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屋代 聡 @yashirosatoru さんによる 都知事選一本化問題について
http://togetter.com/li/619279
あまりにもすばらしいツイートなので多くの方々に読んでいただきたくてまとめました。
「今回の選挙が、脱原発のため最後のチャンスなのです」あまりこういうことは言いたくないけれど、あほか。ほんまに。何で「最後の」チャンスなんだよ。では仮に、舛添えが勝ったら、もうチャンスは永遠に訪れない、どんなことが起きようとも、日本の原発は稼働し続ける、そう言いきるのか?
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 20, 2014
それはつまり、この選挙で負ければ、今後の脱原発運動は無意味だ、自己満足な反対のための反対に終始すると言っているに等しい。これがどれだけ自縄自縛の言説か、わかっていない。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 20, 2014
人間の歴史において、最終決戦なんてないんだよ。闘いは続く。僕は、今後も闘い続けるための選挙にする。結局あなた方は早くけりをつけたがっている。そろそろ疲れてきた。だから闘争や運動を(どこかで、無意識のうちに)勝利のうちに終わらせたいと思っている。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 20, 2014
しかし今回の選挙で、宇都宮、細川が勝てば、原発推進派の息の根が止まると思っているの? 脱原発を志向する国民が7割いても、いま10基再稼働しようとしている連中だよ? だから甘すぎるんだよ。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 20, 2014
脱原発運動の方は、今一度、原点に立ち戻って考えていただきたい。なぜ東北と日本海側に原発はあるのか。この問いを近代日本150年の歴史を踏まえて考えてほしい。原発を誘致しなければならないほど、かの地が貧しいのはなぜなのか。いや考えてほしいと言ったが、取り消す。考えねばならない。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
脱原発運動を展開してきて、今回「細川氏で一本化」などと考えた人は、本当に浅慮であった。ご高名な方もおられたが、彼らが「今回の選挙は絶対負けられない、負けたら終わりだ」というように発言なさるのを聴いて、次の3つの意味で、残念であった。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
「都知事選に負けたら終わり、これは最後のチャンス」という言説には、”再稼働容認の是非を巡る最大ファクターは原発立地地域の人びとの意思であるべき”という、およそ当たり前の事がすっぽり抜け落ちている。普段は考えていても、目先の勝ち負けにこだわるあまり、今の彼らには見えないのであろう。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
次いで残念だったのは、彼らがラストチャンスをアピールすればするほど、彼らの短期的発想が目につくことである。ラストチャンスを活かせなかった時は、彼らは脱原発はもう無理だと考え手を引くつもりなのだろう。これがラストチャンスと自身で銘打ち、これに敗れた時は、残りは残務処理しかない。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
いや、我われは敗れても闘ってゆくと言うならば、「今回で負けたら終わり」と人びとを鼓舞したのはアジテーションにすぎないし、脱原発運動を割った責任は途轍もなく大きい。退路を断つ必要など全くないのに、自分でリミットを区切った。なぜか。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
彼らのなかには「脱原発さえ争点になれば、選挙は勝てる。しかし、これまでの選挙は(不思議にも)それが争われなかったから負けた。あれは結局民意ではないのだ」という考えがあるのだろう。しかし、そうではない。国民は、残念ながら、脱原発を主要争点にしなかったのだ。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
脱原発運動の一部の方々の「早く脱原発運動の目に見える成果が欲しい」という表現が、3年にわたる運動による疲れの表れ、それゆえの功を焦る態度と心性が正直な反応であるだけに、僕は残念でならない。なぜ待てないのか。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
そして3つ目の残念な点は、いま一部の脱原発派が、意図的か否か、脱原発を再生エネルギー問題と放射線の危険という観点からのみ問題にしていることである。彼らには耳の痛い話だろうが、彼らは原発さえなくなればいいと思っているし、少なくともそれがスタートだと思っている。しかしそれは全く違う。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
原発立地、稼働計画は、近代日本の国土・国家デザインの一部として描かれてきたのである。もっとはっきり言えば中央政府による地方収奪のなかで選択された政策である。それゆえ、ただ原発を止めたとしても、中央による収奪・統制は繰り返される。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
明治以降、ずっと東北と日本海側諸県、沖縄を中心にそうした収奪がなされてきた。それゆえ本当にこの国のあり方を変えたいと願うのであれば、ただ自民打倒や脱原発といった、一面的な政策を前面に出すのではなく、多角的に根本的に我々の生活を変える覚悟をもった人を行政に推して然るべきなのだ。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
しかし管見の限り、今回の一本化論者には、そうした中長期的考えをもっている人はいない。全くとは言わないまでも、ほとんどいない。いないからこそあんな愚挙に出たのだ。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
彼らは3年近く、声を挙げてきた。しかしその間に何を学んだのか。そして何を学ばなかったのか。彼ら自身で考えるべきだった。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
僕は昨夏の参院選挙直後、こう呟いた。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
そして今日、山本太郎という反原発運動にとってある種のイコンが国会に行ったことは歓迎すべきであるが、これが終わりの始まりではないとは断言できない。彼が国会において徒手空拳となったとき、審議に存在感を示せないときがこわい。次の選挙までに反原発運動は、緩やかな総括が必要だろうと思う。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
一応の成果が出たからこそ、脱原発は完敗しなかったからこそ、考えるべきだ。そして今回の選挙のように、投票は自己に任せてゆくか、それとも最も原発問題に真摯に取り組む政党を、団体票のような形になっても推してゆくか。もちろん後者の場合、他の争点で一致できるわけがないのだから運動は割れる。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
緩やかな連帯を志向するにしても、運動の再活性を常に考える時期に差し掛かっている。今、人々を結びつけていた絆は、しがらみになりかけている。人と人とのつながりはマンネリを防ぐために常に更新されねばならない。
— 屋代 聡 (@yashirosatoru) January 21, 2014
(以下略)
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