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「独立遊戯」 戦争の序曲
つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-150.htmlより転載
その前夜
地域が国家からの離反を求めれば国家は当然それを阻止すべく軍事力を行使する。地域が蜂起してそれに抵抗すれば内戦がはじまる。ゲリラまがいの蜂起軍が政府軍に適うわけなどない。普通ならば程なく制圧がなされ反政府行動の罪を問われた首謀者たちが検挙されて事は終結する。しかし反政府勢力に武器と資金を与える別の勢力が存在すれば話はがらりと変わる。残念なことに実はこちらのほうが普通である。
過去、欧米列強が少数民族に対し独立の二文字をちらつかせ民族意識に火の粉をかけることで二つの大戦がおこされた。無論それには地域ごとに周到なる準備を整えてこそ成立したのである。
第一次世界大戦が主に何を目的としておこされたか、それは十字軍の時代から欧州の脅威であったオスマントルコ帝国を殲滅することにあった。北アフリカ・バルカン・東欧・黒海沿岸・紅海沿岸・湾岸・中東・コーカサスにまたがる広大な帝国版図には石油が唸る。この地域をピザのように割譲し、独立傀儡国家を誕生させてその資源、その労働力、その利権を搾取することは欧米列強の産業発展には不可欠と考えられた。帝国内各地に定住する民族を刺激して帝国からの離脱・独立気運を高め、武器弾薬を供給して内戦をあおり帝国を内側から蝕んだ。外からは列強が絶え間なく干渉を繰り返し露土戦争以降のオスマン帝国は衰退の一途を辿る。こうした背景のもと第一次大戦に参戦しドイツと共に破れあわや国家喪失となる段、青年将校ケマル・アタテュルクが唐突にあらわれ英国軍を駆逐して独立国を新たに樹立した。オスマントルコ帝国に変わって誕生したトルコ共和国は欧米に奉仕する道を歩むこととなる。
そして第二次大戦が意図したところは、植民地の直接支配から傀儡国家の間接支配への移行である。具体的には欧米の植民地であったアジア全土を日本に奪われたふりを装いその後に日本もろとも叩き潰し、各地域に名目上の独立を認めた後も植民地時代とさしてかわらぬ傀儡国家として維持させることに成功、環太平洋の経済圏は全て英米に奉仕するよう建設された。また「ドイツの狂人」の愚行を口実に国家イスラエルを誕生させるのもこの大戦の重要な意図であった。戦争の金庫番であるユダヤ金融組織にかねてからの約束を果たし、さらに中東の戦火が一日とて消えることのないようその担保としてイスラエルは建国された。
維新後着々と太らされて有頂天にあった日本が更なるアジア攻略の一環として、かつ連合軍の行動力を削ぐために米・英・蘭・仏領のアジア諸国の独立運動を支援、運動家たちに軍事訓練を施して宗主国に対し蜂起させるという戦略をとった。しかし所詮はアラビアのロレンスの猿真似かあるいは敵国情報部の入れ知恵でしかなく、日本の敗戦と共に反逆罪で検挙されたアジア諸国の独立運動家たちは結果として「あぶりだし」を受けたことになる。これはアジア各国の独立の際に宗主国側にさらに有利な傀儡政権が置かれる事に寄与するのみとなった。
前号の記事をぜひ参照していただきたい。
まず植民地の独立を煽って運動家たちを狩り、変わって自らの息のかかった新指導者を送り込み傀儡政権を打ち立てるというこの戦略は英国が得意とするものである。近年ではアラブの春と銘打った中東クーデター症候群が世界を騒がせたが、手法と経過は違えどそのどれも基本構造は変わらない。
英国流外交戦略
現在もシリアとイラクでは戦闘が絶えない。ここでは当初から純粋な蜂起軍と国防軍の衝突とは次元の異なる、複数のテロ組織と海外正規軍が混戦する国際戦争が繰り広げられる。これを内戦と呼ぶのは元より正しくない。
アラビア半島からこの地域にかけてはアラビアのロレンスがラクダに跨り駆けずり回った砂漠地帯である。彼は実在した英国情報部員であり、この広大な砂漠に分散した諸々の部族の共同体意識に火を放ち、オスマン帝国に反旗を翻させるのが彼の任務であった。
現在のシリア、イラク、レバノン、ヨルダン、パレスチナそしてイスラエルは第一次大戦後にオスマン帝国からもぎ取った土地を英仏が自らの都合で勝手に分割して誕生させた国々である。ロレンスは師とも呼べる女性ゲートルード・ベルとともに地域の情報をほじくり返し、アラブ独立を口実にした戦略地図を作成し数年後にそれは現実の国境として発効する。しかしそれは英国の利益のみを追求したものであるため地域の歴史とも信仰とも民族とも、この国境線、いや境界線は全く噛み合わない。それが今に続く混乱と流血の原因になったことは多くの識者が指摘するもののそれを「英国流二枚舌外交」と賞賛するばかりで批判の声はあがらない。あげられない。この中東線引き活動の仕上げがイスラエル建国であるからして、英国戦略批判はイスラエルの否定に繋がるからである。ロレンスとベルは英国では今も英雄・女傑とされている。
「ほらふき」ロレンスは大英帝国の名の下にアラブの部族たちに独立国の建国を囁く。そしてオスマン帝国から任命されたメッカ宰相フセインに近寄り独立の援助とヒジャース王の座を約束する(情報部員でしかない彼にその権限はない)。フセインはアラブ人たちを束ねて反乱軍を組織しダマスカス(現シリア首都)を陥落、そこを首都とするヒジャース王国(アラビア半島紅海沿岸地帯)を打ち立て独立を宣言した。が、英仏は申し合わせた上で独立を拒否した。怒り心頭のフセインはアラビア半島をヒジャース王国として維持、子のファイサルが残りの地域を以って大シリア王国とし王位を宣言、またファイサルの弟アブドゥッラーが今のイラクとなる地域でイラク王国を宣言する。しかし仏軍のダマスカス攻撃によりファイサルはシリアを追われ、後にイギリスの取り成しでイラク王となる。イラクから押し出されたアブドゥッラーは今のヨルダンを与えられる。
独立遊戯はまだ終わらない。英国はオスマン帝国の終焉と共に主を失った「カリフ=神の代理人」の座を指差し、父フセインを誘惑した。イスラム世界のその頂点に立つことを打診されたフセインは両手をあげて承諾、王位を長男アリーに譲りカリフを宣言する。するとアラビア半島は蜂の巣をつついたかの如く反乱の嵐となった。そしてフセインはまもなく敗走、替わって王位についたのは現サウジアラビア初代国王、そして現国王の父であるサウード家のアブドゥルアジズである。サウジ王室の米へのいじらしいまでの献身は今も続いている。
19世紀半ばにはオスマン帝国から自治権を得ての半独立を果たしていたエジプトが完全なる独立を模索する中、アフリカ進出を目論む英仏の利益がそれに重なりエジプトと列強の関係が強まった。まず仏の援助でスエズ運河が建設される。そしてエジプトは資金難とかさむ外債から運河株の売却を決めると、英はロスチャイルド家から融資を得てその買収に成功、それによりエジプトは更なる経済難に陥り完全に英仏の管理下に置かれた。これは偶然でも必然でもない英仏の計画であった。
現在イスラエルと呼ばれる地は一神教の共通の聖地であるエルサレムを内包するため、昔からイスラム教徒とキリスト教徒とユダヤ教徒が着かず離れずに共存していた。その均衡を突き崩し戦火の火種として利用することはユダヤ武器商人たちの目論むところであり、母国を建国する足がかりとしてこの地を手に入れるのも「亡国の民」を称するシオニストたちの望むところであり、第一次世界大戦の運営に必要な資金をユダヤ資本家から搾り取るのも英国の得意とするところであった。英国はロスチャイルド家による莫大な資金援助の見返りとしてパレスチナの地にユダヤ人の国の建国を約束する。その後はパレスチナへのユダヤ人入植が相次ぎイスラム教徒との間の緊張が急激に高まって行く。
ファイサルが追われたシリアは仏が植民地として直接支配した。仏はこの地に古くから住むマロン派キリスト教徒たちを保護するという口実で地中海に面した地域をレバノンとして分離独立させた。しかしユダヤ人入植とともに土地を失ったパレスチナ人が難民として流入するとまたしてもここで異教徒間対立が生まれ、常に一触即発の状態が今も続き、複雑な民族構成と機能しない政府を背景にレバノンはテロリスト牧場の様相を呈している。
こうしてひとつづつ、手ずから地雷を埋めるが如き周到さを以って禍いの種を撒くのであった。
米国流テロ戦略
第二次大戦を待たずに社会共産主義が産声をあげた。それは破竹の勢いで成長しロシア帝国を飲み込むと共産の城砦としてソビエト連邦が築かれた。植民地支配に苦しむ中東および北アフリカのイスラム諸国は英仏そして伊に対抗するための解決策としてソ連との接近を試む。地中海、そして太平洋への回廊が欲しいソ連にとってもこれらの国に対し影響力を持つことにやぶさかでない。独立運動家たちがソ連に招かれ軍事訓練とイデオロギー教育を受けると、第二次大戦後には中東・北アフリカ地域では次々と革命が起きいずれも社会主義的思想を掲げる軍事政権が発足する。畢竟、宗教を麻薬とするマルクスの考えはイスラームと相容れず不協和音を呼んだ。ソ連に従順な各国の軍事政権がイスラームからの離脱を推進したため国家の高官や公務員は世俗主義層に斡旋されることになり、信仰に重きを置いた層はその流れに完全に取り残され貧困と弾圧に苦しめられた。この構造が将来にもたらしたの、それがいわゆる「イスラム過激派」である。こうした波にすかさず付け入ったのはかつての英国の舎弟、今は仇敵となりつつある米国であった。
社会主義化だけではない。欧米から支援を受けたキリスト教層が優遇されたレバノンでも、欧米依存型の王政が国家を占有したパーレヴィー王朝イランやイラク王国、イスラエルに蹂躙を受け続けるパレスチナでも同じ弾圧がおこった。要はイスラム教徒たちを窮地に立たせさえすればすぐさま欧米の利益になるという戦略方程式がこの頃までに成立した。
不公平な境遇に不満を募らせた若者に金と武器を与える。あらかじめ用意しておいた似非イスラム指導者が神の名の下にあらゆる破壊を聖戦と見なす「手製の教義」をふりかざし殉教を呼びかける。そうすれば一夜にしてテロ組織が成立する(ターリバーン、アルカイダ、ダーイシュ、ヒズボッラー他)。あるいは真に自衛のために立ち上がった組織をも内側から蝕み分裂、吸収のすえ過ちを犯させる(アルシャハブ、ヌスラ戦線他)。米国はこうした戦略研究に国家資金で取り組み、CIAやペンタゴンという国家組織をしてその実現を図る。この方策は自らの手を汚すことなく、正規軍を動かすよりもはるかに安価に、国際人道法に縛りを受けない残忍な手立てを用い、そしてイスラム教徒を血塗りの狂信者として発信しつつ他国を内側から破壊することができる。そして介入、さらに侵攻。アフガニスタン、ソマリア、シリア、レバノン、イラク、イエメンその他、無政府状態あるいは傀儡政権を維持しつつ次の戦略のための足がかりとして管理されている。
シリアのハフィーズ・アサド前大統領(現大統領の父親)は完全な「ソ連製」シリア軍人であった。冷戦時代は反欧米、反イスラエルの立場を明確に打ち出しソ連に貢献することでその保護を受けた。世俗化政策を急進し国内では絶対多数勢力であるスンニ派ムスリムを徹底的に迫害し化学兵器による大虐殺をも行った独裁者である(1982年ハマの大虐殺、死者4万人)。逆に自らの宗派であるシーア・アラウィー派ムスリムを国家のあらゆる場で優遇した(アラウィー派は一部を除けば信仰心の薄い集団である)。それを世襲した息子の>べシャル・アサドは英国帰国子女の妻を娶るなど親西欧的な印象を与えようとはしたものの父親同様のロシアの飼い犬で、自国民への弾圧と強権ぶりは父親以上であった。
もはや冷戦が虚構であったのは人々の知るところとなった。犬猿の仲と見せかけて裏では互いの権利を侵さぬよう取り決めが為されている。歴史的にみても米露は一度も戦っていない。今、米と露がシリアを取り合っているように見えるがそれもまやかしに過ぎず、最終的には「山分け」またはそれに相応する取引が為される。
現アサド政権はアラブの春では倒れなかった。アサド背後に立つ露とイランがアサドを倒そうとする民兵(自由シリア軍)を相手に援護射撃をおこない、それに米軍とNATO軍が応戦したため事態は泥沼化した。もちろんシリアを混迷させることで新しい機軸を構築するための米と露の茶番である。隣のイラクから泥沼を泳いでやってきたISIS(ダーイシュ)が突然シリアとイラクの真ん中に建国を宣言した。ISISはもとより米英によるイラク侵攻(2003〜2011)に抵抗するためにイラク・アルカイダとして成立したアルカイダ傘下の組織であった。主に欧米資本の油田の占拠や関連施設の破壊に携わり、その後周辺の小規模なスンニ派テロ組織群を吸収してシーア派ムスリムの生活圏や宗教施設を中心に破壊活動を続け2006年に「イラク・イスラム国=ISI」の建国を宣言、それがシリアに拡大して「イラク・シリア・イスラム国=ISIS」となった。
ただのゴロツキ集団が国際テロ集団にまで成長するのには武器と資金と訓練の援助が不可欠であり、それ以上前にテロ組織に加わるだけの貧しい、無学の、不幸な、そして怒りと恨みを募らせた若者たちがあふれるような土壌が用意さがれていなければならない。またその存在を世界に知らしめる必要がある。欧米がサウジの御用メディアであるアル・ジャジーラを用いてISISを世界に露出し、日本人を犠牲にしてまでその残虐さを宣伝した。全てのテロは大国の産物である。
ISIS或いはその前身に敢えてシーア派を攻撃「させた」ことでイラン(とロシア)の敵役を演じさせた。となればスンニ派を標的に活動するシーア派テロ組織ハシディ・シャービ(民衆の力)が「自然」に発生したのも、イラン最高指導者のハメネイ師が彼らに公然と軍事訓練を含む大支援を行なったのもまた「自然」であるが、彼らの手にあるのは何故か(やっぱり)米軍が支給した武器である。
ISISの存在は同時に「新たな役者」を登場させることが可能になった。その役者とはクルド人たちである。
クルド・テロ回廊
クルドの民族性なるものは我々日本人からするとかなり理解しにくい筈だ。物質よりも精神の結びつきを重んじる、痩せてはいるが強靭な体をもつ働き者で、冗談が好きな概して「いい人」たちである。しかし怒らせると手がつけられない。恨みあう同士が急に仲良くなることもその逆もある(忘れっぽい)。民主主義などには全く興味も期待も持たず「アー(首長、族長)」の一言が全てを左右するという古風な共同体意識を持つ。狡猾な欧米人たちから見れば彼らの利用価値は非常に高い。欧米は70年代からシリア・イラク・トルコ国境付近に点在するクルド民族の耳に「クルディスタン建国」を囁き、アーたちの統率する小集団を束ねた武装組織PKKを結成させ、トルコ国内のクルド民族をも扇動してトルコをテロの脅威にさらし続けた。
90年代の終盤、シリアのアサド(父)政権がトルコ戦略のために保護していたPKKは両国の緊張を和らげるために一時解散させられ、直後にクルド人政党PYDとその配下の武装勢力YPGとして再編する。つまりYPGとはPKKそのものである。地域から誘拐した少年少女を兵士に仕立て盾に使うPKK同様の卑劣な戦法を使う。思想的には社会共産主義を打ち立てておりイスラム色は希薄である(イスラム以前の宗教であるゾロアスター教の影響が強い)。2013年以降ISISが地域で台頭するとその排除を名目に米がYPGに武器を供給し破壊活動を拡大する。
米軍が蹴散らせないテロ組織を他のテロ組織に退治させる、そんなでたらめが通じるとでも思っているのだろうか、しかし米政府はYPGを対ISIS戦略に貢献する「よいテロリスト」と認定し援助しており各国政府もメディアも腑抜けのように同調している。
米軍からYPGに支給された武器弾薬(トラック3500台分、トラックあたりYPG三人)はPKKに行き渡りトルコ国内での破壊活動に使用される。YPGの持つ本当の意味はPKKと同様に、トルコの東部国境地帯にクルド系「テロ回廊」を築いてトルコ以東中国まで繋がる経済圏から絶縁することにある。鳴り物入りで登場し世界を恐怖させたISISとはYPGの存在意義を長期にわたり保証するために敢えて作られた組織であった。
そんなことをされては堪らないのがトルコである。アタテュルク改革以降80年、世俗化政策を徹底し欧米に貢いできたこの国はその舵を大きく変えていた。属国的な立場からの脱却を標榜し改革を続けるトルコに対し欧米はそれを阻まんとするテロ、経済封鎖、外交圧力、クーデター、虚偽報道などあらゆる攻撃を仕掛けており、それはこの先も続く。それに堪えるためには国内産業と資源供給の安定が必須であるため国境のすぐ外側がテロの温床という現状は何が何でも打開せねばならない。
イラク受難 「一人のサダムを殺したら100人のサダムがやってきた」
米によってサダム・フセインが血祭りにあげられたあとのイラクは無政府状態に近く、米英が打ち立てた形ばかりの傀儡政府は北イラクを制御できずクルド・イラク自治政府を認めざるを得なかった。またイラク中央部はシリア国境をはさんでISISが居座り続け首都バグダードに漸近し、イラク政府の勢力範囲は残りの南部のみとなる。北イラクはトルコと国境を接しておりトルコ国民と親戚関係にあるクルド人たちも多く住む。またオスマン帝国時代の臣民であったトルクメン人もこの地域で生活し続けているため地域の経済安定と治安維持を促す責任がトルコにあった。長期的なテロ土壌の解消に向けて北イラクに多額の援助を行いインフラを整備、民兵ペシュメルガにも協力をするなど、クルド人地帯を味方につけPKKから遠ざける努力を続けた。しかしクルド・イラク自治政府バルザーニ議長は米にクルディスタン建国を焚き付けられて舞い上がり、独立の是非を問う市民投票を決行する。
北イラク独立の選挙運動の風景、そこに意外な旗印があった。最近妙におとなしい、あたかもパレスチナに理不尽を働くほかは興味がないかのように振舞う狂犬。クルド独立を叫び、民族結集を喚くバルザーニの集会にはユーフラテス河、ナイル川、そしてダビデの六芒星を模したあの布切れがひるがえる。イスラエルである。
大イスラエル
産業基盤を持たない集団が民族という括りだけで独立する可能性はない。あったとしても吸血鬼のような大国に吸い尽くされるのが関の山、しかしクルド市民の答えは「独立」支持であった。絶頂のバルザーニをよそにイラク政府は国防軍に加えてシーア派テロ組織ハシディ・シャービ(イラン過激派でありながらイラク国防軍に編入)を北イラクに投入、クルド兵ペシュメルガは戦わずして逃走、独立遊戯に弄ばれたバルザーニは議長を退任した。北イラクのクルド人たちはリーダーを失った。しかし油をそそがれ燃え上がった独立の炎はもう鎮められない。クルド人の闘争への渇望に付け入ったYPG(PKK)がシリアから勢力を拡大し北イラクを掌握、現在トルコで投獄されているPKKの首領の大看板を担ぎ出しクルディスタン建国を鼓舞する。このペンタゴンによる戦略は現在までにほぼ完了した。
世に言う、いわゆる大イスラエル構想である。米の一言でISISがユーフラテス河流域のこの地域はをYPG(PKK)に明け渡せば事実上クルド人の土地となる。しかしクルディスタンとは名ばかりで米国に支援および管理される。欧米が謀ったクーデターに屈し完全に手足を縛られたエジプトはナイル河より東をイスラエルに委ねた。建国以来の無抵抗主義国ヨルダンはイスラエルに従属する。その他の条件がそろったその時、この地域に「大イスラエル」を宣言する、そういう事だろう。
同じ手に騙され続ける人類
本稿は大イスラエル構想をご紹介するためのものではない。近現代に横たわる大問題、世界が「独立」という同じ罠に100年以上も陥り続けていることを再考するためのものである。
第一次大戦後に引かれた中東地域の国境は地形も歴史も民族もすべて無視されたものであると前述したが、正しくは後に禍根を残すために敢えて「最悪」の形で分割した、と言い換えることができる。例えばクルド民族をトルコ・シリア・イラク・イランの四カ国に意図的に分断したのは、まず独立を餌に武器を取らせて地域に脅威を与え、そこへ「調停」と言いながら土足で踏み込み地下の資源ともども「管理」するためであった。コーカサスも、アフリカも、バルカンもかつて大東亜共栄圏と呼ばれたアジアの地域も第二次大戦後に同じように分割されたのである。ここで前号で綴ったロヒンギャ虐殺を思い出していただきたい。
第二次大戦前までは現在のパキスタン・インド・バングラディシュ・ミャンマーは英国領であった。ムスリムとヒンドゥー教徒と仏教徒が混在する地帯であったが英国はその独立を認める際、少数派が必ず多数派の中に残るよう工作を怠らなかった。イスラームが優勢なカシミール地方がイスラム国パキスタンではなく敢えてヒンドゥー国インドに帰属させられたことで印パは三度も戦争をおこしており現在もにらみ合いが続いている。
そしてミャンマー、かつてビルマと呼ばれた仏教国に取り残されたムスリムたち(ロヒンギャ族)は戦前から今日まで恐ろしい迫害を受け続ける。彼らの土地アラカン州をバングラディシュの国境内に敢えて含めなかったのは英国である。第二次大戦を連合軍側について戦った国には独立を認めると約束しておきながら、英国のために戦ったロヒンギャ族を独立はおろか異教徒のビルマの国境の中に封じ込め、仏僧たちに武器を与えて殺させた。畜生なり。
懸念ざれるのはロヒンギャのテロ化である。自衛組織ARSA(アラカン・ロヒンギャ解放軍)が今後、アルカイダなどのテロ屋の手に堕ちると事態は最悪となる。ミャンマー政府は仏教徒による虐殺を治安維持行為と偽り問題の所在をロヒンギャ側にすり替える声明を出し続けており、どうも中東問題と同じ匂いがしてならない。かねてから待機させていたロヒンギャ問題を今になって激化させ、そこへテロの菌をばら撒いてアジア戦略の材料とする可能性はあまりにも高い。ただしロヒンギャの民は欧米の目算よりはるかに強く、気高い。
すでにインドネシアとフィリピンにはアルカイダの手が伸びている。フィリピンのカトリック教徒の保護を口実に欧米が派兵するとすればスペインである。昨今のカタルーニャ独立騒ぎで投資家撤退の酷い目にあっているあのスペインである。カタルーニャ州首相のプッチダモンは国家攪乱という任務を果たしてベルギーに逃亡、それもそのはず、ブリュッセルはシオニストたちの溜り場である。今後スペインはこの手の攻撃を恐れるあまり米主導の対アジア戦略に噛ませ犬として担ぎ出されるかもしれない。
中国包囲網建設を目的としたこのアジア戦略に日本は当然巻き込まれている。日本が虐待をうけてテロに手を染めることはなさそうだが逆に虐待を与える側に堕ちぶれかねない。国民が現政権の続投を願うなら、それも仕方なかろう
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