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年末から年始にかけて、衆議院・参議院の文教委員会(衆参で名称が異なる)の各委員にメールを送って、「心のノート」の後継版、「私たちの道徳」を配布させないよう活動していただきたいと要望していた。全員には送れなかった。メールアドレスが分からない人もいたからである。「心のノート」は、2013年12月26日に慌てて名称を改めて「私たちの道徳」とした。姑息なことを考えるやつらだ。これでは、逃亡中の犯罪者が名前を変えて潜伏しているようなものだ。
まず、「心のノート」に反対の立場であると考えられる野党の委員の皆さんに要望した。それから、少し迷ったが、与党と、考え方が与党に近いと思われる野党の委員にも要望した。公明党(Komeito)の委員は、完全に無視した。公明党の委員は、どうせ自分の頭で考えることをしない。党の方針が右なら右に行き、翌日、党の方針が左になれば、自分でものを考えずに左に行くやつらだからである。これで政治家だそうだ。こんなやつらに要望しても仕方がない。
自民党(the Liberal Democratic Party )の委員はどうだろうか。中には、中曽根弘文(Hirobumi Nakasone。あの邪悪なYasuhiro Nakasoneの息子。Hirobumi Nakasoneは、「心のノート」の実現のために重要な役割を果たした)、小渕優子、橋本聖子というような名の知れた国会議員もいる。「心のノート」を初めて作成したHayao Kawaiの冷酷で非人間的な人格的特徴。「心のノート」を、配ったり配らなかったりすれば、教育現場に、「心のノート」なんかいい加減に取り扱っても構いませんよというメッセージを添えて「心のノート」を配布していることになる。これは国費の無駄遣いである。会計検査院が黙って見ているはずがない。このような事実があるのに、自民党の委員たちは「心のノート」の配布をストップさせるために活動してくれるだろうか。自民党の委員たちの国会議員としての資質・適格性が問われている。「心のノート」の配布はおかしいと感じながら、安部晋三内閣に何も言えないということであれば、それだけで自民党の議員の心に罪責の感情を生じさせることになる。そのような罪責感を抱いたままでは、議員としての生命は終わったも同然である。人は、そのような罪責感を持ったまま有能に仕事をすることはできない。
それから、「心のノート」に反対の立場にあると考えられる野党の政党本部にも、「心のノート」(および「私たちの道徳」)を廃止するように活動していただきたいと要請した。また、日本教職員組合(日教組)、全日本教職員組合(全教)、全日本教職員連盟にも同様の要請を行い、特に組合には、「心のノート」の取り扱いをめぐって処分を受けた教員の方がおられたら、援助して処分の取り消しと補償のために力を貸してあげていただきたいと思う。これは、2002年以降の「心のノート」が配布されていた間の全期間が対象になる。自分たちは配ったり配らなかったりと、いい加減な取り扱いをしているのに、教育現場で適当な取り扱いをした教員に対して、どうして処分することができるだろうか。処分する権限がないのに処分したことになる。
「心のノート」をHayao Kawaiに作成させ、文化庁長官に任命した小泉純一郎(Junichro Koizumi。当時の首相)と遠山敦子(Atsuko Toyama。当時の文相。ただし、文化庁長官任命については、遠山ではないかもしれない)は、国家と国民に対して大罪を犯したのである。
会計検査院が、黙って指をくわえて見てはいないだろう。
http://moriyamag.blogspot.com/2013/08/criticism-against-jungian-psychology.html
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