1. 2015年9月03日 08:44:04
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普通のサラリーマンでも認知症になる。そのときどうする?映画で学ぶ「認知症ケア」の今医療・介護 大転換 【第38回】 2015年9月2日 浅川澄一 [福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)] アカデミー賞の主演女優賞を映画「アリスのままで」のジュリアン・ムーアさんが獲得した。役柄は50歳を迎えたばかりの言語学教授。若年性アルツハイマー症が進んでいく姿を演じ、その迫真の演技が評価された。 認知症の人が急増していくのは日本だけに限らない。多くの先進諸国で共通する社会的な課題である。普通の家庭を突然襲う「悲劇」と捉えて、映画のテーマにされてきた。 まず、作家の描く文芸作品から始まり、次いで妻や夫の介護体験記をベースにして製作されてきた。そして、社会保障施策として介護が表舞台に登場するとともに、認知症ケアの実態をストレートに描く記録映画が出現し始めた。それぞれ第1類型から第3類型へと位置づけられ、認知症ケアが向上して行く歩みと符合する。 ある日、認知症になったら… 夫婦愛や家族愛のラブストーリーから、ケアのあり方を問う極めて実践的で研修教材と言えるような作品まで相当に幅広い。きれいごとの物語では済まされない厳しい現実を前に、その実情をありのままに突きつけ、その対応法を学び取ろうという方向に向かっているようだ。
認知症を軸に介護を主題とした内外の映画作品を振り返ってみる。 認知症本人の目線で語られる 「アリスのままで」 「アリスのままで」は、アカデミー賞のほかゴールデングローブ賞と英国アカデミー賞の各主演女優賞や多くの映画賞も得て、昨年の映画界の話題をさらった。これまでの「介護作品」と違うのは、家族や周辺からの目線でなく、認知症本人の目線で作られていることだろう。主役の大学教授が、日々の講義や暮らしの中で突然記憶が抜け落ちてしまう。その驚愕と不安な気持ちが正面から描かれている。 学生を前にした講義中に専門用語が出て来なくなって周章狼狽する。ジョギング中に自宅の方向が分らなくなってしまう。挨拶したばかりなのに初対面の言葉をかけてしまう。 認知症の初期に見られる記憶の抜け落ちである。それを自身で自覚し、「自分が壊れていく」と理解できる。記憶喪失がこの先どんどん広がっていく。その未来像におののく。深刻な事態を予測し、次第に本人の面立ちも変わっていく。その過程が実にリアルだ。 この数年、日本の認知症ケアで強く指摘されているのが「本人本位」。認知症本人の立場に立って接していかねば、という大きな流れの中で作られた作品である。 認知症の本人が自分の気持ちを表現した代表例は、オーストラリアのクリスティーン・ブライデンさんだろう。1995年、政府高官だったクリスティーンさんは46歳でアルツハイマー症と診断される。日本にもやってきてたびたび講演した。 認知症になるとどのようなことで困難な思いをしているか、どのようなケアをしてほしいかなど当事者ならではの発言をし、本も執筆している。 映画の中で主人公は認知症の症状を冷静に分析しスピーチする。 「わたしたちを役立たずだと思わないでください。わたしたちの目を見て、直接話しかけてください。わたしたちが間違ったことをしてもパニックにならないでください。わざとしていると受けとらないでください。なぜならわたしたちは間違いを犯してしまうからです。わたしたちは同じことを何度も言い、おかしなところにものを置き、迷子になるでしょう。でも必死になってその償いをし、認知の喪失を乗り越えようとするでしょう」 この言葉は、ブライアンさんが繰り返し語っていることと重なる。 2004年には京都市で開かれた「国際アルツハイマー病協会第20回国際会議・京都」で福岡市在住の認知症の男性が、日本人として初めて登壇し、日々の生活を語った。その後、各地で主に若年性認知症の人たちが介護関係のセミナーに出席して、自身の体験を披露するようになる。 2002年には、認知症ケアに早くから取り組んできた英国・スコットランドで認知症当事者のグループが世界で初めて登場し、政府や自治体の審議会に参加し政策に関与している。日本でも昨年10月に当事者組織の日本認知症ワーキンググループが発足した。 若年性認知症特有の苦労を描いた 「明日の記憶」 映画「アリスのままで」の原作は、認知症やうつ病の研究者が書いたベストセラー「静かなアリス」(Still Alice)。その後、邦訳名が「アリスのままで」となった。 日本でも、若年認知症になっていく主人公の小説が映画化され大ヒットしたことがある。2006年の「明日の記憶」だ。同じ49歳、広告代理店のやり手営業マンを渡辺謙さんが好演。渡辺謙さんは、この6月にブロードウェイのミュージカル「王様と私」でトニー賞最優秀主演男優賞にノミネートされ、「日本人初」と大きなニュースとなった。 上映時には介護保険制度が始まってグループホームが制度化されるなど、認知症についてかなり知られるようになってはいた。だが、65歳未満の「若年性」は初耳の観客が多かった。普通のサラリーマンでも認知症になる、という衝撃は大きかった。「若年」という呼称に違和感があるが、高齢者の定義が65歳以上なので、その年齢未満を「若年」と呼ぶことにしたからだ。 若年性認知症の人のケアや生活は、一般の認知症ケアと違い多くの難題がある。記憶障害のため仕事の継続ができなくなったり、転職を迫られて収入源を招く。子どもがまだ学生のため、その教育費や養育費に支障を来きたかねない。生命保険の疾病内容に認知症が明記されていないため、保険金の受け取りが困難な人もいる。 介護保険のサービスは利用できるが、認知症の通所介護(デイサービス)に行っても周囲は親の年齢に近い利用者で、居心地が良くない。若年性認知症で初期のころは、仕事や日常生活で「できること」がまだ多い。中重度者と一緒のレクリエーションは馴染まない。 「カルチャーセンター的な作業がふさわしい」との指摘も多く、写真撮影や大工作業など得意技を披露できる環境作りが必要と言われる。実際に、若年性認知症高齢者を支援するNPO法人がこうした活動に乗り出している。だが、極めてまれで、どこでもとは言えない。 ただ映画では、夫婦愛に力点を置きすぎたようで、かなりきれいごいとに近くなってしまった。 様々な人たちが集まる理想の姿を描いた 「ホーム・スイートホーム」 認知症をテーマにした小説の映画化ということで最も大きな影響を与えたのは有吉佐和子さん原作の「恍惚の人」だろう。森繁久弥さんが認知症高齢者を演じ、1973年に上映された。40年以上も前のことだ。歴史的限界もあり認知症への誤った判断を生みかねず、その「否定」になったのが後の映画や小説の歴史である。原作の問題点については前回の第37回で論じたので参照されたい。 その約10年後の1985年には「花いちもんめ」が制作された。千秋実さんがアルツハイマー病になった元教授を、その息子の妻で介護者となるのは十朱幸代さん。 2000年の介護保険スタート時には松山善三さんが原作の「ホーム・スイートホーム」が上映される。松山さんが一風変わった制作会社、シネマエンジェルと出会って公開に結びつけた。シネマエンジェルは、経営者団体の東京中小企業家同友会(加盟約2200社)が会員有志で立ち上げた。配給会社を通さずに、40万円で一日興行主を募る上映法だ。 同社の三宅一男社長が「高齢者をテーマにした映画を作ろう」と強い思い入れがあった。認知症の父親に3年付き添った三宅さんは「同じように苦労している経営者は多い。我々は小さな会社だからすぐに事業に響く」と原作に共鳴したと言う。 元オペラ歌手が認知症になり、周囲を右往左往させて、最後に認知症のグループホームに落ち着くという内容だ。ただ、制度上のグループホームは全員が認知症者だが、ここは4人の健常の女性たちと一緒に過ごす特異な形態。 加えて、素人が簡単にグループホームを運営できると誤解されかねない場面もあり、グループホームの全国団体、全国痴呆性高齢者グループホーム連絡協議会(現・日本認知症グループホーム協会)が製作会社の後援依頼を断る「事件」が起きた。 認知症高齢者の暮らしを考えると、松山さんの想定した「グループホーム」を制度外として簡単に切り捨てられない。というのも、私たちのあるべき理想の社会としてよく言われる「共生型」「共生社会」「ノーマライゼーション」というのは様々な人たちの集まりのことである。 「障害者と健常者の共生」という考え方は知られている。障害者を施設に閉じ込めないで、一般の地域社会の中で共に暮らそう、とする考えだ。認知症高齢者は、介護保険法によると自立者でなく要介護者。健常者ではなく、障害者の範疇に入る。 デンマークで1982年に提唱された高齢者3原則のひとつに「従来の生活の継続性」がある。障害を持ったり、そのため要支援者となるのは普通の人間に起こることで、生活の中ではよくあること。従って、障害者や要支援者だけの生活はありえない。健常者だけの生活もあり得ないだろう。 健常者に障害者、要介護者が混ざっているのが人間らしい普通の生活といえる。映画の中で集団生活を送る場所は、題名通り「スイートホーム」なのだろう。 介護家族の体験記の増加 高齢化率の高まりとともに、介護を体験した家族が増え、その体験記や話が映画の原作となりつつある。介護映画の第2類型だ。中でも、普通の市民の体験がベースになり、さらに周囲の知人、住民が映画作りに積極的に関わる「出色」の作品も現れた。 「認知症への正しい理解が広まってほしい」という関係者の熱い思いが込められている。その背景には、「恍惚の人」以来の、認知症になると「意思の通じない怖い人」に変わってしまうという間違ったイメージが未だに根強いからだ。 2001年に上映された「折り梅」は、主婦の介護体験記「忘れても、幸せ」(日本評論社)が原作である。原田美恵子さんとその義母役に吉行和子さんが出演。 原作者の住む愛知県豊明市で多くの場面が撮影された。というのも、原作者の知人たちが中心になった「映画化を支援する豊明市民の会」(会員310人)が署名やカンパを集めて、豊明市から制作助成金を引き出した。 撮影中も、エキストラだけでなく「煮物や漬物意を届けたり、うどんの炊き出しなど町を挙げて手伝った」。こうしたボランティアたちの活動が、映画にリアリティを与えている。 「ホーム・スイートホーム」の第二弾、「ホーム・スイートホーム2 日傘の来た道」も、愛媛県在住の建築家の体験から2003年に制作された。その建築家が所属する地元のボランティア団体「NALC今治」が、今治市での撮影の手助けや全国での上映会の支援に乗り出した。 親の介護のため、エリート社員の息子が東京から帰郷し、地域の仲間も支援に加わるという内容だ。「女性だけが介護の担い手とする考え方を変えたい」と、前作に続いてメガホンを取った栗山富夫監督は強調していた。 英国映画で2002年に日本で公開された「アイリス」も体験記に基づく。著名な作家、アイリス・マードックが認知症になっていく様子を文芸評論家の夫が綴った。在宅介護に追われる夫の細やかな気遣いに心打たれるラブストーリーである。その巧みな演技で夫役のジム・ブロードベントがアカデミー賞助演男優賞を得ている。 胸に迫る 介護記録映画 介護映画の第3類型となるのが記録映画である。作り事ではない生の実態が浮き彫りになる。 「毎日がアルツハイマー」とその続編「毎日がアルツハイマー2」が傑出している。認知症を抱えながら家の中で暮らす母親。カメラを手にした同居する娘が、その日常生活をどこまでも執拗に追いかける。 その娘、関口裕加さんは監督も兼ねる。手作りそのものの相当な異色作だ。母親が認知症になったため、長年の豪州滞在を打ち切って急きょ帰国、カメラを手にして監督になってしまった。 散らかった家の中が丸見えである。当たり前の日々の生活をこれでもかと映し出す。母親が「うるさい」とカメラに向かってどなる。息子や姪も自然に画面に登場する。 大変な家庭生活なのに、絶えず笑いが起きる。普通の人間が普通の口調で話し、生活を送る。画面が正直にその動きを掬い上げる。認知症をありのままに皆で受け入れている様子が実によく分かる。 「笑いで母を包んであげようとした」と関口さん。 2年半もカメラを回し続け記録したのが「毎日がアルツハイマー」。YouTubeに載せて話題になり、2012年から劇場公開を始めた。 関口さんは、認知症について調べ出し、専門家に会いに行き話を聞いて回った。専門医から「お母さんは認知症になって苦しんでいる。認知症だから閉じ籠っているのでなく、自分で選んで閉じ籠っているのです」と説明されて、母親の目線で見るようになった。 パーソン・センタード・ケア(本人を尊重するケア)という欧州で浸透しているケア手法を知ると、すぐに英国に出かける。英国で研修を受ける姿をそのままカメラにおさめたのが続編の「毎日がアルツハイマー2」である。2014年に公開された。 家族ができることを存分に発揮している。それも実写だから場面の一つ一つが胸に迫ってくる。家族介護に追われる人たちには必見の画像である。これまでの「介護映画」の俳優たちの演技が空々しく思えてしまうほどの面白さがあり、誰しもが我がことのように考えさせられる。 最後に昨年公開されたばかりのちょっと毛色の違う映画にも触れておかねばならない。米国映画「パーソナル・ソング」である。 思い入れのある曲を聴くことで、認知症の人がその音楽に親しんでいた当時の生活の記憶を蘇らせるというドキュメント作品である。 施設に入居している94歳の黒人男性にゴスペルの名曲「ゴーイン・アップ・ヨンダー」を聴かせた途端、若い頃を思い出し自転車好きだったことなどを話し出す。そうした効果が次々実証される。 音楽が脳の広い部分を刺激し、眠っていた心を呼び戻すと言う。ボディタッチが良いと言われるが、脳の奥には手でなく音楽で触れる。医学的にきちんと立証されてはいないが、なんとなく理解できる。実践してみたい気になるのは確かだ。 http://diamond.jp/articles/print/77711 |