02. 2014年9月01日 10:07:44
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エボラに限らず、ウイルスの遺伝子は急速に変化するものだhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20140827/270448/?ST=print 「終わりなき戦い」 マレーシア航空機撃墜とエイズ 差別・偏見・民族対立の悲劇に楔を 2014年9月1日(月) 國井 修 2014年7月17日、マレーシア航空MH17便(アムステルダム発、クアラルンプール行)がウクライナ上空でミサイルに撃墜された。 そのニュースを聴いたのはオーストラリアのメルボルンに着いた直後。背筋がぞっとした。というのも、私もその飛行機に乗る可能性があったからだ。最終的に、帰りの便が私の予定とうまく合わず、クアラルンプール経由(マレーシア航空)ではなくシンガポール経由(シンガポール航空)でメルボルンに行くことに決めた。 「命拾いをしたね」「無事でよかった」と友人・知人は温かい言葉をかけてくれたものの、私の代わりに誰かが搭乗して亡くなったかと思うと、複雑な心境だ。 何の前触れも予告もなく、80人の子どもを含む298人もの命が一度に奪われた。メルボルンのホテルに着いてすぐにテレビをつけると、MH17便に搭乗していたオーストラリア国籍の28名を写真つきで報道していた。家族や恋人との幸せな日々を様々な映像が写し出す。それを一瞬にして、幸せから悲劇のどん底に突き落としたわけである。 撃墜のショックもさることながら、その後の現地の対応がさらに怒りを増幅させた。 もし、あなたの恋人や家族が今回の撃墜の犠牲となり、事件後、調査団がその立入りを許可されずにいる中、犠牲者の指輪や時計、財布が盗まれ、クレジットカードや携帯電話が何者かに使用されていたら、どんな気持ちだろうか。 それが実際に起こった。乗客の3分の2、193名もの犠牲者を生んだオランダの外務大臣は国連の安全保障理事会でも、怒りをあらわにした。 撃墜の恐怖を肌で感じる 乗った航空機が地上から迫撃砲やミサイルで撃墜される恐怖を、私も味わったことがある。 ひとつはソマリア。以前、ほぼ毎月のように、国連専用の小型機でケニアのナイロビからソマリア各地に出張していた。武装勢力が占拠する地域、紛争が活発化した地域の上空を通る時には、地上から狙撃されるリスクがある。 特にモガディシュは、映画「ブラックホーク・ダウン」にあるように、武装勢力が身を隠せる場所が多く、どこから狙撃してくるかわからない。そのため空港は海沿いにあり、航空機の離着陸は海を介して行った。それでもモガディシュを訪れる時は、心穏やかではなかった。 もうひとつはカンボジア。20年にわたる内戦が1991年に文書の上では終結したものの、1992年に現地を訪れた時、首都プノンペンでも銃声を聞くことがあった。ポル・ポト派が潜み、戦闘が続いていた北西部の町バッタンバンへ四駆車で向かう途中、内戦で橋の多くは破壊され、道は車の揺れで首や腰が痛くなるほどデコボコ。ところどころに地雷原があり、車は道を逸れないよう細心の注意を払った。 プノンペンへの帰路は人道支援団体である「国境なき飛行団(Aviation sans frontières)」のセスナに乗せてもらう。古びた機体に、高齢のフランス人パイロットがコーラの瓶でガソリンを入れる。乗る前から不安が募ったが、離陸後しばらくしてパイロットいわく、 「下に見えるジャングルには、まだポル・ポト派のゲリラが潜んでいる。迫撃砲が飛んでくることがあるので、注意しなさい。」 注意しなさい、といわれても……。まだ若かりし頃の自分は、かなりビビった。 国際エイズ会議参加者の死 それでも、このようなハイリスク地域で航空機に乗っているなら、一応は「注意」し「心の準備」はできる。 しかし、今回、自分の乗った飛行機がミサイルに撃墜されるリスクを懸念した搭乗者はどれだけいただろうか。少なくとも私は、ウクライナ問題が起こった後も、スイスとアジアを何度か往復したが、自分の乗る航空機がウクライナ上空を飛び、撃墜の恐れがあるなど考えたこともなかった。 事件前、ウクライナ当局は高度3万2000フィート(約9.75km)未満での飛行を制限し、MH17便は高度3万3000フィート(約10km)を飛んでいたという。実はマレーシア航空以外にも、この危険空域を飛んでいた航空機もあったらしい。 甚大な被害が想定されるのであれば、発生の可能性が低くとも、それを予防・回避するのはリスク管理の原則。今回の教訓を踏まえ、航空会社はこれまで以上にリスク管理を強化して欲しい。 事件直後、私と同じようにオーストラリア・メルボルンで開かれる国際エイズ会議に参加する者が約100名、MH17便に搭乗していたらしい、との報道があった。どこからこの情報がマスコミに流れたのか不明だが、会議の運営組織はその確認と対応に追われて大童となった。私の職場からも10名ほどがメルボルンに向かっていたので、その無事を確認するのにまたひと苦労だった。 最終的に、会議参加予定の犠牲者は6名と判明。しかし、その中には、私の知人、WHO(世界保健機関)の広報官であるグレン・トーマス(Glenn Thomas)の名前があった。WHOとは協力関係にあるため、グレンとも懇意にしていた。彼に依頼され、ロンドンで開かれた世界結核レポートのプレスリリースに参加した時には、彼のもつメディア戦略に関する考え方から学ぶことは多かった。元BBCのプロデューサー。ウィットに富んだとてもいい輩だった。 さらにオランダ人のユープ・ランゲ(Joep Lange)。彼は国際エイズ学会の元会長、エイズ治療の草分け、世界的権威であった。研究のみならず、貧しい国にいかに治療とケアを普及させるか、考え、エビデンスを出し、行動した人である。とても惜しい人を亡くした。 過去の飛行機墜落でも犠牲者が 実は過去にも、著名なエイズ専門家を航空機墜落で失っている。 そのひとりは、アーヴィング・シーガル(Irving Sigal)。分子生物学者で、HIV治療薬開発のパイオニアでもあった。1988年、搭乗したパンアメリカン航空103便(ニューヨーク行)がロンドンを出発した後、スコットランド上空で爆発して死亡した。後に、リビア関連のテロリストが仕掛けた時限爆弾によるものと判明した、通称「ロッカビー事件」である。 もうひとりは、世界保健機関(WHO)で初代のエイズ対策部長も務めたジョナサン・マン(Janathan Mann)。1998年9月、ジュネーブで開催される国際エイズワクチン会議に参加するため、エイズの研究者であった妻とスイス航空111便(ニューヨーク発、ジュネーブ行)に搭乗し、カナダ・ノバスコシア沖で墜落した。テロではなく、電気系統のショートによる火災が原因と考えられている。 彼は人権の立場からHIV対策を推進した立役者で、1990年代初め、HIV陽性者の入国を規制していた米国(ブッシュ[父]政権)の政策に反対し、強く政策変更を迫った。 今回の航空機撃墜で会議の開催を危ぶむ声もあったが、200カ国から1万2000人以上の参加者を集めて国際エイズ会議は開催された。 開会式では「悲しみと怒り、そして結束を胸に……」と黙祷が捧げられ、パン・ギムン国連事務総長やトニー・アボット豪首相のビデオメッセージにも犠牲者への追悼が込められた。犠牲者の多大な努力と貢献を無駄にせず、彼らの意思を継いでHIV流行に終止符を打とう。他のスピーカーからも熱い思いが伝わった。 国際エイズ会議が開催されたメルボルン国際会議場 20回を重ねた「亡国病」との戦い
国際エイズ会議は1985年にアメリカのアトランタで第1回が開かれて以来、1994年までは毎年1度、それ以降はアジア太平洋やアフリカなどの地域会議と国際会議が1年ごとに交互に開催されてきた。日本でも、1994年に横浜で国際エイズ会議、2005年に神戸でアジア・太平洋地域エイズ国際会議が開かれている。 今年メルボルンで開催された国際エイズ会議は第20回という節目である。1981年に米国でエイズ症例がはじめて報告され、1983 年にその病原体としてウィルス(HIV) が分離・同定されたが、第1回国際エイズ会議が開催された当時、エイズは「不治の病」、その診断は「死刑宣告」に等しい、といわれていた。 当時の実話を基にした映画が、今年の第86回アカデミー賞を受賞した映画「ダラス・バイヤーズクラブ」。主演男優賞をとったマシュー・マコノヒーは、余命30日と宣告された主人公を演じるため21キロもの減量をしたという。エイズは様々な病態から体重が急速に減少することもあり、以前は「痩身病」とも呼ばれていたのである。 HIVは世界中に広がり、各地で猛威を奮い、エイズ症例の初報告から10年間でHIVに感染した者は約4000万人、うち半数近くが死亡する、まさに世界の緊急事態となった。実は、HIV発生の起源であり、米国での症例報告以前から拡大流行していたといわれるアフリカでは、感染率が30%以上、すなわち、3人に1人がHIVに感染し、平均余命が20歳も低下する国も出始めた。国が滅亡する「亡国病」、「現代の黒死病」と表現されるようにもなった。 私自身、特に1990年代にアフリカに出張するたびに、30代、40代の働き盛りが次々と死亡し、農村では働き手がいなくなって農業が荒廃し、教育現場では教師が減っていき、エイズ遺児が増え、患者が増える一方で彼らを診る医療従事者が少なくなる現状を目の当たりにした。 20回を重ねる会議の中で、HIVというウィルスの正体、それが引き起こすエイズという病気の病態、迅速かつ簡易な診断法、HIV感染を広げる社会的要因、社会へのインパクトなど様々なことがわかっていった。 「ダラス・バイヤーズクラブ」に出てくるAZTという薬は、世界初の抗エイズ薬として1987年に米国食品医薬品局(FDA)に認可され、大きな期待がもたれたが、副作用が強く、薬剤耐性により効果がなくなることも多かった。 実際にエイズ患者の死亡を劇的に減らすことができるようになったのは1996年。いくつかの抗エイズ薬が開発され、それを併用するカクテル療法が始められてからである。この併用療法の開発と普及に貢献したのが、先に紹介した航空機撃墜で亡くなったユープ・ランゲだ。 HIV関連死の70%は予防できる それでも当時、患者一人当たり年間200万円以上もする治療を世界に普及するのは不可能に近いと思われていた。治療のみならず、ケア、サポート、予防を世界中に広げ、この世界の危機的問題を解消するため不可能を可能にしようと2002年に設置されたのが、私が所属する世界エイズ結核マラリア対策基金(通称、世界基金 Global Fund)。先進国政府のみならず、途上国政府、国連・国際機関、企業、市民団体、さらに感染者や患者などの当事者も含めた新しい形のパートナーシップで成り立つ組織である。 これらの世界の様々な努力により、現在ではエイズ関連の死者はピーク時にくらべて3割以上も減少し、新規感染者数も4割減った。 アメリカの元大統領ビル・クリントンは、現在、エイズ対策に最も熱心な著名人のひとりで、自らの財団を通じて世界に財政的・技術的に多大な貢献をしているが、今回メルボルンの国際会議に参加し、スピーチの中で次のように述べている。 「エイズのない世代はすぐそこにきている。51カ国からの新たなデータが示すものは、現在知られている治療と予防を拡大すれば、現在発生しているHIV関連死の70%は予防することができるということだ」 実際、今年の会議は数年前には不可能と考えられていたHIVの制圧を真剣に議論する場となった。HIV感染を予防できるワクチンや完治できる治療薬はいまだ見つかっていないものの、現在わかっている効果的な予防法、診断法、治療法を組み合わせて、国ごと、地域ごとの流行パターンを正確に把握した上で、HIV感染が広がっている「ホットスポット」、そしてハイリスクな地域・集団に集中的・戦略的に対策を講じることで、HIVの感染、早期死亡を激減することができることがわかってきたのである。 国連エイズ合同計画(UNAIDS)からは、2030年までにHIVを制圧する(新規感染やエイズ関連死亡を抑える)、そのために2020年までに「90-90-90」を達成するという数値目標が掲げられた。これは、(1)HIVに感染した人の90%が検査を受け自分がHIV陽性であることを理解し、(2)HIV陽性者の90%が適切な治療を継続して受け、(3)治療を受けた人の90%がHIVのウイルス量を減らせている(すなわち、治療効果がある)こと、である。簡単なように思えるが、世界にはHIVに感染していても検査ができない、しない、エイズになっても治療ができない、しない、継続しない、治療を受けても、効果的に作用していない人が未だ数多くいるのである。 その結果、現在でも一日4000人以上がエイズ関連で死亡し、うち15歳未満の子供が500人以上もいるのである。表現はよくないが、毎日エイズによって300人乗りの飛行機14機が撃墜されているに等しい。さらに一日平均5800人がHIVに新たに感染し、うち子どもは毎月約2万人が感染している。これらの死亡、感染の多くを予防できる「手段」が現在あるにもかかわらず、である。 予防の「手段」はある。敵は「偏見」だ これらの死亡・感染の減少をさらに加速させ、HIVを制圧するための鍵となるのが、差別・偏見を含めた社会の問題、ジョナサン・マンが唱えた人権の問題である。 HIVは一般社会のどんな人でも、読者であるあなたにも、感染する可能性がある。したがって、すべての人がHIVに対する知識をもち、予防や検査、治療などのサービスを容易に受けられるような社会を作らなければならない。さらに対策面では、感染リスクの高い人々によりフォーカスを当て、これらのサービスが行き渡るような努力が大切である。 しかし現実には、感染リスクの高い人々に対する差別・偏見によって、このサービスが行き渡らない国がとても多いのである。 HIVの感染リスクが高い人々として、男性同性愛者、性産業従事者、薬物使用者などがおり、HIV対策の面からは「鍵となる人々」(KP:Key populations)とも呼ばれている。 読者の間で、これらの人々に対して、全く偏見も差別もない、と胸を張っていられる人はどれだけいるだろうか。 私自身、これらの人々のことを耳にした時、初めて出会った時、のことを考えると、正直言って、様々なメディアで見聞きしたマイナスのイメージ、自分や周りの社会と比べて異質なものとして映っていた。その後、診療、調査・研究、ボランティア、開発プロジェクトなどを通じて、これらの人々と対話し、交流し、彼らの人となり、生き様、境遇を知るようになった。 一般市民も無料で訪れることができるスペース「グローバル・ビレッジ」。ここでは、国連機関から市民団体、援助機関から当事者組織、若者からトランスジェンダー、セックスワーカーなど様々な個人・組織が参加し、広報・啓発・交流などを行っている。写真はスリランカ男性が女装して踊る伝統舞踊(Maruni Dance)のパフォーマンス 女性と付き合っても心も体も全く満たされず、最終的に自分がゲイであることに気づいて悩み苦しんできたスリランカ人男性。夫からDVを受け続けて離婚したが、頼れる身内もおらず、3人の子どもを養う手立てがないため、性産業に従事することになったミャンマー人女性。友人に誘われて軽い気持ちではじめた麻薬から抜け出せなくなり、苦しみもがくも、全く助けを得ることができないでいるインドネシア男性。
コンドーム使用啓発のためのオブジェ 境遇は異なるものの、様々な苦労や辛さを経験し、悩み、苦しみ、もがきながら生きる、我々とまったく同じ人間と感じるようになった。
しかし、国によって、社会によっては、単に個人の偏見に留まらない。ゲイであるというだけで忌み嫌われ、殴られ、殺される国。女性がコンドームを持って歩いているだけでセックスワーカーとして処罰され、またセックスワーカーへの警察の性的ハラスメントが横行している国。薬物使用者を処罰(ある国では死刑)するが、彼らの薬物依存に対する治療、予防、リハビリテーションなどの対策は全く行わない国などがある。 「犯罪化」しない国の感染率は低い 国の制度、特に法律で偏見・差別が後押しされている国も多い。世界47カ国にはゲイに対する懲罰的法律があり、78カ国で同性間の性関係が犯罪とみなされ、中には男性同士の性行為に死刑が適用される国もある。HIV陽性者自体を未だに差別している国もあり、HIV流行阻止の効果が全くないにもかかわらず、未だに40カ国でHIV陽性者の入国・滞在・居住が制限されている。 むしろエビデンスとしては、同性間の性関係を犯罪化していないアフリカやカリブ諸国のHIV感染率は低く、オーストラリア、ニュージーランド、スイス、ドイツなど、薬物使用者を犯罪者ではなく患者として扱う国々では薬物使用者のHIV関連サービスの利用率が高く、HIV感染率は低いのである。 世界には様々な文化・宗教、考え方があり、その多様性を尊重しなければならないことは誰もが頭の中では知っている。しかし、現実の世界では、様々な「マイノリティー」を差別し、疎外し、中には駆逐、一掃したいと考える人々、社会もある。このような偏見・差別がある限り、どんなに科学が進んで、より効果的な診断・治療・予防法が確立しようと、社会の周縁またアンダーグラウンドに追いやられた人々には、その恩恵・サービスはなかなか届かない。 今回、国際エイズ会議が開かれたメルボルンは、英誌「エコノミスト」が選ぶ「世界でもっとも暮らしやすい都市」ランキングで3年連続世界一。歴史的建造物とモダン建築、都市と自然が見事にミックスされた、楽しく美しい都市の理想形のひとつ、といわれている。おしゃれなオープンカフェが並び、世界中のエスニック料理が味わえる。 音楽・芸術も盛んだが、グランドスラムのひとつである全豪オープンテニス、F1グランプリ、サーフィンの世界10大大会のひとつリップ・カールなど、スポーツ好きにはたまらない。アウトドア派には、大平原でのトレッキングと海原でのクルージング、ダイビングも楽しめる。 ヤラ川のほとりで、人間の叡智に期待する その一方で、メルボルンがこのような国際都市に成長するまでには、悲しい過去があった。1788年にイギリスに植民地化されて以来、白人は先住民(アボリジナルAboriginal)たちを差別・迫害し、動物・獲物に見立てた人間狩り(スポーツ・ハンティング)や毒殺、崖から突き落とすなどの野蛮な方法で殺戮を繰り返してきたという。強制収容・抑留による栄養失調、入植者が持ち込んだ性病や天然痘の流行なども加わり、入植時50万〜100万人いたとされる先住民は1920年ごろには約7万人にまで激減したといわれる。さらに、保護政策の名の下に、強制移住をさせ白人がその土地を奪っていったり、教育・啓発の名の下に、先住民の子どもを親元から引き離して白人家庭や寄宿舎で養育する、または強制収容所、孤児院に送り込み、アボリジナルの文化、またそれ自体を絶やそうとしたりしていた。 国際エイズ会議が開催されたメルボルン国際会議場のあるサウスバンクも、昔は湿地帯で3万年も前からクリン人(Kulin)と呼ばれる先住民が住んでいた。彼らも上記のような差別・迫害を受けて、1870年頃までにはほぼ絶滅したといわれている。 考えてみると、今回のマレーシア航空機の撃墜も民族・領土問題が複雑に絡み合い、差別・弾圧の歴史が繰り返されているクリミア問題が背景にある。 会議場近くのヤラ川に映る美しい夜景を眺めながら、この地で昔、虐殺と感染症に苦しめられたアボリジナルの姿と、差別と偏見の中で未だに苦しむHIV陽性者、そして民族問題に巻き込まれて亡くなったMH17撃墜の犠牲者の姿が重なりあった。 「歴史は繰り返す」というが、その歴史を作るのも、変えるのも、我々人間である。歴史から学ぶ叡智を人間はもっていると信じたい。 メルボルン国際会議場近くの夜景
このコラムについて 終わりなき戦い
国際援助の最前線ではいったい何が起こっているのか。国際緊急援助で世界を駆け回る日本人内科医が各地をリポートする。NGO(非政府組織)、UNICEF、そして世界基金の一員として豊富な援助経験を持つ筆者ならではの視野が広く、かつ、今をリアルに切り取る現地報告。 |