03. 2014年5月20日 20:27:51
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おまけhttp://www.canon-igs.org/column/network/20140320_2453.html 2014.03.20[海外情報・ネットワーク] コラム ウクライナ問題について シリーズコラム『小手川大助通信』 1.筆者は2009年に、ウクライナの経済危機、それに伴う欧州への天然ガス供給停止の可能性、IMFによるウクライナ支援に、IMFの理事会メンバーとして関与することになり、これを契機にウクライナ問題について勉強する機会を得た。今回は、現在進行中のウクライナの問題を、何回かに分けて掲載する予定である。概略は以下のものを予定している。 @ 現在進行中のウクライナの状況について事実の確認 A 直近のウクライナ問題の経緯に関する事実の確認 B 東西冷戦終了後のウクライナ問題の経緯 上記の3つの通信の中で、関係する歴史上の経緯についても触れる予定である。 2.第1回として、現在進行中のウクライナの状況についての事実の確認を行うこととしたい。 特に、我が国のマスコミが伝えてない重要事項や、伝えられていてもその内容の掘り下げが不十分と思われるものを取り上げてみたい。その前に、昨年以来のウクライナ問題の進展について重要な期日だけをまず押さえてみると以下の通り。 2004年 10月31日 大統領選挙 ユーシチェンコが15万票差で首位。 11月21日 決選投票 ヤヌコーヴィチが当選と発表。ユーシチェンコ側は選挙に不正があったとしてストライキなどの反対運動を開始。オレンジ革命と呼ばれる。 12月26日 再決選投票 ユーシチェンコ52%、ヤヌコーヴィチ44%。ヤヌコーヴィチ側は選挙に不正があったとして最高裁に提訴。野党による政府施設の封鎖が発生。 12月30日 提訴却下。 2005年 1月23日 ユーシチェンコが大統領に就任。 2010年 1月17日 大統領選挙の第1回投票 ヤヌコーヴィチが1位(35%)、ティモシェンコが2位(25%)。(ユーシチェンコは5%で5位) 2月7日 NATO監視団の見守る中、決選投票。ヤヌコーヴィチ勝利。ヤヌコーヴィチ49%、ティモシェンコ46%。 2月20日 ヤヌコーヴィチの当選確定。 2013年 11月21日 ヤヌコーヴィチ大統領がEUとの提携協定への署名を撤回することを表明。これに対する反対運動が開始(当初は平和的)。 11月30日 反対運動が暴力化。キエフ市長官邸が占拠される。 2014年 2月21日 ウクライナ政府と野党、EUの代表(独、仏、ポーランドの外相)が危機解決に関する協定に調印。 2月22日 デモの最中に警官とデモ隊29名が射殺される。その後群衆が国会を占拠。国会がヤヌコーヴィチ大統領の解任を決議。 3月2日 クリミア半島が親ロシア勢力の支配下に。 3.このような経緯を頭においていただいたうえで、まず事実として興味ある事項を二つ提示したい。 第1は盗聴されて3月5日にユーチューブにリークされたキャサリン・アシュトンEU外務大臣とウルマス・パエト エストニア外務大臣の電話でのやりとりである(これは2014年3月17日現在視聴可能である)。この会話はエストニアの外務大臣がキエフ訪問から帰還した2月26日に行われたものであるが、エストニア外務大臣は22日の射撃について、市民と警官を狙撃したのはヤヌコーヴィチ政権の関係者ではなく、反対運動の側が挑発行動として起こしたものであるということをアシュトン大臣に告げている。パエト大臣は全ての証拠がこれを証明しており、特にキエフの女性の医師は大臣に対し、狙撃に使われた弾丸が同じタイプのものであるということを写真で示したということである。大臣は新政権が、何が本当に起こったのかということについて調査をしようとしていないことは極めて問題であるとしている(エストニア外務省は、本件の漏洩された会話が正確なものであることを確認している)。 第2は盗聴され、2月6日(木)にユーチューブに掲載された(これは2014年3月17日現在視聴可能である)ヴィクトリア・ヌーランド米国国務省欧州及びユーラシア担当局長とジェフリー・ピアット駐ウクライナ米国大使の1月28日の電話連絡である。我が国マスコミでは、局長がEUの煮え切れない態度に憤慨して、「Fuck the EU」という表現を使ったことが報道された。しかしもっと重要なことは、二人の会話の内容である。この中で、局長は反対勢力の中のリーダーシップに触れて、元ボクシング世界ヘビー級チャンピオンのクリチコ氏やスボボダ(「自由」を意味する名前の極右政党)の党首チャフヌーボック氏は問題があるので、(ティモシェンコに近い)ヤチェヌーク氏にスポットが当たるようにした方がいい、クリチコ氏は政府部内に入らない方がいいといった意見を大使に対して述べている。 また、これはニュースで我が国でも報道されているので明らかとなっているが、11月のデモの開始以降、EU各国の政府関係者がキエフを訪れて、デモ隊の中に入り、彼らを激励しているし、上記のヌーランド局長はクッキーをデモ隊に配っている。 このように、ニュースではクリミア問題を始めとしてロシア政府の最近の動きが問題にされているが、少なくとも2月22日の政権交代までは、圧倒的に欧米諸国が色々な形で反対運動に関与してきたことが見て取れる。 4.それでは、なぜ、政権交代後時をおかずにロシア政府がクリミアへの軍の派遣に踏み切ったか、その理由を次に考察してみることとしたい。 この点では以下の点を考慮することが重要である。 (1) 2月21日から22日にかけて何が起こったのか。 2月21日の合意は、上記のようなメンバーで行われたのである(ロシア代表も出席)が、米国の代表は招かれていないことから、この合意が欧州とロシアの間で行われたことが見て取れる。合意の主要な内容は以下の通りであり外交的解決を図ったものであった。 @ 2015年に予定されていた大統領選挙を前倒しして2014年12月に行う。 A 2004年憲法に復帰し、大統領制から議院内閣制にシフトするべく、憲法改正を行う。 B 入獄していたティモシェンコ前首相の釈放。 C 暴力行為の禁止(警官側も、反対デモ側も)。 (2) この合意は12時間と持たなかった。翌朝、独立広場に集まっていた反対派に対して狙撃が始まり数多くの人が殺害された。デモ隊は銃器も含めた暴力を行使したが、警官隊は21日の合意を守って暴力行為を控えたために、議会が反対派に占拠され、上記合意を行った反対派の一人であったクリチコは同意から身を引き、ヤヌコーヴィチは逃亡した。このような議会の群衆による占拠は狙撃に端を発したものであり、そこで、狙撃を誰が行ったかが重要になるのであるが、この点についての情報を与えてくれているのが上記のエストニア外相とアシュトン外相との会話である。 (3) 混乱の中で議会はヤヌコーヴィチ大統領を罷免し、大統領代理を任命するとともに、数日後にはヌーランド局長が電話の中で一番押していたヤチェヌーク氏が選ばれた。これは、国会を大統領制の上に位置付けるものであり、大統領制を規定したウクライナの憲法に反するものである。本来ならば、憲法に規定されている詳細な手続きをとって国の根幹に関する制度の変更が行われるべきものであったが、今回はそのような手続きを経ずに行われた。憲法には大統領弾劾の手続きが決められていたが、今回の罷免の手続きはこれに反したものであった。このほかにも暴力活動や政府の建物の破壊を行ったデモ隊メンバーへの恩赦や、内務省、安全保障省、検察庁の監督者を任命するなどの越権行為を行っている。 (4) 以上にもましてロシア当局を震撼させたのは、新政府の大臣ポストにいわゆる「ネオナチ」として知られていた「スボボダ」などの極右の党の幹部が次々に任命されたことである。副首相、農業大臣、環境大臣、教育大臣、スポーツ大臣、国家安全保障及び国防会議議長がそれである。更に2月23日に新政府の代表者たちは「ウクライナ民族社会」の設立を発表した。その内容は、ロシア語を使用する者は全て、ウクライナ民族社会の正当な権利を有するメンバーという地位を剥奪され、市民権及び政治上の権利が差別されるべきであるとするものである。 (5) 極右政党の歴史などについては別の章で詳しく述べるが、今回政権の一角についた政党のスローガンのうち、特に目を引くものとして以下のものがある。 「ウクライナは至高の存在」、「ウクライナ人のためのウクライナ」、「ウクライナに栄光あれ、敵には死を」、「モスクワの連中を刺し殺せ、ロシア人を削減せよ、共産主義者を絞首刑に」 (6) 最後に、3月3日にチュルキンロシア国連大使によって明らかにされた、ヤヌコーヴィチ大統領からプーチン大統領あての3月1日付けの手紙を紹介したい。その内容は以下の通りである。 「欧米諸国の影響の下、テロと暴力が(ウクライナにおいて)横行している。人々は、言語や政治的信条のために処刑されている。この観点から、合法性、平和、法と秩序、安定そしてウクライナの人々を守るために、ロシア連邦の軍を使うことをプーチン大統領に要請する」 もちろん、解任されたヤヌコーヴィチ氏の手紙に意義があるかについては議論のあるところであろうが、ロシア側は、そもそもの大統領の解任が憲法に定める手続きに則らない違法なものと認識しているものと思われ、ヤヌコーヴィチ氏の要請は意義あるものと考えているのであろう。 (7) なお、米国国内の世論も伝えられている報道とは異なり、分裂している。最近のものとしては、Pew Research Centerの世論調査がワシントンポストに紹介されているが、それによると、 @ 米国がウクライナ問題についてロシアに対し強い態度をとることに賛成 29% A 米国がウクライナ問題に巻き込まれないことに賛成 56% と、大多数の人がウクライナ問題に対する政府の関与については消極的であり、これは、昨年オバマ政権がシリア問題について軍事力の使用と議会の承認を探っていたのに対し、世論は圧倒的に軍事介入に反対だった状況に似ている。 次回からは、今回の問題に至る背景や歴史について述べることとしたい。 ウクライナ問題について その2 海外情報・ネットワーク 1.前回に引き続きウクライナ問題を取り上げるが、今回はソ連邦が崩壊した1991年以来、ウクライナの経済がどのようなことになってきたのかを検討してみることとしたい。 2.ウクライナは1992年6月3日に独立し、IMFに加盟し、IMFのコンディショナリティーの下に、IMFから資金の借入を行った。IMFの主要な要求は、規制緩和、民営化、そしてマクロ経済の安定であった。 3.規制緩和という観点から行われたのは、変動為替制度への移行であり、為替の価値が大幅に下落した。民営化の掛け声の下に、国営企業が入札にかけられて低価格で民間企業に売却された。そして、低い労賃を売りにする経済モデルの下、社会福祉の水準の引き下げ、住宅や公共料金に対する補助金の廃止がおこなわれた。2008年にウクライナはWTOに加盟したが、加盟の結果はIMF加盟の際とあまり変わらないものとなった。 4.結果として、この約20年の間に、ウクライナ経済に何が起こったかをまとめてみると、以下のような悲惨な状況となっている。 人口 ▲12% (5,200万から4,600万へ) 国内居住人口 ▲ 25% (5,200万から3,900万へ) GDP ▲32% GDPの世界シェア 2% → 0.2% 一人当たりGDP 世界平均+11% → 世界平均▲40% 電力生産 ▲35% トラクター ▲95% 金属工作機械 ▲99% 国立科学アカデミーの従業員数 ▲50% 科学者総数 ▲70% 産業関連研究所総数 ▲90% 雇用者総数 ▲1,200万 対外借入れ +245億ドル(GDP比率80%) 平均寿命 71歳 → 68.8歳(男性は62歳) 年金受給年齢 55歳 → 60歳 5.このような状況の下、2010年に選ばれたヤヌコーヴィチ大統領に提案されたのがEUとの提携協定であった。しかしながら、この協定は以下の通り、経済的には悲惨なものとなることが予想されてた。 (1)第1に注意しておくべきことは、ウクライナはEUの正式なメンバーになることを一度も提案されていないということである。将来を考えてもそのような提案がされることは考えにくい。 (2)第2に、提携協定の署名に伴い、ウクライナの製品の72%について、即座に輸入関税が廃止されるということである。この結果、競争力の乏しいウクライナの産業は、最後に残った東ウクライナの国営企業を含め、壊滅的な打撃を受けることが確実である。ウクライナ科学アカデミーはEUの基準に合致するために、ウクライナは1600億ユーロのコストをかける必要があると試算しているが、この額はウクライナの年間予算の4年分に相当する数字である。 (3)第3に、ウクライナの貿易の60%以上はロシアなどの旧ソ連邦諸国であり、特にロシアはウクライナの輸出の26%、輸入の32%(相当部分が天然ガスの輸入)を占める。ウクライナが提携協定に署名すれば、ロシアはウクライナ経由でEUの製品が自国に流れ込んでくることを防ぐため、ウクライナからの輸入に対し関税をかけることが予想され、結果的にウクライナの工業製品は主要な輸出先を失う一方、競争力がないためにEUには輸出できないという事態が予想された。 6.昨年秋にプーチン大統領がヤヌコーヴィチ大統領に会った際に、ウクライナがEUとの提携協定を諦めれば、ロシアは年間150億ドルの資金援助と天然ガスの2割引きという恩恵を与えると約束した。これを聞いたヤヌコーヴィチはEUに対し、EUが毎年150億ドルの資金援助を毎年続けてくれれば提携協定に署名するが、そうでなければ提携協定を諦めて、ロシアとの関税同盟を継続すると提案した。経済状況がひっ迫しているEUは資金援助を行えなかった。その結果、ヤヌコーヴィチは提携協定署名の見送りを11月に発表したわけである。 7.新政権の誕生により、ロシアがウクライナに約束した150億ドルについては、1回目の支払いである30億ドルが行われただけで停止した。また天然ガスの2割引きも反故となり、逆に2割増しの価格をロシアはウクライナ新政権に提示している。これに対し、EUが新政権に提示した援助額は5億ドルに過ぎない。また米国は10億ドルの支援を下院が決定したが、これは政府保証だけで現金ではない。IMFが150億ドルの支援を準備しているが、当然これには、給与や年金削減といった厳しい条件が付いてくるものと思われる。このような厳しい状況でウクライナ経済が持つかどうか、また新政権が一般の支持を継続できるかどうか、極めて疑問である。 8.以前、外務省の友人でソ連邦の専門家だった人物から、「ロシアとウクライナの関係は、外部の人間にはわからない。」と言われていた。すなわち、ロシアとウクライナの間の事象はロシアという「国」とウクライナという「国」の間の問題として考察しても理解できず、「ロシアの中のあるグループ」と「そのグループと結んでいるウクライナのグループ」という視点で見ないと理解できないのである。筆者が経験した2009年末から2010年にかけての経済危機がこの事情を如実に説明しているので、ここに述べてみたい。 (1)ウクライナはIMFから類似の資金援助を受けていたが、ユーシチェンコ政権が末期を迎え、ティモシェンコ首相とユーシチェンコ大統領が政権内部で対立していたことから、IMFとの政策協議が進まず、このままではIMFからの援助が打ち切られてウクライナの財政が破綻する可能性が高くなった。この背景としては、2004年にユーシチェンコが選挙で勝利し、「オレンジ革命」と欧米のマスコミで称えられたのであるが、親欧米政権の誕生に伴い期待された欧米からの経済援助は全く実現せず、ロシアとの関係の冷却に伴うロシア向けの輸出の激減や天然ガス価格の引上げなどにより、ウクライナ経済が困窮を極めたという事情がある。 (2)ウクライナ財政の破綻は欧州を揺るがせる問題となった。というのも、欧州は冬場のエネルギーの相当部分をロシアからの輸入に頼っていたのであるが、欧州向けのロシアの天然ガスはウクライナ国内のパイプラインを使って輸送されており、ウクライナが財政破綻の結果、ロシアへの天然ガス代金の支払いができない場合、ロシアからウクライナへのガス供給が停止され、困ったウクライナは欧州向けのガスを途中で抜き取る可能性があったからである。そこでIMF理事会でウクライナへの支援が議論されることになり、筆者としても、問題の内容を調査することになった。その結果驚くべきことが分かってきた。 (3)実はウクライナ国内では、西ウクライナに大半の天然ガス貯蔵施設がある一方、ウクライナ国内の天然ガスの消費は、工業地帯が集中する東ウクライナが主体となっていた。ロシアからは、天然ガス需要のない夏場に空いているパイプラインを使って西ウクライナの貯蔵施設に天然ガスが送られ、半年貯蔵した後に消費のピークである冬場に欧州にガス供給をしてウクライナのガス会社にガス代金が入ってくるため、夏から冬までの半年間は、ウクライナの政府関係金融機関が資金を融通していた。ところが、当該政府関係金融機関の社長がユーシチェンコの支援者だったことに気付いたティモシェンコ総理が、政府関係金融機関を廃止してしまったのである。ウクライナのガス会社はそもそも債務超過状態だったため、ロシア側(ガスフロム)に支払いをすることができず、支払い遅延が生じてしまった。困ったロシア政府はEUに対し資金をウクライナに融通することを求めたがEUはこれに応じず、ウクライナが支払いをできないと、ロシア側はウクライナへのガス供給を停止せざるを得ない状況になった。その場合懸念されたのは、西ウクライナの貯蔵庫に貯蔵されている欧州向けの天然ガスをウクライナが抜き取って自らの消費のために使い、欧州向けのガス供給が停止するのではないかということである。IMF理事会での激しいやりとりの後、何とかウクライナに対してつなぎ資金の供給が認められ、2010年の選挙でヤヌコーヴィチが選ばれて政権の安定を見て、天然ガスの問題は落ち着いたのである。 (4)この事件に実はウクライナの抱える問題の特徴が如実に表れていた。ティモシェンコ総理の行動に典型的にみられるとおり、ウクライナでは、「国益」ではなく、「私益」が政治において優先されている。そのため、ウクライナで何が起こっているかを観察する際には、国単位で研究しても意味がなく、最後は力を持っている個々人の利益や意向を忖度しないと分からない。 ウクライナ問題について その3 シリーズコラム『小手川大助通信』
1.ウクライナの議会の状況 (1)前にも書いたとおり、大統領選挙については2010年の選挙で、ヤヌコーヴィチが勝ったのであるが、2012年の議会選挙の結果、議会は親ロ派の東部、南部を地盤とする地域党と社会主義政党であるウクライナ共産党を与党とし、親欧米派であり西部と中部を基盤とする全ウクライナ連合「祖国」、ウダール、そして西部のガリツィア地方を基盤とする民族主義者の「自由」党、更に少数の「右派セクター」を野党としていた。 (注)筆者は2013年春にドイツで行われた国際会議に出席した際に、前年に行われたウクライナの選挙の結果、ネオナチが台頭したことが問題にされていたため、その後も事態を注視していたところである。 (2)この与野党の争いが激しくなったのが、2013年のヤヌコーヴィチ大統領による、EUとの提携協定調印の撤回後であり、野党側は「独立広場」に拠点を置くデモンストレーション活動に入った。当初デモは平和裏に行われていたが、11月30日以降暴力化し、その過程で、議会内の議席数とは関係なく、野党内でも少数派であった「自由」党とそれよりもさらに暴力的な「右派セクター」が反政府活動の中で大きな地位を占めるようになった。 (3)実際にユーチューブに掲載されている12月以降の反政府デモ隊の姿を見ると、マスクをかぶり、手にはチェーンをぶら下げ、そして2月の政権交代の直前には銃を携帯するなど、とても我々が日本でイメージするような「平和的なデモ隊」というものではなく、筆者が70年代に経験した全共闘の武装集団あるいはそれ以上というイメージの方が圧倒的に近いものである。 (4)そして、新政権の中で、これらの極右の政党のメンバーが要職についている。その一部は第1報に掲載したが、以下の通りである。 オレクサンドル・シチュ 副首相(Svoboda)。 アンドリ・パルビー 国家安全国防委員会事務局長(国家社会主義党の創始者でSvoboda党員)。国家安全保障担当。 ドミトロ・ヤロシュ 国家安全保障次官。右派セクターで、反対派のデモ隊の安全保障隊長。 ドミトロ・ブラトフ 青年スポーツ大臣。 テツヤナ・チェルノヴォ 反腐敗委員会議長。ジャーナリスト。 アンドリ・モフヌーク環境大臣。Svobodaの副党首。 ヨール・シュヴァイカ 農業大臣。Svoboda党員。 オレフ・マフニツキ 暫定検事総長。Svoboda党員。 2.「ネオナチ」の系譜 「ネオナチ」と呼ばれている党にはどのような歴史があるのだろうか。 (1)最大の党は「スボボダ」(ウクライナ語で「自由」の意味)であり、この党の旧名はナチスと同じ国家社会主義党であった。2012年の選挙でこの党は10%の得票を得て、450議席中36議席を獲得し、ウクライナ議会で4番目の党なった。 (2)このほかに、2013年に設立された「右派セクター」と呼ばれている政党がある。これは、極右の小さな政党の連合体となっているが、上記のスボボダよりもさらに暴力的である。 (3)これらの極右政党は、議会内の議席でいけば、昨年11月以来反対運動を起こした反対派の約3分の1の勢力に過ぎない。それなのに、新政権の中でこれだけの主要ポストを獲得したのは、今回の新政権成立に至るまでの活動の中で、日増しに極右勢力の力が高まってきたことを意味している。 (注)ウクライナの国会議員オレフ・ツァリョフによれば、2014年1月には、シリアの反政府勢力のメンバーとして戦っていた350名のウクライナ人が帰国し、ネオナチの一員として暴力的なデモ活動に参加するようになった。 (4)「スボボダ」は旧名が国家社会主義党であり、ステパン・バンデラを指導者とした第2次大戦中の組織である「ウクライナ国民機構(OUN-B)」が使っていた赤と黒の旗を掲げて行進している。スボボダ党のスローガンである「ウクライナ人のためのウクライナ」はナチスがソ連に侵入した後にヒトラーに協力したステパン・バンデラのOUN-Bのスローガンであった。これらの人々は旧オーストリアハンガリー帝国の支配下にあったガリツィアの出身であり、ソ連邦成立時に独立を試みたが成功しなかった人たちが中核となっていた。 (5)ウクライナ国民機構(OUN-B)は1929年に設立され、4年後にはバンデラが党首になった。1934年にバンデラや他の機構の指導者達はポーランド内務大臣の暗殺の嫌疑で逮捕された。彼は1938年に釈放され、直ちに独占領軍から資金援助を受けて800人もの戦闘員の訓練所を設立している。1943年にはベルリンにいた彼の指導の下で、民族浄化、大量殺戮のキャンペーンを行い、7万人のポーランド人とユダヤ人を殺害した。現場責任者はOUN-Bの秘密警察組織のトップであったミコラ・レべドである。1941年のOUN-Bの大会で「戦時の闘争活動」を採択し、その中で「モスクワっ子(ロシア人を指す)、ポーランド人、ユダヤ人は我々に敵対的であり、闘争の中で抹殺されるべきである」と言っている。 (6)MI6の歴史について書かれたステファン・ドリルの著作によれば、大戦後1948年4月にステパン・バンデラは英国の諜報機関であるMI6に採用された。その後彼はソ連邦内における破壊活動に携わり、1959年にKGBにより西ドイツで暗殺されている。 (7)一方レベドは大戦後CIAに雇われ、ニューヨークに移住してソ連邦内の破壊活動に携わったのちに、1990年にニューヨークで死去している。彼の大戦中の虐殺への関与については米国内でも何度か問題にされそうになったが、CIAの庇護のもとに訴追されることはなく、人生を全うしている。 (8)なお、2010年1月にユーシチェンコは彼の大統領の任期の最後の一連の決定の一部として、ステパン・バンデラを「ウクライナの英雄」に指名した。ユーシチェンコの後妻であるカテリーナ・チュマシェンコはシカゴで生まれたが、OUN-Bの青年メンバーであり、1980年代にはOUN-Bのワシントンオフィスの長を務めている。2011年にヤヌコーヴィチはステパン・バンデラの「ウクライナの英雄」の称号を剥奪した。 3.「ネオナチ」政権の意味するところ 上記の点から、今後のウクライナの未来を鳥瞰してみると以下の点が浮き上がってくる。 (1)現在の政権は少数政権であること 2012年の選挙結果で見る限り、現政権の中心となっている「ネオナチ」政党の支持率は10%そこそこであり、今現在で選挙を行えば支持率は5%を割り込むかもしれない。 (2)東ウクライナなどの親ロ勢力に対する攻撃にあたっているのは「ネオナチ」のメンバーであること。 (3)この点が明確に表れたのが、5月2日のオデッサの労働会館における虐殺である。アメリカで放映された現場の映像では、当日オデッサで行われたサッカーの試合のフーリガンを装った政権派が親ログループを労働会館におしこめた後会館に放火し、逃れてくる親ロ派(何人かは上の階から飛び降りた)を銃で撃ち殺す場面が映されている。さすがにこの事態に対しては、暫定政権も2日間の喪に服するという決定を行っているが、5月2日に各地で起こった衝突については、ドイツのメルケル首相がワシントンを訪問する前日に衝突を起こして、経済制裁について米国政府の主張を欧州に飲ませようとしたというのが通説になっている。 (4)プーチンのクリミア併合の決定は新政権の主体がネオナチであることに主因があったこと。 ネオナチの民族主義的な主張や行動、特に民族浄化を意図する彼らのスローガンがプーチンの大きな懸念となり、ソチオリンピックからモスクワへ帰還した彼は、短時間でクリミア併合を決定した。これは想像であるが、新政権のメンバーがネオナチではなく、通常の政治メンバーであったなら、彼の決定は別のものになった可能性が高いものと思われる。 2014.05.15[海外情報・ネットワーク] コラム ウクライナ問題について その4 1.5月8日のニュース 8日朝のニュースによれば、プーチン大統領は7日、欧州安保協力機構(OSCE)議長国スイスのプルカルテール大統領とウクライナ情勢について意見交換を行い、その後の会見で「最も重要なことは、ウクライナの現政権と東部南部の住民の率直な対話を始め、彼らの法的権利を保障することだ」と強調し、対話の条件を整えるために、「11日の住民投票を延期するよう要請する」と親ロシア派に求めた。 これを受けて今朝のBBCのニュースでは「プーチンが経済制裁の脅しにひるんだ」との見方を示していたが、これは全くの誤りである。 2.対ロシア制裁が効かない理由については、5月4日のアナトール・カレツキー氏のロイターでの論文が極めて明快に述べているが、4月27日から5月4日まで訪ロした筆者もカレツキー氏の考え方に全く賛成である。 (1)西側のメディアは、我が国を含め、ルーブル安に伴う物価上昇やロシアからの資本の流出を強調して、あたかも経済制裁がロシアにだけ影響を与えるような報道ぶりである。確かにロシア経済に一定の影響があることを筆者も否定しないが、仮にロシアが反撃として欧米に対する経済制裁に乗り出した場合には以下のような影響が考えられる。 (2)カレツキー氏も指摘している通り、ロシアは他の中所得国と比べ国際競争から国内産業を保護しておらず、その市場は極めて開放的なものとなっている。これはロシアの主要都市を訪問すれば一目瞭然である。ホテル業界を見ても、モスクワの主要ホテルは、リッツ・カールトン、ケンピンスキー、シェラトン、ハイアット、ロッテと西側のホテルチェーンが目白押しである(ちなみにハイアットはオバマ政権の商務長官が社長を務める系列である)。VISAはロシア国内で毎年10億ドルの利益を出している。ブリティッシュ・ペトロリアムはロシア国内で2つの大きなジョイントベンチャーを維持し、ロシアの石油産業の重要な一角を形成している。このほか、米国、ドイツの企業を中心に西側の企業による対ロシア直接投資は莫大な額に上っており、ロシアが経済封鎖をした場合の西側企業に対する影響は極めて大きなものとなろう。逆にロシア企業の欧米に対する投資ということになると、企業ベースでは主要なものは見つけられない。 (3)個人ベースではロシアの富豪は海外に投資を行っており、有名なものとしてはプレミアリーグの所有者となったロシアのオリガルヒなどがあげられる。また、ロンドンの金融機関及び不動産業界はロシア富豪の投資で成り立っている面が大きい。仮に経済制裁がこれらの富豪に対して発動された場合、少数の英国籍を取得している人々を除いて、カレツキー氏の主張の通り、彼らは資産をロシアへ戻さざるを得なくなり、ロンドンの金融機関や不動産業界は相当な影響を被る一方、ロシア経済にはプラスの効果となり、プーチン氏に有利に働くこととなる。 3.更に、ロシアは、イランや中東の産油国と異なり、石油や天然ガスの輸出だけで食っているのではないことに注意する必要がある。勿論石油に対する超過課税がロシア政府の主要な歳入であるという面から石油輸出が重要であることに変わりはないが、このほかにもニッケルやチタンといった鉱物を大量に輸出している。チタンの主要輸出先はボーイング社であり、ボーイング社はロシアに1991年に事業を立ち上げてから70億ドルの投資を行ってきており、チタンを180億ドル購入する計画になっており、仮にこれらの輸入が停止する場合には、同社の航空機製造にも大きな影響が及ぶ。 4.一部で問題にされているルーブル安についても、今年に入ってから10%程度下がってはいるものの、最低であった2012年1月や9月と比べると相当高い水準にある。筆者もロシア訪問を前にして噂を信じてルーブル安による個人的な利益を当てにした面があったが、モスクワを訪問して、残念ながらそのようなことは全く感じられなかった。 それよりも、今回の訪ロで驚かされたのは、ロシア国内の愛国精神の明らかな台頭である。アメリカに行くと、玄関先に時折星条旗を掲げている家が垣間見られて、そのようなことがない日本から来た私のようなものは驚かされたのであるが、ロシアも基本的に我が国と同じで、ロシア国旗を玄関先に掲げている家は全く見られなかった。 ところが今回の訪問では、私の旧知のバレエダンサーたちの家も含めてほとんどの家にロシア国旗が掲げられていて、驚かされたものである。そして一般人である友人達と話しても、彼らは米ロの間で全面戦争が始まるのではないかということを真剣に恐れており、私に真剣な面持ちで、現在の状況を聞いてきたものである。この背景としては以下のことが考えられる。 (1)ロシアは第2次大戦で国土の主要部分をドイツ軍に蹂躙され、世界最大の犠牲者を出した国である。自国を戦場として多大の人的被害を被った国として、ロシア人の間の反戦意識は極めて高い。現在の世代も、戦争の悲惨さは父母や祖父母から詳しく聞いている。ちなみに旧ソ連時代でも、反米プロパガンダの面はあるにせよ、広島と長崎への原爆投下の人道上の問題性を小学校の教科書で強く指摘していたのはロシアであり、これが同国での親日の根底になっている。 (2)ウクライナとロシアの国境からモスクワまでは約400キロメートルで、我が国でいえば東京から米原程度である。ウクライナにはロシア人の親戚や友人が多数住んでおり、彼らから日常的に現在起こっていることの報告が入っている。この点は、仮定であるが、例えば、ワシントンから400キロメートルしかないところに、アメリカとメキシコの国境があり、メキシコに親ロの政権ができて、反ロのNATOのような軍事基地が設立できる状況になれば米国はどう反応するかということを考えてみればわかりやすいと思われる。今回の訪ロの際に、私は旧友である指揮者のゲルギエフにお願いして、ロシア政府の要人夫婦をイースターコンサートに招待したが、コンサートの休憩中にオデッサの悲惨な殺戮のニュースが入り、夫人は涙を流して状況を心配していた。 (3)ロシア人は共産主義時代に長い孤立の時代を過ごしている。そのような孤立感を味わった国の習いで、自らの生存に危害が及ばない限り、その他の問題についてはできる限り我慢はするものの、生存が脅かされるような状況になれば、断固として戦うというところが観察できる。 5.それでは、そのような状況に関わらず、なぜプーチンは上記のような要請を行ったのであろうか。 (1)私の推測では、プーチンは米国を相手にせずに欧州を相手にして事態の鎮静化を図ろうとしているのではないかと思われる。今回の訪ロの際にロシア側の政府要人たちが何度も繰り返したのは、「米国は信頼できない」という言葉である。それに対して、欧州は2月21日のヤヌコーヴィチ政権と反対派との間の合意の証人をドイツ、フランス、ポーランドの外務大臣が務めたことからも明らかなように、ロシアとの密接な関係もあり、一定の信頼関係があるのではないかと考えられる。KGB時代に東ドイツで勤務していたプーチンのドイツ語能力と、東ドイツの秀才であったメルケルのロシア語能力の高さはよく知られた事実である。 (2)米国についてはシリア問題でオバマ政権が窮地に陥った際に、アサド政権による化学兵器の放棄という形でロシアが助け舟を出したのに、米国として協定上の防衛義務も戦略的利益もないウクライナについて手を突っ込んできたということについて、プーチン以下の深い不信感がある。これにはオレンジ革命や、2008年の北京オリンピックの際に発生したグルジア紛争に対する米国の関与も影を落としている。4月17日のジュネーブ合意のすぐ後の週末にCIA長官のジョン・ブレナンが変装をしてキエフを訪問し、現政権にねじを巻いた結果なのか、その次の週に現政権が挑発行為を行ったことは、益々不信感を助長するものとなった。最近のドイツのビルト紙に報道されたように、直近の東ウクライナへの鎮圧部隊とキエフの間では英語で交信がされており、少なくともキエフの米国の関係者が関与していることは間違いないとみられている。情報筋によれば、彼らは「戦争アドバイザー」と呼ばれる米国の民間の戦争屋ではないかということである。5月3日のメルケル首相の訪米を前にして、前述のオデッサの悲劇を含めてウクライナ各地に起こった事件には、メルケルに圧力をかけるために意図的に起された挑発行動があったものと見られている。 (3)以上のような状況を踏まえて、プーチンは、国内の愛国精神にも拘らず、いわば最後の賭けをしたのではないかと考えられる。即ち、米国はどうしようもないにしても、今回の問題を外交的に解決するべく、彼として譲りうる最後の線を提示して、西側の良識にかけたのではないかと思われる。もしそうであれば、このようなプーチンの対応を「ひるんだ」と見るのは全くの誤りで、西側は、ロシアの実力行使を防ぐ最後の一戦として、適切に対応する必要がある。 (4)背景として頭に置いておく必要があるのは、軍事力の大きな差である。欧州はリーマンショック以降の財政引締めの中で主として軍事費を大幅に削減して辻褄を合わせてきた。その結果、欧州諸国の軍事力は大幅に低下し、ロシアとは比較できない状況になっている。よく出される例が、リビアの空爆を米、英、仏が共同で行った際に、英と仏の爆弾は2日間で枯渇したという事実である。ロシアが圧倒的な軍事力を持ち、国内世論の全面的支持もある中で上記のような提案を行ったことの重要性を認識することが極めて重要な局面であると考えられる。 (5)次回はなぜ米国が今回のような対応をしたのか、その原因を探ってみることとしたい。 |