興味ない」とか「来なくていい」という態度を取るだけで、異端という感じで見られたりした。そんな目に遭うくらいだったら、一緒に盛り上がっているほうが絶対楽だし楽しい、と思いますよね。
ナショナリズムの強みというのは、そこにすがっておけば自分のアイデンティティが傷つかないで済む、ということだと思います。特に若い世代にとって、自分のアイデンティティを確立するのはとても難しい時代ですが、「自分は日本人だから」ということをよりどころにしておけば、日本社会の中で生きている限り、そこを批判されることはまずありません。一番、周囲からはみ出たり脱落したりすることのない、つまりは傷つくことのないアイデンティティの持ち方なんですよね。
そこに多くの人が飛びつくという状況が、今すごい勢いで起こっているという気がして。それがもっとも具体的な形で現れるのが、スポーツで「日本」と名のつくものが活躍したときの熱狂なんじゃないかと思います。
その2へつづきます
(構成・仲藤里美/写真・塚田壽子)
http://www.magazine9.jp/article/konohito/10301/
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