http://www.asyura2.com/14/iryo4/msg/581.html
Tweet |
精神科看護師の暴行を報じたテレビ朝日報道
精神科病院准看護師が 患者の頭を踏みつけ、首の骨を折る 異常虐待の闇が明るみに!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43950
2015年07月09日(木) 佐藤光展(読売新聞医療部 記者) 現代ビジネス
先月、山口県下関市の知的障害者福祉施設で、施設職員が利用者を平手打ちして暴行容疑で逮捕されて物議を醸したが、今度は精神科病院の虐待事件が明るみに出た。
事件が起きたのは2012年1月。千葉県警によると、千葉県中央区の精神科病院「石郷岡病院」の准看護師2名は、同病院保護室で男性入院患者の着替えを介助する際に、顔をひざで押さえたり、顔を蹴るなどの暴行を加え、首の骨を折る重傷を負わせた。この時に与えた怪我が原因で、この男性患者は2014年8月に、肺炎で呼吸できなくなり死亡した。
事件発生から3年が経過し、2015年7月8日、同県警はようやく准看護師2人を傷害致死容疑で逮捕した。暴行の一部始終を撮影したビデオ映像があったにもかかわらず、驚くほど司法の動きは鈍かったのだ。
局面を打開したのは、読売新聞医療部の佐藤光展記者だった。
同記者は、精神医療をテーマにした調査報道で高く評価される医療ジャーナリストで、いち早くこの問題を取り上げ、読売新聞紙面やネット連載で繰り返し、この事件を取り上げた。こうした地道な取り組みが実を結び、テレビ局が相次いでこのビデオを放映したことで、事件が社会問題化し、ようやく捜査が本格化した。
ごく普通の大学生だったこの男性が、なぜ精神科病院に長期入院し、暴行の末、命を失うことになったのか。佐藤光展記者が書いた『精神医療ダークサイド』(講談社現代新書)の調査報道をもとに、事件の一部始終をレポートする(全2回)。
この事件には、単に病院職員の患者虐待に留まらない、根深い問題が内在している。薬物治療に極度に依存した日本の精神医療では、こうした悲劇は氷山の一角にすぎない。
しかし閉鎖的な精神科病院では、薬漬け医療や患者虐待が表に出ることはほとんどない。残念ながら、程度の差こそあれ、この事件に似たような悲劇が日常的に繰り返されているのが、日本の精神医療の実態なのだ。
被害者の名は、ユウキさん(仮名)としておこう。ユウキさんが隔離された部屋に設置されていた監視カメラは、看護師の暴行行為の一部始終を撮影していた。
ビデオ映像を見ると、激しく踏んだり蹴ったりしているように見える。暴行を受けた時、ユウキさんは床にあおむけに寝かされていたが、彼の首は以前飲んでいた薬の副作用であごが鎖骨のあたりにつくほど前傾し、頭部が浮き上がっていた。そこを強く踏みつけられたらどうなるのか。ビデオ映像はYouTubeで公開されているので、確認していただきたい(映像はユウキさんの姉のブログでも見ることができる)
→暴行行為を撮影したビデオ映像(オリジナル)
https://www.youtube.com/watch?v=dtOsNnlZKz8
→ユウキさんの姉のブログ
http://gunter75.blog.fc2.com/
なぜ、大学生になるまで精神科とは無縁だったユウキさんが精神病院に長期入院することになったのか? 以下、『精神医療ダークサイド』の記述を引用しながら振り返ってみたい。
ユウキさんが精神科で治療を受けるようになったのは、大学3年の時だった。東京の有名大学で社会学を学び、将来は報道関係の仕事に就きたいと考えていた。とはいえ勉強一筋だったわけではなく、テニスサークルに所属して大学生活を楽しんでいた。
ところが3年の春、独り暮らしをしていたアパートに突然引きこもった。
両親が異変を察して部屋を訪れた時には、何も食べずガリガリにやせて布団に横たわった状態だった。驚いた両親は実家に連れ戻した。引きこもりの詳しい原因は不明だが、ユウキさんと電話でよく話していた姉は「恋愛や交友関係で悩みを抱えていたようです」と話す。
ユウキさんは実家で次第に元気を取り戻した。運動をしたり、図書館に通ったり、飲食店でバイトをしたりした。まもなく通学も再開したが、両親の心配は消えず、片道4時間かけて実家から大学に通うことになった。
この遠距離通学が再び精神的消耗につながったのか、3年の夏、家族に相談もなしに退学届けを出した。その直後から抑うつ状態が顕著になった。「一日中ボーッとして魂の抜け殻のようでした」と母親は振り返る。
■抗うつ薬の服用で運命が暗転
近くのI精神科病院(以下、I病院と表記)を受診し、抗うつ薬パキシル(神経伝達物質セロトニンの再吸収を阻害してセロトニンを増やす抗うつ薬SSRIの一種)が処方された。飲み始めて2ヵ月、向かいの家の引越し作業をしていた運送会社の男性をいきなり殴って軽傷を負わせた。ユウキさんは自分で通報し、警察に行った。調べを終えて実家に戻る途中、両親に「寂しかったんだ」と漏らした。
ユウキさんが飲んでいたパキシルは、衝動性を亢進(こうしん)する副作用が報告されている。特に若い人が服用する場合は要注意とされる。添付文書の一部(「重要な基本的注意」の一部)を抜き出してみよう。
不安、焦燥、興奮、パニック発作、不眠、易刺激性(いしげきせい)、敵意、攻撃性、衝動性、アカシジア/精神運動不穏、軽躁、躁病等があらわれることが報告されている。また、因果関係は明らかではないが、これらの症状・行動を来した症例において、基礎疾患の悪化又は自殺念慮、自殺企図、他害行為が報告されている。
ユウキさんの行動について、東京の西部にある精神科病院の薬剤師は指摘する。
「賦活症候群(アクチベーション・シンドローム)の可能性が考えられます。パキシルは確かに高い抗うつ効果があってよいのですが、代わりに衝動性が高まる賦活症候群のような副作用が起こり得ます。『パキシルは効くから』と安易に処方する医師が多いのですが、他のSSRIとは違った薬物動態であることを知るべきです。
薬は通常、飲むと血液中の成分の濃度が上がっていきます。これは『線形モデル』と言って、薬の量と濃度が比例関係になります。ですが、パキシルは『非線形モデル』のため比例関係ではありません。薬を少し増やしただけでも、人によってはものすごい量の血中濃度になることがあるのです。すると場合によっては、脳のセロトニンを刺激して衝動性が増すと考えられます」
ユウキさんの暴力行為がこの副作用にあたるとは断定できないが、それまでの穏和な性格から考えると、あまりにも唐突で自滅的な行動だった。
■統合失調症と誤診した主治医による薬漬け治療がスタート
見知らぬ人を殴ったユウキさんは、家族に伴われてI病院に行った。診察した精神科医はユウキさんにいくつか質問したが、幻聴や妄想が確認できないことを不思議がり、しきりに首をひねった。最後には「無関係の他人を殴るのだから統合失調症でしょうね」と結論づけた。
この精神科医の頭の中には「理由なく人を殴る行動=統合失調症」という等式ができあがっていたらしい。一般人の偏見レベルであり、無理解も甚だしいが、こうした乱暴な診断が精神科では珍しくない。
「自宅で様子を見てください」と3日分の薬が渡された。それは後日、抗精神病薬リスパダールと分かった。
服薬1日目。飲んで間もなく首がうなだれて意識がなくなった。母親が驚いてI病院に電話すると「水を飲ませてください」とだけ指示された。
服薬3日目。父親と散歩中、上半身がけいれんしてエビのように大きく曲がり、苦しみ出した。呼吸が困難になり、唇が紫色になった。救急車でI病院に運ばれ、薬の血中濃度を下げる点滴が行われた。
この入院中も統合失調症の診断は変わらなかった。薬は古くからある抗精神病薬プロピタンに変更され、不随意運動を抑える目的で抗パーキンソン病薬アキネトンが追加された。だが、意味不明のことを話し出すなど状態は悪化し、別の抗精神病薬や抗不安薬などが追加されていった。
入院1ヵ月半、首の筋肉が硬直して前方に曲がり始めた。入院半年、斜頸(しゃけい)が進んであごが鎖骨のあたりについたままになった。斜頸の治療のため大学病院に転院したが、筋肉の緊張を和らげるボトックス(A型ボツリヌス毒素製剤)注射を首に打っても状態は改善しなかった。
この大学病院でも精神科を受診した。統合失調症の診断は変わらず、服薬を続けるうちに歩行困難や意識障害が現れてきた。精神科医から電気けいれん療法を勧められ、1クール(6回)受けたが効果はなかった。そればかりか「電気ショックを境にかえって精神状態が悪化した」と父親は語る。2クール目を勧める精神科医に不信感を募らせた家族は、再び転院を決めた。
■統合失調症から発達障害へ
「統合失調症ではなく発達障害の可能性がある」
誤診を指摘したのは、皮肉にもユウキさんが後に重傷を負うことになる転院先のA病院の医師だった。ユウキさんはごく少量の薬にも過敏に反応し、重い副作用が出やすい体質だったのだ。以後、薬は処方されなくなり、外来通院で様子をみることになったものの、ユウキさんの認知能力はすでにひどく低下していた。
先にもふれたが、知的障害はないのに相手の胸の内を読むことが苦手な発達障害の人は、孤立したりいじめの対象になったりして、不登校や引きこもりに陥りやすい。周囲の無理解や不適切な対応が続くと、抑うつ状態や恐怖場面のフラッシュバックなど、二次障害が引き起こされることがある。
だが、ユウキさんの両親は「突然引きこもるまで大きな悩みを抱えているようには見えなかった」と首をひねる。母親は言う。
「小学校の時の担任に、友達の後をついて回って真似ばかりする付和雷同タイプと言われたことがあります。しかし、ほかに行動の問題を指摘されたことはありませんでした。今から振り返ると、完璧主義でこだわりが強い、一人で問題を抱え込む、自分に自信がない、などの性格的な傾向はあったと思います。でも友達は多く、学校でも楽しくやっていると思っていました」
ところが姉の見方は異なる。
「母は教育にかなりうるさく、ヒステリックな一面がありました。私は母に嫌われて家庭内に居場所がなく、早々と家を飛び出してしまった。母は弟のことは可愛がっていましたが、弟は母の言いなりになることに強いストレスを感じていたようです」
母親はユウキさんの将来を考えて、時にきつく対応したのだろう。だがユウキさんにとっては、消化し切れないほどのストレスや葛藤のもとになっていたのかもしれない。
■発達障害と精神病
発達障害に詳しい精神科医は指摘する。
「人間関係などで常にストレスをためているのに、周囲の期待に応えようと頑張り続ける人もいる。その過程で自分なりの対処法を身につけられればいいが、進学や就職、新たな人間関係などのストレスがさらに加わった時、二次障害が強まって統合失調症と誤診されるような状態に陥ることがある」
こうした発達障害の子どもを持つ家庭では、親が発達障害の傾向を持っている場合もある。子どもの心の葛藤を受け止めにくく、問題がこじれていく場合は親の支援も必要になる。
ユウキさんは、大学では常に明るく振る舞った。サークルの仲間とよく旅行に出かけ、夏はバーベキューなどを楽しんだ。実家に友達をたくさん連れてきたこともあった。冗談でみんなを笑わせるなど、場を盛り上げた。
しかし、恋人や友人との良好な関係が些細なきっかけで崩れることがある。ありがちなことだが、無理を重ねて人間関係を築いてきたユウキさんには、自分の存在を全否定されたような計り知れないダメージだったのかもしれない。そしてアパートに引きこもった。
両親がやせ細ったユウキさんを実家に連れ戻した日、ユウキさんは母親の前で「僕はこのままでいいの? このままでいいの?」と繰り返した。「つらかったんだ」「寂しかったんだ」と声を震わせ、泣いた。「高校の時も人間関係が嫌で、登校したくない日がよくあった」と明かした。
「こんなにも神経の弱い子だったのか」。母親は驚き、励ましの言葉をかけたが、「何も言わず、ただ聞いてあげていればよかった」と今は悔やんでいる。
数日後、ユウキさんは母親に言った。「弱いところをみせちゃったから、もうおしまいだ。僕の味方はいない」。この後、ユウキさんは吹っ切れたかのように一時的に元気を取り戻したが、母親にはもう胸の内を明かさなくなった。
父親は言う。
「引きこもりや衝動的行動の背景には、本人の特性や私たちの対応の問題が少なからずあったと思う。まずそこから変えようとせず、精神科にかかって薬を飲めば良くなると思い込んでしまった。浅はかだった」
思春期や青年期の生きづらさは誰もが直面する。多くはこの時期を自然に乗り越えるが、周囲とうまくいかず、自分を追い込み過ぎて一過性の精神的混乱に陥る若者がいる。薬を一時的に少量使って二次的症状の混乱を抑えつつ、丁寧なカウンセリングを行い、発達特性を短所から長所に導く医師もいるが、ユウキさんに与えられた選択肢は多種大量の薬だけだった。
■精神科病院での「暴行」
診断名が発達障害に変わり、薬をやめてもユウキさんは元に戻らなかった。
バッグにいろいろなものを詰めて「そうだ、大学行かなくちゃ」と出て行こうとする。大学時代の友人とのスナップ写真を眺めて「僕のまわりから人がいなくなっていく」とつぶやく。不意に外出して行方不明になり、深夜に東京の警察署に保護される。一人でトイレに行けなくなり、失禁パンツをつける。まるで別人になってしまった。
そしてある日、こう言った。「俺はもう終わったよ」。
きれい好きだったのに、部屋を散らかしても平気になった。脈絡のない単語を並べて話し、会話が成立しないことが増えた。
2011年3月11日、東日本大震災。繰り返される大地の揺れと異様な雰囲気の中でパニック状態に陥り、炊飯器を投げて液晶テレビやパソコンを壊した。
2011年9月、居間で汚れた失禁パンツを替えようとしたため、父親が風呂場に連れて行こうとすると激しく抵抗した。その時、手が偶然父親の顔面にあたり、父親はあごの骨を負傷した。ユウキさんは倒れ込む父親の背中を心配そうにポンポンと叩き、その後、あぐらをかいて座り込んだ。
この偶発的な「暴行」でユウキさんは入院治療を勧められ、A病院に医療保護入院となった。だが、過去の不適切治療の影響と思われる認知機能低下に有効な治療法があるわけではない。1週間ほど保護室で過ごし、拘束された状態で4人部屋に移動した。
10月初めに家族が面会に行くと、ユウキさんの目の周りに円形の青あざがあった。看護師は「体が硬直しているので風呂でちょっと」と答えた。
12月5日、「行動の様子を見る」との理由で、再び保護室に入れられた。12月26日、父親が面会に行き中をのぞくと、ユウキさんがおむつ姿で立っていた。父親は「何もない部屋に長くこんな状態で置かれたら、健康な人でもおかしくなる。大丈夫なのだろうか」と不安が募った。そして事件は起こった。
A病院から母親に連絡があったのは、2012年1月3日正午ごろ。ユウキさんの体調が急変して、総合病院に救急搬送されたという。すぐに駆けつけると、ユウキさんは首の前側の骨が折れて神経を損傷し、自発呼吸も困難な状態だった。
搬送時、ユウキさんの顔面左側には額から目にかけて大きなあざがあった。A病院は「おむつ替えの時にできた擦過傷(さっかしょう)」と家族に説明したが、姉が後日、親しい医師に負傷部位の写真を見せると「明らかな打撲傷」と指摘された。
「何があったのですか」
1月4日午後、不信感を募らせた母親と姉がA病院を訪れ、院長に説明を求めた。病院側は、保護室の監視モニターのビデオ(1月1日午後の分)を早送りで再生しながら「〔ユウキさんは〕何度も自傷行為をしており、そのために負傷したようです」と説明した。
だが1月1日の映像に自傷行為の場面はなく、代わりに、病院職員がユウキさんの顔面を踏みつける様子が映っているのを姉が発見した。その場で指摘したが、院長は何も答えなかったという。
(後編に続く)
佐藤光展(さとう・みつのぶ)
読売新聞東京本社医療部記者。群馬県前橋市生まれ。神戸新聞社の社会部で阪神淡路大震災、神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)などを取材。2000年に読売新聞東京本社に移り、静岡支局と甲府支局を経て2003年から医療部。取材活動の傍ら、日本外科学会学術集会、日本内視鏡外科学会総会、日本公衆衛生学会総会等の学会や、大学などで「患者のための医療」や「精神医療」などをテーマに講演。著書に「精神医療ダークサイド」(講談社現代新書)。分担執筆は『こころの科学増刊 くすりにたよらない精神医学』(日本評論社)、『統合失調症の人が知っておくべきこと』(NPO法人地域精神保健福祉機構・コンボ)、『精神保健福祉白書』(中央法規出版)など。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。