2. 2015年11月05日 11:37:13
: OO6Zlan35k
ワクチンを巡る科学とお金の微妙な関係「Dr.村中璃子の世界は病気で満たされている」<ワクチンの処方箋・その2> 2015年11月5日(木)村中 璃子 (写真:ロイター/アフロ) 11月になりました。そろそろ、会社でもインフルエンザワクチンの集団接種が始まるころですね。インフルエンザは低温と乾燥を好むので冬場を中心に流行します。インフルエンザワクチンは十分な免疫が得られるようになるまでに接種から3〜4週間かかるため、流行シーズンの始まる1カ月前には接種を終わらせます。早い年では12月のうちに流行が始まることもあるため、集団接種は11月中旬くらいまでには終わらせるのが一般的です。
今年のインフルエンザワクチンの特徴については、今後、本コラムなどでお伝えしていくつもりですが、今回はワクチンサイエンスとビジネス、そして公衆衛生との微妙な関係についてお話ししたいと思います。 ワクチンをはじめとする医薬品の開発には膨大な開発資金がかかります。 効果が高く安全性の高い医薬品をこの世に出すためには、一流の研究者と厳密に管理された研究開発施設が必要。つまり、テクノロジーだけでなくお金もかかるのです。しかも、人と施設がそろったからといって安全で効果の高い医薬品が簡単に作れるわけでもありません。そこをスタートに、効果と安全性の確認が繰り返し行われ、そこからまた膨大な時間とお金がかかります。 特にワクチンは「生物学的製剤」にあたるため、通常の医薬品とは異なり、特殊な審査と検定に合格する必要があります。 「ワクチン学の父」といわれ、ワクチン学のバイブルと呼ばれる “Vaccines”(第6版は1500ページ超あります!)の編者でもある、スタンレー・プロトキン医師はこう言っています。 「大学の研究室やラボではシードを作ることは可能であっても、いまやメーカーの開発力や洗練された施設なしにワクチンを製造することは不可能だ」 今年、ノーベル生理学・医学賞を取った大村智氏も米製薬大手のメルクとの共同研究で感染症治療薬を開発し、その業績をたたえられたことは象徴的です。医薬品やワクチンの開発には厳密なサイエンスが求められる一方で、資本主義の原理にのっとったビジネスとしての側面が必要とされていることが分かります。世界ではワクチンに携わる医師や研究者が、大学、行政、NGO、国際機関、そして、メーカーへと場所を移しながらワクチンの研究や評価、政策などに携わることはごく当たり前となっています。 企業は、一流の研究者を囲い込んで優れたワクチンを開発し、ワクチンキャンペーンをはり、ロビー活動を展開してワクチンをいち早く世に出すために膨大な資金を惜しみなく投じます。 安全性が十分に確立していないワクチンを世に出せば、健康な人に被害を与え、会社も甚大な損失を被るばかりか、メーカーの信用問題、ひいてはワクチン政策の是非の問題にもつながるので、治験に治験を重ね、効果が高く安全なワクチンをつくることは必須です。 健康な人に投与して病気を予防するために用いられるワクチンは、一般の治療薬とは異なり簡単に必要性が理解されづらいため、医師や専門家を巻き込み、公衆衛生学的見地からの啓蒙活動をすることが珍しくありません。 公費助成や定期接種化はメーカーにとって売り上げを左右するポイントであり、コストを抑えて安定供給を実現するためにも必要なので、政策向けのロビー活動も実施されます。 どんなによいサイエンスを持っていても、ワクチンとして製品化し普及させるためには、企業の力と資本主義の原理が必要であり、たとえ公衆衛生に関わるものであっても、利益を得られるビジネスとして成立させる必要があるのです。 ワクチンそのものはサイエンスですが、公衆衛生であり、ビジネスでもあります。そのため、ワクチン学は医者として患者さんを診たり、病気の研究をしたりしているだけでは全体像の分からない非常に複雑な専門分野となっており、このことが話をややこしくしています。 公衆衛生としてのワクチン政策の主体は国や専門家ですが、彼らがワクチンメーカーからお金をもらったから本当は危険なワクチンなのに承認されただの、ワクチンは製薬会社とグルになって国民を不妊にするために作られたものだといった、とんでもない陰謀論が出やすいのもそのためです。 ところで、私はワクチンに携わる人の登竜門と呼ばれるADVAC(Advanced Course of Vaccinology)の卒業生です。日本の医学部を見回してみても分かるように、ワクチンに関連する勉強や研究ができるのは、せいぜい免疫学や感染症学、公衆衛生学の講座くらいのもの。日本の学術機関や医療機関にいても、ワクチンについて体系的に学ぶことはできません。 しかし、それは世界でも似たような状況です。ADVACはそうしたギャップを埋めるべく、ワクチンに関して決定権のある、世界中の大学や研究機関に勤める研究者、行政関係者、NGO、そして、ワクチンメーカーに勤める医師などを対象として作られたコースです。 ただのトレーニングコースなのに登竜門と書いたのは、参加者にはワクチンサイエンスやワクチン行政に関する専門性や実務経験、決定権の有無を問う倍率の高い選考があるからです。コースで得られた知識とネットワークは、ワクチンの世界で勝負していくための一生の財産となります。 市場原理の働くワクチンメーカーでは、デザインと必要性がきちんとしていれば、申請した研究や調査に対し、必ずと言っていいほど潤沢な研究費が出ます。そして、メーカー内の医師や研究者には論文でファーストオーサーになることを許さない企業もあり、実績が残りにくいというデメリットはありますが、参加費が高く交通費もかかる国際学会やトレーニングなどにも業務として参加できます。 「医者がおいしい」時代は終わった ところが、これが病院や大学であれば話が違います。パイの決まった科学研究費を取るために誰もが苦労し、製薬会社から奨学寄付を受ける場合は利益相反を問われないよう、使用用途にも慎重になる必要があります。海外の学会やトレーニングに参加する際にも1年に数日しかない休みをあて、病院や学会から支給されたわずかな学会補助費で賄い切れない部分はすべて自腹。時間もお金も捻出するのに一苦労です。 病院や大学・研究機関などにいる実績や影響力のある医師や研究者には、製薬会社から講演が依頼され、交通費や講演料などが支払われたり、接待を受けたりすることもあるでしょうが、国立の大学や研究所の所属であれば受け取れる金額や名目にも制限があります。開業医や民間病院等に所属する医師であっても、最近はそういった利益供与に関する規制や自主規制は厳しく「医者はおいしい」と言われた時代は終わっているといえるでしょう。 価格高騰がワクチンの普及を妨げる 一方で、製薬会社の社員の平均年収は病院に勤める医師の平均年収を上回ると言われ、その給料の高さや潤沢な経費が、ワクチンの価格を不当とも言えるほど釣り上げる一因となっています。 もちろん、ビジネスの原則に基づいて得られた莫大な利益は、新しいワクチンの開発に投資され、新しいテクノロジーを凝縮させたワクチンが開発される原動力となっています。しかし、理由はともあれ高騰したワクチン価格が、ワクチンの普及を妨げる原因のひとつとなっていることはここで改めて指摘しておく必要があるでしょう。 ワクチンはビジネス抜きでは成立しないサイエンスと公衆衛生でありながらも、ビジネスであることが公衆衛生に悪影響を及ぼしているという矛盾。ビジネスとの絶妙なバランスの中で、ワクチンサイエンスは進歩し、ワクチン行政は変わっていくのです。 免疫の本体である「抗体」を世界で最初に発見したのは、日本人の北里柴三郎です。また、現在、海外で広く普及しているワクチンのいくつかは日本で開発されたものです。しかし、日本のワクチンサイエンスは公衆衛生政策とないまぜになり、微研(阪大微生物病研究会)や化血研(化学及血清療法研究所)といった半官半民の財団に閉じ込められてしまいました。 ワクチンのビジネス性を軽視した結果、それらの財団は研究開発施設というよりも、買い上げ数の決まった定期接種用のワクチン製造施設となって、国際競争力を失いました。日本で開発されたワクチンは、海外のメーカーに買い取られてブランド化され、大量生産されて世界中に売られ、海外のメーカーに富をもたらしています。 さて、前述したワクチンコースADVACは、フランスのメリュー財団が持つ、スイス国境近くにある湖のほとりの小さなお城で実施されます。早朝から全員が集まり、夜遅くまで最新のワクチン学を叩き込まれます。 ワクチンを語る際に決して忘れてはならないのは、ワクチンを接種する人たちのリスクとベネフィットの問題です。ワクチンは「生命に関わるような病気を防ぐ」という非常に大きなベネフィットを持っていますが、100%安全な風邪薬や食べ物がこの世には存在しないように、100%安全なワクチンも存在しません。そのため、どんなワクチンであっても必ず一定の割合で副反応が生じます。 当然のことながら、リスクとベネフィットの問題を中心とした「倫理性」は、治験の段階から問われます。 ADVACでお題になったのは「発展途上国で未承認のワクチン治験を実施する際の倫理性」。 ワクチンに限らず医薬品の治験は「倫理委員会」で承認されることなしに開始することはできません。中でも、ワクチンは公衆衛生にダイレクトに関係し、多くの人の健康に関係してくるため、場合によっては数十という数の第三者機関の倫理委員会を通すこともあります。 ADVACでは、このお題についてロールプレイングを通じて理解していきます。人権団体の人は製薬会社の役を、製薬会社の人は人権団体の役を、行政から来た人はマスメディアの役を演じるなど、日頃の自分とは違う立場の人の役を演じます。 副反応のリスクよりも予防のベネフィットを重視 ロールプレイングを通して知ったのは、治験のリスクとベネフィットを比べた場合、海外ではベネフィットの方の倫理性を問うことが圧倒的に多いことです。 例えば、ワクチンの接種群と生理食塩水の接種群で予防効果を比較する治験を実施する場合、ワクチンを打った群で副反応が生じるリスクよりも、生理食塩水しか接種してもらえず予防のベネフィットを得られないことの方が倫理的に問題視されます。 治験に参加する人の安全性を確保することは言うまでもありませんが、公衆衛生の基本は「ワクチンで守られる権利」はどんな人にも等しく与えられるべきであるという考え方です。 ADVACでは2食を共にし、早朝から夜遅くまでワクチン談義をしながら過ごします。フランスならではと言えるのは、メリュー家のラベルのついたワインが昼食から出てくること。短いコースですが、楽しい思い出と厳しいトレーニングを共にした卒業生は、働く場所が変わっても世界のどこにいても「同期」として一生付き合い続けます。 ワクチンの処方箋・その2、湖畔のブドウ畑で作られたワインの思い出と共に、最近またワクチンについて語る機会の多い、村中璃子がお届けしました。 このコラムについて Dr.村中璃子の世界は病気で満たされている 筆者は感染症とお酒を愛する女医。家庭や職場から国家、ひいては世界まで、病気の向こう側に見える意外なリスクとチャンスを考えます。「自分のカラダ」のことから「パンデミック時の株価予測」まで幅広く取り上げる、医療や健康に関心の高いビジネスパーソン必読の新ジャンルの医療コラムです。 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/082600030/110200007/?ST=print |