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全島1万人、史上最大の脱出作戦 〜三原山噴火13時間のドラマ〜 |
14年前、伊豆大島の中心にある三原山は、500年ぶりという大噴火を起こした。その時流れ出た溶岩は、今でも幅100m、長さ3kmにわたって残り、訪れる観光客にそのすさまじさを伝えている。 大噴火が起きたとき、島民1万人すべてを島外に脱出させる、前例のない作戦が敢行された。そこには、命をかけて、13時間にわたって火山と戦いつづけた、男たちのドラマがあった。 |
それは会議の終わった直後、11月21日午後4時15分のことだった。突然の大音響と共に、すさまじい揺れが島を襲った。それまでとは比べ物にならない大噴火が起きた。噴煙は上空8000mにまで達した。 一瞬にして観光気分は吹き飛んだ。町役場も、マスコミが中継機材をまとめ始めた姿を見て、事の重大さを知った。誰も経験したことのない、激しい揺れと大噴火だった。 |
昭和32年、三原山が噴火。中規模の噴火にかかわらず、1人が死亡、45人が怪我をした。役場が避難命令を出し遅れたのが原因だったとして、激しく糾弾 された。その時秋田も、役場の一員として避難の誘導にあたっていた。球団の矢面に立った総務課長は、酒を飲むたびに、犠牲者を出した自分を責め続けた。「噴火で、一人の犠牲者も出しちゃいけない。絶えず、そういう心構えでなけりゃいけないよ」と。 秋田は、火山の専門家や、東京都の役人、大島の警察署長、消防団の団長、さらに島の交通網を握る東海汽船の支店長を呼んだ。男たちは、10畳ほどの会議室に缶詰になった。翌朝まで13時間におよぶ戦いの始まりだった。 今日の大噴火で、秋田が最も恐れたのは、昭和32年の犠牲者を生んだ火山弾だった。火口から飛び散ったマグマが固まってできる火山弾は、大きいもので重 さ50kg以上、直撃すれば生死にかかわる。火山弾は、火口から風にのって飛ぶ。この日の風は、泉津に向かって強く吹いていた。秋田は、泉津の住民に避難 命令を出した。住民の3人に1人は65歳以上、そのお年寄りを、短時間で避難させねばならない。しかし、噴火による轟音と激しい地震のため、元気だったお 年よりも、腰を抜かし動けなくなっていた。避難を拒む老人もいた。 若者たちが救出に向かった。大島の男は、20歳になると全員消防団に所属し、地域を守る。取り残されたのは、子どもの頃から世話になった、老人たちだった。50人の若者が、家々を回り、お年寄りをおぶって運んだ。 |
役場は騒然となった。噴火口が山すそまで広がったのは、実に500年ぶりのことだった。最悪 の情景が、秋田の心をよぎった。大島内には、大昔の後の噴火口が40以上存在する。その噴火口が一斉に火を噴いたら、島内に逃げる場所はなかった。追いつ められた島民は港に向かった。そこは、殺到した人々であふれ返っていた。もはや、島の中で避難場所を探している段階ではなかった。秋田は、町長に決断を 迫った。それは、全島民1万人を、島の外に逃がすという、空前の脱出作戦だった。 対策本部の全員が動き始めた。マニュアルは、どこにもなかった。すべてのメンバーが知恵を絞って行動しなければ、道は開けなかった。最も急がれたのは、 船の手配だった。東海汽船の重久支店長に、その役割が託された。しかし、会社の船だけでは足りなかった。重久は、秋田の命を受けて、海上保安庁、島内の漁 船などに応援を求めつづけた。重久は、「これはえらいこっちゃ、船が1分でも早く、きてくれないかなあと思ってましたね」。と 一方、住民のパニックを防ぎ、非難を迅速に行うために、絶対欠かせないものがあった。電気だった。しかしこの時、島の発電所に異変が起きていた。発電機 の一つが、地震で壊れてしまったのである。発電所に残っていた7人の所員が、交換作業に取り掛かった。故障個所は焼ききれ、70度の熱湯が噴出していた。 所員たちは、熱さに絶えながら、24箇所のボルトをかたく締めた。「このままで、もし電気が消えたら、今以上のパニックになることがわかってますから」と。 3時間過ぎても、噴火の勢いは一向に収まらない。港では、島民たちが船の到着を待ちつづけていた。どよめきが起こったのは、夜7時半過ぎのことだった。 沖に、いくつもの船の明かりが見えたのである。30隻以上が集結していた。自衛隊、海上保安庁、東海汽船、そして急をきいて駆けつけた、近隣の島の漁船も 数多くいた。元町港では、2500人の島民が船の到着を待って、順々に船に乗り始め、朝までには、全員が島を離れられるめどが立った。 ところが、秋田のところに信じられない報告が届いた。溶岩流が方向を変え、住民たちが船を待つ元町港に、猛スピードで迫ってきたのである。 |
運転手の中で最も若かった三田は、任務の重大さをかみしめて、すぐにバスに乗った。三田は新婚だった。波浮についたら、いっしょに船で避難しようと、運転席の傍らに妻を乗せた。島民1500人の移動作戦が始まった。しかし最期のバスが出た直後、波浮の海の異変が知らされた。突然、海面が変色したのである。高温のマグマが、海水に触れて起こる、水蒸気爆発の予兆と見られた。この時、移動するバスには無線がなかった。異変を知らせることができなかった。何も知らずに、1200人が、波浮港に向かっていた。 秋田は、判断に窮した。波浮港には水蒸気爆発の危険、元町には溶岩流が迫っている。万策が尽きたと思われた。この時だった。元町港に向かった溶岩流の、スピードが鈍ったという情報が飛び込んだ。島民を避難させるわずかな希望が生まれた。秋田は、波浮港についたバスに連絡を取り、そのまま元町港に戻るよう指令を出した。 しかしその時、島の方々から逃げてきた住民2600人で、あふれ返っていた。全員を運ぶには、2回往復しなければならないことが、運転手に伝えられた。 再び波浮に戻れば、爆発に巻き込まれる恐れもあった。長い沈黙のあと、一人のベテラン運転手が、黙ってバスに向かい、エンジンをかけた。新婚の三田も、そ れに加わった。三田は、波浮に戻れば危険なことを、妻に伝えなかった。心配をかけたくなかった。元町港に到着すると、妻をバスから下ろした。そして、妻に 自分のジャケットをかけて、持っていたすべての現金2万円を手渡した。三田は、一言も言わずに、バスに乗り込んだ。運転手たちは、島民たちを下ろして、波 浮港に戻っていった。 対策本部は、溶岩流のスピードを計算し、島民全員の脱出を、朝の6時までに終えることを決めた。 そのことを真っ先に伝えたのは、電気を守りつづけていた発電所だった。そこに残っている7人の所員に、秋田は、最期の船に間に合うように、港に向かって ほしいといった。発電機は、つけたままにしてほしいと頼んだ。最期の船が接岸するために、桟橋に明かりが必要だったからである。最期の船が接岸する午前4 時22分、所員全部が、避難の準備をはじめたその時だった。 東京の本部から電話が入った。米本は、自分の耳を疑った。最小限の所員を、島に残してほしいというものだった。無人では、発電機が暴走し、大事故をおこ す可能性があるからだった。米本は、自分が残ることを伝え、あと2人残ってくれないかと頼んだ。恐る恐る頭を上げた米本は、6人の部下全員が、手を上げて いる姿を見た。「命がけですよね。そんな中で、命をかけるといってくれたんで、感激しましたね」。米本は、部下たちに感謝し、年の順に上の2人を選んだ。 3人は、力を合わせて、発電機を守りつづけた。桟橋の明かりは、一度も止まることなく、避難する島民を照らしつづけた。 |
その時、一人の男が船を下りた。島に残ることを決意した秋田だった。秋田は、30年前の先輩の言葉をかみしめていた。「噴火によって、一人も犠牲者を出しちゃいけないんだよ」。午前5時55分、大噴火から13時間40分、船は出港した。大島1万人の脱出作戦の完了だった。 秋田助役は、「急におなかが、すいてきましてね。前の晩から、水もお茶も飲んでいない。その時、自衛隊が持ってきてくれた、おにぎりがおいしくて、力が出てきましたね。30数年間の役人生活の中で、こつこつやってきたことが、あの晩に出たんだと、私は思っています」。 |
桟橋には、見覚えのある38台のバスが並んでいた。バスは、1ヶ月ぶりの我が家に、島民一人一人を、送り届けた。 14年前、命がけで島民を運んだ三田は、今も観光バスの運転手を続けている。三田の妻が、肌身はなさず持っているお守りがある。その中には、14年前のあの日、三田から渡された、2枚の1万円札が入っている。 島に最後まで残った電力会社の前田は、今、家族の暮らす新島の発電所で働いている。 対策本部のリーダーだった秋田は、助役の仕事を終えて以来、島の老人ホームで、お年寄りの世話をしつづけている。秋田は、自分が島のためにできる、最期の仕事だと思っている。 |
急に向きを変えて元町港に迫った溶岩流、急きょ、危険を冒して波浮港にバス移動、波浮の海が水蒸気爆発の可能性ありとして、再度元町へ。対策本部は、溶 岩流の動きに翻弄されたが、漸く、無事全島民の避難を終えた。発電所の一部の人と共に、島を離れなかった秋田助役の責任感には、頭が下がる。 一方、全島民避難から9ヶ月余、現在もなお避難を続ける三宅島の人々が、一日もはやく島に戻れるよう祈りたい。 |
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