01. 2014年10月14日 07:24:00
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人権:同性愛の権利を巡る国際格差 2014年10月14日(Tue) The Economist (英エコノミスト誌 2014年10月11日号)世界の一部地域における同性愛者の権利の勝利が、ほかの地域で反動を呼んでいる。 米国勢調査、同性婚カップルを「家族」に分類へ 米紙報道 欧米を中心に同性愛者の権利が拡大している〔AFPBB News〕 1970年代のアリゾナ州に、「トースターに触れたいと思う程度にしか、女性に触れたいという欲望を抱けない」ティーンエイジャーがいた。 だが彼は、「ゲイではない」と自分に言い聞かせた。「正常」でありたいと望むあまり、筋肉質の男性への執着心を、整った外見に対する嫉妬のせいだと考えた。25歳になるまで、彼は自分に対して真実を認められなかった。自分以外の人に対しては言うまでもない。 1996年に、この男性が書いた同性婚を支持する論説が本誌(英エコノミスト)のカバーストーリーとなった。自分が生きているうちにそんなことが起きるなど、彼は考えたこともなかった。だが今、彼は愛する男性と結婚している。2人が暮らすバージニア州の郊外では、それを奇異なことだと考える人はほとんどいない。 欧米だけでなく中南米や中国など、多くの国で起きている同性愛に対する姿勢の変化は、世界の驚異の1つに数えられる。米国の最高裁判所は10月6日、同性婚容認の下級審判決を不服とする複数の上告を受理しないことを決定し、同性婚をさらに大きく後押しした。すでに米国民の大半は、同性同士で結婚できる州で暮らしている。 だが、同性愛者が死刑の対象になる国が今でも5つある。イランでは絞首刑、サウジアラビアでは石打ち刑だ。世界78カ国で同性同士の性交渉が法律で禁じられ、最近になってから、同性愛者の人生をさらに厳しいものにする法律を成立させた国もいくつかある。 同性愛の扱いを巡っては、国際格差の中でもとりわけ大きな格差が存在する。その原因はどこにあるのだろうか? そして、いずれは寛容な姿勢が広がるのだろうか? 2歩進んで1歩下がる 寛容への前進は驚くほど速かった。1950年代には、同性間の性交渉はほぼ全世界で法的に禁じられていた。英国では、同性愛を「撲滅」すると誓った内務大臣の命を受け、覆面捜査官がバーを巡回し、同性愛者を罠にかけては刑務所に送り込んでいた。 中国では、1980年代に同性愛者が一斉検挙され、裁判もないまま強制労働収容所に送られた。世界中の同性愛者が、恐怖のなかでひっそりと暮らしていた。米国の一部の州では、「ソドミー」を禁じる法律が2003年まで残っていた。 現在、少なくとも113の国で、同性間の性交渉が合法化されている。同性婚やシビルユニオンが30を超える国で認められ、それ以外にも一部地域で認められている国もある。欧米のほとんどの国では、同性愛者を嫌悪することは、もはや社会的に受け入れられない。中国でも、現在では同性愛は違法ではなく、都市部では隠されなくなっている。 中南米はさらに同性愛に好意的だ。アルゼンチンでは74%、ブラジルでは60%の人が、社会は同性愛を受け入れるべきだと考えている。タイ人は欧米人よりもトランスジェンダーに寛容だ。南アフリカの憲法は極めて親同性愛的だ。そうした姿勢は、若者が主導する傾向にある。韓国では、同性愛を受け入れるべきだと考えている人は、50歳以上ではわずか16%だが、18〜29歳では71%に上る。 だが、同性愛者が安全ではない国も、世界にはまだ残っている。アフリカの多くの国やイスラム圏の一部では、司法管轄外のむち打ちや殺人が悲しいほどありふれている。アフリカには、レズビアンを「矯正のためのレイプ」の対象にする暴力団もある。 一部の国では迫害が強まっている。チャドは同性間の性行為を法で禁じようとしている。ナイジェリアとウガンダでは、極めて厳しい反同性愛法が成立した(ただし、ウガンダでは最近、裁判所が無効と判断した)。ロシアをはじめとするいくつかの国は、同性愛の「助長」を禁じている。 欧米での権利拡大への反動 米芸能界にカミングアウトの波、「同性愛に寛容な米国」到来か? ゲイプライドパレードは世界各地で開かれている〔AFPBB News〕 こうした動きの一部は、欧米における同性愛者の権利拡大に対する反動だ。 グローバル化のおかげで、誰もが同性愛を嫌悪すべきものと考えている場所に住む人でも、シドニーのゲイプライドパレードやマサチューセッツ州の男性同士の結婚式の写真を見られるようになっている。彼らにとって、それはショッキングなことだ。 また、同性愛を嫌悪する欧米の一部の説教師が、アフリカへ渡って反同性愛の聴衆を扇動し、米国の保守派が、反同性愛法案を検討する国に助言を与えている。 同性愛者に対する憎悪は古くからある根深いもので、それなりに正直な感情だ。もっとも、政治家の中には、利己的な理由で反感を煽っている者もいる。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領やナイジェリアのグッドラック・ジョナサン大統領が、「背徳の拡散」というありもしない欧米の策略と闘うことで、自身の政権の腐敗や無能さから国民の目を逸らそうとしているのは間違いない。 だが、彼らはスケープゴートを抜け目なく選んでいる。同性愛に反対する人の割合は、ロシアでは74%、ナイジェリアでは98%に上る。インドネシア、セネガル、ウガンダ、マレーシアといった国では、若者も高齢者に劣らず不寛容だ。場合によっては、若者の方が不寛容なこともある。 とはいえ、少なくとも長期的に見れば、楽観視できる根拠がある。まず、都市化が追い風になる。匿名性の高い大都市では、誰もが自分のことを知っている村よりも居場所を見つけやすい。インドの同性愛者の人生は、地方ではいまだに辛いものだが、ムンバイやデリーでは、同性愛が違法であってもずっと容易だ。 南アフリカの農村部では、同性愛をおおっぴらにすることは死を招く。だが、いまや南アフリカ国民の半数が、自分たちの住む地域は同性愛者の住みやすい場所だと考えている。人々が都市へ移るにつれて、古い慣習が力を失っている。そして、2050年までには、都市部に住む人の割合は、現在の54%から66%にまで上昇すると見込まれている。 アジアや中南米の新興国は、国がより豊かに、そしてよりオープンで民主的になるのに伴い、同性愛者に対して徐々に寛容になった。アフリカやアラブ世界も、そうした国々に追いつくにつれて、その例に倣ってくれると期待したい。 宗教は寛容に対する障壁になるが――大体において、宗教心の強い社会ほど、同性愛者の権利に後ろ向きだ――乗り越えられない障壁ではない。その証拠に、フィリピンや米国といった多くの信心深い国が、近年では同性愛に対して好意的になっている。 よく知ることが寛容を生む 寛容さを広げるには、どんなことが役立つだろうか? 過去半世紀の例を見る限り、主な原動力になるのは、同性愛者自身だろう。同性愛者を目にする機会が多くなるほど、ごく普通のことに見えるようになる。最近では、米国人の75%が、友人や同僚に同性愛者がいると答えている。1985年には、この割合はわずか24%だった。 だが、同性愛が刑務所入りやそれよりも悪い事態を意味する国では、率先してカミングアウトをするのは難しいだろう。 欧米人の中には、政府援助予算を道具に影響力を行使すべきだと考える人もいる。そうした方法は、ウガンダでは効果があったかもしれないが、援助に条件を付ける方法は概して失敗に終わるし、援助を中断すれば、同性愛者支援への圧力になる以上に、貧困層へのしわ寄せが大きくなる可能性がある。 それよりも、地域の同性愛者の権利団体に資金援助をしたり、性的志向を理由に迫害されている人が亡命を求めた場合の審査を緩和したりする方がいいだろう。外国で偏見を助長している欧米の保守派に反省を促してそうした行為を止めさせたり、国内での寛容さの強化に努めたりするのも効果的だ。 進歩という概念を固持する者にとって、寛容の精神が広がらないと考えることは難しい。結局のところ、同性愛者が求めているのは、特別扱いではなく、ほかの誰もが当然のこととして持っているのと同じ自由――愛したい人を愛し、愛している人と結婚する自由――だけなのだから。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/41937
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