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スマトラ島沖の津波から10年。巨大な激動はこれから起きる(Darkness)
http://www.asyura2.com/14/jisin20/msg/349.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 12 月 27 日 17:13:05: igsppGRN/E9PQ
 

スマトラ島沖の津波から10年。巨大な激動はこれから起きる
http://www.bllackz.com/2014/12/10.html
2014年12月27日 Darkness - ダークネス


2004年12月26日に襲いかかったスマトラ島沖の津波では死者22万人という途方もない人的被害を出した。

インドネシアのバンダ・アチェが壊滅するほどの激しい損壊を受けた。さらに、インド、スリランカ、マレーシア、タイ、モルディブ、マダガスカルと次々に津波に飲み込まれた。

あれからちょうど10年目。ついこの間の事件のように思うのだが、改めて年月の過ぎる早さを思う。

私はそのとき、ちょうどカンボジア・プノンペンにいた。誰かが「インドネシアで津波があったそうだ」と私に言ってきたのだが、私は大して気にとめなかった。

私は旅に出ているときは、テレビも新聞もインターネットもほとんど見ない。だから、それが歴史に残るような巨大な災害だったとはまったく気がつかなかったのだ。

ほんの少し、気にはなっていたものの数日プノンペンでまったく関係のない日常に追われた。


■私も、運が悪ければ巻き込まれていただろう

そして、2004年12月31日。この年が終わるその最後の日にバンコクに戻り、空港のテレビで繰り返し流されていた津波の悲惨な映像を見た瞬間、やっと私は尋常ではないスケールの災害が起きているのを知った。

どのチャンネルを回しても、「ツナミ・ディザスター」という言葉が踊り、膨れあがっていく被害を刻々と映像に記録していた。

それは私が考えている以上の大災害だった。多くの人が津波に飲まれ、多くの建物が流され、生き残った人たちがガレキの山の中で泣き叫んでいた。

タイでもパトン・ビーチやレオナルド・ディカプリオの『ザ・ビーチ』でも有名なピピ島が全滅したことを知った。ちょうど日本でも海外旅行のシーズンに入る直前で、早めにリゾート入りしていた人たちが被害に遭った。この津波では、日本人も各国で40人死亡している。

被害の場所は、タイ、インドネシア、バングラ、スリランカ、インド、と私が好んで行く場所ばかりだった。

私も運が悪ければ巻き込まれていただろう。この当時、私はインドネシアが旅の中心だった。その年の夏は、よりによってスマトラ島にも訪れている。

この旅では、再びスマトラに行くという選択肢もあったが、私は行かなかった。虫が知らせてインドネシアに行かなかったというわけではない。本当の気まぐれだったのだ。

もう、このスマトラ沖大地震と、津波は徐々に過去の話へと風化しようとしている。

しかし、被害を受けて心に傷を負ったまま生き残った人たちにとっては、永遠に風化することがないはずだ。


■今までとは違う環境、危険になりつつある日本

実は、このスマトラでは、この最悪の津波災害から5年後の2009年にも再び大地震に見舞われている。

この時も多くの建物が崩壊し、数千人が生き埋めになるという巨大災害となった。

一度、プレートが動くと、同じ場所に何度も何度も大きな地震が襲いかかる。2009年の大地震は、もちろん2004年12月の地震との関連性がある。同じプレートが揺れ動いているのだ。

そして、2011年3月11日。今度は日本で巨大地震が起きて、大きな津波が発生した。東日本大震災である。

この津波で福島第一原発の電源が喪失し、原発が大爆発し、挙げ句の果てにメルトダウンするという巨大事故が起きて、日本は今でもその原発事故の後遺症に苦しんでいる。

昨今の異常気象はもはや恒例化しており、異常でない方が異常であると言われるほどになっている。大地震も頻繁に起きているのだが、集中豪雨、洪水、豪雪、干魃、火山噴火……と、巨大災害が止まらない。

温暖化なのか、寒冷化なのか、諸説は様々だが、地球の活動が活発化して今までとは違う環境に入ったというのは間違いのない事実だ。

今後もその傾向は続く。巨大災害が全世界を飲み込みながら、次々と人類を襲いかかっていく時代になっているのだ。

日本も例外ではない。いや、日本こそ例外ではない。日本は東日本大震災以降も、比較的大きな地震が続出している。今もまだ止まっていない。

地震に慣れてしっかり防災ができている日本だから何とかしのいでいるものの、本来であれば巨大災害が国を崩壊させていてもおかしくないようなレベルにある。


■私たちの想像をはるかに超える被害をもたらす

「再び巨大災害に襲われる」というのは、こと日本に関しては予言ですらない。現実だ。

日本はユーラシア・プレート、北アメリカ・プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートと、4つのプレートが交差する特異な国であり、災害は起こるべくして起きる国なのだ。

特に懸念されているのは、「南海トラフ地震」と「首都直下地震」である。「南海トラフ地震」は必ず発生すると言われているが、この地震は私たちの想像をはるかに超える被害をもたらす可能性がある。

東日本大震災の死者は約2万人だが、南海トラフ地震では死者は32万人を超える可能性があると言われている。

地震はいつ起きるのか分からない。予測できる地震もあるようだが、予測できない地震も多い。

いつ起きるのかが重要なのではなく、地震はいつでも起こり得るという覚悟や、起きた後もパニックに陥らずに生き残るということの方が重要だ。

巨大地震が起きたとき、自分がどこにいるときに巻き込まれるのかは、単に運・不運でしかない。

しかし、揺れが収まってまだ自分が生き残っていたら、そこから命をつなぐことができるかどうかは、自分の精神力になることが多い。いろいろなものを失うが、そこからまた生き延びて行かなければならない。

スマトラ沖大地震から10年、ますます、ひどくなっていく地球環境の中で、私たち日本人こそがその覚悟が求められていると言ってもいい。激動は、これから起きるのだ。


 

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コメント
 
01. 2014年12月27日 19:10:22 : oA9GE6uXgc

『オランダ・ハーグより』特別編

    「カオラック再訪」

    ■ 春 具

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 ■ 『オランダ・ハーグより』特別編
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 ちょうど10年前の2004年の暮れ(12月26日)、スマトラ沖でおきた地
震によってインド洋沿岸地域におおきな津波が押し寄せたことを、読者は覚えてい
るだろうか。当時、我が家の娘が通っていたハーグのアメリカンスクールのアルレ
ット・ステイプ先生夫妻が休暇でタイを訪れていて、カオラックの村であの津波に
遭遇した。災難からほぼ二日、彼女たちはカオラックをうろうろしたあげく、多く
のタイ人に助けられて帰国したのであるが、そのことを書いたアルレットさんの手
記を、わたくしはJMMに紹介したことがありました(第104回『カオラックのひ
とたち』2005年1月7日)。先日、わたくしは先生とこの話をしたのですが、
あれから10年たった今、被災の記憶はいまでも生々しいと彼女は言っていた。わ
たくしもいろいろ考えたのであるが、それを論じる前に、まず、彼女の手記『カオ
ラックのひとたち』を簡単におさらいしておきましょう。

・・・・・

 わたしたち夫婦はプーケットから90マイルほど離れたカオラックのリゾートに
 泊まっていたが、クリスマス翌日の朝、10時ごろやっと起きだして外を見ると、
 浜は潮がひいて広い浅瀬になっており、ひとびとが貝を拾ったり散歩したりして
 いた。カリフォルニアに住んだことのある夫はそれをみて、おかしいな、海がこ
 んなに引くことはないぜ・・・ とクビを傾げた。と思う間もなく、轟音がして
 沖から大波が押し寄せてくるのがみえた。わたしたちはホテルを飛び出し、高い
 丘の上に逃げた。水はみるまに海岸線を越えてわたしたちのホテルを覆い尽くし
 てしまった。丘の上でわたしたちは親からはぐれたリサという少女、マルレーン
 とニーナというドイツ女性と知りあった。

 しばらくして丘を下りてみたら、波が引いたあとのホテルはめちゃくちゃになっ
 ていた。あたりをうろついているうちに夜がやって来た。浜辺のスナックスタン
 ドで、イドと言うタイの女性がわたしたちにタイ・カレーを作ってくれた。彼女
 は家族が行方不明だったが、肉親を捜すよりさきに、わたしたちに暖かい食事を
 作ってくれたのだ。わたしたちはこのような信じられない親切をあちこちで受け
 た。

 カレーを食べながら、わたしたちは津波の経験を披露しあった。ある男性は死人
 の山を歩いていたら、倒れている女性の鼓動が聞こえた気がしたので駆け寄って
 人工呼吸を施したと話してくれた。ふっと気がつくと彼女は死んでいて、鼓動に
 聞こえたのは彼の心臓だった。そんな話ばかりが続き、わたしはもうそれ以上聞
 きたくはなかった。

 翌日になってバス停まで行くと、停留所には数人の外国人が空しそうにバスを待
 っていた。だれもが裸同然の恰好をしているのに、わたしたち夫婦だけが服を着
 てスーツケースをもっていた。わたしはなんだかじぶんたちがバカに思えた。バ
 ス停のそばの家族が風呂を使わせてくれ、わたしはリサとお湯につかりながら、
 この子は孤児になってしまったんだろうかと、ふと考えた。

 やっとバスが来て、それから8時間をかけて、空港には朝早く着いた。大使館や
 領事館へ駆け込んだ人たちはパスポートの再発行に半日かかったと言っていたが、
 わたしたちの経験は反対だった。タイ航空のひとたちがパスポートやチケットを
 用意してくれ、どこへでも電話をかけさせてくれた。わたしたちは暖かい食事を
 食べて新聞を読んだ。わたしはテレビを見ながら、BBCにメールを書いた。書か
 ずにはいられなかったのだ。津波に襲われて以来、タイの人たちはわたしたちに
 心底よくしてくれた。肉親が行方不明だというのに、彼らはまずわたしたちの心
 配をしてくれていた。そのことをわたしは忘れない。そしてそのことをわたしは
 ヨーロッパの人たちにも知って欲しかったのである。

 空港でみんなとさよならを言っているときに、リサのお母さんが生存しているこ
 とがわかった。ニーナがリサのおばあさんに電話をかけたらそちらにお母さんか
 らも連絡が行っていたというのだった。わたしたちは空港が壊れるくらい喜びの
 大声を上げた。

 オランダに戻ってきたら、わたしたちの話はおおきなニュースになっていて、
 BBCやオランダの放送局・新聞がインタビューにやってきた。寄付のオカネも届
 くようになって、わたしはそれらをまとめてイドのスナックへ送った(政府や団
 体に送ると、途中で滞ったり紛失したりするのだ)。

 わたしたちはあの津波からまったく無傷で帰ってきた夫婦である。わたしたちほ
 ど幸運だったカップルはいない。津波では、あの海岸で亡くなったひとだけでも
 8千人を越えたという。わたしたちは生きていて幸せだと思っている。同時に、
 わたしたちほど運のよくなかったひとたちのために思いをよせたいと思っている。
 わたしはみなさんにタイへ旅行に行って欲しいと念じている。わたしたちが旅行
 することで彼らに仕事ができ、生活が立ち直っていくと思うからである。

・・・・・

 オランダに帰国してからアルレットさんは、救済支援のファンド・レイジングを
はじめました。義侠心ではない。タイで受けた親切に報いたくてはじめたのです。
協賛するひとも多くいて、一日で2万ユーロを集めることもできた。そして彼女は
それをイドへ送り、被災孤児のためのあたらしい学校つくりにつかってもらうこと
に決めたのであります。さらに、アルレットさんはその学校で「ESL English as a
second language 第二外国語としての英語プロブラム」を設計し、将来子供たち
が観光事業に携わることができるよう手伝いをはじめたのです。

 一年後、アルレットさんはふたたびカオラックを訪れました。浜辺はすっかり再
開発されて(ほとんどは地元民とボランティアでおこなわれたという)見違えるよ
うなリゾートになっていた。もちろん、復興は一直線になされたわけではなく、時
間もかかったし曲折もあり、寄せられた支援の矛盾という思いがけない問題も表面
化してきていました。海上には外国から支援で持ち込まれたおびただしい数の漁船
が浮かんでいたが、この村の漁業にはこんなにおおくの漁船はいらなかったのであ
る。漁民が船の数ほどいないのであった。援助支援は、ときに地元のニーズにかま
うことなく押し付けられる。善意の押し売りは復旧の邪魔となることもあるのであ
ります。それに、ツーリストの影もまだまだすくなかった。この地方は観光があっ
てはじめて成り立つのだが、世界はまだ怯えたままカオラックに近づこうとしてい
なかったのであります。

 ひとびととの出会いをとおして、アルレットさんは支援にさまざまなアングルが
あることを知った。たとえば、被災地のカオラックにはビルマの労働者が多くいた
ことで、彼女たちの支援金は難民キャンプに住むビルマ人の子供たち(孤児も含む)
の教育プログラムの重要性が理解され(タイに住むビルマ人は、ときおり差別の対
象になっているという)、また、ビルマ人と並べてみるのではないけれど、飼い主
を失った動物の保護も支援が必要なひとつであった。彼女たちの寄付金は野良犬た
ちの保護団体にも使われたのでありました。

 だがこのあたりを潮に、アルレットさんはタイに行くことをやめた。手伝ったプ
ログラムは自己回転をしているし、生き延びたひとびともそれぞれ生活をとりもど
し、国も元気になってきたのだから、もういつまでもわたしが行く必要はないと思
うのよ、とアルレットさんは言う。飛行機代を払いつづけるより、それは寄付にま
わしたほうが合理的だとも彼女は言った。

「でも、そのことはわたしの記憶からあの津波が消えたということではないのです」
 アルレットさんはしばらくのあいだ、津波の経験からきたトラウマを抱えて暮ら
した。心の中はバラバラになったというのです。それはいわゆる「survivor's guilt」
すなわちじぶんだけ助かってしまったという「生存者の罪悪感」とは違う。それは、
あのとき、となりにいたひとに手をさしのべることをしなかったという慚愧の念で
あった。「これから妻を捜しにいくという男性に出会ったの。そのとき彼は裸足で、
それに足を引きずっていたんです。わたしたちのスーツケースの中には代わりの靴
が幾足も入っていたの。それなのに、わたしたちはその一足を裸足のひとに分けて
あげなかった。彼は足を引きずりながら、妻を捜しに去っていったわ。ケチったと
いうのではないのよ。でも、あげなかったというそのことはずっとわたしを苛み、
わたしはとうとうオーストラリアまでこの男性を捜しにいったのよ」アルレットさ
んはこの男性に会うことができたのだけど、彼の妻は津波にさらわれて死亡してい
て、あらたな人生を歩もうとしている彼にアルレットさんの靴の話はわけのわから
ない話だったようだった。だが、この一事は彼女にとって心にささった刺のような
ものだったというのでした。「もう一度こんな緊急事態を経験することがあったら、
けっしてあとで後悔しないような行動をとろうと思う」と彼女は言った。

 国の歴史や個人の人生にはときとして、石原慎太郎氏や村上春樹氏が「歴史の分
水嶺」とよぶ、乗り越えなければならない劇的な事件が訪れます。戦争のはじめと
終わり、経済恐慌、テロリストアタックなどはその後のわたくしたちの行き方・生
き方を変えてしまうが、タイやインドネシアのひとびとにとって、あの津波はその
ような分水嶺のひとつだっただろう。

 おなじように、東北の津波と原発事故はわたくしたちにとってひとつの分水嶺で
あったでしょう。JMMにはMRICの記事が不定期に載っています。だがいま、わた
くしたちのどれだけが、あれを読んでなにかを考えているだろう。2011年の津
波はスマトラ沖に劣らない悲劇であったし、さらに原発の崩壊というおまけが加わ
ったというのに、たった三年であの経験はわたくしたちの関心からフェードアウト
しようとしている。さきごろの選挙で国のリスク管理がまるで争点にならなかった
というのも、わたくしは外国にいるからそう思うのかもしれませんが、すこし不思
議であります。わたくしの友人は、おれたちはのど元過ぎれば熱さを忘れる国民な
のさと言ったが、辛いことはさっさと忘却して先へ進もうというのももちろんひと
つの見識かもしれないけれど、あの災害を乗り越えるべき山並みととらえることが
ない政治家たちは、我が国をどこへ持っていこうとしているのだろう、と考えてし
まう・・・。

 またメディアを思うに、普通のひとが普通に生きていくその生き様とか、その周
辺の親切とか善意とかはあまりニュースにならず、メディアが耳を傾けることはあ
まりないようであります。ニュースマンは加害者を断罪するのは好きだけれど、被
害にあったひとびとを精密に報道することはあまりない。報道があるとすれば、気
の毒な姿をメロドラマ的に映し出すだけだ。

 けれども、危機に襲われたとき、分水嶺を乗り越えていくのは政治を司るひとび
とではなく、その普通の人たちなのだ、とわたくしは思うのです。ひとを貶めるこ
とに熱心なメディアにとって、被災地の静かな進歩は退屈な風物詩にすぎない。そ
れよりも対応を誤った政権を攻撃したり、放射能をまき散らしてアタマをたれてい
る会社の上層部とかに噛みつくほうがよほどおもしろく報道のし甲斐があるのだろ
う。メディアは正義の味方なのだ、とでも言うように・・・。

 けれども、静かなニュースであっても、被災した人たちには顔があり声がある。
被災者は、被災したからというだけで「被災者」とひとくくりにはできない、それ
ぞれに個性を持っている人たちなのであります。世界中のニュースでスマトラ沖地
震10周年のプログラムをつくったのは、わたくしの知るかぎりではBBCだけであ
ったが(もちろん、インドネシアやタイではあったでしょうけど)、そこでは父親
が溺死したあと生まれたために父の顔を知らない10歳の少女とか、8歳だった少
女がいまではハイティーンになってオフィスで働いているところとか、10年の歳
月がもたらした復興の姿がまとめられてありました。

 メディアがとりあげないから、政治の争点にならない。政治家がとりあげないか
らメディアも書かない、見せない・・・。そのうちにわたくしたちも喉を過ぎた熱
さを忘れてしまう・・・。それでは、歴史から学ぶことはなにもないではありませ
んか。

 ま、そんなことをここで怒っても仕方のないかもしれませんが、アルレットさん
の話を聞いてきたあと、これまで読んできた MRIC の(いまでは地味に思える)記
事を思い出しているわたくしとしては、センセーショナルな喧噪に踊るのでなく、
静かな報道にもっと耳を傾けるなら、このつぎの危機に際してあのような無様な対
応は避けることができるんだろうな(JMMの価値というのはこういうあたりにある
のかもしれませんけど)と思ってしまうのであります。

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春(はる) 具(えれ)

自由学園、獨協大学、国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール卒。19
78年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーヴ)にて人事部と安全保障理
事会・イラク賠償委員会に勤めたあと、2000年より化学兵器禁止機関(オラン
ダ・ハーグ)にて訓練人材開発部長・人事部長。2010年退官。現在、オランダ
・ハーグに在住。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
JMM [Japan Mail Media]                No.825 Extra- Edition
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【発行】村上龍事務所
【編集】村上龍
【発行部数】92,621部
【お問い合わせ】村上龍電子本製作所 http://ryumurakami.com/jmm/


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