http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/345.html
Tweet |
https://hirakehibike.wordpress.com/
縄文から 弥生への 変化と
反対の 変化が
いま おこってるんじゃ ないか
なんて 気が するんだよな
権力 というものが
でてきたのが 縄文から 弥生への 変化
そして いま
権力が こわれて 弥生の 世界が おわる
そんな 感じが するんだよ
天地自然の ゆたかな めぐみを
自分の まわりに かこいこもうと することが
権力を うんだんだ
あるいは ぎゃくかも しれない
権力 という ものが でてきて
天地自然の ゆたかな めぐみを
かこいこむ ことが はじまったのかも しれない
たぶん 権力が やってきたのが さき
なんだろうな
そして かこいこみの 意識が うまれ
かしこく たちまわる ことが 必要に なった
天地自然の ゆたかさから 自分を
ひきはなして じぶんで じぶんを 守る ことが
必要に なった わけだ
もっとも ひとの こころの なかには
権力 とか かこいみ とかとは 関係なく
だれの ものでも ない 天地自然の ゆたかさを
あじわい たのしもうとする
意識は まだまだ しっかりと いきているんだ
日本人には とくに そうだと おもうけどね
台風などの おおきな 災害の ときに
でてくる 日本人の たすけあい 意識は
縄文の 意識が かおを だしてるんだろうな
それを 世界中の ひとたちが
すばらしい ことだと 感激 してくれているのは
世界は まだまだ だいじょうぶ
縄文の 意識が 世界を すくう
そんな あかるい 希望を もたせて くれるよな
だから 権力が こわれ
かこいこみの 意識が こわれれば
おのずと 天地自然の だれの ものでもない
ゆたかさを あじわい たのしもうとする
人間の 意識が おもてに でてくると
思っていて いいんじゃ ないかなあ
世界中で いろいろな 権力が
こわれつつ あるのを 見ながら
そして かこいこみの 意識が こわれざるを
えない ことを 感じながら
いまの 時代を いきている われわれに とって
キーワードに なるのは
・考えるな 感じろ
・ふやすな へらせ
という もの じゃないかな
考えるな というのは じぶんを 守る ために
かしこく たちまわる ことを 考えるな
その 必要は もう ないんだ
感じろ というのは それよりも 無限の
ゆたかさを もつ 天地自然の めぐみを
うけとれ ということ なんだよな
ふやすな へらせ というのも おなじで
へらす ことで 自分を まもろうと する
意識を よわめる ことが できるし
天地自然の ゆたかさを うけとりやすく なる
という こと なんだ
日本人が 台風 などの 災害の ときに
思いだす たすけあいは たしかに
考えるな 感じろ
ふやすな へらせ
という 感覚で やってるんだよな
これを 災害の とき だけじゃ なく
いつもの まいにちの くらしの なかで やっていく
という ことが いまの 日本人の
がんばり どころ なんじゃないかなあ
それで おれも せっせと 考えるな 感じろ
ふやすな へらせを やろうと 思うんだけど
どうも この ことばには ひっかかるんで
・守るな 無限の ゆたかさに とけこめ
・すっきりと シンプルに していろ
という ことばに かえて
あたらしい 世界に むかう おれの キーワードに
しようかと おもってるんだ
そして もうひとつ 思うのは つぎのような
ことなんだ
守る というのは 変化を おそれる という
ことでも あるけど
そうじゃ なくて 変化の なかに こそ 無限の
ゆたかさが あると 思うんだよ
変化を おそれてちゃ だめなんだ
諸行無常 なんて ことばは
守ろうと しても どうしても 守れない
という ことで 世界の むなしさを
いってるんだと 思うけど
じつは 無限の ゆたかさを あじわい たのしむ
ことを おしえている ことば なんじゃ ないかと
思うんだよ
むなしさ じゃなくて ね
たとえ どんな かたちで 変化が おこっても
その 変化の なかに 無限の ゆたかさが
あるんだ
そう 思わなくちゃ いまの こんな 世界を
いきて いけないよな
おおきな 災害の ときに
日本人の こころに よみがえってくる
たすけあいの こころを おもうと
日本人の おおくは こころの おくそこでは
そう 思ってるに ちがいないんだ
諸行無常 という ことばは
日本人の こころの おくそこでは
無限の ゆたかさを うけとる よろこびの
ことば だったんだけど
それを だれかが 反対の ほうこうに
ねじまげたんだ
なんて 思いたく なるよな
ついでに いっちゃうと
色即是空 空即是色
なんて ことばも
ほんとうは ひと それぞれの カラーを
だれもが のびやかに たのしめ
という ことば だと 思うんだ
空 というのは 宇宙の 無限の ゆたかさが
すなわち 無限の エネルギーと 智恵とが
空間に かくれてる という ことだけど
その 無限の ゆたかさから
ひと それぞれに 自分の カラーを
ひきだしている
いくらでも おもうぞんぶんに ひきだせる
だから ひと それぞれの カラーは
無限の ゆたかさと おなじだけの
ゆたかさを もっている
その ゆたかさを たのしんでくれ
というのが ほんとうの 意味 なんじゃ ないかなあ
やっぱり これも だれかが 反対向きに
意味を ねじまげちゃってるんだ
変化の なかに
じぶんの カラーの なかに
無限の ゆたかさが ある
そう おもって あたらしい 時代に
はいって いこう なんて 思うんだよな
縄文の 意識が はればれと よみがえる
あかるく おおらかな 世界に
はいって いこう なんて ね
●●手作り玄米ポンせん 食べてみませんか●●
―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせん堂 主人
… ひら かなざえもん
(この記事の原文は、ひらがなにほんごです)
―――――
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 雑談・Story41掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。