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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51951
赤ちゃんは生まれる前からママのもとに「来たい」と強く願っている
ルポ「胎内記憶」の不思議【前編】
川内 有緒 ノンフィクション作家
ノンフィクションライターの川内有緒さんが現代ビジネスに初登場!今回は「胎内記憶」についてのルポルタージュを執筆していただきました。
畏怖にも似た感激
いま2歳半になる娘がいる。
ある晩、私は実家の母と、知り合いの出産の話をしていた。少し離れた場所で遊んでいる娘(ナナ)を横目で見ながら、「Aさんは、外出中に突然破水しちゃってすごく困ったんだって」と言った時のことだった。
娘がおもちゃを放り出し、ダダッと飛んできたと思いきや、「ナナねー、ママのお腹から出てきたんだ!」と私の膝の上に勢いよくダイブした。
えっ、なんの話?
キョトンとしているとこう続けた。
「ナナねー、ママのお腹にこうやって入ってた! ほら、こうやって」
と、うつ伏せになると、小さな体を思いきり丸め、床にうずくまった。
どうやら、自分が生まれた時の話をしているらしい。実演してくれたその姿は、お腹の中にいる胎児そっくりだ。
お腹の中のことを覚えてるの? と聞くと、娘は「うん!」と得意げに頷いた。
その瞬間、畏怖にも似た感激を覚えた。
もしかしたら「破水」という言葉が引き金になったのかもしれない。娘は破水から始まった出産で生まれた赤ちゃんだった。
「ねえ、ママのお腹の中はどうだった?」と聞いてみると、娘はニコっとして「あったかかった!」と答えてくれた。
33%の子どもが「胎内記憶」がある
一部の子どもたちは、出産や妊娠中の記憶、いわゆる「胎内記憶」を持っていることは知っていた。映画『うまれる』(豪田トモ監督作品)、『かみさまとのやくそく』(荻久保則男監督作品)には、そんな子どもたちが数多く登場する。
胎内記憶は決して珍しいものではなく、実は100 年以上も前から世界中で報告されてきたそうだ。胎内記憶という概念を日本で広めた産婦人科医の池川明氏が行った調査では、実に33%の子どもが「胎内記憶がある」と答えたそうである(青春文庫『子どもはあなたに大切なことを伝えるためにうまれてきた』より)。
とはいえ、自分の娘がその33%に入っていたことは、やはり驚きだった。
他の人の話も聞いてみたくなり、SNSで広く呼びかけると、何人かが話を聞かせてくれた。そのエピソードの多くが、「お父さん、お母さんの声が聞こえてきた」「お腹の中は、赤くて狭くて、早く出たかった」「お腹のおへその線から栄養をもらってた」「お腹の中ででんぐり返しをしていた」という驚くべき話だった。
中でも、特に印象に残った3つの物語を紹介したい。
動画の出産場面を実況中継!
最初に登場するのは、現在7歳の息子を持つアートディレクターの小熊千佳子さん(41)。彼女が胎内記憶の話を聞いたのは、息子の凛太郎くんが3歳の時だった。
週末の午後、千佳子さんと凛太郎君は、出産時の様子を撮影した動画をなんとなく見始めたそうだ。出産以来、動画を見るのは初めてである。二人でテレビの前に座ると、画面には、洋服を脱いで裸になり、大きなお腹で分娩用のプールに入る千佳子さんが写った。彼女は水中出産をしたのだ。
小熊千佳子さん 写真:著者提供
「せっかくだったら何か思い出に残る特別な体験をしたいと考えました。水中出産は、自分でいきんで、自分で取り上げて、最初に赤ちゃんを抱きとめるのは自分だというのが素敵だと思いました」
動画が始まると、凛太郎くんは恐ろしいほど真剣な顔になった。普段はわんぱくなのに、珍しく画面に集中している。
画面の中の千佳子さんは、陣痛が来るたびに体をまるめ、「うーん、うーん」と唸り、陣痛が収まると、ふーっと息を吐いて水中に浮かんだ。その二つの場面が延々と繰り返され、特に何も起こらないまま一時間ほどがすぎた。その間、凛太郎君はじっと画面を見つめていた。
やがて陣痛が強くなり、いよいよお産が始まろうという時、隣にいる凛太郎くんが泣いていることに気がついた。
「どうしたの」と声をかけると、千佳子さんに抱きつき、激しく号泣し始めた。そして、「うーん!」といきむ画面の中の千佳子さんとシンクロするかのように、「出たいー! 出たいー!」と大きな声で叫び始めたのだ。
千佳子さんは、驚きながら「大丈夫?」と息子を抱きしめた。
凛太郎君は、ひたすら千佳子さんにしがみつきながら、「出たいよー! 出たいよー!」と叫び続ける。そして「お腹の中でもずっと泣いてたの」「おとうさんの声が聞こえたんだよ」と、まるでその時のことを実況中継するかのように話し続けた。気がついたら千佳子さんさんも泣いていて、2人で抱き合いながら画面を凝視し続けた。
そして、2時間ほどが経過し、ついに出産の場面を迎えると、「でたー!」「やったー」と2人で喜びあった。
ほっとしたのも束の間、画面の中の千佳子さんが、生まれたての赤ちゃんを胸の上に抱いた瞬間に、再び凛太郎君は再び激しく号泣。
「どうしたの?」と聞くと、「起き上がりたかったー!」と答えた。
さらに千佳子さんが麦茶を飲んでいるのを見て、「凛太郎もお茶が飲みたかったー!」と泣く。これには、さすがに「えー!」と言って、千佳子さんも笑ってしまった。しかし、その直後の画面には、赤ちゃん(凛太郎君)が、自分の手をちゅうちゅうと吸っている場面が写った。それを見て、ああ、喉が乾いていたんだなあと納得したという。
唯一無二の瞬間
不思議なのはその後だった。
夫・公朗さんの帰宅後、この不思議な体験をシェアしようと、もう一度動画を再生した。
「そうしたら、今度はなんの感慨もなくって、『あ、お医者さんいっぱいきてるねー!』『ひゃひゃひゃ! お父さんひげもじゃだねー』とか言って、笑ってましたね。当事者ではなくて、すっかり観察者の目線でした」
どうやら、あれは唯一無二の瞬間だったらしいのだ。
そんな凛太郎君も、もう小学2年生。今や、あの日のこともすでに忘れてしまった。それでも千佳子さんにとって、「自分にとっては、あの日のことは大きなできごとだった」と言う。
「出産の時、自分ひとりで頑張ってたんじゃなくて、一緒になって痛みをこらえてたんだなあと感じました。自分が産んだと思っていたけれど、本当は“本人の意思”で生まれてきたんですね。あの時、私たちのもとに『来たい』って、強く、強く願ってくれたから出会えたんだなあと思うようになりました」
強く願ったから出会えたという言葉は、その他の胎内記憶の話ともピタリと一致する。
胎内記憶には、千佳子さんが体験したような「誕生記憶」の他に、「中間生記憶」というものがある。お腹の中に命が宿る以前の記憶のことで、そこでは、まさにどうやって赤ちゃんが自分の意思に基づいて両親を選んだのかが語られるのだ。
ここまでいくと、いわゆる「スピリチュアル」な領域に入るわけが、こういった生まれる前の記憶に関する証言も、実はそう珍しいものではない。
残りの2つのエピソードは、ちょっとファンタジックで、でもリアリティがある「中間生記憶」の物語である。
〈後編に続く〉
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51952
赤ちゃんは「マイナス1歳」のときに空の上で自分のママを決めている
ルポ「胎内記憶」の不思議【後編】
川内 有緒 ノンフィクション作家
恐竜の時代は空の上に
胎内記憶のことを以前から知っていて、自分から子どもに質問してみたという人もいる。一級建築士で、二児の母であるとりやまあきこさん (38歳)。
あきこさんは、映画の『うまれる』(豪田トモ監督作品)を見て以来、言葉を話せるようになったら胎内記憶について聞いてみようと考えていたそうだ。
待望の瞬間は、第一子の櫂くんが3歳の頃にやってきた。
とりやまあきこさん 写真:著者提供
その夜あきこさんは、寝かしつける布団の中で、ふと「どうしてお父さんとお母さんのところにきたの?」と聞いてみた。すると櫂くんは、自然な口調で「だって、お母さんの全部がよかったから」と答えた。それを聞いて、嬉しくて感極まったというあきこさん。
さらには、こんな驚くべき話が続いた。
「生まれる前はね、雲の上にいたんだよ。雲の上から見てお母さんがいいなと思って決めたんだよ。ずっと昔、恐竜の時代には、お母さんも一緒に雲の上にいたんだよ」
予想を上回る話の展開に、あきこさんは「お父さんも一緒にいたの?」と聞き返した。
「ううん、お父さんは一緒にはいなかった。お父さんは恐竜の上にいて、それを見てたんだ」
その辺の信ぴょう性はもはやミステリーだが、それはさておき、あきこさんには聞いてみたいことがあった。それは、生まれるタイミングのことだ。
櫂君が生またのは、予定日より3週間も早かった。
「それまで夜中まで仕事をするほど忙しくて、ようやく正産期に入ったので、産休に入りました。ようやくベビー服でも縫おうかなと思った時に、陣痛がきたんです。初産は遅れると聞いていたので、びっくりしました」
分娩は、いわゆる難産というほどではないが、安産でもなかったそうだ。
「痛くて、痛くて、こんなの聞いてないよー! という感じでしたね。もう衝撃的に痛くて、みんな時間が経つと痛みを忘れると言っていたけど、私は絶対に忘れないと思いました」
その長くて辛い陣痛を思い出しながら、あきこさんは櫂君に聞いてみた。
「ねえ、どうしてあんなに早く生まれてきたの?」
すると、こんなはっきりとした答えがかえってきた。
「お母さんの顔が早く見たかったからだよ! 生まれた時はね、僕も痛かったんだよ、でもお母さんが頑張ってたから、僕も頑張ったよ」
そう言われると、確かに思い当たる節があった。
お母さんも頑張ったから、僕も頑張った
長引く分娩の後半、櫂君の心拍は徐々に弱くなっていった。モニターを見る助産師も、「もうここから一気に赤ちゃんを出しましょう、赤ちゃんも頑張っているので、お母さんも頑張りましょう!」と必死に励まし始めた。そうして、あきこさんはありったけの力を振り絞り、ようやく櫂君が誕生した。
だから、「お母さんも頑張ってたから、僕も頑張った」という言葉は、まさに真実なのだ。
最後に櫂君は生まれた直後の世界を、こう見事に表現した。
「お母さんの顔が早くみたかったのに、生まれたばかり頃は目もあんまり見えなくて、世界がもわーっとして、耳も塞がってて、音もよく聞こえなかった」
このインタビューの時、ちょうど櫂君が傍にいたので、「この時のこと今も覚えてる?」と聞いたところ、予想した通り「覚えてない!」と当たり前のように答えた。
生まれた2日後の櫂くん 写真:とりやまあきこさん提供
「不思議ですねえ! あれだけはっきり覚えていたのに」とあきこさんは微笑む。
そうなのだ、胎内記憶は子どもの成長とともに薄れ、いずれ忘れられてしまう。だから、質問をするならば、言葉が発達してきた3歳くらいまでがチャンスだと言われる。
私を守るために生まれてきてくれた
先の産婦人科医の池川明氏は、「子どもは両親に大切なことを伝えるために生まれてくる」と繰り返し著書の中で語っている。時に複雑で悩みも多い私たちの人生や子育ての中で、子どもたちは親に何かを教えてくれるのだという。
最後に紹介するのは、まさにそう感じさせるようなエピソードである。
話をしてくれたのは、ウェブ系の会社に勤務する中川直美さん(40)。約1年前に離婚し、息子の琉生君(現在5歳)と2人暮らしのシングルマザーである。
以前から、琉生君は不思議なことを言うことがあった。
「ある日、髪の毛にカーラーを巻いていたら、琉ちゃんに『それ、結婚式の時まいてたよね? お空から見てたんだよ』と言われました。私は普段は髪の毛を巻いたりしなくて、カーラーをつけたのは結婚式の時以来だったので、とても驚きました」
そう聞くと、どこか特別な雰囲気の男の子にも聞こえるが、普段は本当に普通の子どもだと直美さんは言う。
「性格は穏やかで優しいですね。保育園ではお友達もたくさんいて、家ではちょっとわがままを言う、そんな感じです」
“マイナス1歳”のときにママを決める
そんな琉生君が、今年の初頭にまた不思議な話を始めた。それは、ちょうど直美さんの2人の祖母が立て続けに亡くなった直後。直美さんが「さみしいなあ」と呟くと、琉生君は諭すように言った。
「寂しくなんかないんだよ。お空に戻るだけなんだよ。お空では、赤ちゃんが(この世界に)降りてくる準備をしてるんだよ。だから2人がお空に帰ったら、交代で2人の赤ちゃんが降りてくるんだ」
中川直美さんと琉生くん 写真:中川直美さん提供
直美さんは、思わず「そうなの? 琉ちゃんもお空にいたの?」と聞き返した。
「うん、お空にはね、雲がふたつあって、男の子と女の子が分かれて待っていて、神様が一緒に連れておりてくれるんだよ。僕も生まれる時は神様に連れてきてもらったんだよ。僕はね、お空に長くいたんだ。それで、“マイナス1歳”のときにママを決めたんだよ。みんな“マイナス1歳”のときにママを決めるんだ」
「どうしてママを選んだの?」
「ママが大好きだから」
以前は空の上にいた、ママが好きだから選んだという話は、直前の櫂君の記憶にも通じる。というより、映画『かみさまとのやくそく』や池川明氏の著書では、生まれる前に空の上から見てお母さんを選んだ、と語る子どもたちが多く登場する。
「生まれる前の記憶」と聞くと、なんだか非科学的な領域にも感じるが、赤ちゃんはもともと様々な能力や行動パターンを脳に蓄えて生まれてくる。それは「太古からの記憶」と言い換えることもできるもの。
『人生の科学』の著者デイヴィッド・ブルックス氏によれば、私たち人間は、祖先たちが長い歴史の中で学習したことを、その遺伝子情報に乗せて引き継いでいる。赤ちゃんが、誰にも教えられることなく一定の行動を取れるのも、そのおかげだ。だから、もしかしたら子どもたちには「空の記憶」が引き継がれていても、実は不思議ではないのかもしれない。
ママが大好きだから、ママを選んだ
さて話を戻そう。
直美さんは、妊娠中に切迫早産と診断され、絶対安静の時期があった。
元々の予定では、出産直前に実家に帰って里帰り出産する予定だったが、これにより3ヵ月も前に実家に戻ることになってしまった。
しかし、当初はそんなに長く里帰りすることに対しためらいがあった。彼女は物心ついたときから、「実家に対して苦手意識があった」という。
「私は長女として生まれたので、いつも『あなたは(長女なのだから)我慢しなさい』と言われていました。妹の方が母に似ていて、自分よりもかわいがられていると感じていました。そのせいか私はいつも孤独感を抱えて生きてきたのです。自己肯定感が低くて、自分を否定する気持ちが強かったし、生きる意味も感じてこなかった」
大人になっても直美さんは、自分には価値がないと感じる“無価値観”に悩まされてきた。
しかし、切迫早産という急を要する状況では、赤ちゃんの命がかかっているので選択の余地はなかった。結局は3ヵ月間も実家に身を寄せ、近くの病院で出産した。
最初は気が進まなかった長期の里帰りだったが、予想外の副産物があった。その3ヵ月の間に、母親と気持ちが通じ合えたのだという。
「出産の時も、元旦那さんは出産に立ち会えなかったので、代わりに母がずっと手を握ってくれて、琉ちゃんを産みました」
その時、「琉ちゃんは、お母さんとの関係をよくしてくれるために来てくれたのかな、ありがたいな」と感じたそうだ。
それでも、7年という結婚生活の間、直美さんの無価値観が消えることはなかった。しかし、息子との二人暮らしになった今、徐々にその無価値観が和らいできたと感じている。職場にも友人にも恵まれ、実家の家族にも支えられ、人生を前向きに捉えられるようになった。
なによりも大きいのは、琉生君の言葉だそうだ。
「琉ちゃんは、『ママが大好きだから、ママを選んだ』、と言ってくれました。ありのままの自分でも大好きって言ってくれる人が側にいる。おかげで、私は変わることができた。だから琉ちゃんは、私を助けるために生まれてきてくれたのかなあと今は思います」
こうして、多くのこどもたちが「胎内記憶」を持っていることまでは分かっているものの、胎内記憶を科学的に理解できる日は、もう少し先の未来だろう。
それでも、子どもたちが、私たち大人に何かを伝えとしているというのは事実だ。
それをどう受け止めるかは、あくまでも私たち次第。
話を聞かせてくれた人たちのように、子どもたちは強い意思を持って、私たちと出会うためにこの世界に生まれてきてくれたと思いたい。
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