http://www.asyura2.com/14/iryo4/msg/745.html
Tweet |
TBS「コウノドリ」HPより
産科医療が危ない!深刻な医師不足、過酷な勤務…それでも僕が産科医を続ける理由
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46810
2015年12月11日(金) 鈴ノ木ユウ,荻田和秀 現代ビジネス
産科医にしてジャズピアニストという異色の主人公・鴻鳥サクラの物語『コウノドリ』。そのモデルになった荻田和秀氏(大阪りんくう総合医療センター泉州広域母子医療センター長)に「産科医」という仕事について聞いた。
『嫁ハンをいたわってやりたい ダンナのための妊娠出産読本』の内容を、鈴ノ木ユウ氏の原作漫画『コウノドリ』と合わせて、特別公開する。
■僕が産婦人科を選んだ理由
僕はもともとミュージシャン(ジャズピアニスト)になりたくて、高校時代はバンドを組んでいました。そんな話はどうでもエエかもしれませんが、まあ、聞いてください。
ミュージシャンには「何百人にひとりのプロフェッショナル」と「何万人にひとりのアーティスト」がいます。プロは「いついかなるときでも誰とでもどんなことでも、実力を発揮する」職業で、アーティストは「売れようが売れまいが自分がやりたいことをできる才能のある」人です。
ものすごく才能のある先輩や友達がいたのですが、失踪したり、自殺したこともあって、18歳で悟りました。「アーティストにもなられへんし、プロにもなれない。オレ、向いてへんな」と。そこから医者を目指して勉強し、浪人してなんとか医学部に滑り込んだのです。
実は大学に入ってからも音楽をやっていました。非常に不真面目な学生だったと思います。あまりに授業に出ていなかったために、教授から「君が荻田くんか、初めまして」と言われるほど。「ああ、初めまして」と正直に言ったら、めちゃくちゃ怒られました(笑)。
だから「医者になったら死ぬほど真面目にやろう!」と決意したのです。初めは研究者を目指そうと思っていました。研究者はいわばアーティストです。アーティストになりたい、認められたいと思うあまり、おぼちゃん(小保方晴子氏)のような人も出てきてしまうわけですね、あの業界では。
ただ、そのときは自分の志向が定まっていなかったため、いろいろなことをできる科がいいと考えました。救命救急も考えたのですが、そのときたまたま産科の救急現場に居合わせたのです。産婦人科であれば、研究も外科的要素も救命救急の一面もあるんだなと気づきました。そんなわけで、僕は産婦人科を選んだのです。
■唯一「おめでとう」と言える産科
僕の時代はまさに「研修医残酷物語」でした。その頃は、少子化が懸念され始めた時代でしたが、ベビーブーマーのお産をとるために、産科医がかなりダブついていました。先輩から「お前、アホやな。産科に来てもポストないで」と言われる始末。
その割に、研修医は過酷な状況で、休みがないのは当たり前。8連続当直(泊まり勤務)も普通のことで、僕は最多で12連続当直したこともありました。しかも薄給。お金の話をしてもしょうもないのですが、初任給12万とうたわれていたのに、フタを開けてみたら8万5000円。借りていたアパートの家賃が7万5000円。こうなったら先輩にすがりついて、たかるしかありません。「こなきじじい作戦」です。
当時、僕がいた病院に、末期のがんで長期入院しているおばあさんがいました。そのおばあさんの病室に行くと、お見舞いの品とかお菓子がたくさんあって、「私は食べられへんから、これ、食べ」とくださるのです。今だから白状します。用もないのに、そのおばあさんの病室へよく行きました。食べ物をくださるので……ハイ、僕はパラサイト研修医でした。
時間もない、お金もない、とてもじゃないけど健康的な生活じゃない。健康を削るだけなら、若いので寝れば回復します。ただ、中には魂を削ってしまう人もいました。僕と同世代には、過労死・自殺が相次ぐような状況で、産科医の5年生存率(5年勤務を続ける率)は半分を切ると言われていたのです。
今は、新研修医制度(新医師臨床研修制度・平成16年創設)が大幅に変わったおかげで、そこまで過酷な状況ではなくなりましたが、産科医の人材不足は深刻です。正確に「産科医療の崩壊」と認識されるようになったのは、2000年代後半です。
2006年に起きた「大淀事件」(奈良県の大淀町立大淀病院の妊婦さんが意識を失い、その後19軒の病院が搬送を受け入れることができず、脳内出血で死亡した事件)が医者の産科離れに拍車をかけたと言えます。2008年には「墨東病院事件」(総合周産期医療センターでもある東京都立墨東病院が産科医不足のために、妊婦さんを受け入れることができず、死亡した事件)も起こりました。大淀事件や墨東病院事件は「妊婦たらい回し」とメディアで伝えられ、産科医不足問題が明るみに出たのです。
二度とこのような悲劇が起こらないよう、周産期医療は変わりつつあります。妊婦さんの救急搬送に対応するシステムは、各自治体でも検討と改善が行われました。それでも、産科医、あるいは新生児医が足りていない現状は未だ改善されていません。人数の問題に加えて、配置の問題もあります。
そんな周産期医療の現実もあり、産科は依然過酷な職場であることは間違いありません。それなのに、なぜ産科医を続けているのか。一般的には「産科医=ドM」と言われることも多いのですが(笑)、いやいや、違うのです。
「お産に立ち会う喜び」というのは、いわば麻薬のようなものです。ドラマチックでダイナミックな現場にいて、言葉ではたとえようのない喜びがあります。オキシトシンも出ているのではないかと思っていますし。だから産科医はやめられない。
それに、入院してきて、「おめでとう」と言えるのは産科医だけ。他の科であれば、基本的には患者さんに「お大事に」か「ご愁傷様」と言わなければいけない。でも、産科に来るのは患者さんではなく妊婦さんです。どんな妊娠でも「おめでとう」なのです。
■血の通ったプロでありたい
「産科医になってよかったと思いますか?」と聞かれることがあります。迷わず「はい」と答える自分がいます。一日に何回も「しんどいなぁ……」と思うことがありますが、それを上回る数の「よかったなぁ」があるから。だから今でも続けられています。
たとえば、妊婦健診に一緒についてきたダンナさんに、思いっきり蹴られたことがありました。虫の居所が悪かったのか、途中からお怒りになられて、キレられまして。超音波診断にイチャモンつけられて、蹴られたのです。これはしんどいでしょ?
僕にとっていちばんしんどいのは、母体死亡、妊婦さんが亡くなることです。もちろん赤ちゃんが亡くなるのもしんどいですが、元気だったはずのお母さんが亡くなるのは、本当にしんどい。僕自身、今までに母体死亡例を3件、経験しています。以前は、夜中にその夢を見て、汗びっしょりで目覚めるのを繰り返していました。
あのときは本当にしんどかった。「コウノドリ」の漫画の中でも主人公の鴻鳥先生の同期の四宮先生が経験しています。
僕らは「おめでとう」と言う科なのに、おめでとうと言えないケースも目の当たりにしているのです。妊婦さんと赤ちゃんの安全を何よりもいちばんに考えて、これだけ口うるさいことを言うのは、尊い命が失われる、つらい現場を知っているからなのです。
僕は常にプロでありたい、血の通ったプロでありたいと思っています。スタンスは決まっています。「どんな状況であっても妊娠した人には徹底して妊娠がうまいこといくよう、できるだけのことをする」です。
つづく。
***
『コウノドリ』鈴ノ木ユウ
定価:本体562円(税別)/モーニング(毎週木曜発売/講談社)で好評連載中!!
出産は病気ではない。だから、患者も家族も安全だと思い込んでいる。毎年この産院で行われる2000件の出産で、約300件の出産は命の危険と隣り合わせだ。その小さな命が助かることもあれば、助からない時もある。100%安全などあり得ない。それが出産。年間100万人の命が誕生する現場から、産科医・鴻鳥サクラの物語。
『嫁ハンをいたわってやりたい ダンナのための妊娠出産読本』荻田和秀
定価:801円(税別)/講談社+α文庫
「コウノドリ」の主人公のモデルとなった産科医自らが語り下ろした、ダンナのための妊婦とのつき合い方のバイブル。嫁ハンのことはいたわってやりたいとは思っていても、なかなかできないダンナさんのために、豊富な臨床経験から数多くの赤ちゃんとその両親に接してきた著者が、時に絶妙な関西弁も交えつつ、やさしく、厳しく教えます。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。