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その前日、私は自分が死ぬ夢を見た。
死んでしまったのだと理解した私だったが、すぐに死んでいないと気付く。
何故、一旦「死んだ」と思ったのだろうか。
翌日、ある瞬間を迎えて、驚きから静かに"邂逅"に至る。
そしてそれに伴う、深い感慨が押し寄せてくる。
「やっとここ迄辿り着いたか」
これが、私の脳裏にこぼれた第一声である。
"そこ"は私に、「まだ何ひとつ始まっていなかった」と云う事を明確に伝えたのだ。
一般的に"目的地"とする場所への「到達」を意味する場合には、
「そこでようやく何かしらの成果報酬を手にする」、
または、「受領」・「収穫」と云った類いの意味合いを持つ筈だが、
私がようやく到達したとする場所とは、辿り着いて初めて知らされるのである。
しかもそこは、それ迄の自分がリセットされる場所、
謂わばそれは「スタート地点」であったのだから、
ますますこの話は、「聴くに妙、語るに妙」な話の筈である。
だがそこで私は、ひとり静かに充足のひと時に浸った。
「まだ何も始まっていなかった」
そこに晴れ渡る爽やかな展望に、私はときめかずにはいられなかった。
そしてここに着く迄、確かめよう筈も無かった、
未知なる収穫エリアに続く「確信」は、私の手にしっかりと握りしめられていたのである。
つまり、私は裏技を使って、再び新たな自分の始まりの場所に舞い戻っていた。
確信と云う手みやげを手に入れて。
その新たな始まりの場所に立ち会ったのは、二人の自分である。
「それ迄自分だとして生きてきた自分」と、
「それ迄も自分として在った筈の自分」。
随分と面白い事を書いてると私自身思う。
ここにあるのは多重人格的な症例や、性同一性による話題ではない。
或る意味それまで予測だにしなかった、つまり、
存在しなかった筈のもう一人の自分が私の中に突然出現したことによって、
一つの人生の中程で、私からまっさらな産声を上げさせる事が出来たのである。
私の中に突如現れた、"意図せずして、または意図されて"、秘匿されて来た自分とは、
まるで"自分のタイミングで鳴らす事の出来る"「時限式のアラーム」のように、
ある確信を私自身に抱かせる為に、突然その産声を轟かせたのである。
それは、それまでずっと明解さに欠けていた自分との繋がりが、ようやく解せた瞬間でもあった。
私に、この「ある一つの確証」を齎せたのは、「二人の自分」と云う演出である。
思いもせず、ある事柄が、確実に「確信を得るタイミング」で解消される事で、
それはその者にとってだけ伝えられる暗号となる。
そしてその為には、「疑念だにしなかった疑念」が、ジャストのタイミングで解消されるカラクリが必要となる。
私にとって意図せず齎された「もう一人の自分」とは、
勿論「私」によって意図せず隠された私と言える。
そして、それはこれまでも私の中でずっと息をしていたが、
私は意識せずその息を殺していた、と云う事になる。
その私もまた私として初めからずっと存在していたが、
その「自分」は私そのものなのに、私は私を生きてこなかった、と言う事も出来る。
「私」と言うものが刷新されゆく度、「あの私は私でなかった」と言う時を迎える。
ではこの私もいずれ私ではないとなることだろう。
ではどの私が本当なのかとなるだろう。
そして「自分」とは何なのかとなるだろう。
この事が明るみになった今、それ迄私だったと言える「かつて自分だったもの」は、
けして「自分ではなかったもの」として記憶の隅に棄てられてしまう訳でもない。
試みによって生み出された別バージョンの私として、
今もまた私の基盤として働く事が出来るのである。
つづく―もしくは完
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