01. 2015年1月16日 19:57:00
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オランダ・ハーグより』特別編 「わたしはシャルリ、きみは? Je suis Charlie, et tu ?」 ■ 春 具 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 『オランダ・ハーグより』特別編 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 新年早々、フランスのパリでおきた雑誌社襲撃事件は、いろいろな視点からいまで も論議がつづいています。7日の襲撃事件以来、パリの街(だけでなく欧州一帯) は反テロ一色となり、ひとびとは「Je suis Charlie わたしはシャルリ」のスローガ ンをバッグに張ったり帽子につけて抗議の意思表示を行い、ビルの壁やエッフェル 塔のイリュミネーションにもしばらくのあいだおなじ言葉が散りばめられておりま した。 1月11日の日曜日には、パリのナシオン広場で、百万人を集めた(とフランス政 府が言う)おおきなデモがおこなわれた。世界の40数カ国からも首脳もやってき て、デモに加わっていた。トルコ、パレスチナの首相やヨルダンの首脳がイスラエ ルのネタニヤフ首相と並んだことは、連帯のシンボリックなメッセージだ、と彼ら は言っておりました。 それほどインパクトのおおきい事件であったわけですが、論点をおおきく整理すれ ば、こいつはイスラム・ジハーデストによるテロだということで市民の安全保障が まず問われた。つぎに、イスラムとキリスト教(フランスの場合はユダヤ人社会で あったが)との「文明の衝突」がその影にあるという意見。そしてみっつめに、民 主主義の根幹である「言論の自由」が襲われたということが叫ばれています。 順を追って話していくならば、まず国家の安全保障、市民の安全ということだが、 わたしたちはテロの脅威に脅かされて暮らしているというおののきがある。 いうまでもなく、西洋社会におけるイスラム過激派の脅威は、いまにはじまったこ とではありません。21世紀初頭の911多発テロ以来、ロンドンの爆破事件、オ ランダにおける政治的暗殺(二件もあった)、飛行機の乗客が運動靴に爆弾を仕込 んだテロ未遂、などなど、西側諸国は今世紀にはいってからずっとテロリズムの影 に怯えて暮らして来たと言っても過言ではないのであります。そのためにいっとう 影響を受けて来たのが飛行機旅行ですね。なかでもアメリカとイギリスの通関にお いては、旅行者がそもそもテロリスト扱いである。靴を脱がされベルトをはずされ、 財布や眼鏡も差し出し、わたくしの友人はソムリエだったので、うっかり葡萄酒の 栓抜きをポケットに入れていたら、奥に連れ込まれて大騒ぎになった。うっかりし ていたのはこちらが悪かったが、大の男がよってたかって若い娘を締め上げること はないだろうとわたくしなんかは思ったな。まったくどちらがテロリストかわから なかったです(でもね、飛行機でなく自動車でドーヴァー海峡のトンネルを抜ける と、これがじつに簡単に行けるんですよ。国境でいくつか質問をされるけれど、ど こに行くの?何日いるの?って聞かれるだけです。覚えておかれるとよろしい)。 それほどまでに厳しい検問をしても、ちかごろではテロは外部からやってくるだけ でなく国内からも発生する。すなわち、国内に住んでいるモスリムの一部が知らな いあいだに過激化していてジハーデストになっているというのであります。今回の 事件だって容疑者たちはすでにマークされていたらしいが、警備は彼らが動き出し たことに気がついていないのであった。 格差とか経済とか差別とか、社会学が論じるあれこれに諸原因があるのだろうが、 昨日のドイツ議会でおこなわれた国内の警備について議論では、ジハーデストを取 り締まるためにインターネットや個人の行動も監視していかなければならないだろ うという話になっていました。すなわち、言論の自由をまもるために、ほかの個人 の権利(たとえばプライヴァシーの権利ですね)が制約されていくということであ ります。そのバランスは、どちらに重きを置くべきなのだろう・・・。 ジハーデストの問題を起こすのがモスリムたちならば、移民を制限すればいいじゃ ないか、ということで極右は移民排斥のスローガンを掲げ(これは移動の権利の制 限でもありますが)、けっこうな支持をとりつけてきた。フランスでもオランダで も彼らは票を伸ばし、議会にも(はじめて)席を得たのであります。それが21世 紀の最初の十年であります。だが、いまその十年が終わって今世紀は十五年目には いり、そのような移民排斥を主張する意見は少数となったようであります。事件の あとでも、フランスやオランダで反イスラム発言があがったけれども、大方は冷静 のまま、彼らに同調することはなかったようであります。だれもがいらない文明の 衝突を避けたいと思っていることがわかる。 だがその「文明の衝突」であるが、わたくしがいまになって思うには、そもそも、 「文明の衝突」と言うテーゼのたてかたは間違っていたのではないか。11日のフ ランス全土に繰り広げられたデモは、政府によると、連帯の絆のためにパリだけで 百万人があつまったとされる。連帯とくくるところが政府の広報・自己宣伝的なと ころでありまして、いうまでもなく、彼らはみんなが反イスラムで集まったわけで はない。ちょっと考えてみればわかることですが、民主国家において、百万人が同 じ考えであつまるわけはないのです。 たとえば、デモに参加したある家族は、「わたしのところは夫はカトリックのフラ ンス人ですがわたしはユダヤ人。娘の名付け親はモスリムで、いっしょにデモに来 た友はプロテスタントの牧師なんです。それがいまのフランスなのよ」と言ってい た。だったらあなたはなんのためにデモに参加したのですかと問われて、「こんな にごった煮のようなフランスでごった煮のような家族だから、わたしたちはお互い に寛容であるしか生きていけないのよね。だからわたしたちは寛容のためにデモに 来たのよ」と続けておりました。 いまの世界でこのような家族は例外ではない。国際結婚をしてみれば見当がつくだ ろうが、おおくの家族が多様な人種的構成でできているのであります。古い話にな りますが、911のときに、当時娘が通っていたハーグのアメリカンスクールで追 悼の式があり、中学生の少女が立って言ったことをわたくしはいまでも覚えていま す。彼女はこう言った;「わたしの祖父母はカトリックですが、母は仏教徒です。 父はフランス人で母はドイツ人。そしてわたしはオランダで育ちました。それでこ れまでわたしはじぶんの居場所がわからなかった。でも、911の事件に直面して、 わたしははじめて世界がわたしの居場所だとわかったのです」。 事件ではユダヤ系の食料品店も襲われて、こちらでも4人の死者がでた。デモに加 わっていたユダヤ人の若者が、きみたちはフランスに愛想をつかしてイスラエルへ 移住したいかいと聞かれて、「フランスの国是(自由・平等・博愛)が消えるのな ら、ぼくはイスラエルへ行くよ」と言った。だが傍らにいたべつの青年は、「いや、 ぼくは行かない。いまのイスラエルのパレスチナ政策は間違っていると思うからね」 と答えていた。あたりまえのことですが、こちらもユダヤ人だから自動的に反アラ ブなのではない。ヨーロッパ人だから反イスラムなのではない。「Us against Them」という単純な構図ではないのです。 「Je suis Charlie わたしはシャルリ」のスローガンに言われる「言論の自由」は、 民主主義の根幹をなすとされる。だが、言論の自由とはなにか? だれがなにを言 ってもいいことなのか・・・。『シャルリ・エブド』なんかとわたしたちを一緒に しないで欲しいという「わたしはシャルリではない」との意見も出て、わたくしは おもしろく思いましたね。 いちばんはじめにそのことを書いたのは『NYタイムス』のデヴィッド・ブルックス 氏であったが、彼は、世の中には言論の自由に値しない言論もあるのだと切り捨て ていた。 そもそも襲撃を受けた『シャルリ・エブド』という雑誌は、癖のあるお笑いで売り 上げている雑誌であります。その笑いはどちらかといえば下品に攻撃的なもので、 2006年、デンマークでモハメッドをからかった漫画がでてイスラム諸国が激怒 した事件がありましたが、あのときあの漫画をさっそく取り上げ、フランスで掲載 したのがこの『シャルリ・エブド』であった(エブドはHebdomadaire の略で、 週間という意味であります。Le Monde 紙にも、一週間のできごとをまとめて論じ る Diplomatic hebdomadaire という週刊版の別冊がありますね)。そんなメディ アはヘイトスピーチを助長するだけで、メディアとしての価値はない、わたしなん かといっしょにしないでほしい・・・とデヴィッド・ブルックス氏は言うのでした。 そういうゴシップ・メディアをどこまで許せるか・・・。下品呼ばわりするのなら、 なにが下品で下品でないか・・・。ポルノ作品のありようを考えればわかるでしょ うが、どこまでが言論の自由として許容できるエロなのか、そのあたりの判断は難 しい(エロ本と『シャルリ・エブド』を一緒くたにするなと叱る向きもあるかもし れないが、わたくしは論点をはっきりさせるためにそこのところを意図的・確信犯 的に書いております)。死者を出したにもかかわらず『シャルリ・エブド』は意気 軒昂であります。さっそくおなじようにモハメッドを表紙にした新しい号が発売に なり、フランスでは相当売れたらしい。もっとも、オランダでは本屋さんやキオス クが輸入を自粛したので、買うことができない。だが、読みたいひとはいろいろな ことを考えつく。オンライン競売サイトで、最新号はすでに100ユーロの値段が ついておりました。ま、これが言論の自由の現状なのでありまして、下品だろうと なんだろうと、話題になれば、エロ本と同じように、だれもがじつは覗いてみたい と思うのだ。で、雑誌も商売になるのであります。 『シャルリ・エブド』を擁護するひとりにサルマン・ラシャディ氏がおります。彼 は、言論の自由には挑発する権利もふくまれるのだ、『エブド』の価値はそこにあ るのだ、と言っていた(ラシャディ氏は『悪魔の詩』を書いてイランのアヤトーラ ・ホメイニ師から「おたずねもの、生死を問わず」とレッテルを貼られた作家であ る)。そういうものだろうか・・・。 「わたしはシャルリではない」というひとりにこういう青年がおりました。「ぼく が育った西洋では言論の自由は不可侵の権利で、刑法に引っ掛からないかぎり、な にを言ってもなにをやっても許される。だが、ぼくは世界を旅してみて、世界には 言論の自由のない国がおおくあり、言いたいことを言えないひとびとがおおくいる ことを知った。彼らを見て、ぼくはじぶんがどれほど恵まれているかと知ったんだ。 これだけ恵まれているのに、その言論の自由を盾にして、言論の自由に恵まれてい ないひとびとをいじめたりからかったりして、苦しめたりすることはしないほうが いいと思うんだよ。彼らはぼくになにも嫌なことをしていないのに、ぼくが彼らに いやなことをする必要はないと思うんだ・・・」と彼は言っていた。 この青年が言うのは、他人と異文化へのリスペクトであります。ユダヤ人だって、 ホロコーストをからかわれるといやでしょう。デンマークでモハメッドの漫画がイ スラムに反感を引き起こしたとき、ベルギーのイスラムのサイトに、ヒットラーが アンネ・フランクとベッドにはいっている漫画が載ったことがあった。そして吹き 出しにはアンネとセックスを終えたヒットラーが、「日記に書いておきなさいね」 と言っているところが書いてあった。ユダヤ人でなくても嫌でしょう、こういう漫 画は。 だが、いまの時代、どうすればリスペクトを学べるのだろう・・・。学校? 宗教? 家庭? 文学? この青年は世界を旅してリスペクトを学んだと言っていた。わた くしもリスペクトを学ぶには旅をするのがいちばんじゃないかと思います。一週間 の駆け足旅行でも、留学でも、駐在でも、深夜特急でもいい。日本の外にはこうい うひとたちがいるんだと、この青年のように、そういうひとたちのいるところへ行 ってみるのがいちばんいいのではないかな。 スコット・フィッツジェラルドの『偉大なるギャツビー』の冒頭につぎのような一 節があります。 ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていたころに、父が言 ってくれたことがある。ぼくはその言葉をいまでも心の中でくり返すことがある。 「ひとを批判したいような気持ちになった時にはだな」と、父は言った「世の中 のひとがみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ち ょっと思い出してみることだ」 覚えておいていい一節だな、とわたくしは思う。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 春(はる) 具(えれ) 自由学園、獨協大学、国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール卒。19 78年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーヴ)にて人事部と安全保障理 事会・イラク賠償委員会に勤めたあと、2000年より化学兵器禁止機関(オラン ダ・ハーグ)にて訓練人材開発部長・人事部長。2010年退官。現在、オランダ ・ハーグに在住。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ JMM [Japan Mail Media] No.828 Extra- Edition3 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【発行】村上龍事務所 【編集】村上龍 【発行部数】92,621部 【お問い合わせ】村上龍電子本製作所 http://ryumurakami.com/jmm/ |