02. 2014年5月27日 11:30:54
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東部に産業集積が存在し、ロシア依存が大きいウクライナの産業再生は大変な難題ポーランドと違い、EUに近づいたからと言って、そう簡単に改善するものではなく ロシアとの関係改善が必須だが 今となっては、そちらも、かなり厳しくなった 当分は、混乱が続くのだろう http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPKBN0E60A320140526?sp=true コラム:ウクライナ再生に「最後のチャンス」 2014年 05月 26日 15:14 5月23日、ウクライナ大統領選(25日)は、同国がロシアの影から脱し、自国経済から腐敗構造を取り除く最後のチャンスになるだろう。写真はウクライナの国旗。首都キエフで4月撮影(2014年 ロイター/Valentyn Ogirenko) コラム:ガス契約で急接近の中ロ、憂慮すべき5つの理由=カレツキー氏 コラム:FRBに垣間見える自棄的心境 コラム:「円高の夏」到来か、米株急落に要注意=斉藤洋二氏 コラム:ロシアとのガス契約締結、中国が受ける「恩恵と犠牲」
アンドリュー・ナゴルスキ [23日 ロイター] - ソ連が1991年に崩壊して以降、ウクライナは自国を安定した豊かな民主主義国家につくり変えようとする試みを繰り返し、そのたびに失敗してきた。25日の大統領選は、ウクライナがロシアの影から脱し、自国経済から腐敗構造を取り除く最後のチャンスになるだろう。 ロシアのプーチン大統領がいる東側に気を取られるのは十分理解できることだが、ウクライナの新政権は、自国の西側に位置する隣国を「成功の手本」として意識すべきだ。ポーランドは6月4日、東欧民主化革命の火ぶたが切られた議会選挙から25周年を迎える。この選挙後にポーランドは貧困から繁栄への道を歩み始め、独裁体制から民主主義に変わり、ワルシャワ条約機構から西側陣営に移り、北大西洋条約機構(NATO)加盟や欧州連合(EU)加盟と続いた。 そうしたすべてが今のウクライナにとって夢物語に見えるのなら、ワレサ氏率いる「連帯」が政権を握った1989年当時のポーランドを思い出してみるといい。経済的繁栄や西側との統合はまさに夢物語のように見えたはずだ。 ポーランドとウクライナは、旧ソ連崩壊時の立ち位置は非常に似ていた。1990年時点の一人当たり国内総生産(GDP)はポーランドが1693ドルで、ウクライナが1569ドルだった。「ポーランド経済」は当時、慢性的な物不足やハイパーインフレ、汚職や最悪な生活水準の代名詞だった。 それから10年足らずでポーランドは東欧地域の優等生となり、今では経済成長率で昔からのEU加盟国をしのぐほどになった。2012年にはポーランドの一人当たりGDPは1万2820ドルと、ウクライナ(同3867ドル)の3倍以上となった。 ポーランドは何がうまくいったのか。新政権が打った最も基本的な手段は、幅広い経済問題に最初から対処することだった。レシェク・バルツェロビッチ元財務相の指揮の下、新政権は補助金削減や消費財の価格自由化、外資の積極導入など「ショック療法」を施した。 ショック療法の導入後、当初は物価上昇や国有企業の破綻、失業率の上昇など副作用が表れ、1991年にはバルツェロビッチ氏ら改革派が政権から外れることにもなった。しかし、すぐに物不足が解消してハイパーインフレも終わり、民間企業の発展がもたらされた。そこから驚異的な経済成長が続き、改革派は政権に復帰。バルツェロビッチ氏は2001─07年にはポーランド国立銀行(中央銀行)総裁として、物価上昇率を10%から2%に下げた。 対照的に、ウクライナは明らかに旧ソ連の影響を引きずり、汚職にどっぷりと漬かった元共産党政治局員らが支配する指導部からスタートした。2004年のオレンジ革命で政権の座に就いたユシチェンコ元大統領とティモシェンコ元首相も、ポーランドのバルツェロビッチ氏が実施した手段のかけらさえも実行できなかった。その代わり、彼らは汚職の横行を許し、内輪もめを繰り返してきた。 バルツェロビッチ氏は今月21日、ケイトー研究所のミルトン・フリードマン自由賞を受け取るために訪れたニューヨークで、ウクライナに必要なのは「政治的命題に一枚岩のチーム」だと筆者に語った。 確かに、ウクライナはバルツェロビッチ氏たちにはなかった問題もある。つまり、国情の不安定化を狙うロシアからの絶え間ない関与だ。 しかし、プーチン大統領が間違っていると証明する最善の方法は、ウクライナが早急に自国を立て直すことだ。それには、四半世紀前にポーランドでバルツェロビッチ氏らが示したような勇気と決意が必要だ。 ウクライナには生まれ変わるチャンスを逃す余裕はもうない。恐らくは今回の大統領選が最後だろう。 *筆者は米誌ニューズウィークのワルシャワ支局とモスクワ支局の元支局長。 |