http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/260.html
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リスク拡充社会
率直に現代社会を言葉に表現すると何だろうと考えると、
「リスク社会」と云う言葉が頭に浮かんだ。
「リスク社会」で検索してみると、「なるほど面白い」と理解を促す論調と解説がある。
http://homepage3.nifty.com/tanemura/re3_index/9RW/ri_risk_society.html
より以下抜粋
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リスク社会(risk society)
◆概念
□「「リスク社会」とは、ドイツの社会学者ベック、U. が、
「近代性」の社会理論の基本概念として『危険社会』で提案した概念である。
ベックによれば、経済と科学技術が発展し近代化が進むにつれて社会は、
富とともにリスクを生産するようになる。
ただし長らくは、物質的な困窮が社会の問題であり、
いかに富の生産を拡大し、公正に分配するかが重要な論争のテーマであった。
ベックはこれを「産業社会」と呼んだ。
しかし富の生産が拡大し、物質的困窮が縮減する一方で、
科学技術や産業経済の発展に伴って生み出されるリスクも飛躍的に顕著なものとなっていく。
こうして、富の生産と分配ではなく、
リスクの生産と分配が重大な社会的論争のテーマとなった社会が「リスク社会」である。
そこではリスクは、天災のように社会の外部からやってくるものや、
無視可能なたんなる副産物ではなく、
産業経済の成長や科学技術の進歩など産業社会の発展そのものによって生産され、
何らかの対処を社会に迫るものとなっている。
産業社会における近代化は、前近代的な伝統や、
社会の外部にある資源であると同時に脅威である自然を相手に進められてきたのに対し、
リスク社会における近代化は、これまでの近代化の前提とその限界に直面しているのである」(平川[2012:1314])
◆リスク社会の特徴
・グローバルな作用
□「リスク社会におけるリスクにはいくつかの際立った特徴がある。
第1にリスクはグローバルに作用する。
その結果、リスクを伴う活動を行うことで、リスクを生み出すとともに、
その活動から利益を得ている主体にさえ作用する「ブーメラン効果」をもっている」(平川[2012:1314])
・不可知
□「第2にリスク社会におけるリスクは、
しばしば通常の人間の五感や常識的知識ではとらえたり理解したりすることができず、
科学的な装備や専門知識を必要とする」(平川[2012:1314-1315])
◆リスクと向き合う
□「しかしながら、科学的にしか感知できないリスクは、
科学的な観点だけで理解されてはならないものである。
まずそれは、近代社会自体が生み出すものであるがゆえに、
リスクを考察するには、社会における権力構造、分配構造、
官僚機構、支配的規範、合理性といった事柄まで対象にする必要がある。
またリスクは、人間にとって「生きるに値する生活」への侵害であり、
どのようなリスクをどこまで受け入れられるのかは、
どのように生きたいかという規範的判断と切り離せない。
その結果、リスクについての科学は、
通常の科学のように実験にもとづいた論理という基盤に留まることはできず、
個人の価値観、経済、政治、倫理などの分野と深い関わりをもつようになり、
しばしば「科学的合理性」と「社会的合理性」の対立が発生する」(平川[2012:1315])
▼文献
●平川秀幸、2012「リスク社会」大澤・吉見・鷲田編集委員・見田編集顧問[2012:1314-1315]
■大澤真幸・吉見俊哉・鷲田清一編集委員・見田宗介編集顧問、2012『現代社会学事典』弘文堂.
▼新聞記事
●神里達博、2015「食のリスクとメディア 「実在の危険」見極める難しさ」『朝日新聞』(20150115)朝刊15面.
・ベックのリスク社会
□「[…]近代の初期は、「モノ」の生産こそが社会の中心的関心であり、
適切な生産と公平な富の分配こそが、政治的課題の要となる。
20世紀は自由主義と社会主義の対立が顕著であったが、従って、
その意味では両陣営ともに同じ平面で戦っていたことになる。
だが、徐々にモノが充実していく、また福祉などの制度的な整備も進んでくると、
人々は生産に伴って現れる「リスク」の方にむしろ注目するようになる、というのだ。
そのメカニズムについては、大きく二つの捉え方がある。
一つは、物質的な充足によって、あたかも白い服には小さなシミでも目立つように、
リスクが「目につくようになる」という側面である。
要するにこれは「認識の変化」が原因だ。
もう一つは、さまざまな物質の生産など、近代社会を成り立たせている活動そのものによって、
新たな不都合、例えば環境汚染や巨大な事故が生じている、という論点である。
こちらは「実在の危険」そのものが、新たに生じていることになる」
▼新聞記事
●神里達博、2015「リスク社会を生きる 上 自由と責任はパラドックス」『朝日新聞』(20150508)朝刊13面.
□「人類を、他の生き物と分かつ最も顕著な特徴は何だろうか。
いくつか思いつくが、「時の流れを把握し、未来を予想することができる」
という能力は、かなり本質的だろう。
だがその結果、人はいずれ自分も死すべき運命にあることを理解してしまった。
これは「智恵」ゆえの大きな不幸であろう。
そうやって、未来に起こりうる「好ましからざること」に対処しながら生きることを運命づけられた人類は、
最初は超越的存在を媒介に、未来をコントロールしようとした。
すなわち、祈り、呪い、祝ったのである。
だが主として近代以降、我々は科学や技術の力を高め、
また政治制度を確立させていくことにより、
未来を自らの手で書き換える自由を急速に拡大させていった。
これは非常にすばらしいことだが、同時に実は「リスクの誕生」の原因でもある。
未来を変える能力を持つことは、とりもなおさず未来への責任を自ら引き受けることと等価だ。
なぜなら、人間が自らの判断でやったことは、もはや神や運命のせにはできず、
人間の「誰か」に帰責されることになるからだ。
そしてそもそもリスクは、自由に基づく行為や判断の結果、
未来に生じうる「好ましくないこと」を指す。
こうして、自由と責任とリスクが、同時に立ち現れるのだ。
実際「リスク」という言葉は比較的新しく、欧州で使用例が見つかるのは、近代以降だ。
宗教的権威が強く、人間の自由が抑制されていた中世には、
「リスク概念」もまた存在しなかったらしい。
だがこれは、厄介なことを気づかせてくれる。
すなわち、制度が充実し、技術が発達すればするほど、
我々の「生」はリスクに満ちていくという事実だ。要するに、自由を一つ得ると、
責任とリスクが「もれなく」ついてくる。まさにパラドックスである」
●内田由紀子、2015「リスク社会を生きる 上 主体性引き出す場 醸成を」『朝日新聞』(20150508)朝刊13面.
□「リスクを知ったうえで、様々な意思決定を行う。
現代社会は、それを個人が「主体的に」行うような制度を構築してきた。
たとえば治療の効果や副作用を患者に説明して同意書を作るといった契約的手続きは、
個人が主体的に選択し、責任を引き受ける力があることを前提としている。
筆者は文化心理学という研究分野で、主に日米での心のあり方の違いを検討してきたが、
「個人の主体性」に基づくリスク管理は、現状の日本的メンタリティーにはうまく適合していないように感じられる。
欧米では、個人が意思決定しなければならないという意識が強い。
一方で日本では、個人が確固たる「内なる主体」に従うことよりも、
「他者との調和」や「状況を読むこと」を重視して
フレキシブルに意思決定を行うことが求められる。
主体性は絶対的なものではなく、場面ごとに異なる形で立ち現れる。
こうした特性のルーツは、共同作業が必要な日本の農業にあるのかもしれない。
私が400以上の農山漁村と都市部を含む集落を対象に調査したところ、
漁業者は何かミスをすることへの恐れである「実行エラーリスク」により敏感であった。
一方で農業者は、近所の人が自分をどう思っているか気にすることが多く、
「関係性リスク」により敏感ともいえる。
その特性は、地域内の非農業者にも広がっていた。
企業でも関係性リスクにより注意が払われる一方、
実行エラーリスクについては責任の所在があいまいになりがちな可能性がある。
日本でも一人暮らしや都市部の人口が増え、企業も成果主義の導入を進めるなど、
「個人主義化」が進んでいると言われている。
古い共同体意識が変更を余儀なくされる一方で、
個人が主体的に決める習慣はスムーズには育たなかった。
人々はどのように意思決定すべきかに迷い、だれがリスクを認知し対処するのか、
どこに責任があるのか判然としない。
それでも制度上は個人が最終的な責任を引き受けなければならない。
結果として不安が生じ、また、うまくいかないと犯人捜しをする傾向がうまれていないだろうか。
責任を引き受けられる主体を育てるために、日本においては、
地域や職場のような「場」「共同体」の力をもう一度醸成する必要があるのではなかろうか。
そこに「集合的な主体」ないし「個人の主体を引き出し、受け入れる枠組み」の役割を持たせることが必要ではないか。
それには人と人をつなぎ、場の力を醸成するプロフェッショナル育成に力を注ぐことも重要だろう」
●広井良典、2015「リスク社会を生きる 上 共同体に代わる公共性探れ」『朝日新聞』(20150508)朝刊13面.
□「現在の社会はリスクが多様化、複合化しているが、
最終的な問題はリスクに対して個人や社会がどのように対応するかという点だろう。
高度成長期などかつての日本社会においては、カイシャや家族、
国家などを中心とする「古い共同体」が強固に存在した。
それらは閉鎖性や内部での階層性などの問題をもちつつも、
様々なリスクに対処する装置としてそれなりに機能していた。
現在の日本社会の最大の問題は、こうした古い共同体が揺らぎ、
しかしそれに代わる「新しいコミュニティー」が作られていないという点に尽きるのではないか。
そのことがリスクへの対応を脆弱なものにし、またリスクに関する人々の不安、
不信、分断を増幅させる結果となっている。
したがって実現すべき方向は、個人がしっかりと独立しつつ、
ドライにつながっていくような関係性や社会のありようだろう。
言い換えれば、“空気”が支配する「共同性」や個別の集団の枠を超えた、「公共性」の意識ないし理念である。
ある意味でこれは日本社会にとって“永遠の課題”とも呼べるテーマである。
だが、希望を込めて言えば、そうした方向への変化の兆しは、
若い世代を含めて、たとえば見知らぬ他者とのコミュニケーションやあいさつといった、
日常的な行動や意識のレベルでも現れ始めているように思う。
しかしなお、集団を超えたつながりの原理は十分見えていない。
社会保障ないし生活上のリスクについて言えば、
いわゆる「公助・共助・自助」のうち、
現在の日本社会は公助(公的社会保障など)、共助(地域コミュニティーなど)がいずれも弱く、結果として自助ならぬ「孤助」とも言うべき状況になっている。
他方では、1千兆円を超える財政赤字を将来世代にツケ回ししている現実がある。
これは税などの負担を含め、どのような役割分担と責任で、
社会としてリスクに対応していくかという発想や議論が欠落してきた結果ではないか。
その背後には、「経済成長がすべてを解決してくれる」
という意識とパターナリスティック(父権主義的)な国家観が複合して存在している。
これはまさに冒頭にふれた高度経済成長時代の共同体観の強固な遺物に他ならない」
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以上転載ここまで。
過ぎし日の私の祖父の言葉を思い出す。
先の戦争で迫撃砲弾の洗礼を浴び、負傷して倒れ、
意識が遠のく中、死んだと思ったそうだ。
意識が薄れ行く中、誰かが祖父の手を引っ張るのがわかった。
そして再び意識が戻った時、看護手当を受けている自分が居た。
「誰が自分をここ迄運んできてくれたのか?」
と、周囲に訊いても誰も「判らない」と答えたそうだ。
そして、体に幾つもの破片を埋め込んだまま戦地から帰還した。
―誰が自分を助けてくれたのか―
それは終にわからなかった。
私もその話を聴く度、祖父を生きて返してくれたその誰かに、特別な感情を抱いた。
「それが誰なのかわからない」
もしかすると祖父だけが助かったのかもしれない。
それが誰なのかいつか知りたいだろうし、私も知りたかった。
祖父もそれを願っている事だろうと思った。
戦争体験談は幼い時から何度も聴かされて育った。
戦地では祖父は人を殺したとは話さなかった。
夏になると南側に扉の開く茶の間で、月明かりの入る縁側の景色を傍らに感じながら、
テーブルの上にある枝豆なんかを食べながら、よく同じ話を聴いたものだった。
夜盗を捕まえ、張り手を放った、と云う話だけを自慢げに話していた。
―もしかすると人を殺したかもしれない―そうした想いがよぎらなかった訳ではないが、
私はその祖父のその温厚な人相と気丈な人柄にとても安心感を抱いていた。
いつ頃からだろうか、私が祖父に対してそれほど関心を抱かなくなっていったのは。
高校に進学した頃だったかもしれない。
私は大人の社会を徐々に理解し始めていた頃だとも言える。
幼かった子供のやわらかな心理性は、頑な理性的感情に支配されていた。
或る晩の食事時、"おかず"にかける醤油の量が多すぎると私が注意した。
「人の好きなものくらい食わせろ」
まったく大人しかった祖父が抵抗した。
ただ家族の言う事を素直に受け止め、自分のものは何も欲しがらなかったあの祖父が。
その言葉と態度で、自分がしていた事の愚行さに気付いた私は黙ってしまった。
「誰にとっても正しい事」で、自分が守ろうとして居たものが何か、気付いたからだ。
私たち家族が、祖父の健康の為にと口やかましく食事制限に走っていた事は、
結局彼にとって苦痛でしかなかった。
残りの人生を生かされているだけに感じたかもしれないし、
一日の内、僅かな楽しみをも奪っていたのだと思う。
彼自身の想いを無視し、生き方を否定していたということになる。
自分達だけが平穏無事な「変わらない安心感」を維持する為に、
世間的な公平性、正当性を盾に、価値観を強要していたのだから。
祖父が末期癌で他界した後、私たち家族は、
彼が平均して長く生きたとする事に、ほんの僅か安堵することで救いとしたのかもしれない。
彼は不思議な加護を受け、何の苦しみもみせず旅立った。
院長を始め周囲の看護婦たちは、涙ながらに我慢強さを讃えていた。
だが、彼は本当に最後迄、まったく顔には出さず、けろっとしていた。
私たちはその理由を知っていたが、それはここに書く事ではない。
ある日、私は主を失った部屋に立ち入って、祖父の想い出の品を物色していた。
机の引き出しから民間療法の本が見つかった。
つい最近刊行されたばかりのものだと云う事がまず第一に驚きだった。
―いつのまにこんな本、手に入れて読んでいたのだろう―
私はそれを手に取ると、胸が一気に高鳴り、感情を抑え込むことが難しくなっていた。
その本の内容は"特定のフルーツで癌を治す"と云う内容だった。
どれだけ読み進めていたのだろうか、本自体は新品のままのように綺麗だった。
彼は、医者を含め、私たちが悟らせまいとしていた自分の病状に気付いていたと云う事だ。
何故その本の事に気付いてやる事が出来なかったのだろう。
その果実を探して、食べさせてやりたかったと後悔した。
心の整理を付けることができないまま、私に幾つもの謎を残して祖父は姿を消してしまった。
あの言葉が無ければ、きっといつまでも、
私は気付けないままだったろう。
私たちの事をどう思っていたのだろう。
どう見守っていてくれたのだろう。
何故あんなに欲を持てなかったのだろう。
何をどれだけ何の為に我慢していたのだろう。
こうした例えに理解出来るものとは、私たちは誰の為に、
自分達の知り得るもの(知識)を活かそうとしているのかと云う事だ。
知識の有用性をどのようにして"歪み無く"感じ取る事ができているのだろうか。
また、その知識とするものは、きちんと人の想いに添うものであるのだろうか。
我々の社会的責務は、本当に人間社会に貢献するものであるのだろうか。
サービス亊業である福祉介護の現場でも、
こうしたぶつかり合いやすれ違いは、実際、毎日のように起きていることだろう。
あくまでサービスはボランティア、つまり善行ではない。
それぞれが意識的に優先するのはまず、会社、または自己の"リスク回避"である。
そうした意識をもって取り組む、人との協調性の中には、不要な「駆け引き」が発生する。
"人間らしさ"を「適当な妥協点を見つけて"対決"や"協調"をしていくこと」
だともっともらしく唱える人がいるが、妥協や折り合いに見る決着など、
本来、人として「人らしく」生きる為に「必要性があるもの」だとは思わない。
そうした利益重視の折り合いの中で、「無視されるもの」もまた生まれるのであり、
無視されたからと云ってそれが消滅してしまうと云う事はありえない。
つまり、そこに人間的な問題が決着し片付くとは到底思えない。
故に、それはより深刻な問題を明るみに生み出す迄の間、
単に期間を置くと云う事にしかならず、それは新たな問題が生まれる前兆、
または発端でしか無いと思えるのである。
隠されて放置されたものは、いずれ晒される。
そうしたものを無くすと云う方向性に向けて働きかけていく、
その正直で素直な想いだけが、「人間らしさ」を生み出す動力源、
また推進力となりうるものだと私は考える。
人に生まれつき備わっている天性の素直さが、
如何に社会性に馴染まず通用しないものかを考えると、
そこで人間性と云うものは歪に形を変えてしまうしかない。
私はたまたま自分を周囲に溶け込ませる事が出来ずに、
他人に合わせて自分の考えを偽る事をせずに、
社会にも当然馴染まずにここ迄来たが、
今思うのは、自分の生き方がとても面白いということである。
怖れが無いのである。
そして人々が何に怖れを成しているのか、何を求めているのかがよく解るのである。
自分を否定し続ける事の辛さも理解する。
そして万民が皆同じであると云う事に寄り掛かって、安堵しようと云うのも解るのである。
だが、そのような社会は全てまやかしの偽りでしかない。
偽りの中で、なんとか生きていこうとする、
ヒューマンドラマを私は揶揄したりもしない。正しいとも間違っているとも言わない。
ただ何故人は素直に求めに従わないのか、その一点に尽きる。
なんとも現行の社会とはおかしな道理をつくり出しているものか。
素直な関係性で人々が繋がると云う事だけが、
透明性ある社会を運営していく事に繋がるものであると考える。
理想とする社会には、「対決」など不要だ。
ただ「譲り合う」事と「与えあう」事ができればいいのである。
そうした社会性こそ、「人間らしい社会」と言えるものだと私はただ素直に考える。
一途な力とはそこに生まれる。
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