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(だんせい げんり なんて いんちき なんじゃ ないかな)
だんせい げんり じょせい げんり なんて いわれるけど そんな ものは もともと ないんじゃないか なんて きが するんだよな
ひとを れっとうかんに おしこめる ために でっちあげられた かんがえかたを
だんせい げんり なんて なまえを つけて もっともらしく させている だけなんじゃ ないかなあ
なんで そんなことを おもうのか といえば
ふじは はれたり にほんばれ という ことばと いっしょに ふじさんの すがたを おもったから なんだ
ふじさんの すがたには もともと ひとを れっとうかんに おしこめるような かんじは ぜんぜん ないよな
その けだかさには ひとを つつみこむような ひろがりと ゆたかさを かんじても
つきはなされるような じぶんとの きょりを わざわざ かんじさせるような ものは ないよな
それを だんせい げんり じょせい げんり なんて ことばに だまされた ひとは
ふじの すがたを めにして じぶんは なんと おとった そんざいであるか おもいしった
なんて くちに だしちゃったり するんだ
もともと ありがたいなあ なんて おもわせて くれる やまやまの すがたには れっとうかんを もたせるような ものは なにも ないんだ
じんじゃの すがたも おなじだよな。ひとに れっとうかんを もたせるよりも ひとの すべてを うけとめ きよめて くれるような ひろがりを かんじさせて もらえる
よーろっぱの きょうかいで かんじさせられる という にんげんは おとった そんざいだ だから ひれふして ゆるしを こわなければ ならない
なんていうのと にほんの じんじゃは まるで ちがう
せかいを しはい してしまった よーろっぱ ぶんめいとは まるで ちがう ものが にほんに のこっている というのは ありがたいよな
いま いわれる だんせい げんり とは おおかた しはいの ための でっちあげだと おもう けど
その ねっこに ある つよさ というものは むかしから とうぜん どこにでも ある はずだ
いろんな つよさが ある はずだけど それを だんせい げんり なんていう なまえで ほかの つよさは むし して ひとつだけに してしまったんだ
その ひとつ だけの つよさ とは たにんを しはいするための つよさ なんだけど それに いろんな けしょうを ほどこして みばえを よくしてるんだなあ
そして けっきょくは その ひとつの つよさで にんげんを てっていてきに しはい してきたわけだ
というわけで ほんとうの つよさを とりもどす ときだと おもうんだ いまこそ
おとこの つよさ おんなの つよさ としよりの つよさ こどもの つよさ
なんて わけて かんがえる ひつようは ないんだけど とにかく いろんな
つよさが あるんだよな
にほんじんの つよさ なんていうのも ありそうだし
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(じぶんの ものがたりを いきる ひらがな にほんごで あそびながら)
いんたーねっとの きじに つぎから つぎへと いろんな ぶっとんだ はなしが でてきてるよね
その おかげで というべきか ありがたい ことには ちがい ないんだけど
おれの げんじつ かんかくが どんどん こわれて いってる
はだかの おおさまの せかいに すんでいたんだなあ なんて おもうよな ほんとうに
だけど さいきんの ぶっとんだ はなし というのは きぼが おおきすぎて おれが いめーじ する ばかみたいに たんじゅんな はだかの おおさまの せかい という いめーじ そのものが どんどん こわれて いってる かんじなんだよな
この せかいを しはい している はずの はだかの おおさま というのが どうも ひとつじゃ ないみたい なんだ
いくつもの ぐるーぷが それぞれの かってな おもわくで とても しんじられないような おおきな きぼで おもての せかいを しはい している あるいは しはい しようと している
…という ていど なら まだ はなしは かんたん なんだけど
おどろいちゃうのは それぞれの ぐるーぷの おもわく というのが おもての せかいとは まったく ちがって ものすごく しんぴしゅぎてき というか おかると てき というか
おもわず かってに してくれ と いいたくなる くらい なんだ
じぶんたち だけで かってに やってもらいたいよな おもての せかいを しはい しよう なんて せずに
だけど かんがえて みると おもての せかい といっても じつは そんなに りっぱな ものじゃ ないんだよな
いきあたり ばったりの いいかげんな せかいを われわれは おもての せかい として そこで いきてる みたいだ
うらがわで うごめいている いくつもの ぐるーぷが それぞれの おもての せかいを つくって たくさんの にんげんを まきこんでいる
だから われわれが すんでいる せかいは うらで うごめく おかると ぐるーぷの ちから くらべで なんとか かたちを ととのえている いいかげんな ものなんだ という きがしちゃう。
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という ことで はだかの おおさまは なんにんも いて それぞれが かってな ことを たくさんの にんげんに おしつけている という はなしに なる わけなんだ
そこで また かんがえて みると そんな かってな はなしに われわれは つきあって いる ひつようは ないんだよな
じぶんたちで じぶんたちの せかいを つくれば いいんだ
(うらで うごめく おかると ぐるーぷも じぶんたちの せかいを つくろうと してるんだから かってに やって もらえばいいんだ ただし たにんを しはい しようと せずにね)
そこで もんだいに なるのは たにん まかせに しないで じぶんの せかいを つくっていく ときに なにが ひつようか という こと
じぶんの せかいは じぶんで つくるんだ と おもうことが まず はじめに ひつよう だよな
そして かんじん なのは じぶんは どんな せかいを のぞんでいるのかを ちゃんと つかむこと
そのための ひんとが この にほんに あるんだと おもうんだ。だからこそ にほんは せかいの あこがれの まとに なっているんだ。あるいは その しかくが あるんだ。
そして こじんてきに おもうんだけど にほんごには かなり おもしろい かのうせいが あるんじゃないかな。とくに ひらがな にほんごに
まあ これも おれが ゆめみてる ひとつの ものがたり なんだろうな。せかいの うらがわで うごめく おかると ぐるーぷとは ちがう ものがたり だけど
けっきょくは じぶんの つくる せかい とは じぶんの つくる ものがたり なんだろうな
いままでは いろんな はだかの おおさまに めかくし されちゃって じぶんで じぶんの ものがたりを いきる なんて ことは おもいも しなかったんだけどね
だけど これからは じぶんで ものがたりを つくって そのなかで いきて いくことに なるんだ
そう させなくちゃ ならない なんて おもうよな
ということで おれは まいにち ひらがな にほんごで あそんでは じぶんの せかいを じぶんの ものがたりを あるいて いれば いいんだ
なんて いま やっていることを むりやり せいとうか してるのかも しれない。まだ ふあんが のこってるから なんだろうな。
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