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アビー・ロード収録(A面の三曲目)のポールによる作品。
ぱっと聴いて誰もがわかるように、これはサージェント・ペッパーズ収録(B面)のWhen I’m sixty fourの類似曲である。ポールはWhen I’m sixty fourについてまだビートルズをはじめる前のティーン時代に作った曲だとコメントしてるのだが、この曲はそのせいか、少年の話である。
歌詞をそのまんまアニメ化したSouth Park風のイメージビデオがでていてわかりやすく面白い。
(あえていえば、Joanが科学者を志望していることやMaxellが医学生というのはポールは違う意味で言っているはずであるのだが・・・・)
この曲は、ジョン・レノンがクレジットされていず、ギターはポール本人とジョージのふたりで分業しているのだ。ジョン不在で録音されたビートルズ屈指の名作。いったいなにが起こったのか。曲のメイキングは映画Let it beで公開されているとおりであり・・・・・・
ジョンは何事もなかったようにセッションに参加しているのだ。やる気満々に口笛までふいているではないか。
いったい・・・・・なにが起きたのか?
実はこのMaxwell’s silver hammer はビートルズの仲間内で最も評判の悪い曲だったのだ。結局、レコーディングから外れたジョンだけでなくリンゴも「ビートルズで最低の曲」にあげているし、ジョージもポールが時間をあまりにかけたことにウンザリだと答えている。
ジョンが特に参加するのを快く思わなかったことは理解できる。ポールにはGet Backで既に自分のことをJoJoと暗にあてつけられたばかりである。Get Backの録音中もサビの「もと居たところへ帰れ」という歌詞に入る度、ポールはヨーコのほうをも凝視していた、などとジョンは振り返っているくらいで、ポールから受ける攻撃的なメッセージには敏感になっていた。この曲で最初に頭をぶち抜かれて殺されるJoanは、ジョンからとっているのは明らかであり、スタジオにはいって歌詞をみた時点でもう険悪な雰囲気になっていたかもしれない。
大人げない話であるが、ジョンは結局、参加を拒否して、ポールがギターを担当するはめになっている。ジョンはなにをしていたのだろうか?ヨーコと遊んでいただけじゃないだろうな。
答えがYoutubeに出ていた。
よっぽど悔しかったのだろうが、プロデューサーには採用されなかったようである。
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