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19歳から3人産んだ女性が岐路で下した「決断」 子どもと自分を守るために何ができるか/msnニュース
東洋経済オンライン 波多野 友子
2019/07/10 07:40
http://www.msn.com/ja-jp/lifestyle/life/19%e6%ad%b3%e3%81%8b%e3%82%893%e4%ba%ba%e7%94%a3%e3%82%93%e3%81%a0%e5%a5%b3%e6%80%a7%e3%81%8c%e5%b2%90%e8%b7%af%e3%81%a7%e4%b8%8b%e3%81%97%e3%81%9f%ef%bd%a2%e6%b1%ba%e6%96%ad%ef%bd%a3-%e5%ad%90%e3%81%a9%e3%82%82%e3%81%a8%e8%87%aa%e5%88%86%e3%82%92%e5%ae%88%e3%82%8b%e3%81%9f%e3%82%81%e3%81%ab%e4%bd%95%e3%81%8c%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%82%8b%e3%81%8b/ar-AAE5N7U?ocid=iehp#page=2
生は、思い描いていたとおりに進むとは限らない。予測もつかないタイミングで子どもを授かったり、一度は愛を誓い合った相手から思わぬ形で裏切られたり。「まさか」と思うような人生の落とし穴は、そこかしこに転がっている。
とくに子どもがいるうえでの離婚は想像以上に過酷であり、その後の人生をどう生きるか、否が応でも何らかの「選択」を迫られることになる。大人同士の事情で生じた生活の変化により、いかにして子どもたちを守っていけばいいのか。そのうえで自分自身の幸せをどう再構築するか。
今回はシングルマザーとして3人の子を育てる、清瀬愛さん(仮名、33歳)さんのケースを取り上げる。自他共に認める恋愛体質で「異性を見る目がない」と話す彼女が、わが子を守り育ててきた10数年間に及ぶ軌跡とは――。
19歳で子どもができて怒濤の生活に…
「負けず嫌いで、とにかく気が強いタイプなんです。可愛げとは程遠くて、正直男運も散々。そんな私ですが、3人の子どものことは絶対に守っていきたいし、私自身の幸せも諦めたくはない。だって私が悲観的になってしまったら、きっと子どもたちの人生も暗いものになってしまうから」
販売店勤務の契約社員である愛さん。人なつっこい笑顔、女性らしい佇まいとは対照的に、彼女が歩んできた道のりは決して平坦なものではなかった。
最初の結婚は19歳。相手は当時、働いていたチェーンのカラオケ店の同僚だった。付き合って1年経った頃、子どもができたのがきっかけだ。恋人としては好きだったが、生活していくことを想像すると絶望的だった。
「ケンカになれば輩(やから)のような口調で罵るし、お金もあるだけ使ってしまう人で。それでも若い私にとっては大切な人だったんです。今思うと疑問なんですけどね」
授かった子どもを堕ろすことだけは考えられなかった。そこで愛さんは決意した。父親として、子どもを“認知してもらおう”と――。
愛さんは当時を振り返る。
「若いながらもいろいろ調べると、未婚の母として産めば、子どもに将来苦労をかけるかもしれないことがわかってきました。出生がわからないことで、結婚や就職が難しくなるなどです。だから、父の名前をしっかりと戸籍に残しておきたかった」
愛さんの望み通り、2人は入籍した。しかし案の定、夫は出産にも子どもにも無関心だった。産後3日目にようやく産院を訪れ、興味なさそうに「あ、生まれたんだ」と一言つぶやいたという。
当事者意識のない夫は、その後も愛さんを困惑させた。支給された出産一時金は自分の懐に入れ、散財。妻と子どものために、家に十分な生活費を入れようとする気配もない。
出産後すぐホステスになったわけ
子どもを育てるため、自分で稼ぐしかないと腹をくくった愛さんは、驚きの決断を下す。2週間の里帰りを終え、夫のアパートに戻った愛さんは、そのわずか3日後にはなんと、近くのクラブでホステスとして働き始めたのだ。
未経験の水商売の世界に飛び込んだのは、生まれたばかりの子どもを抱えながら、とにかく短期間でお金を稼ぐため。営業メールをし、同伴出勤をし、お客さんの誕生日プレゼントを用意し……。必死に働いた愛さんは、気づけば店のナンバーワンに。半月で80万円を稼ぎだすこともあったという。
ナンバーワンになったからといって、愛さんが”目的“を見失うことはなかった。ホステスは、あくまで子どものため、収入を得るための“手段”。稼いだ給料を自分のために使うことはほとんどなく、将来の子どもの養育のためほぼ全額貯金に回した。
水商売ではタブーとされる「子持ち」であることを隠すどころか、積極的に話題にした。それでもファンは絶えず、中には愛さんへの手土産に、子ども用のミルクを持ってくるお客までいたという。子どものために明るく懸命に働く彼女の姿が共感を呼び、人気を得ていたのかもしれない。
夫はというと、愛さんが働き始めたことに甘え、仕事を辞めてしまった。仕方なく夫に子どもを託し、愛さんは必死で稼ぎ続けた。しかし朝起きると、財布に入れておいたはずの紙幣とともに夫はパチンコ屋へと消えている。財布にお金がないと、苛立ちで殴られることもあった。DVが日常化し、殴られながら「早く終わらないかな?」と考えている自分に気づいたとき、愛さんは我に返ったという。
「友人にも『早く目を覚ましなよ』と言われて、確かにもう限界だなと。夫に離婚を申し出ましたが、お金を運んでくる私とすんなり別れてくれるはずもありません。最終的には30万円の入った封筒を渡し、土下座して頼み込みました。すると夫は『届けは勝手に出してくれ、子どもの籍も抜いておいてくれ』と……」
離婚届は夫の分も愛さんが書き、適当な判を押して役所へ提出した。養育費は、請求してもムダだと諦めた。そのまま店が用意してくれたアパートへ子どもとふたりで移り住み、以降、夫とは一度も会っていないという。
その約半年後、ある程度の貯金を蓄えクラブを辞めた愛さんだったが、再び転機が訪れる。2人目の夫との出会いだ。
相手は、クラブのメンバーとお客合同で開催された飲み会に招かれていた男性。愛さんと同じバツイチの子持ちだったこともあり、自然と意気投合した。
「子どもを育てているのは元奥さんでしたが、彼は子育てというものをよく理解していました。親しくなって遊びに行こうとなったときも、子どもが一緒に楽しめる場所を選んでくれたりして……。周りからの評判もよかったし、いい人なのかなと感じていました」
離婚後まだ間もない愛さんだったが、1人で子どもを育てる心細さもあったのかもしれない。離婚後4年経っていた彼の猛プッシュもあり、交際して1年で入籍。当時愛さんはまだ20歳、彼は28歳だった。
長女が2歳になったその年の夏、愛さんは第2子を妊娠。子どもは3人欲しいと思っていた愛さんは、大喜び。出産に際して2人目の夫は、前の夫とはまったく違う反応を示した。
「夫は立ち会い出産を望まなかったんですが、理由を聞くと『立ち会いをすると感情移入してしまい、(血のつながらない、連れ子の)長女への接し方と差がついてしまう可能性がある』というんです。実際、長女とは、近所の人が本当の父娘だと勘違いするくらい仲良くしてくれていました。素直にうれしかったですね」
第3子を守るための「決断」
ところが、次女を出産してすぐ、平穏な生活に暗雲が垂れ込める。夫の浮気だ。
「ある日、仕事から帰ってきた夫を見て、なぜか『この人、浮気してるかも』と感じたんです。女の勘なのですが……」
カマをかけるとムキになって否定する夫。そこで愛さんが携帯をこっそり調べると、女性とメッセージのやり取りを行っていることが判明した。中には目を覆いたくなるようなショッキングな内容もあった。ある日の早朝、意を決して夫に迫ると、あっさり浮気を認めた。
「その場で女性に連絡してもらい、二度と夫と関わらないよう話をしました。相手は出会い系サイトで知り合った女性で、『家庭を壊すつもりはなかった、ただ愛し合っていただけ』なんて言い訳をしていました。なんだか昼ドラを見ているみたいな、他人事みたいな気持ちだったのを覚えています」
騒動はそれだけで終わらなかった。離婚が頭をよぎる中、なんと3人目の妊娠が発覚したのだ。
愛さんの脇の甘さといえばそれまでだが、ここで愛さんは決断を下す。3人目の子の命と、子どもたちの生活を守ることを優先し、夫と関係修復をすることにしたのだ。何を差し置いても子どもを守るという愛さんの姿勢はここでも一貫している。
その後、新興宗教にハマり、孫を入信させようとする義両親とのトラブルに直面。子どもたちのため、離婚だけは避けようとしてきたが、結婚10年目を迎える頃には、さすがに夫婦関係はギクシャクしたものに。結婚当初、愛さんがあれだけ好ましく思っていた夫の子煩悩な側面も、すでにかつてのようではなくなってしまっていた。
そこからの半年間は、離婚したい愛さんと、離婚したくない夫の間で、泥沼の離婚劇。その影響は小学6年生、4年生、2年生になっていた子どもたちにも及んだ。下の2人は夜泣きがひどくなり、長女は反抗期も重なって不登校になってしまった。愛さんは毎晩ほぼ一睡もせず子どもたちをあやし、長女が落ち着くまで毎日学校へ送り迎えをした。
そしてようやく、離婚騒動が終焉を迎える。
「夫に300万円の借金があることが発覚したんです。逆に私は、クラブ時代に蓄えた300万円以上の貯金と、離婚騒動が起きる前に始めた、タウン誌の営業での稼ぎがありました。そもそも生活費も、途中からは私が大半を賄っていました。初めは親権を主張していた夫も、それを突きつけると無言に。当然子どもたちも、私と暮らすことを希望しました」
養育費に関しては、月に1万5000円の支払いが限界だと言われた。「呆れましたが、のむしかなかった」(愛さん)。
35歳までには、正社員として転職がしたい
調べると、養育費は収入扱いになり、母子手当が減ってしまうこともわかった。無理に取り立てる必要はないな、と割り切ったという。そしてようやく離婚が成立。現在愛さんは3人の子どもたちと東京近郊のマンションで暮らしている。
離婚後2年が経過した現在、夫から養育費は振り込まれていない。現状の収入としては、販売員として働く愛さんの月収が25万円。そこに2種類の母子手当と児童手当で月に約10万円が支給されている。
「これからは収入をもっと上げていかないと、と思っています。いつまでも手当に頼っているわけにもいきません。子どもたちの今後のためにも、35歳までには、正社員として転職がしたい。今は今後の方向性を必死で模索している最中です」
重大な決断を経てきた愛さんだが、今彼女に悲愴感は感じられない。
「若い頃から、幸せな普通の家族を夢見ていました。優しい旦那さんがいて、私は子どもとゆっくり向き合って、時には一緒にお菓子を作ったりして……。でも今の私は1人、毎朝バタバタとご飯を食べさせて子どもたちを送り出し、そのまま仕事へ。帰宅後は家事をしながら子どもたちの面倒を見て。てんやわんやです。それでも長女は妹・弟思いのしっかりものに、次女はマイペースなおっとりやさんに、長男はやんちゃ盛りの男の子に、すくすく育ってくれています。大変なこともあるけれど、4人で賑やかに暮らしています。あっけらかんとした性格で、われながらよかったなって(笑)」
恋愛体質で、自ら波乱の生活に突き進んだ面はある。それでも必要な場面では自らきっちりと決断を下してきた。愛さんが心から3人の子どもたちを愛し、できる限り不自由な思いをさせないよう、笑顔で育てるという姿勢も一貫している。そんな選択をした愛さんと子どもたちの未来が、健やかであることを願ってやまない。
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