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昭和男クドカンの平成社会派ドラマの失敗作。
いや〜クドカンものでは、最悪だと認定。多分本人も敗北感に苛まれているはずだ。
最終回の内容においても、浮気女性のキャリアウーマンである茜の上司との浮気を結婚式で許すのは定番過ぎる。せめて、5年後に合ってから、結婚を決めるとかできないのか。結婚にああゆう妥協を許すのがゆとりと考えているなら昭和世代以下だ。一夜限りの不倫はこまかい一過性の過ちかもしれないがそこに問題性を認識しなかったら、最早、一体、ホームドラマで何を描くのだろう。
大体、茜のような女は結婚しても7割方、浮気するのは目に見えているし、家庭にも収まらない厄介な女だ。それでも2、3年一緒に結婚生活を送ると主人公である正和が決断したなら、それでもいいが設定上、そんなキャラではないはずだ。あそこで許したら、本当に現状肯定の頭の軽いキャラでそれこそ、年長者の定義するゆとりの典型となってしまう。
しかし、基本設定としては、実は主人公3人とも昭和型のキャラで、「不揃いのりんごたち」の主人公達みたいだ。その他のでんでん、植木屋の親方、茜の父親、まりぶの兄とかも昭和のキャラであり、彼らこそがクドカンはじめての暗い社会派ドラマである本作の救いじゃなかったのか。
クドカンが2000年以降、のしてきたのはおそらく80年代以降のトレンディードラマの衰退と関係があって、実はクドカンは70年代的な脚本家だ。ためしに「雑居時代」とか「熱中時代」とか70年代ドラマをみれば今の他のドラマよりはるかにクドカンのドラマテイストに近い事が分かろう。したがって、70年生まれのクドカンはどっぷり70年代にテレビを見て育った昭和男と言う事である。
そして、今作に象徴的なのは女性憎悪に近いクドカンの女性に対する悪意に満ちた描き方だ。茜や悦子先生は言うに及ばず、正和の妹ゆとりやだいごまま、孫の顔を見たがっている実は陰険そうな正和の母(青木さやかが影で泣いていそう)、まりぶの母親まで、社会のいいポジションについて、利己的で幸せにしてもらう事しか考えていないずるい利己主義者だ。自殺したサラリーマンの母親役の真野響子の泣きの演技も下手すぎてとても息子の死後1ヶ月の母親とも見えない。おまけに山岸に息子を重ね合わせるとか回収されない伏線をクドカンははっているが、結局、山岸というキャラを手に負えなかったということだろう。
この番組のCMに見られるように視聴者はF1層の若い女性達であり、その線からあのイケテル3人の若手俳優とかが起用されたのだろう。「桐島」の女性プロデューサーが起用されたのもそのためだ。したがって、クドカンもそのようなF1層向けにイケメン達が葛藤、活躍するライトコメディーを代理店サイドから要求されただろうが、同時に女性人には美女はキャスティングせず、視聴者が感情移入しやすい安藤さくらとか、青木さやかとかの女優陣を配置した。あくまで女性目線のドラマであったことは確かだ。そう考えるとこれだけ、悪女がオンパレードの本作はクドカンの悪意としか考えられないのではないか。
いやいや、クドカンは「あまちゃん」はじめ、むしろ男女のキャラをともに描ける希代の脚本家だ。彼はおそらく、その鋭い観察眼で現代の閉塞社会に女性のずるさが顕著に浮かび上がっているを見ているのだ。それは女性が未だ弱い存在である事の裏返しで、玉の腰狙いの「婚活」や正和の妹のゆとりのあざとい「就活」、青木さやかの陰鬱な「妊活」等、時代がきつくなる程、社会や制度にしがみつかざるを得ない構造的に弱い女性達を客観視しているのだ。
で、そのようなきつい社会にさらにしがみつこうとする卑しい女性達と、行き場の無い社会不適応気味で、社会に疑問を抱いているゆとり世代の男性達との葛藤の収束点が最終回だったのだが、結果はやはりがめつい茜は醜態を晒し、はいつくばりつつもみごとにイケメンとの「婚活」を成功させ(ここはクドカンの狙いと反対に茜に対する視聴者の嫌悪を深めただけだ。)、無能者のゆとりはこずるく「就活」を成功させ、青木さやかも「妊活」をギリギリで成功させ、伝統的家族における嫁の第一義を満たした訳だ。一方、男達はと言うと、主人公の正和は茜という重くて、やっかいな未来をかかえこみ、松坂桃李は悦子に喰われてふつーのつまらない教師になるのは間違いなさそうであり、唯一、中国女に尻をしかれつつあるまりぶぐらいにしか、続編になりそうな未来は待っていなさそうに見える。
結局、クドカンは社会派ドラマに取り組んで、その時代観察に沿って、現状を消極的に諦観する結論に至った訳だ。現状から一歩もはみ出せない妥協で生きていかざるをえないだめな男達(草食系?)が社会のサバイバルのために肉食化した女達に喰われて彼女等の幸福を背負いこまされるだけの終幕に至っただけで、現状打破への何のヒントも示せず終わったとしか言えない。
地方回帰の「あまちゃん」やアットホーム地域ものの「ごめんね青春」に比べたら、実に情けない結果となったのだが、それは15年前のウェストパークや10年前のタイガーアンドドラゴンの時代に比べてさすがのクドカンも小技満載のコメディー以外ではファンタジーを見せる事ができなくなった閉塞した現代の日本社会を示しているのだろう。
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