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読書の秋です。私の手元の一冊から、少し長く成りますが、興味有るお話をお送り致します。
(以下引用)
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羊のスクレイピー病、牛の狂牛病、そしてヒトのクロイツフェルト・ヤコブ病、これらの病気は名前こそ異なるが、それは宿主の違いであって、すべて同じ病気であり、同じ病原体によって引き起こされる。この病原体は経口的に、つまり食べ物を介して感染する。感染した動物の肉を食べることによってうつる。草食動物であるはずの牛が狂牛病になったのは、羊や牛の死体から作られたタンパク飼料、いわゆる肉骨粉を強制的に食べさせられたためである。
この病原体は、通常のウィルスや細菌なら簡単に死んでしまうような加熱処理に対しても生き残ることができる。加熱だけでなく、殺菌剤、放射線照射などに対しても抵抗性を示す。これは病原微生物学の常識では普通、考えられないことであり、それがゆえに、不死身の病原体として恐れられることになった。
この病原体に感染してもすぐには何も起こらない。自覚症状もなく、感染を知るための診断方法もない。しかし、病原体はゆっくりと増殖と侵攻を進めている。それは何年、場合によっては何十年もの年月をかけて秘かに行われる。やがて病原体は、どのような経路を通ったのかは定かでないが、能に到達する。ここで病原体は急速に増殖を行う。病原体が能で増殖しだすと、脳の神経細胞がころされ、死滅していく。神経が死んで脱落すると、そこには細かいスポンジ様の空砲ができる。神経が死に始めると、当然、宿主は正常ではいられなくなる。クロイツフェルト・ヤコブ病の場合、最初、症状は不安、焦燥、健忘などの形で現れる。ついで歩行障害、運動異常、起立困難などを引き起こす。意識が失われ、食事を取れなくなり、衰弱して、ついには死に至る。発症すると回復することはない。致死率100%の病気である。いまのところ、薬も治療法もない。
過去、多くの研究者たちが、この病気の病原体をつかまえようと必死の探索を繰り返した。しかし、手がかりは杳(よう)として得られなかった。電子顕微鏡で病巣をくまなく調べても、細菌はおろか、ウィルス粒子のようなものもまったく見つけることができなかった。血液中にも病原体の痕跡はない。そもそも病原体に感染すると必ず起こるはずの、宿主側の免疫反応が起こらないのである。
(中略)
潜伏期が異常に長いこと、免疫反応がないこと、熱や放射線に強い抵抗性を示すこと、にもかかわらずまったく姿が見えないこと、これらの特殊性は病原体が普通のものではないことを示している。しかし一方、感染した後に特定の臓器で増殖すること、潜伏期長さの異なる複数の病原体“株”があること、細菌を通さない微細なフィルターを通り抜けること、などからは、この病原体はやはりウィルスの一種であることを疑わせた。ある研究者はこれを非定常型ウィルスと、別の研究者はスローウィルスと呼んだ。しかし、病原体の正体はいっこうに明らかにならなかった。
そんなある日、これまでとはまったく異なった、まったく新しい仮説が登場してきた。この病気にかかった動物の脳には特殊なタンパク質が蓄積していることがわかったのだ。それは健康な動物の脳には存在しない。このタンパク質自体が病原体なのではないか!遺伝子としての核酸を持たない、タンパク質だけからなるまったく新しいタイプの病原体。このタンパク質の発見者、スタンリー・プルシナーは一気に結論に跳躍した。
彼はこの病原体に斬新な名前を与えた。プリオン。タンパク性感染性粒子の略である。タンパク質自体が病原体ならば、微細なフィルターを通過することも、放射線によって壊れにくいことも、ウィルス粒子が見つからないことも説明できる。また、プリオンが、もともと宿主の持っている正常なタンパク質が長い時間をかけて変性して生成する、異常型のタンパク質であるとすれば?長い潜伏期の謎も、免疫反応が起こらない謎も(もともと自己タンパクだから)、一気に氷解するではないか。
こうしてプリオン説は華々しく登場した。タンパク質そのものが病原体だとするこの仮説は、もちろん、発表当初、きわめて激しい反対論にさらされた。感染し、増殖する病原体は、ウィルスにせよ、細菌にせよ、すべて遺伝子=核酸を持っている。これが生物学の大原則であり、セントラル・ドグマ(中心原理)である、それに例外を作るというのかと、確かにプリオン説は、最初、まったくの妄言のように聞こえた。しかし、意外なことに、時間がたつにつれ、プリオン説、つまりタンパク質犯人説に合致するような実験データが次々と集まりだしてきたのである。
(中略)
この病気はプリオン病と総称されるようになり、プリオン説は次第に支持を集めるようになる。多くの研究者がプリオン説を信じるようになっていった。1997年、プルシナーは、プリオン説の提唱によりノーベル生理学・医学賞を単独受賞した。「かつて異端の説がいまや正教になった」と彼は高らかに勝利宣言をした。これまでプリオン説に批判的だった反対勢力も沈黙するしかなかった。ノーベル賞が仮説の正しさを裏付けるわけではない。彼らはそう呻(うめ)いて苦い思いをかみしめたことだろう。しかし、プリオン説反対論者は、結局、真犯人としてのウィルスや細菌を見つけることはできず、対案を示すことができなかったのも厳然たる事実なのである。こうして、いまや、世界はプリオン説の制圧下にある。
しかし、プリオン説はほんとうに正しいのだろうか?
確かに数多くの実験データがプリオン説を支持している。
とはいえ、プリオン、すなわち異常型プリオンタンパク質が病原体そのものであることを直接証明する実験結果は何一つないことも事実なのだ。プリオン説は、病原体確認のクライテリア(基準)となるコッホの三原則を満たしていない。試験管内で感染性を持つ異常型プリオンタンパク質を作り出すことは誰も成功していない。
(中略)
結論を端的に述べれば、プリオンタンパク質が、病気の発症と進行に密接に関わっていることは紛れもない事実である。が、しかし、異常型プリオンタンパク質自体が病原体そのものであるかどうかはなお不明であり、真犯人が別に存在する可能性がある、というものである。その論点と論拠が本書の内容である。
福岡伸一(ふくおかしんいち) 1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ロックフェラー大学およびハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授を経て、青山学院大学理工学部に新設された化学・生命科学科教授。分子生物学専攻。研究テーマは、伝達性スポンジ脳症の感染機構、細胞の分泌現象、細胞膜タンパク解析。最近の著訳書に、狂牛病禍について論じた『もう牛を食べても安心か』(文春新書)、史上最もエキセントリックなノーベル賞受賞者の自伝『マリス博士の奇想天外な人生』(早川書房)、リチャード・ドーキンスの近著『虹の解体』(早川書房)、男の遺伝子由来を論じた『Yの真実』(化学同人)など。
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ノーベル賞を受賞する科学者が常に正しいとは限らない。
当たり前の事ですが、この事は肝に銘じておかなければならない、と思ひます。
2015年10月5日(月)
西岡昌紀(内科医)
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「ノーベル賞」選考過程の裏側
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3645213
<ノーベル賞>選考の裏側 詳細は発表から50年間秘密50
2015年10月02日 19:20 毎日新聞
ノーベル賞とは−−選考スケジュールなど
今年もノーベル賞発表の季節がやってきた。1901年の第1回以来、数ある自然科学の賞の中で、別格の地位を保ち続けているが、受賞者は誰がどのように決めているのだろうか。医学生理学、物理学、化学の自然科学3賞の選考過程の裏側や権威の秘密を探ってみた。【藤野基文】
ノーベル賞は、ダイナマイトの発明で知られるスウェーデンの化学者で実業家、アルフレッド・ノーベル(1833〜96年)の遺書に基づいて創設された。授賞対象を国内の研究者や選考団体の会員に絞らず、国外の研究機関や研究者にも推薦を依頼するという世界初の国際賞だ。
遺書に従い、物理学と化学両賞は王立科学アカデミー、医学生理学賞はカロリンスカ研究所が選考・授与する。選考方法は創設以来ほぼ変わらず、毎回1年以上をかける。
選考は授与の前年9月、各選考機関が設置するノーベル委員会が、過去の受賞者を含めた世界約3000人の研究者に推薦依頼状を発送することから始まる。推薦は1月31日到着分で締め切り、それ以降の到着分は次の年の選考に回される。自薦はできない。
毎年約250〜350人の名前が挙がり、委員会は世界中の専門家の意見を聞いた上で、6〜8月に最終的な候補者を絞り込む。9月に最終候補者の推薦状が委員会から各選考機関に提出され、議論される。そして発表当日、選考機関のメンバーによる投票で受賞者が決定する。
選考過程の詳細は発表から50年間は秘密。その後、ノーベル財団が認めた研究者などに限り、内容を閲覧できる。
閲覧を認められている岡本拓司・東京大准教授(科学史)によると、受賞を逃した日本人で最も惜しかったのは病理学者の山極勝三郎だという。山極は世界で初めて、がんを人工的に作ることに成功し、1926年の医学生理学賞の候補になった。しかし、がんの研究で山極とフィビゲル(デンマーク)を推薦したスウェーデン人の医学者が、なぜか最終段階で山極を外した。26年の賞はフィビゲルに与えられたが、後にこの業績は「誤り」だと判明した。
他に、第1回の医学生理学賞の候補に日本の細菌学の創始者である北里柴三郎が挙がっていたことや、細菌学者の野口英世が日本人候補者で最多の9回もの推薦を受けていたことも明らかになった。
ノーベル賞の権威について、授賞式に何度も招待されている黒田玲子・東京理科大教授(生物化学)は「人類に貢献している分野の扉を開いた人に与えられるという『学問を大切にする思い』、そして、選考から授賞式のやり方に至るまで守り続けられている伝統。これは他の賞がまねようとしても、できるものではない」と話す。
今年、その栄誉に浴するのは果たして?
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