02. 2014年10月17日 09:51:51
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おまけhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20141016/272644/?ST=print 2014年ノーベル経済学賞、賢人の軌跡 百科全書の国が生んだ知の巨人、ジャン・ティロール教授 2014年10月17日(金) 北村 行伸 2014年のノーベル経済学賞は、フランス人経済学者、仏トゥールーズ第1大学のジャン・ティロール教授に決まった。ティロール教授と20年以上、公私にわたる親交があり、著書の翻訳も担当している一橋大学経済研究所の北村行伸教授が、ティロール教授の業績や人となりなどについて緊急寄稿した。 スウェーデン王立科学アカデミーおよびスウェーデン中央銀行(リクスバンク)は10月13日、2014年度ノーベル経済学賞をフランス・トゥールーズ第1大学(トゥールーズ・スクール・オブ・エコノミクス)のジャン・ティロール教授に授与すると発表した。 ティロール教授は1953年フランス生まれで、今年61歳である。フランスのエコール・ポリテクニークなどで学位を取得した後、81年に米マサチューセッツ工科大学(MIT)で経済学博士号を取得。84年からMIT准教授、教授を経て、現在トゥールーズ第1大学産業経済研究所(IDEI)学術担当所長を務めている。 ティロール教授の研究範囲は広く、産業組織論、規制政策、組織論、ゲーム理論、ファイナンス、マクロ経済学、経済と心理学などの分野でそれぞれ第一級の研究を行ってきた。 百科全書の国が生んだ知の巨人 自然科学の分野であれば専攻が細かく限定され、それぞれの専門分野の中でしのぎを削っているというのが現実だと思う。経済学はそこまでは専門化、細分化はされていないものの、ジャン・ティロール教授の研究範囲の広さは、現役の経済学者のなかでも極めて突出している。専門論文は200本を超え、そのほとんどがトップ10に入る一流経済学術誌に掲載されている。著作も多数あり、主要なものだけでも9冊を数える。しかもそれぞれの著作は、百科全書の国フランスのトップ研究者だけあって、百科事典のように綿密かつ広範囲にわたり、多くの研究者にとって第1に参照すべき基本文献となっている。 このような広範な研究が可能になっているのは、ティロール教授をとりまく広範な研究ネットワークのおかげだ。現代のような複雑化した社会の中では、銀行業や情報通信産業の具体的な現状あるいは精緻化された特定の理論分野を理解することは極めて難しく、また時間のかかることである。だがティロール教授はそれぞれの分野で卓越した専門家を共同研究者として選び、繰り返し論文を書くことで、特化された分野の問題の本質を掴み、それを研究成果として残してきているのである。 共同研究のネットワークの広さも「実証」済み ティロール教授による共同研究体制は、社会科学の研究者が共同研究をどのように進めたらいいのかを示す見本のようなものだ。余談だが、ネットワーク構造を研究しているある研究者により、経済学者の中で、ティロール教授の共同研究のネットワークが最も広範で、かつ頑強であることが「実証」されたほどである。 受賞対象の研究として、スウェーデン王立科学アカデミーは「市場支配力と規制」に関する貢献を挙げている。そこで挙げられている多くの研究はラフォン教授との共著『A Theory of Incentives in Regulation and Procurement』(1993、The MIT Press) に収録されている。ここで、彼らの百科事典的な研究を数行でまとめることは不可能であるが、あえて要約すれば次のようになるだろう。 寡占企業の価格設定や参入障壁は消費者に不利益をもたらし、競争の欠如が寡占企業の非効率性を増幅させる可能性がある。そのような環境で政府は、寡占企業をどのように規制すればいいだろうか。ティロール教授は、以前に考えられていた独占禁止法や価格規制に対して、より厳密な分析枠組みを提供し、政府による価格設定の規制や談合規制などが常に有効なわけではなく、産業や市場の条件によって競争政策と規制政策を組み合わせることで、最適な規制のあり方が変わってくることを理論的に示した。 …と、このように書いても、物理学における青色ダイオード(LED)の発明のように目に見える実感はわかないかもしれない。そこで、もう少し最近のティロール教授の経済と心理学に関わる研究から、身近な例を用いて、彼の研究の神髄を紹介したい。 まず、人間のインセンティブは経済的報酬に比例しているだけではなく、自分自身の評判、他者への思いやりにも依存していることを確認したい。それらの要素を組み入れると、経済的報酬が上昇しても、インセンティブが低下する可能性がある状況を考えてみよう。この状況を、ティロール教授はクラウディング・アウト効果と呼ぶ。 広い意味でのインセンティブは2つのグループに分けることができる。(1)良い行いをすること、と(2)悪い行いをしないこと、である。この分類は、アイザィア・バーリンの『自由論』で展開された「自由」の2つの分類、すなわち「人が自分のする選択を他人から妨げられないことに存する消極的自由」と「人が自分自身の主人であることに存する積極的自由」からの類推で筆者が分類したものだ。だがティロール教授の議論に適用できるのでここで用いたい。言うまでもなく、良い行いをするインセンティブは積極的インセンティブであり、悪いことをしないインセンティブは消極的インセンティブだと解釈できる。 金銭だけが人のインセンティブではない 社会的な規範や法律で規定されるのは(2)の分類に入ることである。では、(2)の規定と経済報酬だけで、社会はうまく回っていくだろうか。 ジョージ・オーウェルの小説『1984』に出てくるビッグ・ブラザーによる管理のような高度管理社会でない限り、人の全ての行動が把握できないとすれば(情報が非対称であれば)、(2)を破って、利益を得ようとする人が少なからず出てくるだろう。また、(1)の行動に対して特に高い報酬が払われる訳ではなく、むしろ費用がかかる場合には、経済報酬によって(1)を説明することはできない。 例えば、電車の中の荷物の忘れ物について考えてみよう。(1)であれば、多少の時間をかけても、最寄りの駅で降りて、忘れ物を駅員に届けて、状況を説明するだろう。そうすれば、荷物が落とし主に帰る可能性は高まる。(2)の場合とは、だれも自分の持ち物ではないということで、終着駅まで手をつけずに運ばれていくことを意味する。これも終着駅で駅員が、その荷物を確保すれば、落とし主に戻る可能性がある。 (2)が成立するためには、全ての人がその荷物を盗らないことが前提になるが、誰も監視していない電車の中で、1人の人が盗んでも、その荷物は持ち主に戻ることはないだろう。電車の中での行動を全てモニターして個人を特定化することは不可能だとすれば、昔から日本の美徳とされた、「忘れ物が必ず見つかる」と言えるほどまでに、社会的規範が機能するとは思えない。 まして、多民族国家の米国や先進国の大都会では(2)のような「悪い行いをしない」という制約が機能するとは考えられない。では(1)の「良い行い」を促進するにはどうすればいいのだろうか。 これは金銭的な問題ではなく、自分が忘れ物をした場合に、他の人にとって欲しい行動をとること、つまり利他主義的でもあり、自分は良い行いをする人間であるという自尊心の現れである。人からそういう人間であると評価されたい願望が反映されていることもあるだろう。 ただし自ら自分の美徳を吹聴して評判を高めるような行為は、その先に何らか報酬を求めるようで、必ずしも純粋な利他的行動、自尊心の反映ではないと考えられ、区別する必要はある。これを厳密に区別することは難しい(もちろん、そのような人間はあまり尊敬を集めないという社会的規範はあるだろうが…)。 金銭的報酬がもたらす「クラウディング・アウト」 朝の通勤時間帯に、忘れ物を見つけて駅員まで届けることのコストを、その行為によって助かる人がいることと比較すれば、大した労ではないと判断する人が多くなれば、社会的な費用はむしろ低下し、信頼のおける社会を維持できる。ただ、この行為に金銭的な報酬を設定して、落し物取得1点につき100円が払われるということになれば、自尊心や利他主義から行動してきた人は、何か報酬目当てでやっているかのような気持ちになって、むしろ拾得物を届けるというインセンティブがそがれる結果になるかもしれない。これがティロール教授の言う「クラウディング・アウト効果」なのである。 落し物の例をとっても、人間のインセンティブは報酬だけに反応しているわけではなく、また、法律や社会的規範だけでも反社会的な行動を阻止できないことが分かる。インセンティブには自分が落とし主の立場であればどうであるかをよく理解している利他的行為、あるいはアダム・スミスのいう拡張された「同情」も含まれている。この要素が如何にうまく機能するかが信頼社会の前提になっているといってもいいかもしれない。 先の自由論からの類推で言えば、社会は消極的インセンティブだけでは不十分で、積極的インセンティブが必要であり、この積極的インセンティブは強制できるものではなく、自発的に機能する必要があるということになる。そうした積極的インセンティブを醸成するのは経済ではなく、倫理や善行を評価する「規範」になるだろう。 ティロール教授の議論のエッセンスは理解していただけただろうか。彼の経済問題へのアプローチは、企業間競争であれ、個人のインセンティブの問題であれ、必ず、費用と便益のトレードオフ、様々な制約を十分に考慮した上で、最適な解を導くというものである。これは、フランスの「エンジニア・エコノミスト」の伝統を継ぐものであり、そこに彼の理論家としての真骨頂があると言える。決して象牙の塔にこもった、「アームチェアー・エコノミスト」ではないということである。 実質は故・ラフォン教授との共同受賞 ティロール教授についての、経済学者としての貢献やその特色については以上に述べた通りであるが、以下では20年以上に及ぶ個人的な交流の中で感じた、畏友としてのジャン・ティロールや、今回のノーベル賞受賞までの道のりで、遭遇したいくつかのエピソードを紹介しておきたい。 今回のティロール教授の受賞は、彼の卓越した業績に与えられたものであることは疑いのないところではあるが、その授賞のタイミングという意味では冒頭に述べた、ティロール教授の主要な共同研究者であり先達であったラフォン教授の没後10年ということを忘れてはならない。 実際、今年2014年度のヨーロッパ経済学会、エコノメトリック・ソサェティ(計量経済学会)欧州年次総会は、8月25日から29日までラフォン教授の没後10周年を記念して、トゥールーズ第1大学で開催された。ヨーロッパ中の主要経済学者に加えて、北米、日本を含むアジア、オセアニアなどから2000人を超える参加者が集まった。私もティロール教授に招かれて参加した。プログラムは、ラフォン教授を記念した3つのセッションのほか「コンファランス・パーティー」(懇親会)があり、これはラフォン教授の功績をたたえるものだった。 総会の開会に先立って行われたレセプションで、トゥールーズ市長はラフォン教授の功績を讃えつつ、それを立派に継承したティロール教授への賞賛を惜しまなかった。このようにラフォン教授の功績を10年後も忘れることなく讃えるヨーロッパの経済学者達、とりわけトゥールーズ第1大学の経済学者達のラフォン教授への哀悼の意思表示は感動的であった。 今回のノーベル賞の発表に際してスウェーデン王立アカデミーの経済学賞選考委員長であり、授賞理由の説明者であったストックホルム・スクール・オブ・エコノミクスのトール・エリクセン教授も、ラフォン教授とティロール教授の共同研究における業績を主要なものであることを強調していた。今回のノーベル賞の受賞はティロール教授の単独受賞という形にはなっているが、実際には、これはラフォン教授との共同受賞という意味合いがある。この点についてはティロール教授が12月のノーベル賞受賞記念講演で述べることになるだろう。 実は、今回のティロール教授のノーベル賞受賞への布石は5年前に打たれていた。2009年9月、ストックホルム・スクール・オブ・エコノミクスは創立100周年記念として、世界中から有名な経済学者を集めた研究会を開催した。ここにはティロール教授を始め、先だって亡くなったゲーリー・ベッカー米シカゴ大学教授、アビナッシュ・ディキシット米プリンストン大学教授、アーンスト・ヘファー・スイス・チューリッヒ大学教授、アーミン・フォルク独ボン大学教授ほか多くの一流の経済学者が一同に集まり、「人間の本性と経済的インセンティブ」というテーマで議論をした。 筆者もちょうど研究休暇中でストックホルムに滞在しており、ティロール教授に誘われて参加した。この研究会を組織したのが前述のエリクセン教授だ。この時、ティロール教授はノーベル経済学賞のスポンサーであるスウェーデン中央銀行、リクスバンクでもセミナーを開いた。エリクセン教授はノーベル経済学賞選考委員であり、ティロール教授はその面前で論文発表をしたわけである。そしてその場に立ち会った筆者は、ティロール教授が、近いうちにノーベル経済学賞を獲得することを確信した。 筆者は実証研究者であるが、金融分野に関しては理論にも制度にも高い関心があり、その分野におけるティロール教授の研究に惹かれて2冊の彼の著書を翻訳した。『The Prudential Regulation of Banks』 (1994、The MIT Press、Mathias .Dewatripont氏との共著、邦訳『銀行規制の新潮流』、北村行伸・渡辺努訳、東洋経済新報社、1996年)、及び『Financial Crises, Liquidity and the International Monetary System』(2002、 Princeton University Press、邦訳『国際金融危機の経済学』、北村行伸・谷本和代訳、東洋経済新報社)がそれだ。 筆者にはそれぞれ非常に刺激的な内容で、翻訳を通して多くのことを学び、多くの日本の読者にティロール教授の考え方を紹介できたことは喜びでもあった。また、ティロール教授の金融分野に関する研究は、各国中央銀行のみならず、欧州中央銀行(ECB)、国際決済銀行(BIS)、国際通貨基金(IMF)など国際的な政策議論や制度設計にも強い影響を与えていることを付言しておきたい。 ここからは余談になるが、ティロール教授と筆者は、エコノメトリック・ソサェティの年次総会などで頻繁に会うようになり、年齢が近いこともあって話をしていくうちに意気投合し、一緒に旅行したり、自宅に招いたりして、いつしか家族ぐるみの付き合いをするようになった。また、ティロール教授の指導教授はエリック・マスキン教授で、筆者の指導教授はアマルティア・セン教授である。実はこの2人は、共にケネス・アロー教授が創始した「社会的選択論」の研究者で、米ハーバード大学で社会的選択論を共同で講義していた。そんな縁もあった。 冷徹な頭脳を備え、社会の改善を願う温かい心を理想に ティロール教授も筆者も、その後社会的選択理論の研究からは距離を置き、自分にとって比較優位のある分野で研究を続けている。しかし、アロー教授、セン教授、マスキン教授といった、歴代のノーベル経済学賞受賞者の中でも突出して質の高い科学論文を書く冷徹な頭脳を備えつつ、同時に社会の改善を願う温かい心を持つ研究者達を師として持てた幸運と、「師に少しでも近づきたい」という思いを、筆者はティロール教授から感じ、かつ共有している。 筆者は、ジャン・ティロール教授との20年以上の付き合いを通して、教授の研究者としての成功への道のりをつぶさに見てきた。ほかにも多くの著名な経済学者と交流してきたし、その中には大きな成功を収めた研究者もいる。だが、ティロール教授ほど謙虚で、気さくで、家庭的で、他人への配慮ができる人はいないと言っていい。彼のノーベル経済学賞の受賞を心から祝福したい。 このコラムについて ニュースを斬る 日々、生み出される膨大なニュース。その本質と意味するところは何か。そこから何を学び取るべきなのか――。本コラムでは、日経ビジネス編集部が選んだ注目のニュースを、その道のプロフェッショナルである執筆陣が独自の視点で鋭く解説。ニュースの裏側に潜む意外な事実、一歩踏み込んだ読み筋を引き出します。 |