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混合診療、原則大病院100カ所で 再生医療も対象
http://www.asyura2.com/14/iryo4/msg/337.html
投稿者 あっしら 日時 2014 年 11 月 06 日 04:00:59: Mo7ApAlflbQ6s
 


混合診療、原則大病院100カ所で 再生医療も対象[日経新聞]
2014/11/5 22:05

 厚生労働省は5日、保険診療と保険外診療を併用する「混合診療」拡充の具体案を示した。原則として全国約100カ所の大病院で実施し、中小病院や診療所は患者を紹介するのが主な役割になる。6月時点では診療所を含む「身近な医療機関」で受診できるようにする方針を掲げていたが、実質的には高度医療を担う中核病院にほぼ限られる公算が大きくなった。

 中央社会保険医療協議会(厚労相の諮問機関)に提示し、了承を得た。今後、社会保障審議会(同)でも審議し、改革方針をまとめる。
 混合診療を拡充する仕組みは「患者申し出療養(仮称)」と呼ばれ、患者が希望すれば、抗がん剤など未承認の新薬や医療機器を幅広く使えるようにする。対象になった薬や機器は検査や処置、入院費など保険診療との併用が認められ、患者は今より軽い負担で先端医療を受診できる。
 5日に示した案では、混合診療を実施する薬や機器は原則として東大病院など15カ所ある臨床研究中核病院か、大学病院など86カ所の特定機能病院で受診する。他の医療機関に道を開く仕組みもあるが、臨床研究中核病院が協力医療機関として申請し、厚労省の専門家会議が承認しなければ実施できない。

 厚労相と行政改革相が6月に合意した改革案は「できるだけ患者に身近な医療機関で迅速に受診できるようにする」と明記。診療所も含め最大千カ所超で実施される可能性も見込まれていた。厚労省案だと100病院以外に広げる治療内容は最終的に同省の判断になるので、抗がん剤などは「リスクが高い」と外れる公算が大きい。
 今回の案では中小病院や診療所は患者からの相談に応じ、大病院への申し出を支援する役割を担うとした。患者に身近な診療所などは相談窓口としての位置付けにとどまる可能性が出てきた。

 同日の中医協は、患者らの細胞を使って体の組織を修復する再生医療製品を混合診療の対象に新たに加えることを了承した。診療を通じて安全性や効果が認められた再生医療製品は、健康保険が適用されるようになる。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDF05H0Q_V01C14A1MM8000/?dg=1


 

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01. 2014年11月12日 06:38:35 : jXbiWWJBCA

医療・介護 大転換
【第16回】 2014年11月12日 浅川澄一 [福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)]
米29歳女性の死で注目された「安楽死」と「尊厳死」の大きな違い
?わが国における医療と介護改革について欧州から学ぶことの2回目は、「看取り」の問題である。日本ではまだ「死に方の話なんて縁起でもない」「老人は早く死ねってことか」と終末期の話題は避けられがち。終末期を迎えても、延命治療について医師などから問われると、「ご家族に判断を任せます」と口を濁し、その家族は「先生(医師)にお任せします」となることが多い。

?自分で決めない。日本人特有の家族・集団主義からなかなか脱皮できない。一連の医療・介護改革で「本人の意志が重要」と唱えられても現場はだいぶ違う。

?だが、個人主義が浸透している欧米では「自身の死のあり方」について社会的議論が成されてきた。その最先端を行くのがオランダだろう。現地での取材を織り込んで報告する。

世界で初めて法制化
オランダにおける「安楽死」のいま

?オランダは先進諸国で病院死が最も少ない国である。病院死が少ないのは、在宅医療や在宅ケアが社会の隅々まで浸透しているからだ。

?その究極の在宅医療が安楽死という選択だろう。オランダは世界で初めて安楽死を法制化した国である。安楽死とは、自らの自由意志で死を選択し、その理由を聞いた医師が認めて薬を処方し亡くなること。死の選択肢を広げた。

?延命治療を拒否して自然に死を待つ尊厳死や自然死とは異なる。本人の意志を尊重する究極の制度である。

?安楽死法は2001年に成立した。同じ国会でやはり世界で初めて同性婚も認めている。同性婚は昨今、世界各国で次々受け入れられている。いろいろな考え方やライフスタイルを尊重し、妨げないことに国民が賛意を示し制度化した。安楽死も同様に、人々の願望をすくいあげ、選択の翼を伸ばそうという発想に基づく。?

?安楽死のそもそもの議論は40年前に遡る。「私の終末を助けて」と、半身麻痺の母親に頼まれた女医がモルヒネを投与して死亡させ大騒動になった。有罪宣告されたが、執行猶予つきの禁固1週間で実質的に薬の投与は容認された。

?この事件を機に、「公開の議論に」と1973年に自由意志生命の終結協会(NVVE・安楽死協会)が作られ、医師会が安楽死認めて法制化作業に関わる。

?国民的な議論を重ねた結果、「殺人だが、手続き通りなら罰しない」とする安楽死法に帰結した。その手続きとは、(1)本人が死を望む意志(2)主治医が認めて実行者となりもう一人の医師の承認が必要(3)死後に検視官が調べ検証委員会に報告――などが決められた。

?2011年には、死者13万6000人のうち安楽死は3695人。12年は4188人に上り、全死亡者の3%弱。毎年増えており約8割強がガン末期の人だ。

?発症前から手続きを踏んでいれば認知症の人も安楽死しており49人に上る。安楽死を認める国は広がり、隣国のベルギーやスイスに、そして欧州外のオーストラリアやアメリカのオレゴン、ワシントン、モンタナ、ニューメキシコ各州に及んでいる。

がん末期患者、そして認知症患者も
安楽死を望む人々が安らかに眠るまで

?安楽死を手助けするアムステルダム市内の安楽死協会を訪ねた。古本市などで賑うライッツェ広場近くの5階建て煉瓦ビルの2階。目の前に運河が流れる、オランダ最盛期の典型的な17世紀のたたずまいを残した地域だ。

?安楽死を望む人たちの電話相談に乗るが、活動を支えるのは多くのボランティアだ。訪問時に活動内容を説明してくれた担当者もボランティアで、アムステルダム市の水道局の退職者だった。

「電話をしてくるのは相談相手となる家族やパートナーがいない独り暮らしの人が多く、電話を受けたら必ず自宅を訪問します。家族や友人代わりになってじっくり話を聞きます」。相談で難しいのは「自分の家庭医が安楽死に理解を示してくれない」という訴えだと言う。「昔ながらの考えに固執する医師には、なかなか理解してもらえないことがあります。そんな時には別の医師を紹介します」。

?事務所内のある部屋で、電話のヘッドセットを付けた女性ボランティアがパソコンの画面を見ながら話していたのは、そんな相談かもしれない。23人のスタッフのほかに、120人ものボランティアが活動を支える。
????
?同協会のジョン・ロンマー医師は「家庭医が本人とよく話し合い、苦痛や悩みを十分理解し判断します」と事情を打ち明ける。オランダでは全国民が地域の診療所の医師に家庭医(GP= GeneralPractitioner)登録をしており、家族ぐるみで家庭医と交流がある。その延長線上で安楽死が選択される。

?アムステルダム在住45年の同行ガイド、後藤猛さんが安楽死に立ち会った場面を著書に記している。

「ペーターは最後のお世話をお願いしますと静かに伝えた。薬の投与が終わるとホームドクターは後ろにさがった。薬の入ったワイングラスを持ったペーターの周りには、奥さん、息子さん、娘さんがいた」(「認知症の人が安楽死する国」より)

?アムステルダムの中央駅に近い運河沿いのビルの一階で診療所を開業しているロブ・リス医師を訪ねた。安楽死で使う2つの薬を教えてくれた。1つはチオペンタール。古典的な睡眠導入剤で、全身麻酔が必要な外科手術でよく使われる。もう一つの薬は致死薬の筋弛緩剤。筋弛緩剤の恐怖を和らげるために睡眠導入剤を使うようだ。

?リス医師が半年前に看取ったのは、67歳のがん末期患者。30年前に失明し、2年前から安楽死を望んでいた。

「友達に見守られ、離婚した元妻の腕の中で亡くなりました。薬を投与して意識がなくなるまでに10分、それから死亡までに25分でした。報告書を書くのに2時間かかりましたよ」

?安楽死に欠かせないのが医師の報告書である。患者の家庭医のリスさんの他にもう1人の医師、それに自治体の検視官の報告書が安楽死検証委員会に提出されて安楽死と認定される。

?安楽死には、緩和ケアの一環として診療報酬が支払われる。リス医師は2時間半かけて対応したが、報酬は250ユーロ(約3万2000円)で意外と安い。

「今でも宗教者を中心に安楽死に反対する人は5%ほどいますが、85%は賛成しています」と話すのはオランダ安楽死協会のヤギ・ビルスマンさん。「カトリック信者の92%は賛成しています」という数字には驚かされる。カトリックの総本山、バチカンはずっと反対し続けているからだ。イタリアやスペインなどカトリック信者の多い国では安楽死を認めていない。

?認知症の人も安楽死を選べる。認知症を発症する前から家庭医にその意向を伝えていれば認められる。安楽死協会によれば、2012年には42人、2013年には49人の認知症の人が安楽死した。

「耐えられない苦痛があるという安楽死の条件に適うか疑問もあって、議論が続いています」

?今でも課題であることは確かなようだ。

日本のマスコミも誤解している
「安楽死」と「尊厳死」の大きな違い

?日本では、終末期の議論が進んでいないせいか、安楽死と尊厳死の違いすら十分に認識されていない。マスコミの報道でそれがよく分かる「事件」が起きた。

?米国で脳腫瘍のため余命半年と宣告された女性(29歳)が、11月1日に医師から致死薬を受け取って死亡した。女性は事前に病気や死亡日をユーチューブで発信していたため、全米で大きく報道された。

?日本でもマスコミが一斉に伝えたが、その死に方の判断で真っ二つに見解が割れた。3日の19時のNHKニュースでは「安楽死」と呼び、深夜のTBSやフジテレビ、そして翌朝のテレビ朝日などいずれも安楽死としていた。

?ところが、4日の朝刊を見ると毎日新聞が「尊厳死宣言の女性死亡」、読売新聞は「尊厳死宣言?薬飲み実行」、東京新聞も「尊厳死予告の米女性死亡」と尊厳死の見出しを掲げる。

?朝日新聞だけが「米女性、予告通り安楽死」と安楽死を謳う。朝日新聞は4日前には「米の女性?尊厳死宣言の動画」と尊厳死としていたのに、安楽死に転換した。

?同じ事象に対して、テレビと新聞でこれだけ違う判断を下すのは珍しいことだ。ではどちらが正しいのか。答えは明らかだ。安楽死である。

?尊厳死とは、延命治療を受けずに自然の成り行きに任せて死ぬこと。本人が食べたり飲んだりできる程度に合わせて、食事を提供するが、胃瘻など経管栄養や点滴もしない。延命治療だからだ。

?脳腫瘍の苦痛に苛まれていた米国の女性は、自宅のベッドで家族に囲まれ医師から処方された薬を飲んで、自分の決めた日に亡くなった。先述のように安楽死そのものである。

?4日の朝日新聞ではこうした区別がきちんと書き込まれている。実は、同日の読売新聞も、日本尊厳死協会副理事長で多くの在宅看取りを経験している長尾和宏医師の談話を載せ、安楽死と尊厳死の違いを明記している。それなのに本文では尊厳死としておりなんとも不可解だ。

?ただ、6日の東京新聞を読むと、新聞各社が尊厳死とした理由の一端が窺える。死亡した女性はカリフォルニア州からオレゴン州に転居して自分の意思を実現させた。オレゴン州には1997年に成立した「Death with Dignity Act」があるからだ。この法を訳すと尊厳死法になる。女性も「尊厳死を選んだ」と話しており、こうしたことから尊厳死に傾いてしまったとも推論できる。

?だが、事実を客観的に見極めるのが報道する立場の基本姿勢だろう。テレビのディレクターの判断が正しかった。新聞各社は、なぜ尊厳死としたのか読者に説明しないと、テレビを見た読者は戸惑うばかりだ。

?新聞各社はほぼ1年前にも同様の「過ち」を犯していた。フランス映画「母の見終い」の映画評である。

?脳腫瘍の老母が、医師から「治らない」と宣告されて自ら死を選択する。トラック運転手だった息子はずっと母親と諍いを続けていたが、その決断は穏やかに受け入れる、という話だ。

?2013年11月29日の産経新聞は「病気のため尊厳死を選択した女性」と書き出す。末尾では、スレファヌ・ブリゼ監督の話として「この映画の主題は、決して尊厳死ではないのです」と記す。11月22日の読売新聞には、やはり「尊厳死を選ぶ母」「尊厳死を決断する」とある。

?一方、11月29日の朝日新聞は「尊厳ある死を決意した母親」「尊厳ある死のための自殺幇助」と、筆者は「尊厳死」という言葉を避けた。映画の字幕では、確かに「尊厳ある死」と語られており、その言葉を忠実に守っている。だが、記事の見出しは「尊厳死願う母」となってしまった。

?新聞社では、原稿を書く記者とは違う整理部の記者が見出しを考える。見出しの字数は、本文と違って制約があることも手伝い、「尊厳ある死」では収まらなかったのかもしれない。だが「尊厳死」と「尊厳ある死」とでは大違いなのである。緩和ケアによって、死への道を選ぶホスピスでの死も尊厳死である。
?
?この映画では、母親は隣国スイスの「自殺を幇助する協会」に息子の運転で向かい、その一室で致死量の薬を受け取る。傍らの息子と抱き合った後、ベッドに横たわって飲みほし、生を閉じる。

?このような死に方は尊厳死ではなく安楽死である。母親は死亡する手段と日時を本人がきちんと決めている。
?
?体の細胞がいつ機能不全に陥って死に至るかがはっきりとは分からない尊厳死に対して、安楽死は死の日時を指定できる。受け入れる団体は「自殺幇助の協会」と字幕にあった。確かにその通り、自殺を手助けする人が介在する。

?自殺ではあるが、本人の意志を尊重し、尊厳ある死のひとつであることには間違いない。従って、「尊厳ある死」という言葉で表現される。これを「尊厳死」と簡単な言い方にする段階で、間違いが生じてしまう。

?なぜ母親はスイスに行かねばならなかったのか。「私たちの国では許されていない」と母親の主治医が説明するシーンがある。安楽死を認めている国は限られている。

欧米では当たり前の「尊厳死」
当たり前ではない日本でどう備えるか

?日本では近年、事実上の尊厳死は多くの在宅医療の現場やグループホーム、特別養護老人ホームなどの老人施設でみられるようになってきた。死亡診断書に「老衰」と書かれる。だが、まだ少数である。

?公然と尊厳死は語られない。国会では超党派の議員立法として、尊厳死法が練られ、提出される寸前まで来ているが、いまだに日の目を見ていない。担当医が延命治療を拒否しても罪に問われないことを謳うのがこの尊厳死法だ。

?本人が延命治療を否定していても、その数年後に認知症などで意思表示が難しくなると、家族の判断に従わざるを得ない。家族の中で、考え方が割れていると、死亡後に「治療を怠った」と医師側が訴訟に持ち込まれる可能性がある。そのため、医療機関は延命治療を続ける道を選びがちだ。「治療拒否」をしていないと証明したいために、延命治療に走ってしまう。おかしなことがまかり通っている。

?中には「命のある限り治療せねば」と、医療教育そのままに延命治療に向かう病院医師もかなりいることも確かだ。

?尊厳死法に対して、その立法化に立ちはだかっているのは障害者や難病の団体。その根強い反対運動に日本弁護士連合会も同調している。

?尊厳死と安楽死について、決定的と思われる見解がある。長尾和宏医師の著書「医療否定本に殺されないための48の真実」の211頁に書かれている。

「スイスには、尊厳死を請け負う2つの組織がある。スイス国民のための『EXIT』と外国人も受け入れる『Dignitas』。共に『看取りの家』に入り、お別れパーティーを開いて、医者から命を絶つ薬を処方され、死を迎える。これを日本では安楽死という。海外では、日本で言う『尊厳死』にあたる言葉はない、当たり前だからだ」

?映画「母の身終い」の内容説明となっているが、注目したいのは「尊厳死」にあたる言葉がない、と言う点だ。その理由は「当たり前だから」とある。

?つまり、欧米で「当たり前」のことが日本では「当たり前」でない。日常生活で議論となっていない。訪問診療の医師が活動している現場などでは、事実上の尊厳死は広がっている。おかしなことだ。

?介護施設に入所するときに、本人と家族、それに医師やケアマネジャーなど介護者を交えて看取りのあり方を話しあい、文書を取り交わす事業者が出てきた。「当たり前」が通用しない我が国では次善の策としてとてもいい方法だと思う。事業者にとっても、救急車を呼ぶかどうかで迷うことがなくなる。

?死に際のあり方を家族で話し合う機会が増えるといい。流行の「エンディング・ノート」に希望する死に方を書き込んでおくのもいいだろう。いずれにしろ、ケアの先には必ず死がある。介護保険の施行でケアを隠し立てしなくなった。もう一歩進めて、死を日常生活の話題にする日が近づくのはいつだろうか。家族や親類との関係を冷静に見つめる団塊世代に期待しなくてはならないようだ。
http://diamond.jp/articles/-/61997


02. 2014年11月13日 07:04:38 : jXbiWWJBCA

野口悠紀雄 2040年「超高齢化日本」への提言
【第22回】 2014年11月13日 野口悠紀雄 [早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問]
医療費の自己負担率を引き上げ、
公費負担率を引き下げる必要がある
 これまで見てきたように、医療費は巨額であるうえに、伸び率も高い。それは、医療費の負担に関する制度と関係があるのだろうか? もしあるなら、医療制度にいかなる改革が必要か?

公費負担率が高く、
患者負担率が低い

 前回見たように、日本の医療費は、つぎのような特徴を持っている。

 第1に、費用負担の特徴として、つぎの2点がある。

(1)公費が全財源の中で38.6%という大きな比重を占めている。
(2)患者の窓口負担(自己負担)率が11.9%と、低い。

 第2に、支出の特徴として、高齢者の医療費が大きな比重を占めている(図表1参照)。しかも、伸び率も高い。

 公費負担率が高く、患者負担率が低いのは、患者や医療関係者に本当の医療費を認識させない仕組みだ。これは、支出面の特徴である高齢者医療費比率の高さと関係があるだろうか?

 これが、以下で考えたいと思う主要な問題である。


世代別の給付と負担には
差がある

 医療費に関して上で述べたのは、全体の平均だ。受益と負担の関係を年齢別に見ると、かなりの差がある。この状況は、図表2に示すとおりだ。

 20〜59歳層については、医療費より「保険料および自己負担額」のほうが大きい。しかし、60歳以上になると、この関係が逆転し、医療費のほうが「保険料および自己負担額」より大きくなる。

 70〜79歳では、医療費が1人当たり年額65.5万円であるのに対し、「保険料および自己負担額」は13.2万円でしかない。自己負担は5万円と、医療費の7.6%でしかない。

 医療費は、20歳以降は年齢の上昇に伴って増加する。また、「保険料および自己負担額」は、50〜59歳層がピークで、それ以降は年齢の上昇に伴って減少する。


 医療費の受益と負担がこのような構造となっているので、世代間移転が生じている。

 これは、公的年金を通じる世代間移転と似た問題だ。ただし、つぎのような差がある。

 第1に、年金の場合には、本来は世代ごとに収支が均等化する積立方式を取るべきであり、当初はそのように意図されたにもかかわらず、十分な保険料を徴収してこなかったために積立金が不足し、賦課方式にならざるをえなかった。他方で、現在の給付は、所得代替率で見ても、過剰気味である。つまり、年金は積立方式が本来の制度であり、賦課方式になっているのは、制度の失敗の結果である。

 これに対して、医療について世代別の積立方式をとるのは、つぎの理由によって原理的に困難だ(この事情は、介護でも同じである)。

(1)医療技術の進歩で高額医療が増えたり、人件費の高騰で1人当たり単価が上昇したりするため、将来の現物給付を約束するのが難しい。

(2)平均余命の伸長による「絶対的高齢化」が進むと、医療費が増加する(「絶対的高齢化で支出が増える」という点は、年金についても当てはまる)。

 このため、医療保険が賦課方式になるのは、現実には避けられない。他方で、1人当たり医療費は高齢者の場合が高い。したがって、医療保険制度を通じる世代間移転が生じるのは、不可避だ。

 現在の制度では、被用者保険などから後期高齢者医療制度への財政支援が行なわれている。しかし、これは、医療保険制度が分立しているために生じるものだ。仮に日本でただ一つの医療保険しかなければ、その制度の中で世代間移転が起きることになる。

 このように考えると、問題は、世代間移転というよりは、「高齢者医療が過剰診療になっているかどうか」であることが分かる。

所得再分配のために
低料金政策をとるのは問題

 窓口負担率(自己負担率)が低すぎるので過剰診療になっている可能性は高い。患者が本当の費用を認識できないと、支出は増える。医療費についてこのメカニズムが顕著に働いていることは、老人医療無料化で診療率が急上昇したことを見ても明らかだ。

 では、医療費支出は、家計の消費支出のなかでどの程度の比重を占めているだろうか?

 図表3は、「平成21年全国消費実態調査」によって、「保健医療」のうち「保健医療サービス」が消費支出に占める割合を示したものである(2人以上の世帯)。

 平均は2.5%であり、25〜59歳ではこれより低いが、60歳以上はこれを超える。75歳以上は3.9%となる。


 平均月額は7656円である(年額では9万1872円であり、図表1に示す自己負担額より若干多い)。これは、外食費1万2048円、自動車等関係費2万4311円、教養娯楽3万2262円などと比べるとかなり少ない。したがって、平均値で見る限り、医療費の自己負担が家計にとって重い負担になっているとは考えにくい。

 もちろん、低所得家計にとっては、医療費自己負担が重い負担になるだろう。しかし、それは、「医療費」という特定のサービスの自己負担を減らすことによってではなく、一般的な所得保障策あるいは就業支援などによって対処すべき問題だ。

「高齢者だから医療費を無料にする必要がある」という論理は、成り立たない。これは、人気取り以外のなにものでもないと言わざるをえない。

 この連載ですでに見たように、現在の制度を維持すれば、2050年頃において、医療介護分野での就業者が全就業者の25%にもなる可能性がある。このような経済が維持できないのは明らかだ。「高齢化が進むから医療費が増加するのはやむをえない」とするのでなく、制度の見直しを考える必要がある。

共有地の悲劇

 公的主体が財やサービスの供給に関与することが必要になるのは、その財・サービスが公共財であるか、あるいは所得分配上の必要がある場合である。医療の無料化(あるいは低価格化)は、こうした観点から正当化できるだろうか?

 まず、医療給付の受益はほとんど個人に帰属するため、公共財として医療の無料化を正当化することはできない。

 医療の無料化を正当化するのは、所得分配上の考慮だ。しかし、公共財ではない特定の財やサービスの価格をゼロあるいは非常に低いレベルにすると、問題が生じることが認識されている。

 これは、「共有地の悲劇」といわれる現象だ(共有地が無料で開放されるため、過度に利用され、荒廃してしまうという現象)。

 現在の制度では、つぎの2つの意味において、「共有地の悲劇」問題が生じている。

 第1は、窓口負担率が低いために、過剰受診のインセンティブを個人に与えている。

 第2は、公費と保険料の分担に関連するものだ。個々の患者の立場から見れば、財源が公費でも保険料でも差はない。しかし、制度関係者が費用効率化のインセンティブを持つか否かは、財源がこのどちらかで影響を受ける。自己負担率は個人の問題だが、公費負担率は組織の問題である。公費負担率が高いと、制度効率化のインセンティブが失われる。

改革の方向

 以上から、医療費制度に関して、つぎの方向の改革が必要と考えられる。

(1)自己負担率の引き上げ

 第1は、自己負担率を引き上げることだ。とくに、現在は70〜74歳が2割、75歳以上が1割である自己負担率を、一律3割負担にすることが必要だろう。ただし、高額の医療費に対処するため、頭打ちを設ける必要がある。

 これによって、軽度の疾病について受診率が低下することが期待される。

 なお、図表3に関して述べたことから、少なくとも平均的に言えば、これが家計にとって著しい負担にはならないと考えられる。

(2)公費負担率の引き下げ

 日本の制度は、全体として見れば4割割近い公費負担があり、これが効率化インセンティブを低下させていることは否定できない。したがって、公費負担率を低下させることが必要と考えられる。

 医療保険制度が独立採算に近づけば、非効率性を是正して制度を維持しようとするインセンティブが関係者に生じるだろう。これによる過剰診療の是正効果も期待される。

 なお、アメリカの医療保険が民間保険であるため多数の無保険者がいることが、しばしば批判される。ただし、アメリカにおける問題は、任意加入であることから発生するものだ。強制加入制度を続けるかぎり、無保険者の問題は発生しない。
http://diamond.jp/articles/-/62127


03. 2014年11月30日 15:09:47 : pbJWZ5di7U
まずは、安静にしていれば治る病気にいちいち薬剤を出したりするのをやめればよい。

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