02. 2015年2月05日 12:55:28
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政府が腐っていると、不満は高まり対抗勢力の悪もエスカレートするという、いつものパターンISが滅んでも、必ず次のISが現れることになる 当面、日本にできることは、まず不満分子に付け込まれないように自国内を安定化させること
そのためには、特に政治エリートや既得権層ほど厳しい自己改革が必要となる http://jp.reuters.com/article/jpUSpolitics/idJPKBN0L80KR20150204
コラム:過激派を弱体化させる「難しい一歩」 2015年 02月 4日 17:00 JST Sarah Chayes [3日 ロイター] - イラクはなぜ、過激派組織「イスラム国」に国土の約半分を明け渡したのか。ナイジェリア北部ではなぜ、イスラム過激派「ボコ・ハラム」が確たる拠点を築けたのか。イエメンでは無人機による掃討作戦が繰り返されているにもかかわらず、なぜアルカイダ系組織が弱体化しないのか。 これらの国に共通点を見いだすとすれば、それは政治的支配層の間で腐敗がまん延していることだ。 ここで言う腐敗とは、どこにでも見られるような一時的な金銭のやり取りとは違う。上記3カ国やウクライナ、4年前に「アラブの春」を経験した中東・北アフリカ各国などでは、西側諸国の多くに比べ、国民の間に毒性の強い「腐敗の病」が広がりやすい。 こうした「腐敗の病」は市民の日常生活にも忍び込んでいる。例えば警察官がバスに乗り込んできたとき、乗客は彼らに現金を手渡さなくてはならない。さもなければバスから引きずりおろされ、殴打されるかもしれない。子供の切り傷を病院で縫い合わせる時も、医師に診てもらうためには袖の下を要求される。筆者が知っているウズベキスタン人ジャーナリストは、息子の大学入学の賄賂資金を工面するため、車を売るべきかどうか頭を悩ませていた(入試では高得点だったにもかかわらず)。アフガニスタンでは、爆弾攻撃で命を落とした父親の死亡証明書を取るのに、息子が賄賂を払わなければならないケースもあった。 こうして社会階層の末端で受け取られた賄賂の一部は、支配層に吸い上げられる。これらの国々の政府はとても政府と呼べる代物ではなく、極めて効率的な犯罪組織と言い表すのが一番合っている。 来る日も来る日も金品を巻き上げられ、その間に侮辱や虐待を受け、しかもそうした行為を働いているのが政府の一員であるなら、国民は怒りを募らせるしかない。そして怒りを抱えた国民は、とりわけプライドや希望を打ち砕かれた若い男性は、時として暴力的になる。 過激派組織はこうした怒れる男性(そしてますます多くの女性)に、2つのことを提供する。1つ目は「説明」だ。米ジョージ・ワシントン大学の欧州・ロシア・ユーラシア研究所(IERES)で中央アジア部門の責任者を務めるマーリーン・ラリュエル氏は「世俗的であるために政権は腐敗しているというのがイスラム教主義者たちの主張だ。こうした理屈は以前はそれほど共感を呼ばなかったが、今は違う」と語っている。 言い換えるなら、聖戦主義者らは、腐敗という言葉の曖昧な意味に由来する感情を刺激している。政府の役人たちが不正を働くのは、宗教的義務から逸脱しているからだと主張し、役人の態度を正す唯一の方法は、必要であれば武力を行使してでも厳しい道徳規範を守らせることだとしている。 聖戦主義者が提供する2つ目のことは、怒りのはけ口だ。彼らは若者たちに銃を渡し、傷ついたプライドを取り戻すチャンスを与える。場合によっては命と引き換えになるが、腐敗した政府への不満が非常に強い多くの人にとっては、その価値があるように映る。 オバマ米大統領は繰り返し、「過激思想の源を断つ戦略」を抜きにしたままでは、「終わりなき戦争は自滅を招く結果となるだろう」と強調している。しかし、実際の米国の取り組みはと言えば、イラクでの空爆や関係各国の軍や民兵組織への協力など、依然として大部分は軍事的解決に結びついている。米議会に2日提出された2016年度予算教書での国防予算案は、イランやシリアでの活動に58億ドルを要求している。 テロ組織との戦いで腐敗した政府と手を組むのは(米国や西側同盟国は常々そうしているが)、事態をさらに悪化させるだけだ。西側も腐敗に加担しているという聖戦主義者のプロパガンダを裏付けることに他ならない。そうした政策は、新たに多くのテロリストを生むことになる。 過激主義を生み出す根源的な問題に本気で歯止めをかける意志があるなら、これまで大きく見過ごされてきた政治的腐敗にまず手を付ける必要があるだろう。 *筆者はカーネギー財団の上級研究員。過去にはマイケル・マレン米統合参謀本部議長の特別補佐を務めたこともある。 * http://diamond.jp/articles/-/66256 上久保誠人のクリティカル・アナリティクス 【第99回】 2015年2月5日 上久保誠人 [立命館大学政策科学部准教授] 「イスラム国」に対し日本と日本人がすべきこと 英米に「自己責任論」は存在しない
今回の「イスラム国」を名乗る組織(以下IS)による日本人人質殺害事件に関して、まず最初にいわゆる「自己責任論」を考えてみたい。これは、外務省が渡航自粛勧告を出していたISが支配する危険地帯に、「民間軍事会社の社長」を自称して入って拘束された湯川氏と、その救出に向かった後藤氏に対して、ネット上を中心に広がる「政府に迷惑をかけるな」「政府が助ける必要はない」などの批判のことだ。 この現象は、英国国営放送(BBC)が、デヴィ・スカルノ氏のブログでの「後藤氏は自決せよ」という発言を紹介するなど(“Japan wakes up to bad news about Kenji Goto”を参照のこと)、諸外国からも「日本らしい」こととして強い関心を持たれているようだ。 筆者が知る限りだが、少なくとも英国では、「自己責任論」というものを聞いたことがない。おそらく米国でも同じだろう。英米では、そもそも人間行動のすべてに「自己責任原則」が貫かれているので、あらためて特定の場面で「自己責任」を強調する必要がないからだろう。 一方、日本の「自己責任論」は、「自己責任でない場合は、政府に生命と安全の保護を求めることができる」という考え方が前提のように思う。つまり、国民の自己責任とされる範囲は狭く、政府に頼れる範囲が広いとされているからこそ「自己責任論」が出てくるということだ。 これには違和感がある。なぜなら、日本政府は「国民の生命と安全の保護」の意識が希薄だと思うからだ。例えば、筆者がかつて商社マンだった頃、世界のどこかで紛争が起こった際、日本大使館は日本人でさえ大使館に入れず、締め出すようなことがあったと聞いたことがあった。 紛争時にはむしろ英国大使館や米国大使館が、国籍を問わず誰でも逃げ込める「駆け込み寺」になる。「なにかあった時は英米大使館へ向かうべし」というのが日本人駐在員の常識だった、と商社の先輩からよく聞いたものだった。逆説的だが、自己責任原則が貫徹されているはずの英米政府のほうが、国民の生命と安全を守る意識が徹底されているということだ。 日本はISの「キャッシュディスペンサー」に なっていたかもしれない ひとついえることは、政府は万能ではないということだ。政府にできることには限界がある。それは、英米でも日本でも同じことである。 ISは米国人3名、英国人2名を殺害している。ISの「空爆停止」の要求に対して、英米政府が一切の交渉を拒否したからである。ISに屈して交渉に応じ、身代金を支払えば、ISに多額の資金を与えることになる上に、さらなる身代金獲得を狙って、テロが繰り返される恐れがある。英米が人質救出のためにできることは、基本的に「軍事作戦」しかないのである。 今回、ISによる日本人拘束が明らかになってからの日本政府の対応を批判する声がある。政府は、身代金支払い要求に応じない一方で、中山泰秀外務副大臣をヨルダンに送りこんで人質解放に協力を要請した。だが、ヨルダンがどのようなパイプでISと交渉しているのか、交渉状況がどうなっているのか、政府はほとんど掴めなかった。特に、ヨルダンがISに対して軍パイロットの安否確認を要求し、女死刑囚の釈放を拒否してからは、交渉状況は全く見えなくなった。このように、日本政府は人質解放に無力だったように見えることに、批判が集中している。だが、そもそも日本政府はISと交渉自体、してはいけなかったのではないだろうか。 英米のジャーナリストがISに拘束・殺害されたケースと、今回の日本人のケースの違いを考えてみたい。繰り返すが、ISが英米人を拘束した際、英米政府に要求するのは「空爆の停止」である。そして、英米政府が一切交渉に応じないので、人質は殺害されることになった。英国のジャーナリスト、ジョン・キャントリー氏が拘束されたまま、ISの広報映像にたびたび登場しているが、彼を巡っての交渉も行われていないようだ。要するに、ISが英米人を拘束・処刑するのは、ISの恐ろしさをアピールする「政治的パフォーマンス」の意味しかない。 一方、ISが日本人を拘束した今回のケースでは、「身代金」を要求された。そして、途中で要求が身代金から「人質交換」に変わった。これはISが、日本のことをより「実利的」に考えている可能性を示している。 英米などの有志連合による油田地帯への激しい空爆や原油価格の下落で、ISの主な収入源である原油密売が激減しているという。そこで、ISは身代金目的の誘拐による資金獲得を強化している。身代金の収入は年間40〜50億円になるという。ISは、弱腰のイメージがある日本なら、多額の身代金を払うと考えて、日本人誘拐を狙った可能性がある。 これまでフランス、スペイン、トルコなどが、人質解放のためにISに身代金を払ってきたとされる。これらの国で、その後人質事件が頻発しているわけではない。だがそれはISが、これらの国は何度も多額の身代金を払い続ける力を持っていないと考えたからかもしれない。 一方、日本は経済大国である。国連などさまざまな国際機関に多額の資金を拠出している。世界中の新興国・発展途上国に援助をばら撒いてきた。多額の米国債を保有する「米国のスポンサー」でもある。ISは日本に対して「金持ち」のイメージを持っているだろう。 もし、日本が今回、身代金を支払っていたら、ISは日本のことを、活動資金を引き出すためにいつでも使える「キャッシュディスペンサー」と考えたかもしれない。ISが、まるでキャッシュカードを使うように、活動資金を引き出すためにありとあらゆる機会を捉えて日本人の誘拐を狙うようになれば、本当に日本人は世界中で危険に晒されることになる可能性があったのではないだろうか。 他国の死刑囚釈放で 自国民を取り戻すことの意味 さらにいえば、ヨルダンに収監されている女死刑囚の釈放を条件に、後藤氏の解放を交渉して、もし解放が実現していたらどうだっただろうか。日本国内では、後藤氏の救出を願うあまり、ヨルダンがISの要求を受けて女死刑囚を釈放するかどうかに焦点が当たり続けていた。ヨルダンが「軍パイロットの安否確認」を求めて、ISの要求を拒否した時には、日本国内に動揺が広がった。 だが、もし女死刑囚を解き放てば、ISはヨルダンの足元を見て、さらなる要求を突きつける可能性がある。同国や周辺諸国の住民は今以上にテロの恐怖に晒されることになるのだ。その深刻さは、一部の識者が指摘してはいたものの、ほとんどマスコミが取り上げることはなく、日本国民の関心ではなかった。 換言すれば、日本人はヨルダン国民の置かれた厳しい状況に気を使うことはほとんどなかったように思う。だが、女死刑囚が釈放されて、ヨルダン国民が恐怖に晒されることになった時、日本人が生きて戻ってくるというならそれでいいと、日本人は歓喜の声を上げたのだろうか。それは、国家としてあまりに品格に欠けており、国際社会に「恥」を晒すことになったのではないだろうか。 結局、日本政府が人質解放のためにできることは、なにもなかったということだ。非常に悲しいことだが、結果的に後藤氏が殺されるのを待って、ISに対して猛然と非難声明を出すことしかできなかったのだ。それ以外のすべての解決策は、日本と世界の人々を、よりテロの危険に晒すことになるものだったからだ。 繰り返すが、政府は万能ではない。政府ができることには限界があるということだ。日本国民はそのことをよく自覚し、テロリストが支配するような危険地帯には、近寄らないようにするしかないのである。 政府は日本人がテロに遭う 危険性を最小化することができた ISは、「日本が『邪悪な有志連合』と同様に勝ち目のない戦いに加わるという無謀な決断をしたため後藤さんを殺害する。今後も場所を問わず日本人を殺害する。日本にとっての悪夢が始まる」と脅迫した。だが、これによって、日本人が世界中でテロに遭う恐れが強まったとパニックに陥るべきではない。 そもそも、ISにとっては、英米のほうが日本以上に許せない「敵」である。だが、英米人に対して、世界中でテロが頻発しているというわけではない。前述の通り、空爆によるダメージや資金力の悪化で、ISが本当に世界中でテロを起こす力を残しているかどうか自体、疑問なのだ。 日本は事態を冷静に受け止めるべきだ。日本は確かにISから「敵」とみなされることになった。だが、それは日本人も、諸外国並みの危機管理を考えなければならなくなったというだけのことだ。むしろ、政府が身代金、女死刑囚の解放に応じず、ISに「日本はキャッシュディスペンサーだ」と思わせなかったことは、日本人が今後テロに遭うリスクを、難しい状況の中で最小化できたと考えるべきではないだろうか。 今後、日本政府は国内でテロを未然に防げるよう情報収集力、分析力の強化、海外に渡航・滞在する邦人への迅速な情報提供など、対テロ対策を強化することになるだろう。それは、悪いことではない。前述のように、従来日本政府は国民の生命・安全の保護に関心が薄すぎたように思う。政府が緊張感をもって、それが改善されていくならば、今回のような不幸な事件が起きた中で、せめてもの幸いなのかもしれない。 日本は「違い」ではなく「同じところ」を 強調して中東外交、援助を続けるべき 今回の不幸な事件を考える際、忘れてはならないことがある。それは、ISの台頭は、石油を巡る欧米の中東進出の歴史の延長線上にあるということである。 18世紀末、英国の進出によるペルシャ(現イラン)でのアングロ・ペルシャ石油(現BP)の設立に始まる石油を巡る欧米の中東進出。第一次世界大戦当時の英国が「東アラブ人にアラブの独立国を作る」(マクマフォン書簡)、「パレスチナにユダヤ人国家を建設する」(バルフォア宣言)、「トルコ支配地区を英国とフランスで分け合う」(サイクス・ピコ協定)という3つの異なる約束をした、いわゆる「三枚舌外交」。その結果である、欧米石油メジャー(セブン・シスターズ)による中東の石油利権支配の完成、欧米によって人工的に引かれた国境線によるアラブ人国家の成立、そしてユダヤ人国家・イスラエルの誕生だ。 もちろん、中東諸国は一方的に欧米支配に甘んじてきたわけではない。第二次世界大戦後、石油産業を国営化し、OPEC(石油輸出国機構)を結成して、エネルギーの欧米支配からの独立を果たした。中東の多くの国は欧米のメジャーとともにエネルギー国際市場を形成し、国民はオイルマネーで潤っている。だが、その一方で、その恩恵を受けられない貧困層との格差が広がった。貧困層は、欧米を「異教徒」と敵視する「イスラム過激派」の土壌となった。 イスラム過激派のウサマ・ビンラディンは、アフガニスタンで反米テロネットワーク「アルカイダ」を組織し、米同時多発テロを引き起こした。これに対して米国がアフガニスタンを攻撃し、イラクのサダム・フセイン政権を倒したことで、イラク国内が内戦状態に陥り、「イラクのイスラム国」の前身組織が誕生した。隣国シリアが内戦状態に陥ると、「イラクのイスラム国」はシリア内戦に介入。IS(イスラム国)に改名した組織は活動領域を拡大し、イスラム世界全体を統一するのだという野望を示し始めている。 要するに、ISの台頭には中東の欧米支配と、それに対する宗教・民族の問題があるということだ。だが、筆者はこのような問題を考える際に常に言われる「お互いの違いを理解しよう」などとは言いたくない。 むしろ逆だと考える。この連載で常々主張してきたように、この問題でも、お互いの「同じところ」に意識を集中していくことではないだろうか(第67回を参照のこと)。 中東諸国の国民や、欧米と日本に住むイスラム教徒の人たちから「イスラム教とISを一緒にしないで」という声がある。彼らは、イスラム教を信じる人たちだが、同時に、我々と同じ民主主義的なルールがある社会に住み(国によって程度の差はあったとしても)、共通の市場を形成してビジネスを行っている人たちだ。イスラム過激派は、ここに入れない貧困層から出現していることを考えると、我々は「違い」を過度に強調するよりも、この民主主義・市場経済という共通の社会基盤があることを重視したほうがいい。貧困層をなくして、民主主義・市場経済の中に組み入れていき、中長期的にイスラム過激派に走る人たちをなくしていくことである。 もちろん、民主主義・市場経済という欧米の価値観にイスラムの人たちを合流させていくということには反発があると思う。だが、「違い」を無理に強調するよりも、現時点で「同じところ」に意識を集中することのほうが、現状の上に立ったリアリティがあるのではないだろうか。さらにいえば、短期的な軍事作戦よりも、より抜本的な解決策でもある。 そして、ここに日本の役割があるのは言うまでもない。菅官房長官は「ISを恐れるあまり、日本が積み重ねてきた中東外交、人道支援をやめれば、テロリストの思うつぼだ」として、安倍首相が表明した難民支援など2億ドルの資金援助をさらに増やす考えを明らかにした。断固としてやり切ってもらいたい。もちろん、それだけではない。政府開発援助(ODA)やビジネス、技術提供、教育、人材育成など、日本が中東に対してできることは、一歩も引くことなく、すべて出していくべきである。
http://diamond.jp/articles/-/66255 【第47回】 2015年2月5日 田岡俊次 [軍事ジャーナリスト] 自衛隊による海外人質救出が到底不可能な理由 テロ組織「イスラム国」による日本人人質殺害事件を受けて、自衛隊による海外人質救出を行えるようにすべきとの議論が起こっている。だが現実には人質救出作戦は極めて難しく、特殊部隊の強化や「法の壁」を撤廃するだけでは済まない困難が立ちはだかる。 「後藤さん殺害」映像公開後、安倍総理は「テロに屈することは決してない」と表明(代表撮影/AP/アフロ) 安倍総理は1月25日の、NHKの「日曜討論」で「イスラム国」による日本人人質殺害事件に関し、「このように海外で邦人が危害にあったとき、自衛隊は持てる能力を十分生かせない。救出できるための法整備をしっかりする」と述べた。
現在進められている安全保障関係の法整備では、昨年7月の閣議決定にもとづき「邦人救出」がテーマの1つとなっているが、これは海外での戦乱、災害などの際、多数の在外邦人を避難させる話で、今回のような人質事件での救出とは全く異なるのだが、安倍氏は混同していたようだ。 2月2日の参議院予算委員会の答弁では「今度の法制(整備)には邦人救出も入っているが(人質)事案と直接関わることではない」と修正したが、軍事問題をよく知らないタカ派の間では「自衛隊が海外で人質救出をできるようにすべきだ」との論が高まっている。現実的には人質救出作戦は極めて困難、危険な作戦なのだ。 米国ですら、人質救出に ことごとく失敗してきた 米軍は昨年シリアとイエメンで3回の人質救出作戦を行ったが全て失敗に終った。7月3日には「イスラム国」の本部があるシリア北部ラッカの南東郊外にある石油貯蔵施設に、米国人フリージャーナリスト2人が拘束されているとの情報により、精鋭の特殊部隊「デルタ・フォース」をヘリコプターで潜入させたが、人質はそこにはいず、後に2人は斬首された。 11月25日にはイエメン南部の村で「アラビア半島のアルカイダ」に囚われていた米国人フォト・ジャーナリストを救出しようとしたが、人質は別の場所に移されており、作戦は失敗した。このため12月6日に再度別の場所に海軍特殊部隊「ネイビー・シールズ」を潜入させようとしたが警備兵に発見されて銃撃戦となり、米国人の人質とともに、すでに解放が決まっていた南アフリカ人1人も死亡した。 米国は1980年4月25日、イラン革命派の学生によりテヘランの米大使館に閉じ込められていた大使館員ら52人を救出するため、アラビア海の空母ニミッツから8機の大型ヘリRH53Dを発進させ、イラン領内の砂漠にあった使われていない飛行場にC130輸送機を夜間着陸させてヘリに給油し、デルタ・フォースの隊員をヘリに乗せてテヘランの大使館に突入させようとしたが、駐機中の輸送機にヘリが衝突、火災が起き8人が死亡するなどして失敗に終った。 ベトナム戦争中の1970年11月20日には、北ベトナムに撃墜された米軍パイロットなど多数の捕虜が収容されていると見られたハノイ西方37キロのソンタイ収容所を米陸軍の精鋭レインジャー約100人がヘリ6機で急襲したが、捕虜はそこにはいず大空振りに終わった。 米国が人質救出に成功したのは、私が思いつく限りでは、2009年4月12日、ソマリア沖で海賊に捕えられた米国コンテナ船の船長を海上で奪還した例と、2012年1月15日、ネイビー・シールズが落下傘で降下してソマリア海賊の拠点を襲い、囚われていた米国人女性(地雷処理のボランティア)を救出した例だけではないか。 1975年5月12日に米コンテナ船マヤゲスがカンボジアの警備艇に拿捕された際には米海兵隊60人がヘリからロープでマヤゲスに降着したが同船は無人だった。米軍は付近のコータン島に乗組員が拘束されていると見て(実は別の島に収容されていた)、艦載機による攻撃と上陸作戦を行い、カンボジアの警備兵と激しい戦闘になった。 それ以前にカンボジア政府は乗組員の釈放を決めており、攻撃開始当時、乗組員は漁船でマヤゲスに戻りつつあった。この戦闘では米兵15人が戦死、3人が行方不明となった。全く無駄な犠牲だったが、アメリカでは当初「人質解放」に成功したように報道された。 法整備や部隊強化だけで済まない 現実的に困難な課題が山積 アメリカは偵察衛星、有人、無人の偵察機を多数持ち、数百万回線の電話や無線交信を同時に傍受できるNSA(国家保全庁・職員3万人)はハッキングの達人や世界各地の言語の専門家(移民が多い)を揃えている。紛争地域にはCIA等の工作員が入り、地元の協力者も確保しているはずだが、それでも人質や捕虜の所在を正確に突きとめるのは至難の業なのだ。 米情報機関は9.11テロ事件後10年もかけてパキスタンでオサマ・ビン・ラディンが潜伏する邸宅を突きとめ、2011年5月2日ネイビー・シールズがヘリで急襲し射殺したが、これは本人と護衛を一緒に殺せば任務を果たせるから人質救出より相当容易だ。人質救出では見張りや周辺の警備兵を制圧しつつ、人質は無事に連れ帰らなければならないから、その困難と危険は数倍だろう。 日本で「人質救出」を論じる人は、特殊部隊の強化や自衛隊の海外での活動についての「法の壁」を撤廃するだけでやれる、と思っているようだ。だが、まず人質の所在を知るためには解像力の高い偵察衛星や有人・無人の偵察機、世界的な盗聴網を備える必要があるし、各地の言語に熟達した人々を多数揃えておかなければならない。 例えば同じアラビア語でも方言は20以上もあるそうだ。テロリストがなまりのある言葉で、隠語を使って電話で話すのを盗聴するには世界各地から優秀な移民数百人を募るしか手はあるまい。 また潜入する特殊部隊は槍の穂先にすぎず、他国領内でヘリコプターなどが行動するには航空優勢(制空権)が必要な場合も多い。そのために常時空母1隻を出動できるようにするには、修理中、訓練中の空母を含め、3隻が必要だ。特殊部隊が潜入に失敗して戦闘になった場合に備え、バックアップに空挺部隊やヘリコプターで機動する部隊、さらに対地攻撃機も待機させておかねばならない。 それほど大掛かりではなくても、人質救出に成功した例としては、 (1)イスラエル特殊部隊が1976年7月3日に行ったウガンダのエンテベ空港での人質救出(エールフランス機を乗っ取り、ユダヤ人乗客106人と交換にイスラエルで服役中の40人の釈放を要求) (2)西ドイツの内務省特殊部隊GSG9が1977年10月13日に行ったソマリアのモガディシュ空港での人質救出(ルフトハンザ機を乗っ取り、乗員・乗客91人を人質) (3)フランスの憲兵隊介入部隊(GIGN)が1994年12月24日に行ったマルセイユ空港での人質救出(エールフランス機をアルジェ空港で乗っ取り、乗員・乗客232人を人質に、アルジェリアの「救国戦線」幹部2人の釈放を要求)などがあるが、旅客機のハイジャックの場合は、はじめから人質の所在が明確だから成功したのだ。 この他にも英、仏による海外での人質救出の成功例はいくつかあるが、それらはアフリカの旧植民地で発生し、元の宗主国は地元の事情に詳しく、独立後も軍人の教育・訓練や装備の供与で軍同士の関係が密接だったことが成功の主因だったようだ。 日本で従来論じられてきた「邦人救出」は在留邦人の避難だから、昨年7月の閣議決定では「領域国政府の同意に基づき」その政府の「権力が維持されている範囲で活動する」としている。もし自衛隊が他国政府の権力が及ぶ支配地域で「人質救出をしたい」と申し込んでも、相手の軍や警察には面子もあるから「それはこちらが責任を持って行う」と回答する公算が大きい。 仮に日本で外国人が人質になった場合、外国軍が「日本で人質救出作戦を行いたい」と言ってきても、日本の警察庁や防衛省は「情報交換だけにしたい」と答えるだろう。 在留邦人避難においても 軍事力での保護は現実的でない 在留邦人の避難に関しては、すでに自衛隊法で航空機、艦艇の派遣だけでなく、陸上での輸送も可能となっていて武器も携行できる。ただ武器使用は警察権に準じ、正当防衛、緊急避難の場合に限定されている。何とか邦人を無事に港や空港に運ぶのが目的だから、こちらから先に射撃をしないのは妥当だろう。 在留邦人の避難には人質救出とは別の難しさがある。救出の対象人員が多すぎるのだ。例えば韓国には約3万人の居住者の他に旅行者も約3万人と見られ、中国には14万人、うち上海に6万人近くが居住している。その輸送のための空港や港湾の使用の協定はなく、戦乱や暴動、災害の場合、大混乱のさなかに相手国の同意を得られるか否かは定かでない。 1997年に合意された「日米防衛協力のための指針」(ガイドラインズ)では「日米両国政府は、自国の国民の退避及び現地当局との関係について各々責任を有する」と定めており、米国の助力も期待できない。 安倍首相は2月2日参議院予算委員会で「国民の命、安全を守ることは政府の責任であり、その最高責任者は私だ」と述べた。だが、政府の責任は一義的には自国の主権の及ぶ範囲内で、自国民、外国人を問わず、その安全を守ることにあり、他国の主権下の地域での邦人保護には自ずと限界がある。政府があまり「責任」を強調すれば、権利はないのに責任だけを負い、国民に過大な期待を抱かせる結果となるだろう。 もし海外での戦乱、暴動などの際、自衛隊を出動させて邦人救出に一度成功すれば、次に、内陸であるとか、暴徒の勢力が強すぎるなど、はるかに状況が悪い場合でも、留守家族や同僚、経済団体、マスメディアなどが自衛隊の出動を求め、「前回とちがい危険が高すぎる」と言えば「危険だからこそ助けに行ってくれと言っているのだ」「前は助けたのに見殺しにする気か」などと政府、自衛隊が非難され、やむなく派遣した部隊が孤立でもすれば、大部隊を送って本格的戦闘をする必要も起こりかねない。 日本の旅券には「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」と書かれ、保護は相手国の官憲にお願いしている。海外への渡航は本来他国の主権に身を委ねる行為なのだ。 日本政府が海外各地の危険度などの情報提供や、相手国政府との交渉などで邦人保護に努めるのは当然だが、軍事力による保護はいかに法律を変えても現実的に困難であることを周知させることが重要と考える。
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