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この「君が代」はなかなかいいね
http://www.asyura2.com/14/music14/msg/453.html
投稿者 で爺 日時 2014 年 5 月 02 日 22:26:14: tYZleDTpDNY.U
 


だいたい「君が代」というのは、普通の人が歌える歌ではないのよ。
いわゆる「プロの歌手」でも、殆どダメね。何か気取って「自分流」に歌ってるけど。


「君が代」はオレは、口ずさむか、聞くだけにしてる。
裏声なんか出ないからな。


この高校生の「君が代」は、ちょっと巫女の「ご宣託」を聞いてる感じがある。


で爺
 

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コメント
 
01. 2014年5月03日 17:54:01 : 85kpqqjgic

いいね!

澄み渡る声がいい。

二十世紀を経た今の時代から、過去の時代に生きた人々の思いを髣髴させてくれる。

日本史から逆賊史の終焉を願うのみです。



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02. 2014年5月03日 19:01:38 : HidZOr5hfA
逆賊史って、足利尊氏かなんかのこと?

私は、単純に、小さい頃から慣れ親しんできたものを否定するのがいやなのですよ。そういう感情がその国の文化ってもんでしょうな。半世紀以上生きて、そういう気持ちになった。

この人は、今、プロの声楽家として歩み始めているようよ。応援したいね。


03. 2014年5月04日 06:37:05 : 85kpqqjgic

まぁね、日本史も国家も単純に否定することができないでしょうからね。


hahahahahahahaha




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04. 2014年5月04日 09:25:50 : HidZOr5hfA
そりゃそうよ。しかし、素人が歌える、簡単で音域の狭い国歌もよいですな。だから、’フィリピンの国歌なんかも私は好きですな。

ありゃ、本田美奈子の「君が代」も悪くないじゃない。なんとうか、やさしさに満ちていて。惜しい人を亡くしたな。天道よしみは、イマイチだった。

http://www.youtube.com/watch?v=__z2FO0ZIWI

では


05. 2014年5月04日 13:09:27 : 85kpqqjgic

国家は強制して人に歌わせてはならないだろうな。

人の分まで、人の何倍も金をとる権力の輩が強制するなど国歌反逆罪を適用して政界から永久追放してやりたいくらいだ。

日本の国家は全ての国民がそれぞれの時代に思いを馳せて歌うものだから強制唱歌は国歌の名において相応しくないだろう。

生まれと育ちが現われて逆賊の正体が露呈するみたいだからね。


hahahahahahahahahaha




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06. スットン教 2014年5月04日 16:30:33 : CmuKS.2SNuq/E : 7bUsMLlvNQ
足利氏の子孫の私が通りますよ・・・

07. スットン教 2014年5月04日 16:58:35 : CmuKS.2SNuq/E : 7bUsMLlvNQ
祖母が旧家の出で、徳川の旗本だったのが大正頃に没落した話を聴かされてましてね。
家の名前は知ってたので、最近ちょっと調べたら逆賊の王道だったわけです(笑

祖母の大叔父は一円切手の人だったのですが、確かに祖母に似ている。維新の時は、京都が首都になるところをこの人物が、東京首都を大久保に進言したとか、ネットで調べると出てくる。

家が没落したのは、戦前は肩身が狭かったせいかも知れませんね。私が蝦夷地にいるのも、おそらくそれと無関係ではない。


08. 2014年5月04日 21:01:44 : 85kpqqjgic

ここは国歌斉唱の大役を果たした彼女の美声の余韻に浸りたく、世事に深く立ち入って話し込むのは少し自重しようとは思います。

何十年も生きてきたのに、これほど思いに描いていたような国歌は聞いたことがない。

生まれて初めて百薬の長を知った気分はきっとはこんな感じなんだろうか。

いいね!

https://www.youtube.com/watch?v=_ORh8TKxsMU




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09. 2014年5月04日 22:08:32 : 7bUsMLlvNQ
万葉集の、中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子(天武天皇)と額田王が三角関係を詠んだ作でも読んでることにしますよ。

10. 2014年5月05日 09:04:48 : 7bUsMLlvNQ
最近、偽信長はあんまり言われなくなりましたな。その代わりに細川の殿さんを担ぐようになった。応仁の乱以来の御縁でしょうか?

11. 2014年5月05日 09:41:35 : 7bUsMLlvNQ
源平交代政権思想論

平清盛(平氏)→源頼朝・源頼家・源実朝(源氏)→執権北条氏(平氏)→足利氏(源氏)→織田 信長(平氏)→明智光秀(源氏)→豊臣秀吉(農民・仮平氏・藤原氏)→徳川氏(源氏)
http://humanzu1023.web.fc2.com/genron/genpei-koutai.html

戦後昭和は源氏でしたが、1983年から平成に至るまでは平家支配のようですね。


12. 2014年5月05日 10:26:26 : 7bUsMLlvNQ
一万円札が聖徳太子から福沢諭吉になったのが1984年。平家の源である桓武天皇は、仏教の都である奈良平城京から京都平安京に遷都した天皇ですね。

鎌倉室町江戸の三幕府はいずれも源氏が開いている。どうも平家時代は戦乱が多い。タカ派の人は平家が好きらしいですね。

NHKで「平清盛」やってましたけど、今の「黒田官兵衛」も信長秀吉に仕えた人です。


13. 2014年5月05日 13:41:44 : 85kpqqjgic

日本史に武士が台頭するんですね。

甘利にも長き年月、十世紀。 想像できますか?

たかだか一世紀余の開国以来、日本は紆余曲折を経て国歌に巡り合ってるんです。


この一世紀余の間につくられた国歌といえども、逆賊の権力に利用されてたんですね。

人に強制されて歌いたくもないし、聴きたくもないわいわい!


hahahahahahahaha



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14. 2014年5月06日 07:53:17 : HidZOr5hfA
そういう「権力」も含めて日本なのよな。

今年、第一次大戦の100周年で、いくつか関連のドキュメンタリーを見たけど、あの戦争が始まった理由の愚かしさと比較すれば、日本の「権力」が前の戦争を起こした経緯には、少なくとも、必然性というか、「やむおえなさ」」は、あったんじゃないの?東南アジアなどを見ておると、まともな(?)権力が存在しない国は、外の権力にられちゃうという歴史の側面も考えちゃうね。

ところで、「君が代を鑑賞する」という視点は、あんまり受けなかったようね。残念(笑)

それでは


15. 2014年5月06日 08:50:48 : 85kpqqjgic

まぁね、日本の権力史の推移を全て見なければ時の権力がすべて正しい日本の権力であると認識するのは愚かすぎるということですよね。

日本の権力史に逆賊の武士が台頭したときから、日本は分水嶺から転げ落ちるように退廃の一途を辿っていますから。逆賊の権力史を正に日本の権力と見做すことには無理があるでしょう
  
  >>そういう権力も含めて日本なのよな。
  >>日本の権力が
  >>前の戦争を起こした経緯には
  >>少なくとも必然性というか、やむおえなさは、あったんじゃないの?
  >>東南アジアなどを見ておるとまともな(?)権力が存在しない国は
  >>外の権力にられちゃうという歴史の側面も考えちゃうね。

どれだけ多くの日本人や世界の人間が無駄に死んだか、殺し合ったのか。

そんな時代の権力が正しいと言える根拠などない。

人殺しが己の為にだけ正義とするろくでもない権力が日本を支配したからといって、それが日本と言うことはできないだろ。

逆賊を忌み嫌うのは戦争で生き残った日本人の子として生まれた奇跡のような重みを考えるからなんですね。

君が代ですか。逆賊がつくった国家の国歌ですからね。

生まれる前から存在する国歌に人それぞれの思い入れがあるのは当然でしょう。




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16. 2014年5月06日 16:46:48 : 7bUsMLlvNQ
歴史を顧みれば、日本の権力構造は割と大陸中国の権威を借りて安定してるもんですよ。

古代史で言ったら、四世紀末から五世紀の仁徳や雄略時代は中国の冊封を受けながら(つまり朝貢国家として)半島進出を盛んにやってた「倭の五王」時代です。その後、六世紀初頭に王朝が一旦途切れて混乱が起きましたが、六世紀の後期から始まる女性天皇推古と聖徳太子の時代に仏教を広めながら中国との対等外交を打ち出して平和と安定の時期を迎えました。

中国の朝貢国であることを全くやめてしまったのは、むしろ武家政治の時代になってからですね。鎌倉北条後に、後醍醐天皇が武家の力に頼らない天皇直接支配体制をやろうとして実力が伴わずに失敗して、結局、当時の源氏筆頭だった足利尊氏が武家の支持のもとに京都に幕府を置いた。室町時代でも足利義満は、中国の朝貢国になる代わりにいろいろな利権を獲得して、これは後世議論の種になってます。


17. 2014年5月06日 18:31:48 : 7bUsMLlvNQ
>12で平家の祖である桓武天皇について触れましたけど、桓武の二代前の称徳(=考謙)天皇で推古天皇以来六人、のべ八代立った女性天皇の系譜が途切れてしまっているのは、遷都によって朝廷が奈良仏教から少し距離を置いた影響でしょう。当時、外来の新思想であった仏教を積極的に広めたのは聖徳太子であります。大陸中国でも仏教は全盛期であった。

奈良時代の終わり頃のことですが、日本書紀が成立して公史に聖徳太子の事績が記載されたことになりました。それまで保守的な「否定派」の抵抗にあって評価が曖昧であった聖徳太子の影響が公のものとして認められることになったわけです。

古代日本の最後の女性天皇称徳(=考謙)というのは、天武天皇の血統の最後の天皇でもあります。天武天皇というのは「壬申の乱」というクーデターによって天皇になった、今風に言えば保守主義の権化のような天皇です。ところが、その称徳(=考謙)天皇が日本書紀の成立を背景に、ラスプーチンのような僧侶である道鏡に頼って乱脈な治世をやったんで、結果として天武天皇の血統も、女性天皇の系譜も同時に終わってしまった。ちょっと残念な話ですね。

以後、日本の政治の中枢は奈良から京都に移動するのですが、聖徳太子の影響は仏教と共に続いて行くわけです。

ちょっと勉強したんですが、この時代はまだ理解されていないことが割と多いようです。


18. 2014年5月06日 18:34:56 : 7bUsMLlvNQ
・・・多少、古い資料読めばいろいろ書いてあることはあるわけですけど。

19. 2014年5月06日 19:52:50 : 7bUsMLlvNQ
で、まあ太子の影響の強い時代というのは女性によっては比較的幸福(あくまでも比較の話でしょうが)な時代なわけで、>9にも書きましたが、額田王みたいな奔放な女流歌人がいるわけですね。平安時代にも、小野小町、紫式部、清少納言、和泉式部といった女流文学の伝統は続きます。

現代でも保守派は天武天皇派ですね。古代史でも聖徳太子いなかった派です。だから保守派の女性というのはちょっと怖そうです。現代リベラルというのは、そもそも古代天皇制はなるべくまたいで通る。仏教なんでまず関心ない。岡本太郎の母の岡本かの子や瀬戸内寂聴さんは例外的存在でしょう。

源氏は基本的に仏教派(太子派)ですね。太子は十七条憲法で「人皆、党(たむら)あり、また悟れる者少なし」と戒めてますから、あんまり派閥的な物言いも良くないですが。


20. 2014年5月06日 20:59:30 : 7bUsMLlvNQ
余談ですが、岡本かの子は若い時代の小林秀雄に愛の告白などしたらしいですね。そのせいか、岡本太郎は小林に子分扱いされたらしい。詳しく知りません。「岡本太郎の目玉」という雑誌連載は、小林の「ゴッホの手紙」が由来でしょう。晩年の岡本は目玉の絵ばかり描いていた。

21. 2014年5月06日 21:07:46 : 85kpqqjgic

日本史は大きく二度ほど断絶しています。

それは天皇の詔に反逆した逆賊に天皇が敗北して代わって武士が台頭し、日本を取り巻く世界と断絶した時と、前の大戦で無条件降伏し、日本がアメリカに占領された時です。それは現在も尚その状態を引きずっているようなものでしょう。

いわゆる天皇の詔は仏教興隆の詔として誰でも知ってることです。そうであるだけに軽く史実を流して気にも留めない現在の風潮は残念至極ですね。

歴史の断絶というべき理由は、日本国の権威が武力によって敗退したことで歴史的な断絶がし生じたことと、世界との物理的な断絶の両方が同時に起こったが故に劇的な変化が発生したことを意味しているからです。

仏教が興隆することに反逆する輩が勢力争いを繰り広げた結果が幕府の誕生であり、その後の執権による政治が日本を支配する権力のたらい回し的な権力抗争に発展するだけの荒廃したかのような日本史が開国を経て現在があるということです。

その天皇の敗北した原因の最たるものが邪宗真言宗が天皇に取り入って邪知や邪義によって誑かしたことがあります。真言宗は迹仏を本尊にする仏教破壊の教義で戦いの相手を呪詛するなど、カルト宗派そのもの邪宗教です。仏典にも明らかな謗法の事実およびその因果により天皇に再び威光が輝くことがないまま現在に至っているんですね。

富国強兵時代に歌われた国歌と現在の人々が歌う国歌は全く異質なものでしょう。天皇をモチーフに作成された国歌であるという説による限り、日本史が分断された当時を前後して思いを馳せるなら日本の国歌はあまりにも気の毒ですね。




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22. 2014年5月06日 21:35:50 : 7bUsMLlvNQ
自民党の狙う「保守本流」というのは、こうやって見ると「天武主義」と言えますかね。

23. 2014年5月06日 21:49:34 : 7bUsMLlvNQ
今でも天台真言は、管長は皇室に近い人ではあるらしいですね。

手元に古い文学全集の「岡本かの子集」あって読んだことないんですけど、後書きは「聖徳太子」や「親鸞」を書いた亀井勝一郎ですね。小林の子分格です。小林秀雄の全集の「文學界」の編集者後書きは、岡本かの子の死の回で終わってるんで、ちょっと調べたわけです。


24. 2014年5月07日 11:50:31 : 7bUsMLlvNQ
大乗非仏説なんて言われるくらいで、大乗教は多かれ少なかれ釈迦より後世の思想が入ってますから、良く言われるように真言天台が景教(ネストリウス派)の影響を被っていても別に不思議でもない。

それから、神道にしても主宰神が女神なんですから、神道を男性主義と決めつけるべき理由もないでしょうね。「原始、女性は太陽であった」は平塚らいちょうですか。

黒田俊雄 王法と仏法
http://1000ya.isis.ne.jp/0777.html


25. 2014年5月07日 18:33:58 : 85kpqqjgic

  >>大乗教は多かれ少なかれ釈迦より後世の思想が入ってますから

これは何なんでしょうかな?

誰か言ってました?

誰の説なんですか? それが分からないから定説と言うんですね?


変電所! それを人に主張してスッキリするものなんですか、、、、

  >>別に不思議でもない。

だからそのように思えるんですね? 


世界中の人間のほとんどは納得しないと思うよ。

日本人だけでしょ、神社拝んで酒飲んで、我を押し通すことだけ考えて行動するのは。

もしも道理が引っ込んだら日本がどうなると思うのでしょうか。

日本史断絶は三度目は永遠にないと思うけどね。


hahahahahahahahaha




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26. 2014年5月08日 14:17:46 : 7bUsMLlvNQ
皇室の歴史の、文化遺産的な意味での日本にとっての代え難い重要性は認めますけど、私は「天皇主義ナショナリズム」はやや苦手なもんで。戦時中は足利というだけで軍隊では殴られたと言いますからね。

石神遺跡:
「飛鳥の迎賓館」東端から出土した石組み水路と塀跡
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2007_12_15.htm

漢文字と儒学の普及が、当時の思想に与えた影響は微妙でかつ甚大である。まず文字についていえば、これを野蛮より文明への進化と断じうるかいなか、大問題の存するところであろう。史家の称揚するように、文字ははたして文明の曙光であるか。『古語拾遺』の冒頭に、「蓋(けだ)し聞く、上古の世、未だ文字有らず、貴賤老少、口々に相伝え、前言往行、存して忘れず。書契ありて以来、古を談(かた)ることを好まず、浮華競ひ興り、還りて旧老(くろう)を嗤ふ」とある。

亀井勝一郎 『聖徳太子』1946


27. 2014年5月08日 16:01:29 : 7bUsMLlvNQ
我が国における「最近の若い者は」の説教も千何百年かの歴史があるわけですね。
以下、文責は私です。

-------------------------------

20世紀初頭、石神遺跡で同時に出土の石人像と須弥山は、実物は東京上野の国立博物館、飛鳥資料館にはレプリカがある。これらは噴水装置であって、飛鳥の青空の下、庭園に置かれた石人の写真は良いのであるが、惜しいことにレプリカの石人は実物の暖かみに欠けるように見える。石人の作者は、日本書紀に伝えられる推古時代の出来事として、半島を追われるように倭国に渡来した異形の工人らと見られている。実物石人像が現在は飛鳥資料館に戻されたという話もネットにはあるが、良く分からない。東京暮らしの90年代に何度か国立博物館をウロウロしたが、この石人像の記憶はない。

皇極=斉明時代の事績として伝わっているのは、迎賓館に須弥山を作って渡来人や蝦夷をもてなしたり、日本の盆の風習の始まりである盂蘭盆会を開催したことなどがある。

須弥山は、太子時代に日本に広まった仏教的宇宙観の中心であり、このような世界観は戦国時代に西洋南蛮人が地球儀をもたらすまで継続したと思われる。

盂蘭盆会は仏教ではなく中国道教の風習であり、道教の崑崙山は須弥山に模せられる。「皇極」という諡号は道教的背景を匂わせ、石人像は道教の東王父と西王母を表しているという指摘がある。そう言われると、石人は太極図に見えなくもない。

日本人が文字に接するようになったのは記紀の記録を信用するならば、私論1に書いたように応神天皇の時代の四世紀末頃からである。五世紀には、鉄剣の金石文なども出土するようになる。しかし、この時代、文字の使用は未だ渡来人の史(ふひと)、及び一部権力階級の範囲にとどまっていたものと思われる。古代日本の製紙技術の未熟が文字使用の普及の障害としてあったのであり、そもそも渡来人、王仁による論語千字文の持ち込みも、当時、大陸中国において発展しつつあった製紙技術が背後にあるものと推測されている。※1

推古十八年(610)、高句麗の僧曇徴が渡来した。

十八年春三月、高麗王貢上僧曇徴・法定。曇徴知五經。且能作彩色及紙墨、并造碾磑。蓋造碾磑、始于是時歟。

現代語訳 : 推古天皇十八年(西暦610年)春三月に、高麗王は僧の曇徴と法定(ほうじょう、ほうてい)を貢いだ。曇徴は五経に通じていた。絵の具や紙墨をよく作り、さらには碾磑(水臼)も作った。思うに、碾磑を作ることは、この時より始まったのだろうか。

― 『日本書紀』巻第二十二 推古紀

翌、推古十九年から二十三年にかけて、太子は三経義疏の著作を行っている。推古二十八年には、太子は蘇我馬子と共に、日本最初の国史である天皇記、国記等を完成している。

義疏の太子の真筆性についての議論はとかくあるが、曇徴の渡来が義疏著述の契機となっているということについて、これはよく出来た話と言わざるを得ない。三経の義疏の内の一つ「勝鬘経義疏」は、王家の娘で在家の女性信者である勝鬘夫人が説いたとする大乗教説であり、推古に連なる以後の女性天皇擁立の思想背景としては相応しいものである。

※1 中央公論社「世界の名著」 解説 貝塚茂樹


28. 2014年5月08日 20:48:50 : DOcCWC4PD1
なんか、コメントが削除されてるみたいだけど、もういいんじゃないの?普通に議論しているわけだし。

釈迦のすごいところは、「神も仏もないんだ」(笑)とあの時代に言ったことね。死んだ後に、「自動的に幸せになれるシステム」を提示しなかったでしょ。親鸞も好きだけど(「悪人すら往生す」・・・とか、安心して死んでいけるよな、これは)、しかし、これは、やっぱり亜流じゃないの。


29. 2014年5月08日 21:55:41 : DOcCWC4PD1
あっ、「善人おや往生す」だった、失礼(笑)

30. 2014年5月08日 22:15:25 : 7bUsMLlvNQ
渡辺淳一氏と一緒にこの世から消え失せになられたかとちょっと心配しましたよ?

31. 2014年5月10日 00:03:18 : 7bUsMLlvNQ
ジブリの「もののけ姫」でジコ坊というのが出て来ますね。出会って間もなく夜中にアシタカと二人で話し込む場面など実に良い。宗教性の深みを分かってないとああいう会話の雰囲気は出てこないでしょう。一方、これは朝廷の使い走りで憎めない悪党です。こういう角度が典型的な戦後左翼的態度でしょう。

32. 2014年5月10日 00:32:11 : 7bUsMLlvNQ
今のジブリはどういう風なんでしょうかね。せいぜい素人学問ですが、私は全く自分なりの角度から古代史の見直しをやっているわけです。前々から気になっていたので。

90年代ですが、ちょうどあれが公開された頃だったか、既に時代遅れの雰囲気にあった家永三郎氏の太平洋戦争史読んでたら、戦時中の小学生の体験として歴史で神話を教えられて子供らしい正直さで「先生どんなの嘘だっぺ」と聞いたら「お前は足利尊氏か!」とゲンコツを食らった話があって、馬鹿げた時代を一人で笑ってました。

私が聖徳太子という歴史上の人物に関心を向けたのも、家永氏のこの本の影響でした。家永氏の年代の良識的知識人は、聖徳太子について言及するものらしいです。


33. 2014年5月10日 08:16:39 : eB56lpvtlU
あっ。「善人すら往生す」だった。再び訂正失礼。ぼけてるから許してね(笑)

私的には、レッツゴー三匹のジュンが死んだことのほうが感慨深いね。あの面白くもないトリオで、唯一精細を放っていた人だった。合掌。渡辺淳一は、「雪舞」だったかが、大谷直子主演でドラマ化されたのを見たことがある。この大谷直子の看護婦が色っぽくてね。

聖徳太子は、一万円札のイメージが強いですな。私らの世代は。数年前、こちら(バンコクね)で、大量に旧一万円札の偽札が出てきて驚いたが、懐かしかった。「聖徳太子」は、戦後の日本で、かなりの間、「君たちは金儲けだけしてなさい」と教えをタレテタわけね。そういう意味で、戦後的平和の象徴だったな。


34. 2014年5月10日 08:18:05 : eB56lpvtlU
あっ、精細→精彩、訂正、失礼(笑)

35. 2014年5月10日 17:41:58 : 7bUsMLlvNQ
十円玉は今でも「平等院」ですね。仏教的平等主義だったんでしょうか。

聖徳太子の一万円札は意外なことに、今上天皇皇后両陛下の婚約発表間もなくからであります。


36. 2014年5月10日 17:58:05 : 7bUsMLlvNQ
昔、日本の歴史というものに自覚的に身を埋めるということが出来るようになった時は、何だか自分が血まみれになるような厳しい感覚でしたね。歴史とは流血の歴史と言って過言ではない。取り扱いを間違えると、歴史の呪いがかかります。

37. 2014年5月10日 18:41:27 : 7bUsMLlvNQ
戦後左翼は天皇制はファシズムの温床と見なしてそれに反対することこそが正義あるという態度で、私も一応はそういった左翼的時代の影響を受けてました。

ある頃に「捨て身の信念」とでも呼ぶようなものに自分を委ねて生きることに決めまして、その頃ふと悪なのは天皇制ではないのじゃないかと感じるようになったわけです。90年代の初め頃、冷戦が終わりつつあって、長く続いた米ソ対立構造下の世界観がそろそろ危うくなりかけて来た時分のことです。

なかなかこういう覚悟は厳しいですね。うっかりすると我が身を軽んじて投げ出す輩も出てくる。


38. 2014年5月11日 10:37:18 : eB56lpvtlU
日本共産党でさえ、天皇制打倒を綱領からはずしたからね。

日本の国柄の漠然とした象徴としての天皇というのは、私は、ありだと思ってますよ。もともと、日本の天皇は、長らくそういう存在だったのだからね。いわば、本来の姿に戻ったのだと思いますね。幕末の天皇家というのは、小大名ほどの収入もない貧乏所帯で、長州藩士が、彼らがあまりに酷い酒を飲んでいるので、驚いたという話があるくらいだから。孝明天皇は、なんか、お酢みたいな酒を飲んでたみたいよ(笑)

この投稿で私が言いたかったことは、君が代も、この高校生や、本田美奈子みたいに歌われると、「悪くないじゃん」ということなのね。昔は嫌だったんだけど。スポーツの試合の前なんかで歌われると、あんまり勇ましくないから、「いけない」のね。「全然勇ましくないこと」・・・これが、国歌の中での、君が代のユニークさだと私は思いますね。君が代というのは、本来、やさしい歌なのよ。

それでは


39. 2014年5月11日 11:31:20 : 7bUsMLlvNQ
油断すると皇室を中心にして階級制が強化される、という問題は常にあるでしょう。
それが強権的中央支配の温床になる。それで私も時々、フラストレーションを爆発させてしまう。

40. 2014年5月11日 12:17:35 : 7bUsMLlvNQ
「和の精神」というのは「和を以て貴しと為す」であって、聖徳太子の十七条憲法ですね。これは論語の学而篇十二章「礼はこれ和をもちいるを尊しとなす」が由来です。

太子の改革を中央集権化と見る態度はどうなんでしょうかね。文字の使用も充分に普及していない古代のことですから。

十七条憲法と律令は、今の憲法と一般法の関係と一緒だったかも知れませんね。公史である「日本書紀」には、太子が十七条憲法を制定したと明記してある。これはひょっとしたら太子の憲法が公のものとして認められたことを意味していると受け止めることは出来ます。


41. 2014年5月11日 12:46:35 : 7bUsMLlvNQ
この観点からすると、学会の議論の種である十七条憲法は本当に太子が書いたのかという問題は二次的な事柄に過ぎませんね。

* - 天智系統
** - 天武系統

推古 592.12.8 - 女帝 聖徳太子時代
舒明 629.1.4
皇極 642.1.15 - 女帝 大化改新 (首謀者 中大兄皇子)
孝徳 645.6.14
斉明 655.1.13 - 女帝 (皇極の重祚)
天智* 668.7.24 - 中大兄皇子 (皇極の息子)
弘文* 671.12.5 - 壬申の乱で自害、即位不明瞭 (天智の息子)
天武** 673.2.27 - 壬申の乱による権力奪取 (天智の弟)
持統* 690.1.1 - 女帝 (天武の后・天智の娘)
文武** 697.8.1 (元明の息子・天武の孫)
元明* 707.7.17 - 女帝 (天智の娘)
元正** 715.9.2 - 女帝 (元明の娘・天武の孫)
聖武** 724.2.4 (文武の息子)
考謙** 749.7.2 - 女帝 (聖武の娘 天武系統の最後の天皇)
淳仁** 758.8.1 (舎人親王の息子・天武の孫)
称徳** 764.10.9 - 最後の女帝 (考謙の重祚)

一般に「日本書紀」は天武時代に始まったものが完成したと見なされてます。しかしよく調べると女性天皇元明の時代に天武時代の遺産である「古事記」が文書化されて、それから間もなく同天皇が国史編纂の詔を出してます。それが次の元正天皇時代に「日本書紀」として撰上されたと私は見ています。撰上者は天武の息子の舎人親王ですから、天武時代の「古事記」を土台にして内容をふくらませたのが「日本書紀」でしょう。元明は「古事記」の内容が不満だったのではないかと思います。古事記は推古=聖徳太子の時代で終わっていますが、推古は名前だけ、太子は名前すら登場しませんから。

仏教界との癒着が過ぎて奈良時代を終わらせてしまった考謙天皇は、重祚して称徳となる前に、舎人親王の息子である淳仁天皇を立ててます。これは考謙天皇にとっては日本書紀の権威が重要だったことを意味するのではないかと考えています。


42. 2014年5月11日 13:32:07 : 7bUsMLlvNQ
大体、この時代は天武天皇を中心に考えるのが学会の伝統ですね。これは江戸時代の国学からそうです。江戸時代の国学者は儒教的で、聖徳太子はあんまり好きではない人が多かった。本居宣長は他の国学者が太子が近親婚をしたとなじると「そんな道徳は当時はなかったのだ」と反論したそうです。何だか小林秀雄みたいな雰囲気ですが、こういう人は例外的です。本居は平安期の女流文學である「源氏物語」の研究者でした。

今でも「聖徳太子いなかった論」をぶつ人は少なくないですね。

仏教に対する神道の優位性は、鎌倉時代末の元寇の神風神話から徐々に高まったと言われますけど、これが決定的になったのは、戦国時代に南蛮人が渡来して古代以来の須弥山を中心とした仏教的宇宙観が崩壊したことでしょう。それで、戦国時代の次の江戸時代に徳川幕府は仏教より儒教を重視した。徳川吉宗が蘭学を解禁した頃には、日本人の自分探しの学問である国学も盛んになりました。これが開国以後の廃仏毀釈に繋がってしまった。


43. 2014年5月22日 19:10:57 : 85kpqqjgic

  >>仏教に対する神道の優位性

そんな迷信は不存在だ。

優位性は仏教こそ勝れて優れているのである。

神道風情が教義も分からず、仏教の邪宗派の教義も知らずに宗教を論ずるな。


全ての人間を救うという仏の慈悲を眼をえぐって認識する能力があるのか。


神道はガサツな人間の思い上がりによって出来上がった宗教だ。

人を殺して生き残った人間が世の中を正しく治めれる道理などないではないか。


神道の輩は人殺しと略奪で生き延びた人間を神にするのか。

仏教に愚弄されて目覚めろ! 邪宗神道の輩ども!!


44. 2014年5月22日 19:29:24 : 85kpqqjgic

神道の暴力至上主義の前に仏教は一度は屈服したのが日本史の真実だ。

いま一度、それが本当に正しくて良かったのかという問いかけが一人一人に対して


仏道という価値観が問いかけているのである。仏様は既に他界して遷化して入滅されているが

教えを残して全ての人間を導いていることを忘れてはならない。

邪宗ではそんなことなしで、お金取ったらそれまで、あとは好き勝手を許して黙認してるんです。


正しい宗教は日本一の法華本門のみである。



45. 2014年5月24日 17:29:05 : Hubd3k7OYJ
私などは禅天魔とか罵倒されそうですね。

7bUsMLlvNQ


46. 2014年5月24日 17:39:51 : Hubd3k7OYJ
鈴木大拙 NHK婦人の時間 聞き手犬養道子
https://www.youtube.com/watch?v=3AKxPpfQs54

大拙は臨済禅+浄土系思想みたいな感じですね。


47. 2014年5月25日 09:19:01 : 85kpqqjgic

>>45. 2014年5月24日 17:29:05 : Hubd3k7OYJ
  >>私などは禅天魔とか罵倒されそうですね。

今の時代なら日本国憲法がやっと日本人に馴染んできた国情というものがあるのだから、最も難しい四箇の格言の一つを大声で言ったところで直ちに話が法論に進展することなどないでしょう。現実問題として言っても意味が分からない。

四箇の格言の意味はとても難しい教義の一つで、その意味は今でもなかなかはっきりと分かりません。常に自問自答の繰り返しです。うっすらと思い当たることの一つや二つはあるのですが、同じ人間でありながら同じ発想ができないという一つの例なのでしょうか。

いわゆる真言亡国、念仏無限地獄、禅天魔、律国賊というのが四箇の格言といわれる法華本門の教義の一つです。生前の宗祖が当時もっとも国内に流布していた宗派を学び、そのうち四宗派を選び各宗の教義の誤りを完結明瞭に破折された格言という意味があります。肝要を好む宗祖の大聖たる格の違いこそ、世界に唯一無二の格言であることは理解できるでしょう。

今の時代でさえ改めて新たに、エジソンのように電気を発明する能力がない自分を思い知らされるようなものですね。電気は学校に入ってから教えられたものだったように。STAPP細胞だってニュートリノだってヒッグス粒子だって、言われて直ぐに理解できる人はいないでしょう。世の中は凡夫の方が圧倒的に多いんです。人類みな兄弟のようなものということです。


ちょうど鎌倉時代を前後して釈迦の予言の通り世界同時に末法時代に突入しました。同時多発ならぬ世界一斉末法時代ということです。

法華本門の教祖が御年三十九歳のとき、当時において日本の権力者であった執権の北条時頼に対し、立正安国論をもって疲弊しきった国内の様子を伝え、惑乱しきった仏教に対する正しい判断の重要性を諌言立てしています。

当時の様子とは

近年より近日に至るまで、天変地妖(てんぺんちよう)・飢饉疫癘(ききんえきれい)・遍(あまね)く天下に満ち、広く地上に逬(はびこ)る
牛馬巷(ちまた)に斃(たお)れ 骸骨(がいこつ)道(みち)に充(み)てり
死を招くの輩(ともがら)既に大半に超え、悲しまざるの族(やから)敢えて一人も無し

ほとんど日本人は互いに先祖をたどって歴史をさかのぼれば、どの人の先祖代々も世に生まれて封建社会の人間として大難のような苦難の生涯を送ったはずだ。

機械も電気もない時代に武士が刀に物を言わせ、内戦の勝者が威張って国を治めた時代の様子を生々しく想像すれば、冷害と日照りと戦(いくさ)が絶え間なかった
昔の日本では、人畜の死臭うあ悪臭が充満して飯など食えたものではなかったはずだ。

仏教惑乱の世の中では、万民が仏道において本末転倒して狂ったが故に、日本の国威が衰退の一途を転げるようにたどったのである。

邪宗各宗派の邪師の謗法による大罪は永久に許されることがないのが真実だ。


謹言



48. 2014年5月25日 13:39:57 : Hubd3k7OYJ
神道というのは、この島国の土俗的信仰の総体ですね。仏教が純然たる外来宗教であるのに対して。鎌倉時代は、そこに日本独自の宗風が幾らか加えられた時代です。

神道を近代合理主義の世界観の時代に立てられた国家神道と必ずしも同一視する必要はないと思いますよ。神社というのは、大抵人里から離れた場所にあって、街中にあっても木立に囲まれていることが多い。こういう自然と共にある宗教性というのは、西洋人の一神教の宗教施設にはあんまりない感覚ですね。一方的に悪いものとは思えません。


49. 2014年5月25日 14:21:17 : Hubd3k7OYJ
土地の古い霊のようなものを無視すると、自然もなかなか味方をしてくれないというようなところはあります。

50. 2014年5月25日 14:49:40 : 85kpqqjgic

日本人なら誰でも神棚に手を合わせ神社にお参りをする習慣に生まれた時から生活の一部になってたんだから、見様見真似の程度信仰というのが現実的でしょうね。

  >>一方的に悪いものとは思えません。

誰でも子供の時はむしろ良いことだと思って神様を拝んでたとは思うよ。

大人になったら神道は外道であるという厳然たる事実に遭遇することになる。

そして内道と外道を比較してみれば優劣があることを知らされる。

日本が廃物希釈により一億玉砕を免れたのは奇跡ということはできるだろう。

我々の先祖はすべて実験して後の世の我々に仏罰の恐ろしさを教えてくれたんだよ。

そう思って仏道に入らない限り、全ての戦没者や過去の犠牲者の御霊を平等に救うことなど不可能です。

多くの人間は今の自分の感覚を溺愛するかのように好き嫌いの浅い感覚で宗教を論じる習慣があるからです。謗法の違いが分かる日本人にならなければ簡単に日本国が滅ぶことさえあり得ますよ。

阿修羅でさえ多くの人々が嘆き喚いているではありませんか。神道に力がないことを証明しているようなもんです。

日本の神社庁は政教一致の大本営、本家本丸でしょ。馬鹿馬鹿しい。


51. 2014年5月25日 15:09:17 : 85kpqqjgic

廃物希釈⇒廃仏毀釈

日本のすべての神道は一度仏教を廃止して国を亡ぼしたというのが真実だ。

何ら仏教に比べて優れている点がないという意味で、世界中の外道のなかで最も劣悪な部類に入る宗教が日本古来から存在した神道とその分派の勢力であろう。

  >>慧日天照御書(えにちてんしょうごしょ)

もって一閻浮提(いちえんぶだい:世界中の意)の者の眼(まなこ)を抉る(えぐ)るきか、釈迦仏(しゃかぶつ)の御名をば幼稚(ようち:幼少期の意)にては日種(にっしゅ)という、長大の後の異名をば慧日(えにち)という、此の国を・日本という・主をば天照と申す。



52. 2014年5月25日 17:40:34 : Hubd3k7OYJ
近代になってから廃仏毀釈に至ったわけは、>>41-42に書きました。歴史というのも一応は抑えておくと得することが多いですよ?

日本古来の土俗神話には国造りの伝承はあってもグローバルな世界観はありませんでした。それを聖徳太子の時代に隆興を受けた仏教が長らく担っていたわけです。その天竺中心の世界観が戦国時代に西洋伴天連の登場で崩壊した。さりとて新しく伴天連の耶蘇教を導入するというほどの時代でもない。それで、我々は西洋伴天連によってもたらされた新しい世界観の中で、自らのアイデンティティを仏儒のような外来思想(宗教)に頼らずに、自分たちの歴史から掘り起こすことを試みた。それが鎖国中に我々が盛んにやった国学であったわけです。これは蘭学と並行して行われました。蘭学というのは、中国に来た南蛮宣教師が中国語で書いた西洋の実学書の研究です。

こういった下積みの期間が充分にあったことが、開国以後の日本の急速な近代化にプラスに働いた。まあ、この日本の近代化ということについての評価に賛否両論があるのですけど。

で、こういったことについて評論家の小林秀雄などは「鎖国という状況によって我々は独自の知恵を培ったと見るべきだ」と主張したわけです。で、小林は晩年は「本居宣長」の連載を11年もやりました。水戸学は国学の代名詞ですね。この時代の我々はそれと知らずにテレビで「水戸黄門」の時代劇に親しんで来ました。


53. 2014年5月25日 18:02:37 : Hubd3k7OYJ
国際社会もゴタゴタが続いて終わる気配もありませんし、我々にとってのごく当たり前の日本というものを守るためには、実にいろんなことを考える必要がある時代ですね。

54. 2014年5月25日 21:50:39 : uEnWywEj7k
釈迦なんか、おれは悟れたけど、お前が悟れるかどうかはお前しだいというタイプの人なんだから、別に帰依する必要はないのよ。尊敬はするけどね。


55. 2014年5月26日 03:31:10 : Hubd3k7OYJ
そちらクーデター中でありませんでしたか?

タイは王家と上座部ですから、日本にちょっと似ている。


56. 2014年5月26日 09:54:53 : uEnWywEj7k
そうです(笑)私はこっちにいる関係で、王室に関する議論は控えているんだけど・・・。この程度ならよいのですが、議論というものは常にエスカレートするもんですからね。

日本とは、ちょっと違うと思いますね。信仰の基層部分にアニミズムがあるとか、そういう部分では似ていると思いますが、タイ族が王権を確立していらい仏教の優位が揺るいだことはないですから。タイの仏教については、少し古いですが青木保の「タイの僧院にて」が面白いです。最近読み直したけど、やはり名著だと思いましたね。

少し話がずれますが、タイの王様というのは、憲法上は全ての宗教の保護者であり、しかし、国王は常に仏教徒なのですな。また、仏教行事では、王様は高位の僧(建前上は全ての僧なんですが、王室行事に出てくるようなお坊さんは高僧なので・・・)に対して、礼を尽くすのね。俗人の代表として。こういう形で、「事実上の国教としての仏教」と他宗教との関係や、世俗権力と宗教的な権威とのバランスをとってきたのですな。私は、タイ人のこういうバランス感覚を評価していたのですが、最近はちょっとね(笑)困ったもんだ。

それでは


57. 2014年5月26日 12:42:20 : Bz41EjqpGk
54.さん

  >>釈迦なんか、おれは悟れたけど、お前が悟れるかどうかはお前しだい
  >>というタイプの人

これこそ歴史も宗教も本末転倒した人間の言うことでしょう。

今の時代の信のない人間の謬見でしかない。

そもそも個人の好き嫌いの感情論やケチな意見など入り込む隙間など仏法には微塵の隙間さえありません。

仏教の邪宗派だけなんですよ、学生が意味もない論文を書くような邪説を定説にしてトチ狂い、共存共栄などと仏法を破壊して顧みないのは。

だから天皇が誑かされ、武力で国を支配され、原爆二発で国を滅ぼした。

仏教を単語のようにしか知らないでそんなこと言ってたら恥をかくだけです。

唯一、改心するるならば道が残されているとしか言いようがない。

邪宗派が仏種を断ずる謗法を犯したが故に、一度は神道の徹底的な武力行使により、国が征服されたという歴史的意義は今でも日本国の国家の生い立ちにさえ、亡くなった人を恋慕する仏教の本質が日本に残されていた奇跡的な事実により、新たな思いを馳せることができるのでしょう。

日本国民のほとんどが戦後生まれという時代に進展したんですよ。

仏教も浅はか、神道も適当にという無宗教主義者みたいな人間が多いのは日本国の国民として情けないだけでしょ。


58. 2014年5月26日 12:51:51 : VouteloAmE
>>52. 2014年5月25日 17:40:34 : Hubd3k7OYJ

  >>近代になってから廃仏毀釈に至ったわけは、
  >>41-42に書きました。
  >>歴史というのも一応は抑えておくと得することが多いですよ?

どんな得があるんですか? テストに出ることもあるんですか?

それで歴史が分かった、歴史を抑えたと思ってるの? 単に浅はかなだけでしょ。


今の時代では人の思い上がりも頂点に達するほど甚だしいものがある。

あまりにも学問未練をさらけ出していながら増上慢が過ぎるのではありませんか?

恥ずべし恥ずべしとしか言いようが有りませんね。

唯一は改心することです。

改心もなく成長が期待できない人生を生きても因果俱時の法則があるんです。

まぁ、説得力のない男の老婆心なんですけどね。



59. 2014年5月26日 18:13:48 : Hubd3k7OYJ
新自由主義が騒がしい時代でタイもいろいろ難しいんでしょう。

>>58
ゴリゴリと教義を押しつけて折伏するだけではなかなか耳を貸す人も増えないもんでしょう? 私は禅宗や古代仏典の宗教的直観主義の高度な哲学性を好みます。教義の丸呑みとかは苦手な方で。

私は足利の子孫なんですが、北海道の生まれ育ちなもんで、アイヌの民族宗教的な世界も割とシンパシーがある方です。


60. 2014年5月26日 18:45:05 : Hubd3k7OYJ
>日本のすべての神道は一度仏教を廃止して国を亡ぼしたというのが真実だ。

こういう問題も、具体的にどういう経緯によってそういう結果になったかをはっきり自覚するところから始めないと、お題目を繰り返す以上のことにはならないでしょう。

聖徳太子について調べていて興味深かったのは、源平合戦を書いた「平家物語」や、続く南北朝を書いた「太平記」などには、聖徳太子の書いた予言書と称する「未来記」が引き合いに出されていることです。我々がぼんやりイメージする日本の中世とは、ちょっと違う、現代の我々と同じような感じで超自然的権威というものをありがたがる生きた人間の世界が見えて来るように思うんですね。


61. 2014年5月26日 19:07:09 : 85kpqqjgic

  >>禅宗や古代仏典の宗教的直観主義の高度な哲学性を好みます。

日本の仏教宗派のうち、およそ八割も存在してるんではないでしょうか禅宗の寺院は。

昔の日本で一世を風靡する勢いで広まったのは歴史的事実でもあると思うよ。

形式仏教の性格が一番強いのが禅宗の特徴でしょうね。

誰もぁ釈迦様の悟りの匂いさえ知らないで一生を終えるだけ。

それでいいんだと頑なに深く思惟することを嫌うのが禅宗の信者でしょう。

禅宗が邪宗である証拠となるのが、中国の達磨大師が打ち立てた教外別伝(きょうげべつでん)という禅宗の教義の根幹部分であり、仏教捏造の大罪を基に日本で開宗された歴史事実である。

のほほんと禅宗が好きなどと言っているようでは、それこそ天子魔に誑かされて一生を終えるだけということを、少しは想像して震えてみたらどうですか?

禅天魔の意味を勉強するだけでも何かしら人生が有意義になるかもしれませんよ。

禅宗の信者で安穏として臨終を迎える人は一人もありません。

魔に引きずり込まれて命終するということです。


一応ね、人の命を真剣に救おうとしてるんですね。四箇の格言を証明することによって。

天子魔:第六天の魔王と魔民が、父母、妻子、眷属、権力者などあらゆる姿をして
    仏道修行を妨げようとする魔のはたらきをいう。

道理でなかなか真面目に仏教を考えようとしない国民性が強いわけなんですね。


悪いのは邪宗禅宗の悪僧侶らが禅宗を商売にして飯を食っているからということだ。



62. 2014年5月26日 19:20:17 : 85kpqqjgic
>>60. 2014年5月26日 18:45:05 : Hubd3k7OYJ

  >>具体的にどういう経緯によってそういう結果になったか
  >>聖徳太子について調べていて興味深かったのは
  >>我々がぼんやりイメージする日本の中世とは、ちょっと違う、
  >>現代の我々と同じような感じで超自然的権威というものをありがたがる
  >>生きた人間の世界が見えて来るように思うんですね


己の考えに自己満足してる限り、仏道において何も進歩しません。

それに、仏道に帰依していない人間が安易に我々などと言うべきではありません。

あまりにも畏怖の気持ちが希薄過ぎて我見の域を出ることがないからです。

仏教は仏の教えを学ぶという簡単で難しい生活即修行のことなんだよね。

宗教で飯を食うのではなくても生活しながら生きてる限り教えを学ぶということ。

あなたは仏の教えを学んでいる人間に対して我見を言って有頂天になっていますよ。


63. 2014年5月26日 19:38:14 : 85kpqqjgic

まぁね、予断を許さないということなんですがね。

禅宗の糞坊主に対して法華経誹謗の罪を迫ると禅宗も法華経の経本があると言うんですね。

この一例を取り上げても、禅宗がいかにいい加減な名ばかり仏教の性格を証明している。

禅宗の宗義そのものが形骸化して元の木阿弥どころか、最悪の魔に真っ逆さまにに転げ落ちるだけでしょう。

禅宗など改修するほうがいいでしょう。

命終して阿鼻獄に至らんという意味なんだと思うよ、禅天魔という格言の意味は。


折伏ってね、騙すことじゃないんですよ。話せば分かるという相手の思考回路を信じて間違った考えを正してあげることなんですよ。

相手と仏様の仲介役みたいなもんです、菩薩の道とは。

一人一人と仏様の関係だけが人間にとって最も大切なことだからではないでしょうか。


64. 2014年5月26日 19:49:23 : 85kpqqjgic

そして禅宗では、葬儀を主宰する遺族らが有難いお経をあげてくれと依頼すると、法華経を読誦して三十万円を取るそうです。実際にあった話です。

今だったら五十万円か百万円くらい取ってるんだろうか禅宗の糞坊主どもは。


そんな認識もなく何も知らず死に別れる遺族という天子魔に誑かされて命終し、遺族どもは有り難さの意味も知らずに法外な金を糞坊主に供養して自己満足する。

悪僧は笑いが止まらないはずだよな。改宗しないで寺の改修だけは他宗派よりけばけばしく立派にする。

ばかばかしくね?



65. 2014年5月27日 14:35:41 : uEnWywEj7k
そりゃ、高すぎるね。

どうせ、日本のお坊さんにたいした権威はないのだから、必要だと思うならば自分でお経を上げて、荼毘にふした後、お骨は川や海に流すとよい思いますね。この間、タイの葬式を見に行ったんだが、骨壷ごと流したので、聞いてみたら、パン生地でできた容器で、水の中で溶けて、魚のえさになるんだって。バイオディグレイダブルというやつね。これには笑った。笑ったのは、その時ではなく、後でね、念のため(笑)

日本でもこの方式がはやり始めたようですな。故人を偲ぶために残しておきたいのならば、骨をまいたあと、家における分だけ、別にとっとけばいいのよ。寺に無駄に設けさせる必要は、私はないと思いますな。どういう宗派でもね。


66. 2014年5月27日 17:56:46 : Hubd3k7OYJ
>>62
鎌倉時代に太子の予言書が流布されたのは、あなたの言う末法時代、言うなれば仏教的終末論の時代であったからというところでありましょう。

人の世の生きる不安というのは時代を越えた普遍的な問題です。宗教とは生きている者のためにあるのであって、死んだ者のためにあるのではないでしょうね。これは耶蘇教の開祖の言葉をちょっといじったものです。


67. 2014年5月27日 18:10:00 : Hubd3k7OYJ
そう、日蓮宗でも「未来記」というのは話題になるようですね。先行き不安の時代に預言書の類を有り難がるのは、世の常と言えるでしょう。

68. 2015年5月14日 00:15:57 : lXGrF7OLvM
この発声法は洋楽のものだし、ぜんぜん巫女は連想しないけど。
宗教性のにほいも宗教色もして来ないし。
戦争と野球は両立の不可能が証明されている。
平和を望まないスポーツ振興はあり得ん時代になった。


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