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古村治彦です。
今回は、2014年という年に焦点を当てた論稿をご紹介します。
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私たちの生きているこの世界を形作った3つの大きな出来事について(Three events that shaped our world)
過去100年から一つの教訓を得るとするならば、それは、「私たちは協力・協調するように運命づけられている」というものだ。
マーティン・ウォルフ(Martin Wolf)筆
2014年6月10日
フィナンシャル・タイムズ(Financial Times)紙
今年は第一次世界大戦が始まって100周年、ノルマンディー上陸作戦が実施されて70周年、ソヴィエト帝国の崩壊と第二次天安門事件25周年である。100年前、ヨーロッパの脆弱な秩序は崩壊した。70年前、民主諸国は全体主義が支配していたヨーロッパ大陸に攻撃を開始した。25年前、ヨーロッパの分断は解消され、自由となった。一方で、中国は市場経済を選びながら、一党支配国家となることを選択した。私たちはそれ以降、グローバル資本主義の時代を生きてきた。このような時代、政治と経済にかかる圧力は明らかに大きくなっている。
1913年、西ヨーロッパは世界の経済と政治の中心であった。当時、西ヨーロッパは世界の生産高の3分の1を占めていた(購買力平価を使って導き出してもこの数字である。購買力平価を使うと為替市場での実際の力よりも貧しい国々の力が高く算出される)。ヨーロッパの各帝国は世界の大部分を直接、間接に支配していた。ヨーロッパの大企業が世界の貿易と金融を支配していた。この頃、アメリカは既に世界最大の経済大国になっていたが、貿易と金融の面では辺境の従属的な地位に置かれていた。
ヨーロッパ列強間のライヴァル争いの結果、世界は分裂した。第一次世界大戦によって、ロシア革命が、後には共産主義革命が起きた。第一次世界大戦によって大西洋の両側のパワーバランスが変化した。世界最大の債権国となったアメリカの慈悲によって経済的な安定がもたらされることになった。第一次世界大戦によって古い帝国の力は弱まった。ヨーロッパが持っていた自信は破壊された。第一次世界大戦がもたらされなかったものは、世界大恐慌、ナチズム、そして第二次世界大戦がもたらした。Dディ(ノルマンディー上陸作戦が開始された日)に至るまで、世界経済は分解されていた。ヨーロッパはナチズムに屈し、忌まわしいホロコーストが実行されていた。悲劇と厄災はそこに最高潮に達した。
連合国によるノルマンディー上陸作戦が成功したことで、ヨーロッパにおける連合国の勝利を決定づけた。この勝利は全体主義勢力に対する勝利という訳ではなかった。自由で民主的な西欧はアメリカの庇護の下で出現した。戦後ヨーロッパの分断は悲劇であったが、避けられないものでもあった。アメリカはソ連と同盟関係にあったために、ソ連と直接戦うことができなかった。しかし、ヨーロッパへの関与を決断したアメリカは、北大西洋条約機構を発足させることで西欧諸国の自由を守り、マーシャル・プラン、ヨーロッパ経済協力機構、関税と貿易に関する一般協定(GATT)を通じて大西洋両岸のヨーロッパとアメリカの経済を統合させることで経済発展を促した。1951年には西欧の6カ国がヨーロッパ石炭鉄鋼共同体を設立した。これが現在28カ国で構成されるヨーロッパ連合につながった。
アメリカの勃興とヨーロッパの道徳と物質の崩壊がもたらした成果は、いくつかの大帝国の終焉であった。新たに独立を果たした国々のほぼ全てが、輸入代替化による内向きの工業化を選択した。これらの国々は旧宗主国に対する敵意を持っていて、旧宗主国に頼りたくないと考えていた。また大恐慌の傷跡もまだ深かった。そして、スターリン率いるソ連は内向きの工業化を成功させていた。中国は1949年に共産主義国家となった。中国は特に自給自足に熱心であった。同時期に独立したインドは民主国家となった。このインドも計画経済を採用し、過度の国有化を実行した。ラテンアメリカの発展途上諸国も同様の政策を実行した。
1989年は、1945年以降の分割された世界の終焉を明確にした年というだけではなく、冷戦によって分割されたヨーロッパの終わりとソヴィエト連邦の崩壊を導いた年でもあった。ケ小平は1978年の段階で中国を「改革開放」の道に進ませていた。ソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが進めた政治改革(当時の一連の民主改革の一つ)をケ小平は否定したことで、中国の発展の特徴が定まったのである。中国の発展の特徴は、下からの市場経済の発展とトップダウンの政治決定の統合である。中国の勃興は賞賛を集めているが、中国が発展途上国から中進国にまで成長した道筋と、先進諸国が辿って来た道筋とは異なるものである。
過去25年の世界の潮流を特徴づけるのがグローバライゼーションである。市場経済の世界規模での需要とディジタル革命によって、人類は1913年の段階よりも、より世界を統合した経済を生み出した。1913年の段階よりも少ないのは人口の移動だけである。更に言うと、今回のグローバライゼーションは帝国の下ではなく、国際機関の庇護の下で起きた。公の国際機関としては、国際通貨基金、世界貿易機関、ヨーロッパ連合が挙げられる。民間の国際機関としては多国籍企業が挙げられる。グローバライゼーションによって、極度の貧困状態で生きる人々の割合が急激に低下し、中国とインドが勃興してきた。この2国で世界の人口の40パーセントを占める。ヨーロッパでは、ポーランドをはじめとするいくつかの国々が構造改革を実行し、成功させている。
世界は一周して元に戻っているのである。それでもグローバライゼーションに伴って大きな変化がいくつも起きている。世界はいくつかの似たようなストレスに晒されている。歴史は繰り返すのではないが、歴史は韻を踏んでいるのである。
マッキンジー・グローバル研究の最新の研究によると、2009年の経済後退は、1930年代の大恐慌と同じく、グローバライゼーションを傷つけたということである。国際金融の崩壊によって、世界的に生産が落ち込み、物資とサービスの流れも滞った。貿易は金融よりもその影響が少ないように見えた。しかし、2005年から2012年までの世界の生産高に比べて、貿易の伸びは鈍かった。グローバライゼーションにおける停滞がどれほどの影響を与えるのかということは明らかになっていない。しかし、国際金融危機によって大きなダメージが発生し、国際市場経済に対する不信感が高まった。特に利益の分配に関する人々の関心が高まった。1930年代に比べて、国際金融危機によるダメージは大きくなっている。
より重要なものとなるのは、1914年以前と同じく、政治的なストレスということになるだろう。経済統合と政治的分裂との間の緊張関係は、統合されたグローバル経済にとってアキレス腱となる。現在、ロシアは自国が失地回復の努力をしていると主張している。また、中国は攻撃的な姿勢を取っている。核兵器の存在によって、直接的な軍事衝突の機会を減少させている。しかし、軍事衝突を消滅させることはない。核兵器の存在によって、それらが使用されることで、軍事衝突の結果がより悪いものとなることもあるだろう。
過去100年から一つの教訓を得るとするならば、それは、「私たちは協力・協調するように運命づけられている」というものだ。しかし、私たちは今でも国家や民族によって分裂している。協調と争いとの間の緊張関係は永続的なものとなっている。20世紀、私たち人類は協調と争い、両方の過度な形態を経験した。21世紀も私たちはどちらを選択するかで世界を形作っていくことだろう。
(終わり)
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