01. 2015年1月13日 23:15:14
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現実には、表現の自由など幻想であり、有害な場合が多いのだがそのような幻想を神聖視している点では欧米側も、イスラムとあまり変わらないな http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42633 シャルリエブド襲撃:パリのテロをどう見るか 2015年01月13日(Tue) The Economist (英エコノミスト誌 2015年1月10日号)
イスラム主義者が言論の自由を攻撃している。だが、その血塗られた中世的な慣習に対抗する手段として、イスラム全体を中傷するのは間違いだ。 襲撃受けた仏風刺紙、特別号発行へ 大幅増の100万部 フランスの小説家ミシェル・ウエルベック氏を特集したシャルリエブドの紙面を読む人〔AFPBB News〕 風刺画が売り物のフランスの週刊紙、シャルリエブドの最新号は、フランスの小説家ミシェル・ウエルベック氏を特集している。 ウェルベック氏は新作小説で、フランス、そして次に欧州連合(EU)がイスラム化していく近未来を描いている。 イスラム主義者がフランスの大統領選に勝利し、自由が蝕まれるという、イスラム教を嫌悪する者たちが流しているデマと同じ筋書きをたどるこの小説は、発売前から批評家から非難されていた。 そして、その小説の発売日に、銃を持った覆面の男たちが、パリにあるシャルリエブドのオフィスを襲撃した。男たちは「アラー・アクバル(神は偉大なり)」と叫びながら12人を殺害し、さらに複数の人を負傷させた。この事件は、フランスで起きたものとしては過去50年で最悪のテロとなった。 欧州の最も恐ろしい悪夢が現実に 銃を持った男たちは逃走し、警察は2人の兄弟を容疑者として指名手配している。折しも欧州全体で、ドレスデンの街頭デモからイングランドの選挙に至るまで、反移民感情――とりわけ反イスラム感情――がじわじわと浸透している中で起きたパリの残虐行為は、欧州の最も恐ろしい悪夢をおぞましい現実にしたかのような出来事だった。実際、風刺画にしたかのような、と言ってもいいだろう。 テロ攻撃に対する不吉な警告が絶えずあったにもかかわらず、今回の大量殺人に対する最初の反応は、フランスでもほかの国でも、当然のことながら激しい怒りだった。だが、この事件は、さらに大きな反応を引き出さずには済まない。 シャルリエブドが標的にされたのは、人の感情を損ねることをする権利、特にイスラム教徒の感情を損ねることをする権利を堅持し、掲げていたからだ。その基本的姿勢は、2つの大きなテーマを呼び起こす。 1つは、言論の自由だ。自粛であれ何であれ、言論の自由を制限すべきだったのだろうか? その答えは、断固として「ノー」だ。 2つ目は、欧州におけるイスラム教だ。今回のような出来事は、西側の民主主義とイスラム過激派との間で交わされている文明闘争の一環なのか? 戦場はペシャワールからラッカへ、そしてパリの中心部にまで広がってきたのだろうか? その答えは、やはり「ノー」だ。 風刺画対カラシニコフ 「私はシャルリー」 仏新聞社銃撃、追悼集会に計10万人超 シャルリエブド襲撃事件の犠牲者を追悼する集会が世界各地で開かれ、大勢の人が「私はシャルリ」と書いたプラカードを掲げた(写真は仏リヨンの追悼集会)〔AFPBB News〕 シャルリエブドが攻撃を受けたのは、今回が初めてではない。2006年には、デンマークの雑誌に最初に掲載されたイスラム教の預言者ムハンマドの挑発的な風刺画を転載し、その決断は当時のジャック・シラク大統領に「あからさまな挑発行為」と評された。 2011年には、ムハンマドを「ゲスト編集長」に仕立てた号を発売した直後に、オフィスに火炎瓶が投げこまれた。 それでも同紙はひるまなかった。一部の政治家の自粛要請をよそに、自由な言論の権利を主張した。今回の事件の際、オフィスを襲撃した銃撃犯たちは、挑発的な風刺画を描いた漫画家たちを名指ししたと報じられている。 シャルリエブドの刊行物は、すべて正当な権利の下で発表されたものであり、フランスの法律がそれを認めているのも正当なことだ。この点については、いかなる留保もあり得ない。風刺画や意見が不謹慎で悪趣味であったとしても、それが直接的に暴力を扇動するものでない限り、発表を禁止すべきではない。 シャルリエブドは、イスラム教だけでなく、あらゆる宗教を風刺している。とはいえ、仮に同紙がそう望んだのなら、イスラム教だけを風刺する権利もあるはずだ。それは、欧州に住むイスラム教徒が、欧米の退廃を非難したければそうできる権利を持つのと同じことだ。 いずれにしても、怒ったり怒らせたりするのと、それを理由に人を殺すのとでは、天と地ほどの違いがある。その間を隔てているのは、数世紀にわたるリベラルな政治思想だ。鉛筆やキーボードを使ってできる行為で、カラシニコフによる報復が正当化されるようなものなど1つもない。 今回の襲撃は、路上や列車での無差別攻撃より陰険なものだ。恐らく、その狙いの1つは、イスラム教の扱いに関して、欧米メディアを委縮させることだろう。そうなってはならない。虐殺に対する最初の反応が激しい怒りだったのが妥当だとするなら、言論の自由を巡るシャルリエブドの主張を熟慮した後の第2の反応もまた、激しい怒りであるべきだ。 観測筋の多くは、今回撮影されたばかりの銃を持つ男たちの姿を、風刺画ではなく、別の種類のイメージと結びつけるだろう――具体的には、ナイジェリア北部の混乱、イスラム国(IS)の残忍な動画、アフガニスタンやパキスタンでのタリバンによる大量虐殺などだ。 そのすべては、啓蒙主義の価値観と反啓蒙主義的な野蛮さとの間で続いている、長い闘争の一部のようにも見える。現状をそのように見ている人たちにすれば、唯一の解決策は、国内での取り締まりや国外の敵との交戦という手段で反撃することだろう。 犯罪であり、文明の衝突ではない その見方には一理ある。パリの事件とフランス国外のジハード(聖戦)との間には、恐らくつながりがあるだろう。つながりの一部は、イデオロギー的なものだ。欧米のテロリストたちは、自らの信仰のために世界的な戦いを遂行していることが多い――少なくとも本人たちは、インターネットで拾い上げた意見に駆り立てられ、そう考えている。 実際的なつながりもある。最近の欧州での事件に関わった者の一部(シャルリエブド襲撃の容疑者の1人を含む)は、中東やアフガニスタン、パキスタンで過激な思想に染まり、訓練を受けて帰国した者たちだ。主な行き先は、地理的に近くて行きやすいシリアだ。 こうした帰国者の流れは、フランス(EU最多のイスラム教徒が暮らす国)をはじめ、欧州全土の保安当局にとって悩みの種になっている。というのも、特殊訓練を受けたばかりの使命感に燃える帰国者たちが、まさにシャルリエブドに対して行われたような奇襲部隊じみた攻撃を仕掛ける可能性があるからだ。 少人数の襲撃者が「無防備な」標的を狙うその種の攻撃は、航空機爆破のような手の込んだ計画よりも、察知して防止するのがずっと難しい。 とはいえ、そうした攻撃の防止は不可能ではない。実際、欧州の保安当局は頻繁に防止している。遅まきながらそうした危険を察知し、フランスをはじめとする各国政府は、自国民が戦闘目的で国外へ出るのを阻止し、帰国者を網にかける措置を導入している。 だが、それだけでなく、名目上は同盟国であるトルコに、シリアへの流入防止に協力するようもっと圧力をかける必要があるだろう。帰国者の「脱過激思想」プログラムは、彼らの一部を逆にISのおぞましい真実を伝える布教者に変えられる可能性があるが、まだ開始されたばかりだ。 それでもなお、イスラム過激派によるテロを1つの敵としてひとくくりにするのは、誤解を招くうえに危険でもある。それぞれのグループには、それぞれの背景と目的がある。欧米に散らばって暮らすイスラム教徒たちが、さまざまな国や文化にルーツを持っているのと同じだ。 例えば、フランスに住むイスラム教徒の多くは北アフリカにルーツを持ち、一部の人は公共の場所でのブルカ着用が禁止されたことに腹を立てている。どちらの要素も、例えば英国のイスラム教徒にはあてはまらない。 イスラム教徒全体を同質のグループと見なすのは、さらに無理がある。欧米の一部の扇動主義者たちが、そう見なすようにどれほど有権者を煽ろうとも、それは無謀というものだ。ほとんどのイスラム教徒は過激な主義を支持していない。フランスの主流派のイマーム(イスラム教指導者)たちがすぐに指摘したように、暴力を支持するイスラム教徒はさらに少ない。 もちろん、当のテロリストたちの多くは、欧米がすべてのイスラム教徒を忌み嫌っていると証明したがっている。 こうした殺人者を1つの宗教の代表と見なしたり、複雑な全体像を彼らが望む風刺画に矮小化したりすれば、彼らの犯罪に見返りを与えることになる。同じように、言論の自由という原則に制約を加えれば、彼らの中世的幻想に屈することになるだろう。
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