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2014年10月18日
(略)
で、香港のデモ。
どうやら終わりに近づいたようです。
予想通り、何も変わらず、と。
その理由。
中国人の13億人に、デモクラシーの思想がまったく普及していないため。
香港の人たちも、イギリス人から自由の大切さを体感したとしても、それを社会の中に制度的に裏付けるための思想を、いまだ自前で持つまでに至らず。
今回の香港デモが証明したのは、「思想」の重要さ、です。
根っから、「民主」という思想がない社会で、デモを起こしても、何かがどうなることは決してない、と。
だから、中国人が為すべきことは、まずは、中国思想の伝統との対決です。
なぜ中国思想からは、「デモクラシー」思想が立ちあがらなかったのか?
中国人の皆さん、絶望することはありません。
香港でデモが起きたことは、中国人にも、しっかりと「自由」の欲求があることを世界に立証しました。これだけでも、ヘーゲルが生きていたら、その中国分析に修正を迫られるでしょう。
さて、日本の話題としては、面白いと思ったのは、宮崎県の一主婦の活躍です。
黒木睦子さん。https://twitter.com/mutsukuroki
結論から言えば、「個人」が社会の基本単位となっていないところでは、黒木さんは、放射能避難民と同じく、逃げるしかない、と。
日本社会には、残念ながら、「個人」を制度的に単位に出来る思想がありません。
その意味は、黒木さんのように、個人としての立場でしか、訴えるものを持たない人は、常に、制度に負ける、ということです。
律令体制には、個人は存在しません。
存在しない、ということの意味ですが、これは重いです。
たとえば、太陽を自分の目で見たことがない人に向かって、「太陽」とは何か、を説明するようなものです。
反応は、「そんなことはうそ」となるでしょう。このことをH・G・ウェルズが短編小説に書きました。『盲人の国』。
同様に、「個人」という思想を持っていない律令理性人たちに、「個人」の立場を認知せよ、と迫ったところで、彼らには、それが理解できる思想的枠組み(パラダイム)がありません。
しかし、そうはいっても、法律家は、一応、頭がいいんだろう? 彼らに理解できないということがありうるのか?
しかり。ありうるのです。
それが、思想というものです。
律令理性人には、絶対に「個人」は理解できない、と私は主張します。
律令理性論からの自然な帰結です。具体的には、二項関係での自己意識には、個人の介入する余地は無し、と。
というわけで、黒木さん問題を解決するには、黒木さんの移転費用を、「同情して応援」とか工夫して、捻出したほうが早いでしょう。
中国人に「デモクラシー」思想が欠如しているように、律令理性人としての日本人には「個人」思想が欠如しています。
日本問題は、すべてここに収斂します。
そして、偏差値教育なり、日本人の伝統の「頭の良し悪し」の判定基準では、この問題にまったく迫ることができません。
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