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2014.05.07
現在、アメリカ政府はウクライナでネオ・ナチを手駒として使っている。「西側」の政府やメディアは無視しているが、これは否定しようがない。つまり、アメリカ政府がウクライナで暗躍し、ネオ・ナチが残虐行為を繰り返していることを「西側」の政府もメディアも熟知、それにもかかわらず無視、今回の虐殺を招いたわけだ。このまま進めば、さらにひどい事態になる。そうした方向へ人類を導いている人びとの中には政治家、官僚、記者、編集者、あるいは「リベラル派」とか「革新」に分類されている「知識人」や「活動家」も含まれている。その責任は重い。
歴史を振り返ると、アメリカ政府がナチズムの信奉者と明確に戦っていた時期は1933年3月から45年4月にかけて、つまりフランクリン・ルーズベルトが大統領の時代くらいだろう。つまり、現在の状況に驚くべきではない。
ルーズベルトが1932年の大統領選で勝利する前からウォール街はナチスを支援、外交官の間でもラトビアのリガ、ドイツのベルリン、そしてポーランドのワルシャワの領事館へ赴任して人たちを中心に親ファシスト/反コミュニストの「リガ派」が形成されていた。その中にはジョージ・ケナンやジョセフ・グルーも含まれ、その背後にはジョン・フォスター・ダレス、ジェームズ・フォレスタル、ポール・ニッツェたちが控えていた。
このグループと対立していたのがルーズベルトを中心とするニューディール派。1933年にルーズベルトが大統領に就任すると、ウォール街はクーデターを計画する。本ブログでは何度も書いているが、アメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将が議会で計画を暴露して失敗に終わった。
バトラーから話を聞いたジャーナリストのポール・フレンチはクーデター派を取材し、「共産主義から国家を守るためにファシスト政府が必要だ」という発言を引き出す。この話も議会の記録に残っている。
ウォール街を拠点とする巨大資本の少なくとも一部はナチスを仲間と考えていたわけだが、1944年になるとドイツの情報将校でドイツ陸軍参謀本部第12課の課長だったラインハルト・ゲーレン准将がアレン・ダレスと接触している。言うまでもなく、アレン・ダレスはジョン・フォスター・ダレスの弟で、ふたりともウォール街の弁護士。1945年5月にドイツが降伏するとゲーレンは米陸軍対敵諜報部隊(CIC)に投降、ソ連関連の資料を提供している。
それ以降、ゲーレンはアメリカ支配層と手を組み、戦後も資本家をスポンサーとして情報活動を続けている。いわゆる「ゲーレン機関」だ。1955年の西ドイツはNATOへ加盟し、その翌年にゲーレン機関はBND(連邦情報局)という国家機関になった。
ルーズベルト大統領が急死すると、ホワイトハウスでは反ファシストから反コミュニストへ急旋回し、ローマ教皇庁の協力を得てナチスの大物を逃走させるルートを築いた。いわゆる「ラット・ライン」だ。バチカンには大戦前からアメリカの情報機関とつながる人脈が形成されていて、その代表格がジョバンニ・モンティニ、後のローマ教皇パウロ6世である。
このラット・ラインはラテン・アメリカへ通じ、逃亡者の中には「リヨンの屠殺人」とも呼ばれたクラウス・バルビーが含まれていた。バルビーは後にボリビアのクーデターに協力している。
ナチス親衛隊の幹部だったオットー・スコルツェニーは結婚相手のオジがドイツ国立銀行総裁や経済相を務めた人物で、自身もナチスの仲間を逃がすために「ディ・シュピンネ(蜘蛛)」を組織、スペイン、アルゼンチン、パラグアイ、チリ、ボリビアなどへ逃がした。ナチスの逃走組織として有名なODESSAにも関わったという。
この親ファシスト/反コミュニストの人脈は戦後、西ヨーロッパで破壊活動を目的とする部隊を秘密裏に編成している。NATOが創設されると、その秘密部隊として活動を始めた。中でもイタリアのグラディオは広く知られている。1960年代から1980年頃までイタリアで「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返していた部隊だ。グラディオの存在は1990年にイタリア政府が正式に認めている。
現在、NATOは東へ拡大中だが、当然、秘密部隊のネットワークも東へ広がり、ウクライナのネオ・ナチもその一部だろう。このグループはナチスと手を組んでいたOUNのステファン・バンデラ派を源流とし、この一派はWACL(世界反共連盟、現在の名称は世界自由民主主義連盟/WLFD)にも関係している。
ウクライナのネオ・ナチは2006年頃からバルカン諸国にあるNATOの施設やポーランドで軍事訓練を受けてきたと報道され、ドイツのビルト紙日曜版によると、キエフの暫定政権にアドバイスするため、CIAやFBIの専門家数十名が送り込まれている(http://www.bild.de/politik/ausland/nachrichtendienste-usa/dutzende-agenten-von-cia-und-fbi-beraten-kiew-35807724.bild.html)という。
今回、オデッサで40人とも100人以上とも300人とも言われる反クーデター派の住民がネオ・ナチの集団に殺されたが、そこへ至る道筋でアメリカ政府の要人が登場する。例えば、EUやロシアが話し合いで問題を解決しようとしていた時、そうしたEUの姿勢を「ソフト」だと怒り、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしたビクトリア・ヌランド国務次官補(http://www.youtube.com/watch?v=MSxaa-67yGM)。
それから間もなくしてネオ・ナチの一部は市街を火と血の海にするが、その行動を指揮していたのがアンドレイ・パルビー。現在、国防省や軍を統括する国家安全保障国防会議の議長に就任している。
東部や南部で反クーデターの住民が立ち上がると、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問し、14日にアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が制圧作戦を承認、22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問すると、その直後から軍事力の行使へ急速に傾斜していった。
この間、「西側」の政府やメディアが事実から目をそらさず、声を上げたならば、犠牲者は遥かに少なかっただろう。こうした人たちがアメリカ支配層に従い、侵略と略奪の片棒を担いだひとつの結果がオデッサの虐殺だ。
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