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2014年01月13日
土曜日に、突然パソコンがデッド。何とか復旧させるべく手を尽くしたが、電源に異常があるらしく、ギブアップ。Vistaなので7年、一日10時間。2万5千時間働けば壊れても仕方ないか…。タバコのヤニでファンが回らなくなっているに違いない。修理は可能だろうが、いずれにせよ時間が掛かる。ブログ更新だけなら、休めば済むが、本業の方に支障がでる。回復再起動の夢を封印、日曜日、重い足取りでヤマダ電機に。何やかやと、11万近い出費、新年から縁起のいい話だ(笑)。
本日の見出しの中で、もっとも糾弾したい奴が、日本の識者の代表選手みたいな顔つきの立花隆である。1964年東大仏文科卒業後、文芸春秋に入社。67年哲学科学士入学、同時にノンフィクションを書き始め、雑誌「諸君」でデビューする。「諸君」の初代編集長田中健吾の指導を受け、その影響を受ける。文芸春秋は東大閥の強い出版社であり、且つ初期の指導者が、江藤淳、石原慎太郎と繋がりの深い人物だったことから想像するに、立花隆にもその傾向は受け継がれたことを伺わせる。72年にはイスラエル政府の招待を受け、2週間滞在しているが、何を洗脳されてきたのだろうか。そして、74年に、問題の「田中角栄研究〜その金脈と人脈」を文藝春秋誌上に発表する。この簡単な略歴を読んだだけでも、十二分にモサドのエージェント的疑惑の塊のような、ジャーナリスト、ノンフィクション作家という印象を受ける。
「田中角栄研究〜その金脈と人脈」を発表後、期せずして、ロッキード社のトライスター納入賄賂疑惑がアメリカ合衆国上院で行われた外交委員会多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)で明らかになる。この公聴会においてロッキード社のコーチャン、クラッター両氏が全日空売り込みのために、日本側に賄賂を贈ったことを暴露した。単純収賄罪での3年の公訴時効成立があり、事件は沙汰やみの方向に動いたが、後に、チャーチ委員会での証言内容や世論の沸騰を受けて、三木武夫首相が直々に捜査の開始を指示、同時にアメリカ大統領のジェラルド・フォードに対して捜査への協力を正式に要請するなど、事件の捜査に対して異例とも言える積極的な関与を行った。
捜査開始の指示を受けて2月18日には最高検察庁、東京高等検察庁、東京地方検察庁による初の検察首脳会議が開かれ、同月24日には検察庁と警視庁、国税庁による合同捜査態勢が敷かれた。三木は、外交評論家の平沢和重を密使として送り、3月5日キッシンジャーと会談させて米側の資料提供を求めた。米政府は同月23日、日本の検察に資料を渡すことを合意した[5]。捜査の開始を受けてマスコミによる報道も過熱の一途をたどり、それに合わせて国内外からの事件の進展に対する関心も増大したものの、明らかにライバルの田中をターゲットにした捜査の急激な進展は、親田中の議員を中心に「国策捜査」として批判されることになった。この当時東京地検特捜部の捜査主任は吉永祐介で後に18代検事総長となる。この時、地検特捜検事だった堀田力は米国での嘱託尋問を担当し、起訴後公判検事として田中角栄元首相に論告求刑を行った。後に、堀田は法の正義を追及する正義感のシンボルのような扱いをマスコミから受けている。
今日はロッキード事件云々の話を長々する気はないが、十二分に胡散臭い立花隆というジャーナリストと正義の代表格のように思われている、三木武夫元首相や、検事総長だった吉永祐介、嘱託尋問を行い公判検事だった堀田力。彼らが、日本の正義であるような言説がまかり通っているような世の中に、疑問を抱く知識や知恵を駆使してみるべき時代になっているのではないだろうか。特に、このロッキード事件以降のわが国では、お金にまつわる疑惑で、多くの政治家や新興の企業人が、法の行使とメディアバッシングで、前途を多難なものにさせられている。
この検察やメディアによる攻撃のターゲットが、一定の方向性を持つ者に集中している事実を看過すべきではないだろう。彼らが、官僚機構の存在に異議を挟んだり、既得権勢力の産業構造を破壊するなど、既存の秩序を乱そうとしている行動原理、その勢いを、社会や法を駆使して、徹底的に阻止しようという魂胆があるのかないのか、国民は冷静に観察判断する目を養わなければならない。特に、日本の場合は、なぜか“お金”という話題に、興奮する国民性があるようだ。自分の金には意地汚くて浅ましいが、他人様のお金には潔癖で、魔女狩りが大好きな大衆である(笑)。
このような国民や大衆を扇動するのは、いとも容易いことのようだ。ことごとく、官僚機構やメディアのプロパガンダに誘導され、自分たちの味方を懲らしめ、敵に向かって塩を送り続けるのだ。いまや凋落の一途をたどる、自民補完政党・みんなの党の渡辺喜美がまことしやかな顔で、「今回の都知事選は猪瀬直樹知事が5千万円を受け取ったというところから始まったが、細川護熙元首相が辞めた時は億単位だった。佐川急便から借りたのか、もらったのかよく分からないが、そういった問題で辞めた方がどういう公約をもって都知事選に臨むのか、ぜひお聞きしたい。20年前の話だからと言っても覚えている人は覚えている。当然そういったことは問題にならざるを得ない。単に脱原発を掲げているから、それだけでいいということにはならない。」と言い出したことに象徴される。
その金が綺麗なものか、汚いものか、それを判断する根拠は、法治国家である以上、法的手段による正当な手続きにおける、裁判所の判断で決するものである。この法的な手続きには、その経緯が記録されるので、その行為に不純な動機が存在する場合には、後々の検証によって、その疑義が明確になる可能性を担保している。本来、疑義を挟むような余地のある裁判は、推定無罪が適用されるべきだが、そうもいかないのが世の常であるが、最低でも法的手続きを経たものには、歴史において糾弾可能な証拠が一定の範囲で残るので、不確かな行為や不正が蔓延することを防いではいるだろう。
しかし、メディアと世論は別物だ。メディアがけしかけ、大衆を扇動した“魔女狩り”プロパガンダは大衆の感情を強く刺激し、浮足立った世論を作り上げる。時に、警察も検察も裁判所も、この空気に流されるように、蛮行を行うことがある。特に、自分が触れることのない世界における“お金の話題”には、異様に潔癖になる日本人は、この罠に易々と嵌るものである。特に、政治における金というものは、世界的社会学の権威、マックス・ヴェーバーが指摘するように、「金による政治」と「金のための政治」の峻別が絶対的に必要だと説いている。つまり、愚昧で凡庸な政治家は「金のための政治」を行い、政治目的のある政治家は一定の範囲で「金による政治」を行わないと、既存の官僚機構という暴力装置保有組織に対抗できないものである。
大衆の多くは、此処の部分を理解する能力も知識もないので、いとも簡単に感情という疑似餌に引っ掛かり、釣り上げられ吹き上がるのである。渡辺喜美や安倍自民が、大衆同様に感情に任せて語っているのか、意図して語っているか別にして、「金による政治」と「金のための政治」の区別を国民が理解しないと、常に政治家は、官僚の下僕として存在することになり、国民大衆のために政治を行うなどというマジックは、永遠に出来ないことを保証しておこう。大衆とは、感情に走り、自分たちの味方か敵かの区別もなく、官僚やマスメディアの誘導に乗り、自らの首を絞めているのだから、ある意味で自業自得だともいえるだろう。
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