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http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2014/01/post-0d91.html
2014年1月12日
東京都知事選が重大な位相に突入した感がある。
前々回の記事「東京都知事は反新自由主義者・反グローバリストを!」
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2014/01/post-c04e-1.html
で書いたように、東京都政は日本全体の“公共意思”をかなりの部分で体現する性格を持っていることから、都知事選が国政全体にかなりの影響を与えることは間違いない。
猪瀬直樹氏が辞任した後の東京都知事選には、すでに日本共産党の宇都宮健児氏、 元航空幕僚長の田母神俊雄氏、元厚生労働大臣の舛添要一氏、発明家のドクター・中松氏が出馬表明している。
そこへ、ジャーナリストの池上彰氏に出馬を打診され、小泉純一郎元総理に強く後押しされた細川護煕元総理大臣の出馬が急に浮上した。
これが、安倍晋三、石破茂、甘利明ら、自民党国賊勢力を戦々恐々の不安に陥れている。
TPP参加推進、特定秘密保護法、国家戦略特区法、産業競争力強化法、共謀罪法(未)等、グローバル資本による日本収奪の新自由主義政策と、そのための言論弾圧法制定に狂奔する安倍一族は、細川護煕氏の存在感に脅えたのではなく、小泉元首相の“トンデモキャラ”に脅えているのだ。
CSISの分かり易い走狗としてデモをテロと同一視し、昨年の参院選を制したら反意的に自民党は暴走できると正直に吐露した石破茂幹事長もそれは同じで、小泉氏の存在にかなり動揺しているようだ。
石破氏は、細川氏と小泉氏が脱原発で意気投合したことに関して、内心の動揺を隠しながらも、「それは一義的に国政の問題だから」と、原発は国政レベルだという感じで、都政と原発問題のリンクを嫌う言い方をあえてした。
だが、上述したようにそうはいかないのである。
国民総人口の一割を超える東京都民の総意として、都知事が脱原発姿勢を明確にすれば、それは否応なく国政レベルに波及する。
地方都市の長の政治姿勢はすべてがフラクタルに国政に影響を与えるが、特に東京都知事は首都機能の集中エリアと重なっているだけに、その影響力は大きい。
だからこそ、自民党は新自由主義者の都知事選候補である舛添要一氏に強い期待をかけ、公明党も舛添氏には親和性を持っている。
創価学会が一丸となって舛添氏を担げば相当の集票性があるだろう。
だが、この盤石とも言える布石に対し、細川護煕氏の舞台登場で自公政権には突如暗雲がたなびいてきた。
特に、グローバル資本と財界に魂を売り渡している安倍政権は、小泉純一郎元首相のサプライズ出現に心胆を寒からしめている。
小泉元首相が都知事選挙の争点を“脱原発”で腹を決めたことは、原子力ムラにとっては青天の霹靂である。
石破氏はそのことがよく分かっていて、ほぞを噛んだような心境になっており、これでは自分たちがCSISからたまわった国政計画にひびが入ってしまうではないかと憤慨しているのだろう。
自民党の売国連中は、なぜそれほどまでに小泉純一郎氏が恐ろしいのであろうか。
それは小泉純一郎の持って生まれたその性格にある。
小泉氏は頭は悪いが、一度言い出したら頑固すぎて、梃子(てこ)でも自分の節を曲げないところは余人の及ばないところだ。
これはきれいごとで言うなら“信念の人”だととらえる向きもあるのだが、実態は、いったん妄執の虜(とりこ)となったら、不動の強さを持つ性格の人間だからである。
人間の意志を最も強固にするのはロマンティシズムや理想ではなく妄執なのである。
特に妄執が鬼のレベルまで亢進していることを、文学的には“執鬼(しゅうき)”と呼ぶこともある。
色恋沙汰で執鬼と化した女性も見たことがある。
その話はさておき、執念くらい強いエネルギーを発散するものもない。
1979年に作家の西村寿行は「妄執果つるとき」(徳間書店)という裁判法廷ものの小説を出している。
この小説に限らず、西村寿行作品に一貫する主人公や登場人物の心象風景は、人間が抱く妄執・妄念など、恐るべき執念の強さが際立っている。
だからこそ彼の作品は迫力があり面白いのである。
小泉政権当時、郵政民営化を強行し、グローバル資本の出張機関であるUSTRの言うがままに構造改革に踏み切った両輪は、小泉純一郎氏と竹中平蔵氏であった。
この両者はともに新自由主義の牽引車として、同じ穴のムジナとして見られるが、全く異なる性格がある。
竹中氏は経済学者の肩書があるが、専門家筋に言わせると学者としては低レベルだそうである。
それでも彼は、その低レベルな小宇宙(ミクロコスモス)の中で、一生懸命理屈をコネ回す才覚がある。
学者風の言い回しで口先三寸、舌先三寸のテクニックは群を抜いており、大概の真面目な人たちは彼の能弁によって煙に巻かれてしまうことになる。
一方、小泉純一郎氏は物事を順を追って体系的に把握できないから、一つの政策を筋道立てて説明する頭脳も教養もない。
必然的に彼の言うことは短いフレーズの政策説明と極端な二項定理で全体を言い表そうとすることに終始した。
彼が公的な政策説明の場を避けたのは、少しでも長めの説明ができないからだ。
これが当時のポピュリズム(大衆迎合主義)に合致して人々を熱狂させ、劇場型政治空間の成功をもたらした。
小泉氏が郵政民営化に強硬にこだわったのは、その経済構造や冷徹な政治理論からではなく、彼が厚生大臣だったころの郵政族に対する私怨(ルサンチマン)が妄執となって凝り固まったからに他ならない。
小泉氏は理屈や正論で動く人物ではなく、妄執・妄念こそが彼の行動原理を突き動かしているのだ。
これが祖父譲りのヤクザな決断力と結びついている。
最初、小泉氏が脱原発を表明したとき、これはきっと安倍晋三氏を迂遠に盛り立てるヒール役を買って出たのかなという思いはしたが、いくら考えても辻褄が合わなかった。
彼はそのような高度な芸当ができる人物ではない。
小泉氏の中で何が起きたか分らないが、今までの脱原発発言を見ると、全くぶれていないし、本気であることが見える。
その理由は分からないが、彼が一つの考えを決めたときは、妄執が凝り固まっているから、それは炎となって辺りを焼き尽くすまでエネルギーを持続させる。
その形は小泉政権時代の自民党連中は嫌というほど知り抜いているのだ。
だからこそ、現自民党の幹部連中は、彼の細川擁立に驚きを隠せない。
小泉氏を敵に回したら、もう何をしても籠絡の道はないのである。
誰かがすでに指摘していることだが、とどまるところを知らない安倍政権の暴政を失墜させるのは、もはや妄執でも何でもいいから、狂気のエネルギーが必要なのかもしれない。
その逆噴射エネルギーに小泉純一郎氏の堅気にはない凶暴なエネルギーを使うという手はあるのかもしれない。
そこで、細川−小泉連合に小沢一郎氏が加われば、脱原発同盟ができあがり、小沢氏が手綱を引くことによって、凶暴化した安倍政権の勢いを封じることが、あるいはできるかもしれない。
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