02. 2014年7月01日 09:50:08
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順調に行けば、再来年には、英国はEUから消えるhttp://jbpress.ismedia.jp/articles/print/41101 JBpress>海外>Financial Times [Financial Times] 歴史的な屈辱に終わったキャメロン首相の賭け EU首脳会議で次期欧州委員長にユンケル氏指名 2014年07月01日(Tue) Financial Times (2014年6月28/29日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 英首相、EU残留を問う国民投票を約束 17年末までに 手痛い打撃を被ったデビッド・キャメロン首相〔AFPBB News〕 彼女が告白してきたのは日付が変わってからのことだった。ブリュッセルに19世紀に建てられた英国大使公邸のロココ調の装飾が 施された一室で、欧州一の権力を持つ指導者アンゲラ・メルケル氏はデビッド・キャメロン氏と一緒に赤ワインを飲みながら、「申し 訳ない」と言ったのだ。 英国側の会合の記録によれば、これは全面的な謝罪ではなかった。しかし、両国の首脳が3週間ほど前に抱いた、自分たちは 大変な計算違いをしていたという認識は正しかったことがこれで確定した。 メルケル氏は、欧州議会の推すジャン・クロード・ユンケル氏が欧州連合(EU)のトップに就任することについて、キャメロン氏に対 し「心配しなくていい」とここ数カ月間何度も明言していたことを認めた。 しかし、ドイツ国内の圧力が非常に強く、ほかに選択肢がなかったと付け加えた。つまり、英国にどんなコストが及ぶことになろうと、 キャメロン氏が公の場で強く反対していたユンケル前ルクセンブルク首相が欧州委員長になるしかなかったのだ。 これはキャメロン氏個人にとって非常に大きな打撃となり、同氏の対欧州政策にとっては決定的な出来事となった。キャメロン首 相はこれまで、EUにますます懐疑的になっている国民に対し、自分なら28カ国が加わるEUとの関係について再交渉を行ってもっと 有利な条件を引き出せると公約してきた。 この恐ろしく困難な仕事を成し遂げる可能性の根拠は、「ベルリン最優先」のアプローチにあった。メルケル氏は英国がEUにとどま るよう手を貸してくれるだろうという考えに、キャメロン氏はほとんど取り憑かれていたのだ。ところが、いざという時になって、最大の盟 友が約束を守れないと伝えてきたわけだ。 欧州首脳会議での初の採決、26対2で完敗 キャメロン氏は同僚らに「がっかりした」「見捨てられた」とこぼした。その失望感は27日、歴史的な屈辱とともに頂点に達した。40 年近くに及ぶ欧州首脳会議の歴史において、採決で初めて正式に敗れた首脳となったのだ。 キャメロン氏は己の主義に基づいた主張を展開し、26カ国の首脳はユンケル氏と行動を共にする意思を表明した(キャメロン氏 の慰めとなる唯一の反対票を投じたのは、ハンガリーのヴィクトル・オルバン首相だった)。 「私は、ジャン・クロード・ユンケルが意中の候補だと言った」。メルケル氏は27日に記者団にこう語り、英国の首相と内々に約束 をしていたかについてはコメントを避けた。「ここで起きたことは、私の公の場での発言と矛盾していない」とも述べた。 もしキャメロン氏がメルケル氏の発言を読み違えていたのであれば、キャメロン氏の戦術も失敗の一因になった。メルケル氏は先日 、EU離脱をちらつかせる「脅し」をやめるようキャメロン氏をたしなめていた。また、キャメロン氏によるユンケル氏への個人攻撃には多 くの欧州市民が憤慨し、メディアによる執拗なキャンペーンはユンケル支持の世論を強めるだけに終わった。 英国の昔からの同盟国がEUに派遣している某大使は、沈痛な面持ちでこう言った。「キャメロン氏がやると決めたのであれば、彼 が破滅するのを止めることはできない」 数週間前から見えてきた戦略失敗の兆し 英国の政府高官にしてみれば、自分たちの戦略が失敗しそうなことは数週間前から明らかになりつつあった。悪い兆しもいくつか 見られていた。例えばキャメロン氏のスピンドクター(メディア対応担当アドバイザー)たちは今年6月、スウェーデンのフレドリック・ライ ンフェルト首相がハープスンドの別荘でミニ首脳会談を開いた際、首脳たちが湖でボートに乗って写真を撮る時にはライフジャケット (救命胴衣)の着用が必須だと知って戸惑った。 「(キャメロン)首相は泳げますから、と私たちは言ったんです」。英国のリーダーが浮袋をつけて漂流している印象を持たれてしまう ことを恐れたある高官はそういった。「でも、先方は引き下がってくれませんでした」 キャメロン氏はフランスのニコラ・サルコジ前大統領にもアドバイスを求めた。しかし、ユンケル氏が適任でないことは「誰もが分かって いる」ものの、英首相は「間違った戦い」に手を出しているというのがサルコジ氏の答えだった。 キャメロン氏は、ハープスンドのミニ首脳会談で妥協する姿勢も示した。欧州委員会のポストの代わりにユンケル氏の欧州理事 会議長(EU大統領)就任なら支持してもいいと持ちかけたのだ。だが、もう遅いというのが頑固なメルケル氏の答えだった。 1年前に英国がEUの長期予算凍結を求めて予想外の勝利を収めた背景には、メルケル氏の助力があった。しかし、この連合は 例外だったことが明らかになっている。 ドイツの外交について言うなら、キャメロン氏は不意打ちを食らうことの方に慣れている。1992年に当時の財務相のアドバイザー を務めていた時には、英ポンドが売られ、ドイツのブンデスバンクからの一押しもあって英国が欧州為替相場メカニズム(ERM)からの 離脱を余儀なくされるのを目の当たりにした。また2011年には、英国に対する譲歩を引き出すのにメルケル氏が力を貸してくれると の目論見が外れ、EUの財政協定に拒否権を行使せざるを得なくなった。 ユンケル氏が欧州委員長に指名された今、キャメロン氏のEU再交渉戦略はこれまでにないほどぐらついているように見える。シン クタンクの欧州改革センター(CER)のディレクター、チャールズ・グラント氏に言わせれば、「アンジー(メルケル氏)は重要事項をたくさ ん抱えている。デビッド・キャメロンを仲間にとどめておくための努力は、そのうちの1つにすぎない」 ハープスンドの会談から戻ったキャメロン氏は、ジョージ・オズボーン財務相とウィリアム・ヘイグ外相に声をかけ、この苦境から何かを つかみ取るにはどうしたらよいかを話し合った。そして、キャメロン氏は「最後まで戦う」ことを約束すべきだという結論に至った。 ブリュッセルの大使には、英国をEU離脱に向かわせかねない決定についてキャメロン氏をカネで動かすことはできないとの姿勢を明 確にするよう命じた。EU再交渉において首相ははったりなどかけないという、有効なシグナルになるとの目論見だった。 この3人は、ユンケル氏を巡る採決で英国が敗れることにはそれなりの「結果」が伴うことを示すのも大事だと考えた。そこでキャメロ ン氏は、2017年の実施を公約したEU残留の是非、すなわち「イン・アウト」を問う国民投票を前倒しする可能性に触れた。もう1 つの選択肢は、EU内部の「反改革」ムードが即座に変わらなければ、英国のEU離脱のキャンペーンを行うという脅しだった。 EUの「英国問題」の解決なるか ブリュッセルの外交官たちは、騒ぎが落ち着いたら「英国問題」の解決に向けた取り組みが真剣に議論されると予想している。ユ ンケル氏の採決が終わった後、キャメロン氏は脅しをやめ、英国がEUにとどまるように訴えていくことを約束した。メルケル氏はこれに 応じ、英国をEUにとどめておくことは「非常に重要」だと述べ、「これは私が取り組んでいくことだ」と語った。 それぞれに国内事情を抱えた両者が目標を達成できるかどうかは分からない。英国の前欧州委員、ピーター・マンデルソン氏は 次のように述べている。「英国は人々から好意を示してもらっているが、キャメロンはこの財産を使い切ってしまう危機に直面している 」 By Alex Barker and George Parker in Brussels
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