04. 2014年9月13日 19:57:58
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ギャンブルが教えてくれる社会保障費とその対策 何の役にも立たない災害時のハザードマップ、リスクを真剣に考えてみよう 2014年09月12日(Fri) 伊東 乾 つい先日のことです。あるところで、若い人のプレゼンテーションを聴く機会がありました。やたらと熱弁を振るって「リスクが、リスクが・・・」と言うのですが、どうも要領を得ないのです。 そこで「ところで、リスクってなんですか?」と質問してみると、 「ええと、自分にとってのマイナスって言うか、害になること。じゃないんですか・・・。すみません」 といったお答え。では改めて問うてみましょう。いったいリスクって何なのでしょう? 「ハザードマップは外れマップ」 前後しましたが9月7日は東京大学理学部小柴ホール、雨の中お運びいただいた多数の皆さんと熱気のこもった哲学熟議「地震・津波の科学と倫理」の場を持つことができ、本当にありがとうございました。 敬愛するロバート・ゲラ―東京大学理学部教授の充実したキーノートに続いて、九州大学の杉本めぐみ先生から、通常の日本の放送などでは絶対オンエアされない、インドネシア津波被災地のありのままの状況報告がなされました。 さらに文学部哲学科・一ノ瀬正樹教授から災害死の哲学と倫理の問いかけを踏まえて、本当に充実した時間をご一緒させていただきました。 なかでもゲラ―先生の「地震予知は科学的に不可能」「ハザードマップは予知研究者の予算獲得手段にすぎず、科学的には意味がない『外れマップ』」という明快かつ痛烈な大前提の指摘は、多くの方の心に残ったのではないかと思います。 そう、地震については「外れマップ」になりやすい「ハザードマップ」ですが、このハザードとはなんなのでしょう? 辞書を引いてみると hazard【名詞】1【可算名詞】 危険、 冒険 2【不可算名詞】 偶然、運; 運任せ. 語源:アラビア語のさいころから とあり、地震予知については作り手は「危険マップ」、ゲラー先生的には「運任せのでたらめマップ」ということになるのでしょう。 冒頭に挙げた若い人が言う「リスク」は実は「ハザード」のことだと、ここから分かります。つまり危険はハザードであって「リスク」ではない。ではリスクとは何なのか? やはり辞書を引いてみると risk【名詞】(危険・不利などを受けるかもしれない)危険、恐れ とあります。ちょっと見るとハザードと似ているけれど、実ははっきりした違いがありますね。それはハザードが「危険そのもの」を指す言葉であるのに対して、リスクとは将来受けるかもしれない「危険の恐れ」つまり、不確実性の要素を含んでいる。そこが決定的に違っています。 より明確に式を用いて定義するなら リスク=ハザード×生起確率 つまりリスク=「恐れ」とは、その危険な現象と、それが起こる確率をかけたもの、専門用語を用いれば「期待値(expectation value)」に相当するものであることが分かります。 「明日は北部山岳地帯では雨、ところによって雷の恐れがあるでしょう」 と言うようなとき、これは「雷のリスクがある」と言っているのであって、これは災害=雷そのもの(ハザード)を指しているわけではないですよね? 雷が落ちるかもしれない、という将来における可能性、確率を含む不確定なもの、それがリスクにほかなりません。 冒頭の問いの答え合わせをするなら 「リスク」とは「危険」そのものではなく、その「危険」と、それが生起し得る確率をかけた値として考えるべきもの ということになります。明日北部山岳地帯に雷の恐れ=リスクがあるとしたら、私たちはそのリスクに遭遇しないよう、生起確率を下げることでリスク=起こり得るかもしれない危害(ポテンシャルハザード)に遭遇する期待値(そんな災害との遭遇は期待したくないので、この言葉は違和感を持たれるかもしれませんが・・・)を回避しようとするでしょう。 雷に打たれないよう、そんな場所には出かけないというのは、1つの有力な「生起確率」を下げる選択肢になるでしょう。あるいは避雷針を設置するとか、尖った金属など導体を身に帯びないとか、いろいろな回避策が考えられますが、どれ一つとして実は決定打の正解とはなり得ません。 常に不確実性がつきまとう・・・それが「リスク」という概念の、実は本質的な特徴なのです。 「奇妙さ」という指標 ここで「不確実性がつきまとう」などと言うと、何か得体の知れないもののような気持ちになるかもしれません。そこで「不確実」でなきゃ意味のないものをいくつか挙げてみましょう。 例えばスポーツの試合を考えましょう。始める前から勝ち負けが決まっていたら、それは八百長であってスポーツではない。 プロレスはスポーツか? といった難しい問題は横に置くとして、例えば勝負事というのは、不確実性が伴うからこそ、見ていてはらはらもするし、興奮もあり、見えない勝敗の行方を巡って多くの人が手に汗を握ります。 同様の「不確実性」があるものとして、ギャンブルを挙げることができるでしょう。仮に最初から勝ち馬が決まっていたら=不確実性がなく結論ありきだったら、そのギャンブルはギャンブルでもなんでもなく、単なる八百長ショーでしかないことになります。 競馬や競輪などのギャンブルには「オッズ」というものが出てきます。簡単な数式による定義などは省きますが、これは要するに確率を表します。 まれにしか起きない現象を言い当てれば、配当が高くなる。オッズの逆数が配当に当たることになる。オッズの元となる「Odd」というのは「奇妙さ」「珍妙さ」ということだから、珍しい現象の予言が高く評価されるわけですね。 例えばオッズが0.25だとすると、大まかに言って配当はその逆数で与えられることになり、1円賭けた人は4円、1万円賭けた人は4万円儲けることになる。 ここで、ギャンブルのオッズも、地震予知で使われる生起確率も、数式で考えれば同じ確率という枠組みで捉えられることに注意したいのです。 地震予知で言うリスクは 「被害」×「生起確率」=期待値 でしたが、ギャンブルで考えても 「金額」×「オッズ」=期待値 ということになる。地震や津波災害をギャンブルに例えるなんて不謹慎、と言わないでください。と言うのは、災害保険という観点、保険会社を経営するという視点から見れば、予測不能な地震に対して保険商品をどう設計するかというのは、非常に真剣に検討されるべき「ギャンブルの数理」にほかならないからです。 いまここではこれ以上踏み込むことはせず、もう1つだけ基本的な指摘をするにとどめておきます。先ほどオッズの逆数を計算して配当率が得られました。オッズ0.25つまり4分の1の確率で起きるものを当てたら4倍返しで戻ってくる。 この確率の逆数というのは、原理的には「場合の数」として数え上げられる性質のものでもありますが、実は[情報]の単位も、確率の逆数として定義されるものにほかなりません。 1ビットという量の定義は本来は「1 binary digit」。2進法で考えた場合の1度数ということにほかならず、なぜ2進法かと言えばスイッチがオンかオフかの2つの状態しかない素子に情報を記憶させていくから、確率が50%になるという背景があります。 シャノンの定義や、元となるボルツマンのエントロピーの定義などほかでもお話ししていますのでここでは省きます。 その昔、川嶋JBPress編集長が日経ビジネスオンラインを創刊編集長として立ち上げた当初、「常識の源流探訪」連載に、数理経済ファンの1人として、こうした内容を多く記しました。そのころ話題になった「円天」という詐欺の分析はなかなか受け、経済誌3〜4つから依頼があって幾度も似たようなことを書いたりもした、懐かしい思い出です。 「稀にしか起きない事態をどう考えるか」と言うとき、それを生起確率として検討すれば微少量を扱うイメージになってしまいます。しかし単純に逆数を取るだけでも、今度は莫大な量を扱う算術に化け、しかもこちらでの単位は「情報量」ということになります。 音楽の研究室のかたわら、学内外協力で私たちは経済モデルを作ったりもしています。特に、均衡理論に金融工学の確率を導入する手法を検討しており、地震や津波の生起確率、あるいは放射性物質の残存確率といった不確定な量をマクロやミクロの経済理論に適切に導入する数理枠組みの構築が重要だと思っています。 現実の生活で私たちは不確実性の要素を避けることができません。そうした要素を量化して適切にマクロに導入することで、福利厚生の全体に資するものを作るのが大事だと思うわけです。 ギャンブルにも使うオッズ、確率の数理は、新しい厚生経済学を作るのにも役立ちます。「リスク」概念の適切な理解と評価は、こうした取り組みの最も重要な最初の一歩にほかなりません。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41712 |