01. 大和狼 2014年4月04日 12:24:28
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ノルウェーとアイスランドの食肉用商業捕鯨はオーストラリアなどの反捕鯨国からはどのようにバッシングを受けているのか、まったく情報を知らないが どなたかご存知の方教えて下さい。 国際司法裁判所では調査目的の捕鯨で1000頭もの捕獲は調査とは言えないから中止しろ、殺さないで調査する方法はないのか、調査目的ではなく食用だろうとジャッジしたのだろうと思うが。 国際捕鯨委員会はそもそも鯨の資源保護、絶滅を防ぐために発足したものではないのか。 それが次第に反捕鯨のための国際組織になったように思う。 そういう意味では日本が食用の鯨捕獲を続けるのであれば、ノルウエーやアイスランドのようにIWCに加入を辞め、国際法的に不法でない(と思うが)商業捕鯨に切り替えればよいのではないか。自民党議員の”捕鯨族”の主張もそんなところではないのだろうか。 南氷洋がダメだというなら日本の領海内での捕獲では国際法的に文句をつけられないで済むのか。 やはり捕鯨に関するIWCでの議論は奇々怪々としか言いようがない。 オーストラリア政府が国際司法裁判所に日本の主張する調査捕鯨は調査の枠を 超えた実体は商業捕鯨であるからIWCでの調査のための捕鯨という取り決めに違反 するという訴因であるならば国際法的なジャッジとしては最初から日本に不利だっただろう。 日本が堂々と商業捕鯨を(必要とするならば)宣言する法的な正当性は資源保護名目に商業捕鯨を事実上禁止しようとする為にのみ存在する現在のIWC加盟を脱退し 日本独自の資源保護、海洋資源の食物連鎖自体の保護を目的とする海洋資源自然保護目的の商業捕鯨を宣言すればよい。 クジラ栄えて、鯖やマグロ資源が減り、今度はマグロの捕獲制限になりかねない。 鯨の自然保護は他の海洋生物の資源を減らす可能性もある。そのうちクジラ以外の海洋生物資源保護のためにクジラの間引きが必要になる可能性もある。 またサメも大いに捕獲し、中国のような食料蛋白資源不足国の食を補う必要があるだろう。 人間を襲う害獣、人間の食料を奪う害獣を保護する自然保護の精神とは人間を害獣に生贄として捧げる邪教の文化のようにすら思える。まあ、これはジョークだが。 個人的にはクジラの刺身や尾の身、さえずり、鯨カツ、生姜焼き、赤い半干し肉のような鯨の血に漬けた?肉などが記憶にあるが、PCBから有機水銀、環境ホルモン 、有害化学物質に農薬に放射能の生物連鎖の頂点にある長寿命の濃縮有害物質鯨肉 は常食するに値しない食肉であるとも言える。 日本国はこのようなクジラの毒物調査も詳細に行うべきだ。
しかしハーグ国際裁判所のレトロなコスチュームの白いズラ(カツラ)を被った裁判官なる面々をみると調査捕鯨よりよほどいかがわしく見えて仕方ない。 国際法と国際法廷とは言っても所詮は白豪主義の西洋文明の倫理観とルールの 押しつけの場であることも否定出来ない。 TPPの国際法廷も大資本企業の利益代弁者が裁判官としてジャッジする。 裁判だから公平などというのは民主主義という人類の基本原理の先進的西欧文明と言えども、遺憾ながら利益の方が優先されるのが現代社会の現実だ。 現在の日本は中国、韓国の国際的ネガティブプロパガンダにより、アメリカ人監督ロバートキュプラ?による戦前の南京虐殺プロパガンダ映画作成のような 国際情報謀略戦のターゲットとなっている。 この時期の国際法廷のイカサマっぽいおどろおどろしさは、日本封じ込め の一環でもあると用心すべきなのがインテリジェンス機関、日本版NSCの役割なんだろうが。 世耕さんは対日工作しか能がないのかね? 日本のカウンターインテリジェンス能力は限りなくゼロに近い。 戦前に比べ国際的情報収集能力、外交能力、そして当然のことながら平和憲法と占領国による太平の夢を貪って来たポスト戦後元禄文化の結果としての防諜能力を亡国壊滅的なまでに失った日本国の当然の報いなのだろう。 オーストラリアは牛肉を日本に売りたくて仕方ない、TPPでそれが完遂される。 日本は唯々諾々と捕鯨禁止とオーストラリア牛、遺伝子組み換え農産物を受け入れるつもりか。 ランプの灯りのためだけにクジラを殺しまくった白人文化、アポリジニ、インデイアンを絶滅寸前まで殺戮した白豪主義の殺戮感性が知的生物のクジラ、イルカ の食用の為の捕獲を残虐で許せない、という原理主義は日本人にはどうしても理解 し難いところがある。 日本では食べる為に殺生をした動物には人間の命に引かえた感謝の念から 供養する。仏教文化とイヌイットのシャーマニズムの伝統だ。 君たちは神(自然)への感謝はささげるだろうが、供養することはする かね? 靖国も同じようなところがある。犯罪人だろうが死ねば供養されるのだ。 さすがに極悪殺人鬼は供養されないかも知れないが、誰であろうと靖国に祀られた 人間は供養されるのだ。 わたしは長州の人間ではないから参拝は殆どしないが。 |