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「山陰柴犬」復活、絶滅危機からの奇跡〜穏やかな性格/産経新聞・msnニュース
2019/08/22 16:08
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%80%8c%e5%b1%b1%e9%99%b0%e6%9f%b4%e7%8a%ac%e3%80%8d%e5%be%a9%e6%b4%bb%e3%80%81%e7%b5%b6%e6%bb%85%e5%8d%b1%e6%a9%9f%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%ae%e5%a5%87%e8%b7%a1/ar-AAGaePW?ocid=iehp#page=2
国内外で人気のある柴犬の中に、独自の血統と特徴を持つ犬がいる。鳥取県固有の山陰柴犬だ。温和で人に従順な性格の小型犬で、山陰地方の人々に寄り添ってきた。戦争や感染病の流行など何度も絶滅の危機に瀕(ひん)しながらも先人たちに守られ、命が受け継がれてきた山陰柴犬。保存活動にあたる山陰柴犬育成会(鳥取県湯梨浜町)は「これからも日本古来の命を未来につないでいきたい」と話す。(坂田弘幸)
穏やかな性格
山陰柴犬育成会の活動拠点となっている湯梨浜町の国指定重要文化財、尾崎家住宅。山陰柴犬の4歳の雌の「こゆず」が尾をふりながら駆け寄ってきた。
一般的な柴犬の信州柴犬よりもスリムで引き締まった体つき。顔はキツネに似ていて耳がピンと立っている。穏やかな性格で、初対面の相手にもほとんどほえることがない。
飼い主で育成会会長の尾崎哲さん(61)は「山陰柴犬はアナグマ猟に使われていた因幡犬などの血を受け継ぐ。狩猟犬だった本能からか、よくモグラを捕ってくる」と説明する。
同育成会によると、日本にはかつて特定の地域のみに生息する「地犬(じいぬ)」と呼ばれる日本犬が多く存在した。山陰柴犬もそのひとつで、祖先は朝鮮半島から渡ってきたとされ、南方系の信州柴犬とは異なる特徴やルーツを持つという。
何度も絶滅の危機
山陰柴犬は何度も絶滅の危機にさらされてきた。
明治以降、洋犬の人気や交雑などで日本の在来犬は激減。そうした中、昭和初期に「犬も文化として貴重な宝」と、山陰地方の在来犬の調査や保存に乗り出したのが尾崎家12代当主の故尾崎益三さんだ。
尾崎家は、湯梨浜町の北端の日本海に面した宇野地区に位置する室町時代からの旧家。尾崎さんは山陰地方の山奥の猟師を訪ねて古来の姿をとどめる犬を探し、自宅の「山陰(やまかげ)犬舎」に連れ帰った。尾崎家の庭は犬だらけになり、50頭近くに増えたという。
順調に進むとみられた保存活動だったが、先の大戦では食糧難や軍用犬の提供などから飼育が困難に。活動に理解を示した当時の林敬三鳥取県知事の支援で乗り切ったが、終戦時には約20頭にまで減少していた。
戦後も昭和26〜27年、36〜37年に犬の伝染病・ジステンパーが県内で大流行。鳥取は都市部に比べて予防ワクチンの普及が遅れており、山陰犬舎の犬たちも相次いで死んだという。
育成会の結成
ジステンパーの流行後も県外にいた山陰柴犬により、かろうじて血統を残すことができた。だが、山陰柴犬は1度の出産で2〜3頭しか産まないなど他の日本犬に比べて少産な上、発情期も少ないことなどから頭数が増えず、長く低迷期が続いた。
危機感を抱いた愛好者らは平成16年に山陰柴犬育成会を結成。飼育の助言や繁殖の手伝いのほか、飼い主が一堂に会する鑑賞会を開くなどの活動を続けてきた。
近年はインターネットに取り上げられる機会が増え、その風貌や気質からジワジワと人気が上昇。6年に約100頭だった数は、現在約450頭に増えている。
育成会の松本守人事務局長(62)は「山陰柴犬を守るには多くの人に知ってもらうことが重要。興味を持ってくれる人を増やしたい」と意気込んでいる。
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