http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/438.html
Tweet |
(回答先: 『恨(ハン)』いま、大麻使用者の耳元に訪れるのは神の使いか、悪魔のささやきか。 投稿者 Air−Real 日時 2016 年 11 月 16 日 16:17:22)
留置所に放り込まれ、保釈金に300万。
ここにすごく違和感を感じるのだが。
罪というのは金で解決できるの?
金が用意できないものは保釈されない?
このしくみは詐欺ではないの?
子供時分にはみなそこに違和感を覚えるはずだ。
ああ、そういえばキリスト教でそうしたことを以前広めてたか。
「金で罪は拭える。だから金を捨てなさい。ご寄付を。」とね。
しかし、それはいまや『詐欺』だと認知されてはいない?
見せしめとして公衆の面前で恥辱を与えられ、被疑者から起訴処分に昇格するまで、ずいぶんと時間をかけたものだが、その間何があったのだろう。
われわれはその密室におけるやりとりを知ることはないだろう。
前科犯は、果たして、ふたたびそこに握らされた「圧」に屈したのだろうか。
そしてそこで猛省を促されることとなったのだろうか。
それとも、そこに、いともたやすく権力に屈する衆愚に対して、怒りと、情けなさと諦めの入り混じった「哀悼の念」を沸き立たしただろうか。
そしてそのことで踏みとどまり、抵抗を消して、なお「それでも自分は正しいのだ」として、これまで以上に「自分」を貫き通すことになるだろうか。
そしてそこで、より「自己への信頼」を強化するだろうか。
私はそこに諌めの言葉を投げたいとも、なんらそこにかけられる言葉を思いつくものではない。その義理も理由ももってはいない。
ただ願わくば、「正しさなる」ものを追い求める人々が、ひとつの方法論だけに固執することなく、この期にもっと視野を広げてそれまで以上に見えていなかった、見晴らしのよい高みを手にしてほしいと思う。
人の心の悲痛を知るものには、心を語る資格がある。ヤクザだろうと、悪びれた少年少女であろうと、痛みを知るものはみなそれを語る資格がある。
そして人々はみな、そこに耳を傾ける必要がある。
そこにある思いをどのように全体に寄与することができるか、そこからそれぞれが、どう自分が納得できるようにそれを形作っていくか。人前に表現していくか。大事なのはそれだけだ。
だが、やはり大衆の目には、「けじめをつける」といった謝罪の姿を晒さない限り、「開きなおり」と映り、人々はメディアに伝えられるままに負のイメージをずっと彼らに抱き続けるのだろうな。
そしてメディアは尚もそこでただ、人々の衆愚っぷりを紙面に伝え、そのことを助長するためだけに何かを繰り返し叫びつづけるのだろう。
ともかく、本人がとくに罪の意識を感じたり、誤ったことだと理解していないとするなら、それ以上そこに誰も何も説き聞かせる力など持たない。
そしてもともとこの場合、彼らはいたって”まとも”だったという事実である。
公衆の面前に何ら迷惑をかけたり、”間違ったこと”をした訳でもない。
ただ、それらを暴いたことが誇りのように、彼らを面前に引きずり出し、騒いだ連中がいたというだけである。
大昔からこうした話はいまだ続いているというだけだ。
眠れる−善良なる−大衆は、その社会通俗的観念による縛りから外へは一歩も出ようとしない。
無知というより、保守的であるがゆえに、ひとたび異端を目にすると、恐れからそれを攻撃しようとする。そして、罪の自覚のない者たちに野火を放ち、追い立てる。
そこで罪の意識を抱えるのはむしろ追い立てる側となる保守的な者たちである。
そして以後、その自分たちの仕打ちに対するむごさへの正当性を、更なる転化により、彼らの復讐を恐れるように翻す。そして彼らが再び野に放たれることを拒みつづけるのである。
人がこうした状況を脱するためには、犯罪を犯したとする人をも説得しえる力を持つことである。
赦し、反省を促すための知恵をもたなければならない。
加害者がなぜその行動に至ることになったのか。
人々はそこに耳を澄ます勇気を持たなければならない。
事に至るその経緯を自分たち全体の問題として理解することができなければ、人々にとって、また、全体にとっての本質的な解決策など生まれはしないのだから。
排他的、排除的、差別的、それでことは永遠に解決はしないのである。
そして問題そのものの数は当然減少しない。
罪を作るものの心理的背景、そしてそこにある本質的な原因を探らなければ、人はいつまでも無知なまま、どこにも踏み込めず、何をも踏まえず、よってなんら自分たちにも正当な理由ももつことがないまま横暴に振舞わざるを得なくなる。
単に対象物を責め立てて弾劾すればそれで問題が解決すると思い込み続けるのでは阿呆なままである。
ある種、そうして咎人として生まれた人物とは、そうした人々の社会的な観念的眼差しのもとで、人々の前に差し出された、いわば「生贄」だと看做すことができるのである。
災いの前兆は人々の胸に蜃気楼のように立ち昇り現れては、ありもしない恐怖と狂気を撒き散らす。そこに対して手を差し伸べるものなど表れようも無いのである。
そして自分たちの苦しみ一時の解消のために、感性を麻痺させるための『激的な麻酔薬』として弾劾の為の祭壇(裁断)とは用意されるのだ。
人々を狂わすのは神か悪魔かわからない姿をまとった、人の心の闇の投影ということになる。
韓国では、『恨(ハン)』(韓国文化では:”自分が今いるべき場所に立てていない”とする意だとのこと)とする感情に対して国民はひどく敏感らしい。
上記にあるような、そうした畏怖の念、復讐の恐れを感じる人間が多いのだ。
それはつまり隣国に対する緊張状態に常に人々が晒された状態にあるということが影響しているのかもしれないし、歴史的な背景としてもつ文化的な遺伝子によるものが強いのかもしれない。
わからないがとにかく、反射的に復讐に対する恐れを敏感に感じてしまうのだろう。
すぐに物事に短期決戦的に決着をつけてしまおうとするのかもしれない。
あ、わが国でもまったくそのとおりだった。
すぐに極刑を求めてしまうというのも、そうした文化的背景によるものだという気がする。
昔は罪人を殺したら、その怨念を怖れて、死体をばらばらにして各地に埋めたりした。
手塚、首塚、足塚など、日本にもそうした四股を分割して祭ったとする祠がそこら中に点在する。
怨念という恐れの文化は、自分たちに認めるべき非などなければそもそも人は持たなかったはずである。
そして疫病などもそれらと結びつくはずも無かったのである。
すべてのことの起こりは”観念的な遺伝子”の生み出すパターンを原因としているのだから。つまり人の不幸の病は人々の恐れにより生まれたともいえる。これ以上は本筋から離れるので控える。
つまり昔は今と比較にならないほど、冤罪事件によって葬られたとする事例が多かったのではと容易に想像する。
そのカルマ的因果といった、後世に引き継がれた「解決すべき人類の課題」とは、今の時代の人間も当然引き継いでいるというわけだ。
確かに大麻は医療分野において期待すべき特性を秘めている。
だが、そう性急にコトを進めることは賢くも、簡単でもないことも知っている。
医療関係の既得権益団体の利権は膨大だ。
刺客が送られてきても、それにお茶を出して歓談している余裕も無い。
冗談ではない話だが、現に、そうした”事件”はすでにいくつもわれわれは眼にしているといえる。
何も真っ向から馬鹿に対抗せずとも、心という道具を通じて社会に本質を説き、周りのものから目を覚まさせれば、内側から変われるものだと理解する。
むしろそうなることを望んでいる。
役不足だろうとなんだろうと、誰もやらないなら誰かがやるしかない。
そしてそこに力を共にするものもきっと現れる。
ひとりでも自分の満足のために、自分と約束したすべきことを果たしてからあちらに行くつもりだ。
本質的な理解に至る過程において、本当に求められているものなら、それは自然と人々に”再び”受け入れられるものになると理解する。
よって私が第一に目指すのは、そうして、人々の本質的な欲求(根本的な欲求:生まれながらのありのままに自分の価値を認めるとした状態『基本値のゼロ』から何かを望み願うこと:心身ともに健常であること)を満たす方法論を語ることである。
人々が健全であり、生まれながらに価値を秘めているということは当たり前である。
それを否定するのが今の人間社会、そして不要な価値観である。つまり欠乏感から何かを望み生まれているのが社会的な価値観(本質的な要求から離れた観念的価値観)である。
今の社会は欠落感の蔓延した状況である。そこから何を願っても本質的解決には結びつかない。
根本的な人々の必要性による要求というものが延々と解消の見込みがないとすることによって、延々と抑え込まれたままとなる。
そのことによる痛みはもはや麻痺して忘れられるだけとなって、そこから発せられる根源的な満たされない想い(欲求)を溜め込んでしまっている。
そして、それを抱え込んだまま、人間的な価値観により、それを正当性に置き換えて、痛みを悪と見なして遠ざけたり、それは本能だから理性で抑えこなくてはいけないと考えたり、苦しみは成長に必要だと思い込んだりして、ずっと訳もわからずその本質的な苦しみ、そしてその解消への欲求を隠し通したり、一時の憂さを晴らすだけのために代替案でまかなったりしてきたのである。
もはやそうした意味の無い状況は必要無いのである。
ということは、人はまだ基本のゼロにすら到達していないということである。
当たり前であるはずの磐石な基盤などいまだできちゃいないのである。
ゼロという基盤に到達した時点で、もうそこからどこへ向かわなくてもよくなる。
ゼロがすべてなのだから。
そこから求めるものはすべて適うものとなるのである。
人類は、いままだ、常にマイナスの位置(欠乏感)から何かを望むことしかできていない。
そしてそこで何かを満たしつづけているとしても、そのことで何ら進歩はなく、尚も基本のゼロにはたどり着かないまま、慢性的な欠落した状況についに感覚を麻痺させてしまっている。
それは本質的な欲求とするものが何かを忘れてしまっているために、本来の願望の優先順列をいつまでも本質から外れたものを優先するよう、入れ替えつづけているということだ。
経験は力であり、そこであらゆる痛みを経験する。しかし、そこで前進を止めるべきではなく、本質的な要求が何か、そこに答えを得るまで前進は続けなくてはならない。目指すはマイナスからの脱出であり、ゼロにたどり着くことがすべてだ。
痛みを恐れていて前進はできない。よって掘り起こしてまでも、自分の中に隠された本質的な苦しみを解消に向かわせなくてはならない。
自分の隠してきた痛みに向き合わなくてはならないのだ。
まずは麻痺した感性を取り戻すことであり、そこで痛みに気づくことであり、それには自分とするものと真正面から向き合わなくてはならない。
自分の中に恐れとして感じているもの、その痛みに向き合って、目を背けず、対象物から逃げず、それを受け入れ、そこにある痛みや悲しみを感じなくてはならない。
その痛みをつむぎだしてきた観念と和解し、そこに感謝するというだけでいい。
いつまでも痛みを放って、隠して苦しんでいてはいけない。
自分がすべきだと感じること、そして、正しいと感じることなら、それはどんどん社会においてやるべきだ。
その生まれながらにありのままの姿を何と比較することなく健全であると見なし、その自分を受け入れることだ。
社会で人が何か特別なことをしなければならないわけでもない。
ただ今現在は不幸なこの社会をみなの想いで、健全でありのままの姿に戻してやること。
その本質的な要求を叶えるための行動はすべて正しくある。
そのことで誰も迷惑をこうむるものはいない。
それを「そのことで社会の秩序を乱し、迷惑をこうむるものがいる」と気のおかしいことをいうものがいるなら、それこそ、それでこれまでの正誤が逆転して、くだらぬ自分たちの面子をつぶされることのみを恐れた、社会の当たり前の秩序を乱す「権力思考の砦」に住むおろかな連中だけである。
確かに、実際に世間で騒がれているように、それら薬物の常習で危険な運転行為による過失事故を起こすもの、それで被害を受ける人々がいる。
しかしそれらは、大麻使用によりおきた事件ではあっても、そこに起こされた事件の本質的原因とはいえない。
よって事件性の本質はそれではない。
飲酒も、居眠りも、携帯も、ポケモンgoによる過失も、同じ本質を抱えている。
けしてそれを作った酒造会社やゲーム会社に原因があるのではない。
よってとんちんかんな世の中に出た抗議はただ、ただ無責任で非生産的でしかない。
より根本に立ち迫れば、それは人々の抱えるすべての問題の原因は、そこそこで起きる「道具の誤用」に係るものなのである。
意識も、心も、知識も、言葉も、肉体も、金も、薬も、食べ物も、すべては人間が利用するツールだと見なせば理解できるはずだ。
人間が生存していく上で必要とする社会システムも、当然われわれがより快適な生き方を創造するために利用すべきツールであり、それらはわれわれの思考、想像・創造性により生み出されてしかるべきものである。
だから、いまこそ根本、ことの本質へと目が向かなければならないのである。
『覚醒』しなければならない。一度感じたらもう痛みや刺激は必要ない。
刺激的で大きな事件が世界中に起きていても、いまだ民衆は”眠れる”ままではないか。
欠乏感、無気力といったマイナスの状態から何を求めても、怒りや悲しみといったマイナスの働きしか増幅されない。だから、ただ純粋に自分たちが求める社会のありかたのみに、意識を100%向けることが必要なのである。
本質的な問題を解決に向かわせるための意識的な取り組み、その働きかけが最優先なのである。
権力の傍にいるもの、その力を握るものたちとは基本的に「道具の扱い方」を知らない。ゆえに誤っていると見ることができるのである。
どうりで物の扱い方すべてに横暴さが感じられるわけである。
単純な方法しか思いつかない短絡思考を見透かされないために防御意識を構築するわけである。エリート思想も一緒である。
それは本質に目がいっていない事が原因だ。
つまり人としての眼差しがどこかイッちゃってるわけだ。
これで世の中、良くなるといえるかね。
批判的にしめくくるとしても、そこからすぐに転じて自分たちの知恵に向かって歩みだすこと。
私はあなた方を牽引する考えを披露する準備がある。
しかし、ここでそれをしようか躊躇っている段階にまだある。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 雑談・Story41掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。