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FUSOSHA Publishing Inc. 提供画像は、中田英寿オフィシャルサイトより
サッカー引退から13年、中田英寿42歳は何してる? 長すぎる旅の軌跡を追う/日刊SPA!
2019/05/18 15:50
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%82%b5%e3%83%83%e3%82%ab%e3%83%bc%e5%bc%95%e9%80%80%e3%81%8b%e3%82%8913%e5%b9%b4%e3%80%81%e4%b8%ad%e7%94%b0%e8%8b%b1%e5%af%bf42%e6%ad%b3%e3%81%af%e4%bd%95%e3%81%97%e3%81%a6%e3%82%8b%ef%bc%9f-%e9%95%b7%e3%81%99%e3%81%8e%e3%82%8b%e6%97%85%e3%81%ae%e8%bb%8c%e8%b7%a1%e3%82%92%e8%bf%bd%e3%81%86/ar-AABxtHr?ocid=iehp#page=2
三浦知良、ラモス瑠偉から、中村俊輔、本田圭佑まで。日本サッカー界に大きく貢献してきたレジェンドの名前を挙げていけばきりがないが、忘れることのできないのが、イタリア・セリエAでもプレーした中田英寿(42)だ。
サッカー選手と言えば、ほとんどの選手が30代でその選手生活を引退する、息の短い業種である。そのため、引退後にはコーチや監督、もしくは解説者としてサッカー界に携わっていくのが一般的だが中田の場合は違う。
そこで今回は、引退後にサッカー界に姿を現さなくなった中田の現在の活動を、その経歴と共にひも解いていく。日本サッカー界のレジェンドは、果たしてどこで何をしているのだろうか。
◆選手時代:海外移籍への道を作った第一人者
現在の活動の前に、選手としての中田がどれだけ偉大だったのかを説明する必要がある。高校を卒業後、Jリーグ・ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に所属すると、1996年にチーム最年少選手としてアトランタオリンピックに出場。その2年後には、当時世界最高と言われていた、イタリアリーグへ電撃移籍を果たした。
イタリアでのデビュー戦は、世界的強豪・ユベントスとの一戦。2得点という目に見える結果を残した中田は一気に世界から注目される存在へとなっていった。これにより、海外の強豪クラブが日本人に目を付けるようになった。つまり、現在世界の舞台で活躍する香川真司や、長友佑都は、中田の功績があってこその存在と言えるだろう。
その後、A.S.ローマ(イタリア)やボルトン・ワンダラーズF.C.(イギリス)などで活躍した中田。当然、日本代表としても活躍し、持ち前のフィジカルの強さとキラーパスで日本のW杯初出場に大きく貢献するなど、その功績を挙げ出したらきりがない。
◆引退後:早すぎる引退……そして世界放浪の旅へ!
そんな中田は、日本代表の中心メンバーとして戦った2006年のドイツW杯を最後に、29歳の若さで突然引退する。引退の理由については、後のインタビューで「僕にとってサッカーは人生であり、家族のようなもの。楽しくてやっていたはずのサッカーを楽しめなくなってしまった。それが自分の人生に対する裏切りだと感じたんです。だから、自分に嘘をついてまで続けたくなかった」と語っている。
日本サッカー界のレジェンドの突然の引退劇に、多くのサッカーファンは悲しんだが、それと同時に一つの希望を持ったことだろう。“クレバーなプレースタイルと、海外でたくさんの経験を積んだ中田が、コーチ、監督として活躍してくれれば、日本サッカーはさらに発展するのではないか”と。
しかし、その夢は現状叶っていない。中田の選択はコーチでも監督でもなく、“旅に出る”というものだった。サッカー以上に熱中できるものを探すために旅に出たという中田。海外を転々としながら、世界の問題点をできることから解決しようと「TAKE ACTION!2008+1」キャンペーンや、一般財団法人『TAKE ACTION FOUNDATION』(以下、TA財団)などを設立し、世界のさまざまな問題へ向き合っていった。
帰国後の2009年には、日本国内を7年かけて放浪。寺社仏閣、伝統工芸の職人、農家、酒蔵などで足を止めては、詳しく話を聞いてまわるようになったという。この活動をきっかけにTA財団主催で伝統文化・工芸などを支援するプロジェクト「REVALUE NIPPON PROJECT」をスタートさせた。
さらに2015年には、株式会社『JAPAN CRAFT SAKE COMPANY』を設立。お酒の素晴らしさやおもしろさを多くの人に知ってもらうために活動を続けている。
◆現在:サッカー界に帰ってきた中田、彼の人生の旅は続く……
現在、監督やコーチとしてではないが、国際サッカー連盟(FIFA)の諮問機関である国際サッカー評議会(IFAB)の諮問委員を務めている中田。世界で戦ってきた中田だからこそできる活動と言えるかもしれない。
昨年末、自身がアンバサダーを務める、アスリートの社会貢献活動を表彰する「HEROs AWARD 2018」に登場した中田は、記者の取材に対し、「今後も『これ』ということではなくて、自分がやりたいことは何でもやっていく」と話した。今は、日本の伝統的な文化を世界規模で広めていくことに熱意を持っているようだ。
中田自身は、自分がやっていることに対して、「物をPRするのではなく、文化を外に伝えて、情報を交換していく。それはときにはお酒であり、ときには工芸だったり。モノというのは『コミュニケーションをとるためのツールに過ぎない』ということであり、お互いが相互理解するためのモノであると。それはサッカーをしていた頃と全く変わらない」としている。
――もちろん、それでも中田が再びサッカーの表舞台に舞い戻り、日本サッカーのために力を貸してくれる姿を見たいと思っている人も多いだろう。しかし、自身の経験を活かし、考え、行動し、発信していく中田の姿は、現役の頃から変わらない輝きを放っているように思う。
今後、中田はどういった活動を続けていくのか。一人のサッカーファンとして、サッカー界に帰ってくることに期待しながらも、その人生の旅を見守っていきたい。<文/A4studio>
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- 中田英寿は、実はセンターは通っていない〜若いうちは筋力やスピードで〜終わってみれば結局たいしたことなかったね、と/高岡… 仁王像 2019/5/27 20:00:14
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