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[大機小機]歴史に学ぶ日中友好
中国の指導者の言葉に「歴史に学べ」というのがある。しかしながら、学ぶ歴史を間違えてはならないという点が気になる。最近の中国の周辺諸国との領土問題への対応に、我が国との尖閣諸島問題を含め、かつての日露戦争後の米国や日本と似ているところがあるように思うからである。
当時の米国はテキサスの油田開発で目覚ましい経済発展を遂げ、それに見合う国際的発言権を持つべきだとのナショナリズムが勃興していた。ジョージ・ケナンの『アメリカ外交50年』によれば、米国人の多くは「帝国の香り」を好み、「植民地大国に自らを列し、アメリカ国旗が遠い南方の島々に翻るのを見、(中略)世界の偉大な帝国勢力と認められるという晴れがましさに浸るといった衝動に駆り立てられていた」。そしてフィリピンを植民地としハワイを併合したのである。
少し遅れて同様のナショナリズムの下、満州事変に突き進んだ国が日本であった。その満州事変に異を唱えた安岡正篤という陽明学者がいた。満州事変擁護論に対して、「明文が正しくない、名教にはなはだ暗い論である。日本がそういうことを言うては大変なことだ(中略)要するに外国から言えば、それは日本の利益問題である」との論陣を張ったのである。しかし当時、安岡の論議は理解されなかった。結果はご承知の通りである。
中国の尖閣諸島領有の主張は、明代の記録(『順風相送』)が大きな根拠のようである。だが当時、中国の朝貢国だった琉球王国に至る航海記に名前が出てくることをもって、尖閣諸島を中国領とするのには無理がある。明文が正しくないとすれば、その結果については、それこそ歴史が示しているところである。
満州事変後の中国の反日運動の高まりは、日本を泥沼の日中戦争に引きずり込む大きな背景になった。尖閣問題が先鋭化して以来、かつて8割もあった中国に親しみを感じる日本人の割合は完全に逆転し、8割の人が親しみを感じなくなってしまっている。
2000年に及ぶ日中の歴史で戦争は、元寇(げんこう)と日清戦争と先の日中戦争の3回だけである。国交回復時には中国で山口百恵ブームが起こるほど関係は良好だった。歴史に学ぶにあたり、まずはそういった友好の歴史の原点に戻ることが大切であろう。
(唯識)
[日経新聞6月6日朝刊P.17]
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