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核の恐怖を体現するゴジラは甲午の年に誕生した
http://blog.goo.ne.jp/ichimurasan2006/e/6c3fa89275da8f728bf98ec82bb58fc3
★「田中良紹氏の視点ー(2014/01/10)」★ :本音言いまっせー
120年前の甲午の年は日清戦争が起こり、その翌年に日本政府が尖閣諸島を領土にする閣議決定をしたと書いたが、60年前の甲午の年は日本国民が核の恐怖に震えていた。
1954年3月1日、マーシャル諸島近海で操業していた日本の漁船第五福竜丸はビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって乗組員全員が被爆した。船は危険水域の外にいたが雨と共に大量の死の灰を浴び、翌日から乗組員の体調の異変が始まり、14日に帰国して病院に収容されたが、無線長の久保山愛吉さんは半年後に死亡、他の乗組員も後遺症に悩まされる事になった。
アメリカ政府は反米運動が盛り上がる事を恐れ、日本政府も戦後復興のためにはアメリカに頼らざるを得ないと考え、アメリカ政府に対する責任追及は行われなかった。日本国民は広島、長崎に次いで3度目の被爆をしたが、アメリカは非を認めず賠償金ではなく見舞金として200万ドルを支払う形の政治決着が図られた。
しかし国民の間に広まった死の灰への恐怖は反核運動を盛り上げる。それを見て映画会社東宝は「ゴジラ」の映画製作に乗り出した。東宝のプロデューサー田中友幸は第五福竜丸事件から「南海の海底に眠る太古の怪獣が水爆実験の影響で目をさまし日本を襲撃する」という企画を考える。怪獣の名前をゴリラとクジラを合わせてゴジラとした。
5月にシナリオが作られ、特撮技術を駆使した映画は10月末に完成した。スタッフはただの怪獣映画ではなく核の恐ろしさを描く事に力を入れた。11月に封切られると国民の10人に1人が見たと言われるほどの大ヒットとなる。
水爆実験で目覚めたゴジラは実験を行ったアメリカを襲うべきだと思うが、日本の観客に見せるにはやはり日本の首都を襲わせることになる。海から上陸したゴジラは都心の建物を次々に破壊するが、観客たちが最も拍手喝さいを送ったのは国会議事堂が破壊された時だったと言う。当時の国民が強い政治不信に陥っていたためである。
この年の1月に東京地検特捜部は造船疑獄の強制捜査に乗り出した。政財官の要人が次々に逮捕され、4月には自由党の佐藤栄作幹事長の逮捕状が用意された。ところが犬養法務大臣の指揮権発動によって事件は一転して収束する。国民は政治の圧力に強い憤りを感じていた。
長期政権を続けた吉田内閣は不人気となり、自由党政権に代わる政権交代に国民の期待が集まった。こうして「ゴジラ」が封切られた直後に鳩山一郎、岸信介らによって反吉田を掲げる日本民主党が結党された。アメリカも吉田茂を見限り、鳩山政権を誕生させようとした。
後にこの指揮権発動には裏があり、検察が事件にならない事件を摘発してしまったため、政府に頭を下げて指揮権発動をお願いしたという説が出てきた。検察を「正義の味方」と思わせておく方が都合の良い権力機構がそうさせたと言うのである。
この時逮捕を免れた佐藤栄作氏は後に検察と親密な関係を築き、佐藤政権が誕生すると特捜部は反佐藤の政治家を相次いで逮捕するようになる。それが佐藤長期政権を可能にしたと言われる。ロッキード事件で特捜部を取材したフーテンの経験によれば、検察は極めて政治的に動く捜査機関であり「正義の味方」などではない。そのルーツは「ゴジラ」が大ヒットしたこの甲午の年にあるのかもしれない。
国民が核の恐ろしさを感じていたが故に企画された映画「ゴジラ」は、ただの怪獣映画ではなかった。当初は作る方も見る方もそれを強く意識した。しかし大ヒットによって続編が作られるようになると、いつまでも水爆の恐怖を引きずる訳にはいかない。ゴジラは別の怪獣と戦うだけの役割となり、ただの特撮怪獣映画になっていった。
53年にアメリカのアイゼンハワー大統領が原子力の平和利用を訴え、CIAと協力して原発を推進した読売新聞社主正力松太郎氏が55年に衆議院議員に当選すると、読売新聞や系列の日本テレビを使った「原子力推進キャンペーン」が大々的に行われ、国民の核への恐怖は次第に薄れていった。
東宝では黒沢明も第五福竜丸事件に触発され、核の恐怖におびえる老人を主人公にした「生きものの記録」を55年に撮った。ところがこの映画は東宝始まって以来の記録的な不入りとなる。同じテーマでも54年の「ゴジラ」は大ヒット、55年の「生きものの記録」は大赤字である。それ以来黒沢明は東宝にとって「お荷物」扱いされるようになった。
政治の世界は55年に自由党と民主党が合体して自由民主党が結成された。そして日本は政権交代なき「超安定」の時代を迎え、高度経済成長にまい進する事になる。一方、世界で初めて3度の被爆に遭った日本国民は核への恐怖を忘れ、狭い国土に54基もの原発を抱えるようになった。
そうした体制が半世紀近く続くと再び揺れが始まった。政権交代なき政治は2009年に終わり、一度目の交代では経験不足から国民の期待を裏切るが、だからと言って政権交代なき政治体制に戻るとも思えない。
そして2011年3月11日の東日本大震災で日本国民は4度目となる被爆を体験した。3度目の被爆である60年前の甲午の年を思うと、今年は核の恐怖を体現するゴジラが現れて来るのではないかとフーテンは夢想してきた。すると何やら東京都知事選挙で二人の元総理が「脱原発」で手を組むような話が聞こえてくる。これが実現すればゴジラの日本上陸に匹敵する破壊力を発揮するかもしれない。ゴジラよやって来い。
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