懐かしい曲です。 キャロルキング。 When you're down and troubled, And you need some love and care, And nothing, nothing is going right Close your eyes and think of me, And soon I will be there To brighten up even your darkest night. You just call out my name And you know wherever I am I'll come running to see you again Winter, spring, summer or fall All you have to do is call And I'll be there You've got a friend If the sky above you grows dark and full of clouds And that old north wind begins to blow Keep your head together and call my name out loud Soon you'll hear me knocking at your door You just call out my name And you know wherever I am I'll come running, running, yeah, yeah, to see you again Winter, spring, summer or fall All you have to do is call And I'll be there And I'll be there, yes I will. Now, ain't it good to know that you've got a friend When people can be so cold? They'll hurt you, yes, and desert you And take your soul if you let them, Oh, but don't you let them You just call out my name And you know wherever I am I'll come running, running, yeah, yeah, yeah, to see you again. Winter, spring, summer or fall All you have to do is call And I'll be there, yes I will. You've got a friend You've got a friend Ain't it good to know, you've got a friend? Ain't it good to know? Ain't it good to know? Ain't it good to know, you've got a friend? Oh yeah, now Oh, you've got a friend Yeah, baby You've got a friend Oh yeah... You've got a friend 高校の入試問題にしたら、易しすぎるか。 でも、私の英語レベルだと、和訳は難問です。 私の英語レベルは、中学1年生ぐらいでストップしています。 そんじゃまた。 雑談だから許してね、 和訳は、パソコンで検索するとたくさん出てくるよ。
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「蒙古襲来と神風」という本を図書館から借りてきたら、もう今月23日で返さなければならない。 買えば1000円ぐらいな新書なのだけど、それがなかなか。 ちょっとまんなかへんを読んでみたら、太陰太陽暦での襲来の日、などについて、あれこれ書いてある。 昨年の「旧正月」についての投稿では、気が付かなかった事だが、そのへんまで気配りして投稿するべきだが、まあ、元祖馬鹿なので。 Wikiで見たところを、以下引用します。 「太陰太陽暦」で検索するとURLはわかりますよ。 以下引用−−−−−−− 日本の太陰太陽暦西暦1895年に締結された下関条約の調印書。見開き右頁の最後に記された締結日は、既にグレゴリオ暦を導入していた日本の日付が「明治二十八年四月十七日」となっているのに対し、太陰太陽暦(時憲暦)を採用していた清国の日付は「光緒二十一年三月二十三日」となっている。 日本では飛鳥時代の元嘉暦以来、中国王朝が制定した暦(中国暦、日本では漢暦とも呼称)をそのまま導入し和暦として使用した。しかし貞観4年(862年)に導入された宣明暦への改暦以後、およそ800年あまりにもわたって宣明暦を使用し続けた結果、江戸時代のはじめには太陽の運行予測に約2日のずれを生じさせていた。 そこで貞享元年(1685年)10月、渋川春海の意見によりようやく日本独自の太陰太陽暦(ベースは中国の授時暦)である貞享暦への改暦が実現した(頒暦はその翌年)。以来、貞享暦(貞享2年 - 宝暦4年)、宝暦暦(宝暦5年 - 寛政10年)、寛政暦(寛政10年 - 天保14年)、天保暦(天保15年〈弘化元年〉 - 明治5年)と独自の太陰太陽暦の使用が続けられてきた(日本で過去に使用された暦法については後節「#日本で過去に使用された暦」も参照)。しかし明治5年11月、政府より太陰太陽暦から太陽暦に切替える旨の太政官布告が発せられ、同年12月2日(天保暦)の翌日をグレゴリオ暦に基づき明治6年(1873年)1月1日としたことで、その歴史に幕を閉じた。 なお1873年以降、天保暦の暦法による太陰太陽暦は「旧暦」と呼ばれ、現在でも神宮暦やカレンダーに記されることがあるが、これは何ら公的な裏付けのない暦法であることに注意すべきである。 定気法の採用 中国では古来より閏月の入る太陰太陽暦が用いられてきたが、清朝の時代から始まった時憲暦では、それまでとは違う閏月の入れ方をするようになった。その理由はこの時憲暦において、二十四節気を定める方法に「定気法」を用いたからである。 そもそも二十四節気を定める方法には、「恒気法」と「定気法」のふたつがある。これらについてごく大まかに説明すると以下の通りである。 恒気法 - 地球が太陽を一周する日数(太陽暦の一年)を24等分し、これに冬至をはじめとする二十四節気をほぼ15日ごとに当てはめる。時憲暦以前の中国の暦はこの恒気法を用いている。 定気法 - 「夏は日が高い、冬は日が低い」というように、同じ時刻でも空にある太陽の位置は日毎に移り変わる。この太陽の位置に基づき太陽暦の一年を24に区切り、これに冬至をはじめとする二十四節気を当てはめる。要するに実際の太陽の動きに合わせて二十四節気それぞれの日を定めている。なお地球上から見た太陽が空をわたる軌道を「黄道」と言い、この黄道の位置も日毎に移り変わっていることになる。 ただし地球が太陽の周りをめぐる速度は一定では無い、即ち黄道上を動く太陽の速度は一定ではないので、定気法に基づく節気・中気の日数の間隔は必ずしも一定しない。定気法において二十四節気を定める基準とは、「地上から見た太陽の位置や黄道がどこからどこまで移動するか」であり、その移動にどれだけの日数や時間がかかるかという事ではないからである。ゆえに定気法に基づく二十四節気は、ひと月分の中気から中気までの日数が、季節により約2日の幅で延びたり縮んだりする。それはたとえば以下のように、一般に出回っている太陽暦のカレンダーから中気とその日付を抜出し、並べてみても伺える。現在の日本のカレンダーに記される二十四節気は定気法によるものである。 引用終了−−−−−−−
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