01. 2014年6月10日 12:28:10
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http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/40901JBpress>海外>Financial Times [Financial Times] 習近平とプーチンが見る西側世界 2014年06月10日(Tue) Financial Times (2014年6月6日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 上海で中露首脳会談、合同軍事演習も 天然ガス交渉は妥結せず 5月20日、中国・上海で開かれた中ロの合意文書署名式典に出席したロシアのウラジーミル・プーチン大統領と中国の習近平国家主席〔AFPBB News〕 中国の習近平国家主席とロシアのウラジーミル・プーチン大統領は先日、北京でガス供給契約に調印した。商談がまとまり、両者が落ち着いて近隣諸国や西側との様々な論争について意見を交わしたことは想像に難くない。2人のやり取りは上機嫌なものだっただろう。 会話がどのように進んだかを想像するのに、米国家安全保障局(NSA)の伝説的な盗聴者の1人である必要はない。2人の指導者は、確立された世界秩序と争っている。米国と欧州は、時に大騒ぎするが、反撃することは避けてきた。 中ロ関係では、中国政府が圧倒的な格上パートナーだ。習氏がロシア産ガスを買う必要性よりも、プーチン氏がロシア産ガスを売る必要性の方が大きかったため、ロシア政府は値下げせざるを得なかった。より一般的には、中国は近代化できないロシアの状況に何ら感心していない。 だが、習氏はプーチン氏の「面子」へのこだわりを理解している。そのため習氏は、先に話すよう勧めることでロシアの客人を喜ばせたはずだ。 「軟弱」な欧米 ロシアによるクリミア併合とウクライナの不安定化は、自分がかねて知っていたことを裏付けた、とプーチン氏は豪語した。米国と欧州は「軟弱」だということだ。米国政府は、紛争回避を目標にしていた。バラク・オバマ大統領は自身を、2つの戦争を終わらせ、3つ目の戦争を回避した米国大統領として歴史に記憶してもらいたいと思っている。 欧州に関しては、大陸の心理を理解するには、軍事支出の急減を見るだけで十分だった。ロシアのウクライナ侵攻は、欧州連合(EU)諸国の政府に、短期的な実業界の利益と冷戦後の秩序の維持の二者択一を迫った。シーメンスのジョー・ケーザー氏やBPのボブ・ダドリー氏のような実業界の著名人がロシアに忠誠を誓った時点で、勝負はついていた。クリミアの併合は、ほとんど既成事実として受け入れられた。 ロシアの諜報機関、ロシア連邦保安庁(FSB)のプーチン氏の旧友たちは、今重要なのは西側の2人の指導者だけだと同氏に話していた。オバマ大統領とドイツのアンゲラ・メルケル首相である。用心深い指導者が極端に用心深い指導者を先導しているわけだ。 残りの国に関しては、フランスのフランソワ・オランド大統領は、ロシアに2隻の強襲揚陸艦を売却しようとしている。偶然にも、1隻は既にセヴァストポリと命名されている。英国のデビッド・キャメロン首相は、時に大騒ぎするが、ロンドンのシティ(金融街)はロシアマネーで生計を立てている。 米国とEUがロシアに科した制裁は、苛立ちの原因にすぎない。そして時折仕掛ける巧妙なフェイントは、西側が決意を固めるのを避けるのに十分だった。直近では、ロシア政府は意図的に発言の調子を和らげた――ウクライナ東部の分離派ロシア系民族への軍事支援を強化するための隠れ蓑として、だ。 もちろん、中国はクリミアの併合には賛成していない。分離主義者の運動は、中国の領土的一体性を戦略的優先事項の最上位に据えている指導部の神経を逆なでしている。習氏は自身の懸念を表明しただろう。 中ロ指導者の野心 2人の指導者の野心は全く同じではない。プーチン氏は、弱い国でロシアを取り囲みたいと思っている。一方、中国は、近隣諸国が中国政府に敬意を表する用意がある限り、近隣国が強くても構わないと考えている。 プーチン氏は、時計の針を25年巻き戻し、ロシアを強国に復活させられる「ふり」をしている。それよりはるかに現実的な習氏の「チャイナドリーム」は、西側の覇権という150年間の屈辱を晴らすことを目指している。 アフガン駐留米軍、16年末までに完全撤退 オバマ大統領が発表 バラク・オバマ大統領は盛んにリーダーシップについて語るが・・・〔AFPBB News〕 だが、彼らは概して、西側の弱さについて共通の評価を下している。リーダーシップに関するオバマ氏の決まり文句は、米国が設計した現行秩序をひっくり返す中国の意図を把握できていない、と習氏は話しただろう。 盛んに喧伝されたオバマ大統領の「アジアへのピボット(旋回)」は、中国政府にとって状況を多少難しくしたし、米国は相当な軍事的優位性も持っている。だが、中国は、力はそれを行使する意欲の中にこそ存在することを理解している。 イラクとアフガニスタンから米軍を撤退させたオバマ氏は、アジアでの争いに引きずり込まれるのを避けるためなら何でもするだろう。中国政府の目からすると、オバマ大統領は時として、中国の意図よりも、同盟相手の頑固な安倍晋三首相の方を心配しているように映る。 ちょうどプーチン氏がウクライナで地上の現実を変更したように、習氏は、中国が西太平洋の海上で事実を変更できると計算した。米国の自信のなさを考えると、東シナ海、南シナ海での競合する領有権を巡る日本、ベトナム、フィリピンといった近隣諸国との衝突は、2つの目的に適っている。中国の決意と米国政府の弱さを同時に明らかにするのだ。 欧州に関して言えば、中国政府はいとも容易に分割統治できたため、ほとんど言及するにも値しなかった。 もちろん、このような会話が交わされたかどうか我々には分からないが、時には望遠鏡の反対側をのぞいた方がいい。 英国のウィリアム・ヘーグ外相は先日、チャタムハウス(王立国際問題研究所)主催のロンドン会議の開会式で、世界は単に難局を経験しているだけでなく、「体系的な無秩序」の時代に入ったと述べた。言い換えれば、西側の先進民主主義国はこれから試練を迎えるということだ。 安定した関係を築くために 米国と欧州は中国のような台頭する大国やロシアのような失地回復主義の国との対立を模索すべきだと言っているのではない。だが、安定した関係を築くためには、相手の考え方を理解することや、必要とあらば強い態度で臨むのを厭わない姿勢が必要だ。 少し前まで、西側の政策立案者は、中国とロシアはいずれ「我々」のようになりたいと決意すると思っていた。中国は、既存の国際秩序の責任あるステークホルダー(利害関係者)として成長し、ロシアは、躓きはあるものの、欧州との統合に自国の未来を見いだすだろう、と考えていた。 ところが習氏とプーチン氏は、別の決意を固めた。世界は今、グローバルガバナンスというポストモダンの夢から覚め、大国の競争という別の時代に目覚めつつある。 By Philip Stephens http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/40857 JBpress>海外>ロシア [ロシア] クリミア編入後、ロシアが目指す連邦制とはソ連時代からの連邦制、共和国、自治共和国の歴史的推移 2014年06月10日(Tue) 荒井 幸康 2014年3月18日、ロシア大統領プーチンは、クリミア共和国とセバストポリ市をロシア連邦に正式に編入することを決めた(2014年5月31日現在領有を巡ってはウクライナとロシアの間で係争中)。 編入された地域は、クリミア自治共和国と、クリミア半島の南端に位置するセバストポリ市である。手続きとして、まず、3月11日独立を宣言し、その後、住民投票を通じてウクライナ自治権の拡大か、あるいはロシア連邦への編入を望むかを問い、結果、90%以上の賛成をもって、17日に独立し、編入に至った。 ソ連時代の連邦制と民族自治 「ウクライナの損失」、若者たちが地図に描く ウクライナの首都キエフでロシアに併合されたクリミア半島を赤く塗った「ウクライナの損失の地図」を描く若者たち〔AFPBB News〕 17日の独立時にクリミア自治共和国は、「クリミア共和国」を名乗り、その名前を維持したまま、ロシア連邦へと編入されたことになっている。 これまで筆者は何度か、ロシア連邦を構成する諸共和国についてほとんど説明のないままに触れてきたのだが、そのたびに、国家の中に国家があるという特殊な状態を誤解されるのではないかと考えてきた。 ウクライナの大統領選挙も、ペトロ・ポロシェンコ氏の勝利に終わり、ウクライナ情勢はようやく落ち着いたかに見える。とはいえ、ウクライナ東部でも、クリミアを倣い、独立を宣言した「ドネツク人民共和国」が存在し、ウクライナ自体が連邦制を取るかどうか、取るとすればどのようなものにするかといった問題が存在する。 今回は、ロシアがイメージする連邦制とは、ということを考えるうえでの一応の参考という意味を含めて、ロシア連邦が大部分を継承し、ウクライナもその一部であったソビエト連邦の取った連邦制と民族自治の問題に関してご紹介したい。 1917年、ロシア革命が起こると地方においても、革命側、反革命側に分かれての争いが広がり、内戦状態となった。 このような中、人々を抑圧から解放するという政治的な目標を掲げた革命政権は、ロシア帝国に住む様々な民族の解放もテーゼに掲げて、支持を取り付けていった。 内戦の舞台になったモンゴル系の民族カルムイク人の居住地域では1919年、レーニンからの「味方になれば自治を認める」という呼びかけにより、多くが赤軍側に立ち、1920年11月にカルムイクの民族名のついた自治領域を与えられた。カルムイク自治州である(1935年にカルムイク自治共和国へ格上げ)。 1922年、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ザカフカス連邦(アゼルバイジャン・アルメニア・グルジアによって構成)といった共和国により構成される、ソビエト社会主義共和国連邦が成立した。 1924年の憲法(1936年、1977年の憲法も同様)では構成された諸構成共和国に、分離し独立する権利、いわゆる脱退権が与えられた。 他の民族が有力な位置を占める領域において、共和国のレベルから村のレベルまで様々な民族自治領域が創設されていった。 次第に強化されていった中央の権限 ウクライナが自治を認められたのは1919年である。ロシア人についで第2の人口を有する民族であった(1926年時のウクライナ人の人口約2300万人)。 民族による自治領域において、当初はその領域の大小にかかわらず、名称を冠した民族が土地の言語で運営されることが目指されていたが、ウクライナを除いて、その言語で運営ができるに足るだけの人員が用意できず、言語的には頓挫した。 しかし、その後もその地域の有力な民族による政府機関の人員は採用する動きは続き、自治政府の中心を占めていくことになる。 連邦制において、地方と中央の権限分与の形は、国や時代によって様々である。また、権限の分与を巡っての争いも時に起きる。ウクライナとロシアにおいても、どこまでを地方の権限と認めるかでの争いが激しくなり、1932年を境に、中央の権限が強化される方向に向かう。 また、同時に民族領域内で、民族の権利が認められることで、ロシア人たちの権利が制限されることに不満を持ち、主に都市にいる人々が、自治を求めるといった動きが起こった。今のウクライナ東部などで起こった事態である。 最終的には、都市レベルでの自治(つまりロシア人の民族自治)は制限され、自治管区、自治州、自治共和国、共和国などに整理され、少数民族の領域が確保されることになる。同時に民族語や民族文化を保持することも認められた。 これをもって、ソ連の連邦制は上記の諸民族地域と他の諸州、地方(край)で構成されたものとして一応の完成をみる。 なお、1944年の憲法の修正条項により共和国により権限が与えられることになり、ウクライナ、ベラルーシの両共和国は、ソビエト連邦とは別に国連に参加する権利を得ている。 バルト三国(1940年)、そして、あまり知られていないが、清朝から独立を果たしたトゥバ人民共和国(1944年)が併合される。バルト三国はそのまま共和国として連邦に参加、トゥバは自治共和国へ格下げされたうえでの参加となった(フィンランドに隣接するカレリア共和国も1956年に自治共和国へ格下げされている)。 余談だが、トゥバ人民共和国は1921年、モンゴルが独立した際に、モンゴルから分離されつくられている。その後、たびたびモンゴル政府からの編入要請があったにもかかわらず、最終的に第2次世界大戦の混乱に乗じて、ソ連に併合されたことは書き残しておかねばなるまい。 ペレストロイカで再び注目され始めた民族の権利 モルドバの沿ドニエストル、ロシアとEUに独立承認を要求 モルドバ・沿ドニエストル地域の主要都市ティラスポリに掲げられた共産党政権時代の看板〔AFPBB News〕 バルト三国も、トゥバ人民共和国も、クリミア同様、ロシアの見解では、正式な法的な手続きに則り編入されたことになっている。 ペレストロイカにより、民族の権利が再び見直されてくるようになると、様々な地域で民族主義的な傾向が強まり、場合によっては、近隣の民族との紛争にまで発展した。 さらに、この頃、民族自治の権限強化を謳い、それまで自治共和国のレベルにとどまっていた地域が主権宣言を行い、共和国を名乗り、連邦内にとどまりながらも独自の憲法を作成、採用するところも出てきた。 1991年12月、中心的な構成主体であるロシア連邦共和国をはじめ、ウクライナ、ベラルーシがソビエト連邦から離脱することで、ソ連が崩壊したのは、脱退権の設定が想定したものから考えると皮肉なことであった。 その他の連邦を構成した共和国も独立し、ソ連の崩壊とともに別の国家の住民となったが、崩壊前後から、ロシア系の人々は、ウクライナにおいてはクリミア、モルドバにおいては沿ドニエストルなどで独立運動を起こしている。クリミアは自治共和国として、ウクライナにとどまり、沿ドニエストルは、モルドバの統治が及ばない地域であり続けている。 なお、1991年のソ連崩壊後、新しくできたロシア憲法では、共和国や自治管区などの民族自治制度がそのまま引き継がれたが、国家の一体性が強調され、民族が独立する根拠はなくなった。このような教訓はウクライナにおいても引き継がれているであろう。 とまれ1990年代、中央政府が弱体化していた時期、これらの連邦構成主体には、ロシア連邦中央政府と権限分割条約を結んで地方の権利・権限を規定する動きもあった。連邦構成主体は89(現在は、クリミア、セバストポリを含めて85)あったが、そのうち46が中央政府と権限分割条約を結んでいた。 ウラジーミル・プーチン大統領の時代になると、これらの権限分割条約はすべて破棄され、諸連邦構成主体の持つ独自の法律よりも連邦法が優先権を持つことが確認される。 なお、社会主義国家では民族自治が強調されるが、ソ連の状況を教訓としたからか、中国、ベトナムなどを見ても連邦制は取られず、脱退権も設定されていない。 中国においては民族の名前を冠するが、共和国とはせず、自治区とし、その自治形態を民族区域自治と称している。近年は特に民族(例えば「ウイグル」や「モンゴル」)と言うより、地名である方(例えば「新疆」「内モンゴル」)を強調し、民族もさらに不可分な存在のエスニック(族群)集団と置き換えて解釈する方向に進もうとしている。 プーチン大統領に競うように媚を売る民族共和国 なお、中国の憲法上の規定では、民族語や文字、民族の習慣を発展させる「自由がある」とされており、ロシア連邦のように「保障する」とは書かれていない。 クリミアの自治政府が独立へ舵を切ったのは、ウクライナにおけるロシア語の法的な立場が、公用語であることを否定されたことがきっかけだったと言われる(実際は、公用語としての効力は失われていない)。 対照的ではあるが、すでに存在するロシアを構成する民族共和国の中には、そうすることでプーチン大統領の覚えがめでたくなり、中央への出世も見込まれると思ったからか、地方政府に学校教育を民族語で行わないことを決められてしまったところもある。 当然、外に対し民族の言語の権利を守るとしながら、自国の少数民族には全く違う政策を取る不平等さに不満を漏らす声も聞こえてくる。 ベトナムはソ連、中国の民族問題を参考にしては1950年代に自治区が2つ設定された。民族の多い地域ではあるが民族自治とは規定されていなかった。その制度も1975年、おそらくほぼベトナム戦争の帰趨が決したことところでの廃止となった。 民族の領域自治は、ソ連それを継承するロシア連邦、中国でも縮小傾向にある。 中国においては2000年以降になり、自治区内での、都市と地方の行政の統合が進んでいる。内モンゴル自治区では合併によって、地方を基本的に管轄していたモンゴル人から都市を管理していた漢人にすべての権限が移り、それとともに伝統的な行政区画名である「盟」や「旗」といったものは「市」などの一般的な名称に民族の記憶を消去する方向へと置き換わっている。 行政区画の名称に関しては、ソ連でも、1977年、ブリヤート自治共和国(現共和国)における行政区画名が「アイマック」から「区(район)」に変更されるといった同様のことが起こっている。 ロシア連邦では21世紀になってから、自治管区レベルの行政単位が、州や地方といった行政単位との合併が相次いで行われている。 2005年のコミ・ペルミャク自治管区とペルミ州が合併しペルミ地方が形成されたことから始まり、6つの自治管区が近隣の州や地方と合併している。経済の弱い地域をより大きな領域に編入すると言ってきたが、中にはチタ州とアガ・ブリヤート自治管区のように、自治管区の方が経済状態が良かったところでも合併が行われている。 共和国レベルでも、取り潰されるのではないかと戦々恐々としているところもある。 ここへ、クリミア共和国が新しく加わることになった。最終的な決着がついたわけではなく、これからも長引くことになるかもしれないが、ウクライナにおける連邦制の可否(プーチン大統領がウクライナに要求した国家連合的な連邦制は、明らかに国内の連邦制とはダブルスタンダード)、さらに前出の沿ドニエストルや南オセチアやアブハジアなどの未承認国家の帰趨などと相まって、ロシアの連邦制にどのような変化をもたらすのかに注目したい。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/40902 JBpress>海外>The Economist [The Economist]
対中関係:率直な意思表明が危機を露呈 2014年06月10日(Tue) The Economist (英エコノミスト誌 2014年6月7日号) 台頭する中国を世界に順応させることは、ますます難しくなっている。 外交というものは大抵、意図的な不明瞭さや、うわべだけの礼儀に包み込まれている。公の場での言い争いは、そうした重苦しい雰囲気からの救いとして歓迎されることがある。そのため、楽観論者は、6月1日にシンガポールで中国と日米両国の間に見苦しい言い争いが勃発した時、それを前向きな動きと受け止めた。 対立しながらも遠回しな言い方しかしない者同士が、少なくとも互いの懸念を率直に伝え、重苦しい空気を取り払った。抑制がすり切れ、これまで隠されてきたそれぞれの国の我慢の限界が露わになった。互いの誤解という暗闇からついに、「戦略的な明瞭さ」の形が姿を現すかに思えた。 しかし、その明瞭さは、決して純粋にありがたいものではない。そこに見えてきたのは、中国と西側諸国を分かつ大きな隔たりだった。中国が思い描く将来の自国の役割と、西側が中国に望む大国としてのあり方は、決定的に食い違っていた。 いざこざが起きたのは、アジア各国の防衛担当の高官が年に1度集まるアジア安全保障会議でのことだ。この集まりは、毎年シンガポールのシャングリラホテルで開催され、その名前からシャングリラ・ダイアログとも呼ばれる。 13年目となる今回の会合は、アジア地域の安全保障上の懸念を明るみに出す絶好のタイミングだった。この6カ月間というもの懸念が急激に高まり、中国が係争中の領土・領海について攻撃的な姿勢を強めていると考える近隣諸国が脅威を感じていたからだ。 南シナ海でベトナムに強硬姿勢、中国の狙いは 専門家が分析 多くのアジア諸国が中国の海洋進出を警戒している(写真は南シナ海でベトナムの船艇に放水する中国海警局船)〔AFPBB News〕 2013年11月、中国は東シナ海の防空識別圏(ADIZ)を一方的に宣言した。日本の施政下にある尖閣諸島(中国名:釣魚島)もその範囲に含まれる。 そして2014年1月、今度は南シナ海で漁業に関するADIZに相当するものを宣言し、外国の漁船が圏内に立ち入る場合、中国の許可を得るよう求めた。 さらに5月、ベトナムが自国の排他的経済水域(EEZ)と見なす海域に、大規模船団の護衛付きで巨大な石油掘削装置を運び込み、同じ南シナ海のフィリピンが領有権を主張する岩礁でも建設工事を開始した。尖閣諸島の周辺でも、ジェット戦闘機を日本の偵察機に危険なほど接近させている。 米国が指揮者、日本がソリストを務める協調した中国叩き 恐らく中国は最初から、今回の会合は、米国が指揮者、日本がソリストを務める協調した中国バッシングの機会になると危惧していたのだろう。日本の安倍晋三首相が会合の基調演説を行うと分かった時、漠然とした不安は確信に変わったはずだ。中国は安倍首相を、日本のかつての軍国主義を復活させることに熱心なトラブルメーカーとして敬遠している。 そのため、中国の代表団は他国と異なり、国防相が率いてはいなかった。しかし、警戒心を露わにした人民解放軍の幹部が何人か出席した。安倍首相の演説は、あからさまではないにせよ、基本的に中国とその最近の行動に関する内容で、中国側は当然ながら気分を害した。 日本は地域の安全保障のためにこれまで以上の役割を果たすと、安倍首相は約束した。そして、フィリピンとベトナムに巡視船を提供する用意があると申し出た。中国から見れば、中国に対する両国の抵抗を煽っているようなものだ。すべてが、中国に対する地域的な集団的自衛体制をほのめかしているように見えた。 次に、米国のチャック・ヘーゲル国防長官も演壇に立ち、安倍首相の考えを支持したうえで、中国による南シナ海の「不安定化と一方的な行動」を非難した。また、アジアへの戦略的な「ピボット(旋回)」「リバランス」の重要性を強調した。バラク・オバマ大統領が5月28日に行った外交政策演説が、アジアの一部の同盟国を失望させていたため、ヘーゲル長官は何とかしなければならないと感じていたのかもしれない。 オバマ大統領はリバランスに触れることなく、米国の安全保障上の最も大きな脅威は今なおテロだと述べた。そのため、米国の戦略は本当に「旋回」したのかと疑問が向けられていた。アジア諸国は既に、米国首脳が「ピボット」という言葉を、アジアにいる時しか使わない傾向にあると気付いている。 しかし同時に、中国は、オバマ大統領が、米国は「常に世界の舞台で先頭に立たなければならない」と語った言葉にも注意を向けたはずだ。姿を現してきた中国の戦略の明瞭さとは、中国は自国の裏庭にあたる海でいつまでも米国に「先頭に立たれる」ことに甘んじてはいないというものだ。 オバマ大統領はさらに、「同盟国の安全が脅かされた場合、必要とあらば一方的に武力を行使する」だろうとも述べた。米国は、尖閣諸島は日米安全保障条約の対象だと繰り返し、中国にそのことを意識させ続けている。そのため、中国が大統領の言葉を脅しと捉えてもおかしくない。 中国側の反撃はお粗末だったが・・・ アジア安保会議、中国軍幹部が安倍首相と米国防長官の発言を非難 シンガポールで開かれたアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアログ)で演説する、中国人民解放軍の王冠中副総参謀長〔AFPBB News〕 中国の代表として応戦する役割を託されたのは、人民解放軍総参謀部の王冠中中将だった。王中将は演壇に立つと、用意してきた原稿から離れ、勢いよく反撃に出た。 まず、ヘーゲル長官の演説に対し、「覇権に満ち、強迫と威嚇の言葉ばかり」と切り捨て、「建設的ではない」と断じた。そして、明らかに安倍首相を指して、「冷酷で、ファシズム的で、軍国主義的な攻撃性の復活」を中国は決して許さないと断言した。 中国を除くすべての代表団の一致した見方は、王中将が自国の立場を守るために非常にまずい手を打ったというものだ。王中将の主張は乱暴で、子供じみてさえいた。特定の疑問点は避けて論じ、ほとんど意味をなさない発言も多々あった。 しかし、中国は議論に負けたと他国が感じたとしても、恐らく中国は気にしていないはずだ。その場に大勢いた自国の報道陣が、自分たちの代表者は勝ち目のない戦いに雄々しく挑んだと伝えてくれるからだ。 家のルールがそうなら、新しい家を建てる 欧米の外交官はかつて、このような会合がいかに中国を「社交に適合させる」場になるか話してきた。しかし中国は、欧米主導のクラブに歓迎される――「順応させられる」と言う者もいる――ことへの関心を失いつつあるのかもしれない。 ロンドンのシンクタンク国際戦略研究所(IISS)が主催するシャングリラ・ダイアログについても、旧世界の秩序の縮図であり、もはや受け入れざるを得ないものではないと感じている可能性がある。 中国から見れば、この秩序は西側諸国、中でも米国によってすべてが決められているものだ。西側諸国は中国を受け入れる。ただし、中国が西側のルールに従うという条件付きでだ。他国は、中国が大国の仲間入りを果たさないよう願いつつ、一致団結して中国を批判できる。 一方、空調の効いた高級ホテルの宴会場での議論から遠く離れた周辺海域では、中国は領有権を主張している。今のところ、その海域では払いのけられないような抵抗に遭うことはない。 |