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「今さら当たり前だろう」
こんな言葉が聞こえてきそうである。
米中西部ミズーリ州で今月9日、白人警察官が黒人青年(18)を射殺する事件が起きた。これを機に、米社会において黒人差別という問題が改めて浮上している。
事件から2週間以上がたった今も、黒人差別に反対するデモが米国内で起きている。撃たれたマイケル・ブラウンさんが丸腰だったことも、黒人側の怒りを助長させた。青年が白人であれば、警察官ダレン・ウィリアムズ氏は撃たなかっただろうとの思いを多くの市民が共有している。
米メディアの主な論調は、21世紀になっても人種差別は消えず、公民権法が成立してから半世紀がたっても差別問題に大きな進展はないというものだ。これまで米社会は、多くの場面で白人と黒人が折り合いをつけていると思われてきたが、両者の間には依然として大きな隔たりがある。人種融合などというのは幻想でしかないとの論考さえある。それが今回の事件で如実に示された。
米国で四半世紀を過ごした筆者も、原体験として、白人と黒人の人種的亀裂はほとんど埋まっていないとの印象を強く受けている。もちろん個人差があり、黒人の親友を持つ白人もいるし、その逆もある。差別意識を持たない人も少なくない。
ただ民主国家として、世界の主導的な役割を担う米国が、根源的な社会問題を解決できていないのが現実だ。
人種問題に全く反応しないオバマ大統領
バラク・オバマ大統領は2008年に大統領に当選した時、「白人のアメリカや黒人のアメリカなどというものはない。あるのはアメリカ合衆国だけだ」という主旨の発言をした。そして大統領として人種問題に果敢に取り組んでいく姿勢を示した。
だが、ミズーリ州で事件が起きた後の姿は、まるでその言葉を忘れてしまったかのようだ。単に弔辞を述べて、事件の公正な解決を求めるといった表面的なことを口にしただけだった。これでは選挙時の公約を実現できていないばかりか、人種問題で敗北したのに等しい。
失言を気にかけているのだろうか。黒人大統領として、今回の事件を契機にして流れを変えていく、といった意気込みもまったく感じられない。
オバマ氏はハーバード大学法律大学院を出たエリートとして、白人社会に片足を入れた環境で人生を送ってきた。同氏のように黒人であっても政界や財界で成功した人は数多い。研究者として名を馳せた学者もいるし、芸術・文化で著名になった人も大勢いる。
それだけに、同大統領が平均的な黒人青年の境遇をどこまで理解しているのかは分からない。黒人の失業率と所得は相変わらず白人の平均値よりも低いし、黒人青年の約半数は高校を中退しているという数字もある。
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「差別構造は過去何十年間も変化がありません」
人種問題をテーマにした著書があるマーサ・コールマン・エイディバーヨ氏は、現実問題として亀裂はまったく埋まっていないと指摘する。「黒人が白人社会に溶け込んでいるというのは幻想に過ぎないです。今は『ポスト・レイシャル(人種差別)』の時代ですが、差別構造は過去何十年間も変化がありません。白人の男女には黒人に敬意を払うDNAがまるで欠落しているかのようです」。
さらに驚くべきことは、15〜34歳までの黒人青年の死因のトップが射殺という現実だ。黒人同士の喧嘩や暴行などで殺害されることがほとんどで、これは黒人社会が荒れている証拠である。こうした背景が今回のミズーリ州の射殺事件にある。
白人警察官は事件後、路上で出会ったブラウンさんに脅威を感じたと述べた。ブラウンさんは近くのコンビニエンス・ストアで強盗を働き、それで追われていた。だが、武器を持たない市民に6発も撃って殺す必要はない。
ミズーリ州の大陪審(起訴するかを判断する機関)は今、同警察官を起訴するか審理している。黒人側は、大陪審が警察官を起訴することを切望しているが、無罪評決が出る可能性もある。その時は暴動に発展する可能性がある。
公権力が黒人を排除するかのような動き
こうした流れの中で顕著になったことがある。それは体制側の力の増大である。
どういうことかというと、地方自治体や連邦政府は今回のようなデモや反体制運動が目に見えて大きくなった時に必ず規制を強めるのだ。60年代の公民権運動やベトナム反戦運動などでもそうだったが、地元警察の力で抑えられない場合は州兵を動員する。しかしデモ隊や反政府運動そのものが、州政府や連邦政府を転覆させることはない。
新興国や途上国では軍部を味方につければ軍事クーデターという形で政権の奪取につながる。だが、シビリアンコントロールが機能している米国や日本では、デモや反政府運動が肥大化すればするほど、デモ参加者たちの影響力ではなく、それを押さえようとする権力側の力が増大するという皮肉をはらむ。
両者が衝突した時、押されてしまうのは通常、デモ隊の方である。日本でも反原発運動の抗議運動が国会議事堂前で大きな盛り上がりを見せたが、それも警視庁の掌に載せられたものでしかなかった。たとえ暴徒化したとしても、機動隊が出動し、最悪の場合は自衛隊が動いて制圧される。
米国では今、政府側の規制する力が強まっている。ミズーリ州では事件発生直後からデモ活動が活発化。同州内からだけでなく、他州からも大勢の人たちが参加した。警察隊に火炎瓶を投げるなどして、ファーガソン市では200人以上が逮捕されてもいる。
その時に地元政府は何をしたか。州兵を投入したのだ。装甲車を出動させ、催涙弾やゴム弾なども発射した。それは白人が主流を占める体制側が、「黒人を排斥する」かのような動きである。徹底的に封じ込めてしまおうとの意図が見え隠れする。
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米軍と警察は10年間で5000人の市民を殺害
実は1994年に発足したあるプロジェクトがある。それは国防総省が冷戦後に使用しなくなった兵器や軍事装備を、地方自治体の警察に使ってもらう取り組みだ。近年はアフガニスタンやイラク、ソマリアなどで使うことがなかった兵器を警察に流用している。その総額は昨年だけで4億5000万ドル(約468億円)にもなる。
警察は犯罪の取り締まりと容疑者の逮捕など、重要な社会的責任を担っている。だが、戦地で使用するはずだった武器を市民に使うことに違和感はないのだろうか。
グローバル・リサーチ・ニュースによると、過去10年で警察官に殺害された米市民は5000人に達したという。イラクでの戦死者が4489人なので、それよりも多い数字だ。これが世界の民主主義を代表する国家であるとは、どう考えても思えない。1年にすると500人の市民が警察官や州兵など、体制側の人間に殺害されているのだ。
オバマ大統領は人種の壁をなくして「一つの米国」を実現させようと意気込んでいた。けれども、皮肉にも黒人たちは、大統領を含む政府の力では人種差別を解決することはできないことを悟っている。
社会学者のアバヨミ・アジキウィ氏は、オバマ大統領が人種問題を解決できずにいることに対する黒人の姿勢を「悪意のない無視」と呼ぶ。オバマ大統領がいくら頑張っても差別はなくならないので口約束は無視するという意味だ。米国の人種問題は既に白人と黒人の両者に諦めムードが漂っており、行き先が見えない暗澹たる状況に陥っている。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140825/270349/?n_cid=nbpnbo_bv_ru
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